2014/3/8 インバル/都響 慈愛に満ちた「千人の交響曲」2014/3/14 ラザレフ指揮日本フィルの「レニングラード」

March 13, 2014

2014/3/12 下野竜也/読響 ドヴォルジャーク:レクイエム

読売日本交響楽団 第535回定期演奏会
@サントリーホール 19時開演

ドヴォルジャーク:レクイエム

ソプラノ:中嶋彰子
メゾ・ソプラノ:藤村美穂子
テノール:吉田浩之
バス:久保田真澄
合唱:国立音楽大学合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団
コンサートマスター:長原幸太(ゲスト)
指揮:下野竜也

前日の3.11の追悼の意味合いもあっただろうが、それ以上に下野さんはこの大曲を何としても定期で取り上げたかったのではないか。そう思わせるほど力のこもった演奏であり、企画だった。

ドヴォルジャークの「レクイエム」マーラーの3番に匹敵する長さであるのみならず、全体的にかなり入念に作りこまれた曲。名曲には違いないが、全曲を聴き終えた時の疲労感はかなりのもの。聴き手でさえそうなのだから、演奏者はさぞかしお疲れだったろう。

下野さんは燕尾服でなく黒の礼服で神妙に登場、客席が完全に静まるのを待ってからゆっくりと指揮棒を振り始める。
第1部は苦渋にみちた表情が目立つ。全合奏の時の響きは荘厳ではあるのだが、半音階の多用によるものか不安感が拭いきれない。怒りの日では同一動機が延々と反復され、頂点ではP席上方に配された鐘とオルガンが加わり、ホールを震撼させた。

後半では曲想が一転、第8交響曲などでお馴染の素朴なドヴォルジャーク像が顔を出す。(第1部の重さ、執拗さは第7っぽいかもしれない)鮮やかな二面性である。管楽器の伸びやかなソロや
全音階の輝かしい響きが目立つようになり、祝典性すら湛えた音楽が「アブラハムとその末裔」を意味する"Quam Olim Abrahae"の典礼文とともに次々と展開。個人的には、後半の方が音楽にハリがあってずっと楽しめたように思う。
余談だが、救済を真摯に希求するのはレクイエムである以上当然として、救済対象の『アブラハムとその末裔』を連呼するのは、彼らのキリスト教世界における重要性のみならず、西洋世界が概念の明確化を重視していることにも関連するような気がする。
曲が終結に向かうにつれ、声楽ソリストが目立つ箇所が増えてゆき、曲は敬虔さを増す。そして第13曲「神の子羊」がまさに終わらんとする時、突如として曲冒頭の陰鬱な響きが再び頭をもたげるのである。
これが意味するものは何なのかは知るべくもない――しかしながら、下野さんがこの曲を取り上げた理由の一つとしてこの箇所があるのではないか、とやや不謹慎な想像をしてしまった。つまり、まだ苦しみは過ぎ去ってなどいない、3年経った今なお被災地の苦しみは続いているのだ、という戒めなのではないか―ということ。

上記の私の勝手な想像もあって、今一つ浄化された気分になれなかった演奏会ではあったが、演奏の水準は特筆すべきものだった。金管のパワーと硬質な迫力を持つ弦は、いつもながらドイツの放送オケのように見事だが、それに加えて今回は木管楽器の真摯な歌が素晴らしかった。特にObの蠣崎さん、Flの倉田さんはブラヴォー。
声楽陣も強力なメンバーであった。Alの藤村さんの存在感は勿論のこと、重唱もソロも素晴らしかった。急な代役のBs久保田さんがやや割を食った感はあったけれども。そして国立音大もこの難曲を最後まで量感のある声で歌い抜いた。
最後に、全曲を強靭な意志で構築した下野さんの奮闘を称えぬわけにはいくまい。ただでさえ強面な曲をさらに強面・硬質にした感もあったが、各パートにキューの行き届いた綿密な指揮は本当に素晴らしかった。

こうした企画ができる読響は流石であるし、今後のカンブルランとの共演にも大いに期待したい。


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takupon68 at 18:05│Comments(0)TrackBack(0)公演評 

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