今晩は。

先ほどアップしたように、コンサートに行ってまいりました。

2010年6月12日(土) 16:30開場 17:00開演
@愛知県芸術劇場コンサートホール

スウェーデン放送合唱団 二大レクイエムの夕べ

モーツァルト:レクイエム(ジュスマイヤー版?)
フォーレ:レクイエム(1893年版)


合唱:スウェーデン放送合唱団
ソプラノ:リサ・ミルネ メゾ・ソプラノ:クララ・ムーリツ
テノール:ジョシュア・エリコット バス・バリトン:ジョナサン・エミル
指揮:ペーター・ダイクストラ
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団


まずモーツァルトについて。

月並みな言い方ですが、合唱の凄さを思い知らされました。
オルガンよりも、管弦楽よりも、ソリストよりも合唱が今日は凄かった。

技巧的なことで言えば、歌いだし。低音から高音まで無理のない発声で、はっきりと聴き取れました。
超弱音から最強音までのダイナミックレンジも、恐ろしく広いです。
音楽の表情付けという点では、指揮者ダイクストラの趣向でしょうか、やや中庸でした。
「キリエ」の部分も、バーンスタインの厳粛さや、アーノンクールの密やかさはありません。

しかし、ゆるやかに弧を描くようななめらかな音楽には、それ特有の魅力があります。
特に、「ラクリモーサ(涙の日)」の清らかな中に深い悲しみを湛えた響きは、本当に素晴らしかった。

最終曲「コンムニオ(聖体拝領唱)」のオルガンの低音、オーケストラ、全合唱による終結は、まさに朗々と響き渡りました。

しかし、フォーレでは大きな問題がありました。演奏とは別のことです。

腹立たしいのは、名古屋の聴衆のマナーの悪さ。

本当に、今日は酷かった。

第5曲「アニュス・デイ」~第6曲「リベラ・メ(我を許し給え)」の間だったと思います。
オケ・合唱とも静まり返った時、携帯の着信音が30秒ほど鳴り響きました。
それに動揺して後ろを振り向く客も客ですよ。
全く動じず(内心怒っていたと思いますが)リベラ・メに含まれるディエス・イレ(怒りの日)などで渾身の名唱を聞かせてくれた合唱団には、手の皮がむけるほど拍手しましたけどね。

さらに酷いのは、フォーレの「イン・パラディスム(楽園にて)」。最終曲です。目を閉じて、楽園の世界に浸っていました。魂が浄化され、体が消えていきそうな終結・・・この後は、長い沈黙が絶対に必要です。
まあ、特に長く続くとは思っていませんでしたが、ダイクストラがタクトを下ろす前に盛大な拍手。
ですが、一回「気まずい」という感じで止みました。そしてタクトを下ろすとまた拍手ですよ。

見るも無残でした。
(追記:終演後のサイン会でダイクストラ氏に「拍手が早すぎたと思うのですが」と問いかけると、「僕はそのことについては何も出来ないからね。仕方ないよ」と、つまらなそうな顔で仰っていました)

名フィルにしても名古屋に来る外来オケにしても、派手な名曲路線ばかりだからこういうことになるのでしょうか?
合唱ということで、普段はあまりコンサートに行かない人達が来ていたのでしょうか?

いずれにせよ、着信音は防げたハプニング。ホールもきちんと通信遮断をして欲しいですね。

総論としては、指揮者ダイクストラは、合唱指揮者ですが、オーケストラにも的確な指揮を示していましたし、モーツァルトでのティンパニの強い叩かせ方など、しっかりとした音楽的主張を持っているように感じられました。
しかし、フォーレでは中間の曲をやや持て余しているような印象もあり、やはりフォーレ特有の曖昧模糊とした雰囲気を醸し出すには、指揮者としての熟練が必要なのかなぁ、とも思います。

名フィルについては、決して弾けていないわけではないのですが、どうも味わいが淡白なのです。
弦楽は深々とした音色を随所で聴かせていましたが、管楽器が単調。モーツァルトのトロンボーン、フォーレの「ディエス・イレ」部分直前のホルンなど、水っぽくてしょうがない。
シェフのフィッシャーに慣れているせいかもしれませんが、ちょっと物足りませんでした。

ソリストの4名は、テノールが出色。最近のテノールらしい、澄んだ声でした。
他は平均点というところ。ただ、バス・バリトンはやや発声に難があったように思います(これは席の関係かもしれません)。

全体的に、モーツァルトの方が高レヴェルの演奏でした。

ではでは。