2015/3/18
東京都交響楽団 第784回定期演奏会Aシリーズ
@東京文化会館

ヴァーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(ノヴァーク版)

管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:エリアフ・インバル

名古屋、福岡のツアーを経て、本拠地上野での都響定期。先日のシューマンに続きインバルの指揮で、ヴァーグナーとブルックナーの象徴的な作品が取り上げられた。(「象徴的」と書いたのは、作曲家の愛好家ならば絶対に外せない2作品だから)

インバルという人は昔から「作曲家に相応しいサウンドとスタイル」が大切だと言ってきており、都響の任に就いた際にも上記の目標を掲げたことが印象に残っている。事実インバルはマーラーでは細部の歪さを強調した分裂的演奏、ベートーヴェンやブラームスでは前世紀の巨匠もかくやという堂々たる演奏など、作曲家ごとにはっきりと描き分けを行ってきた。
ユダヤ人であるインバルとヴァーグナーはあまりイコールで結びつかないかもしれない。だが、90年代に都響の特別客演指揮者だった頃ヴァルキューレを演奏会形式で1幕ずつ上演したのは今でも語り草になっているし、同時期イタリアで「指環」全曲をやはり演奏会形式上演している。近年もベルギーで「パルジファル」、スペインで「トリスタン」を振ったように、熟練のオペラ指揮者でもあるインバルとしてはヴァーグナー音楽は当然のレパートリーなのだ。今回都響で聴かせた「トリスタン」の前奏曲と愛の死は、彼で全曲を是非聴きたいと思わせるに充分の水準だった。インバルのヴァーグナーは沈滞しながら蕩けるように歌い込むタイプではなく、ストレートに熱量を増して高揚していく愛の歌。音楽の頂点は愛の死のクライマックスに置かれ、膨張し崩れ落ちる寸前までインバルは激しく左手を震わせて更なる没入を求めていた。始まってすぐ木管の一部に楽器のトラブルが聴かれたものの、凛とした美しい演奏だった。早くも盛んなブラヴォーと喝采が舞う。
後半のブルックナーはフランクフルト時代に全曲を録音し、都響でも何曲も取り上げてきた自他ともに認めるインバルの得意レパートリー。その自信溢れる演奏に魅力を感じてはいたのだが、彼のブルックナーは相当に楽曲をいじるので他の所謂ブルックナー指揮者に比べると少々疑問符がつかないでもなかった。だが今回の4番を聴いてその意図がはっきり認識できたように思う。前半のヴァーグナーがロマン派の視点からの音楽なら、インバルのブルックナーは完全に古典派の視点による音楽なのだ。『ブルックナーは、宇宙の存在の意味を音楽で見いだそうとした作曲家の一人です。アインシュタインが相対性理論によって明らかにしようとしたこと、つまり万物の法則を、ブルックナーは音楽で試みたのです』これはインバル自身の言葉だが、言い換えれば楽曲中のあらゆる事象が何一つ曖昧であってはいけないということ。この突き詰めた厳格さは古典派のそれと共通する。宇宙的壮大さを雰囲気で表出しようと試みるのではなく、全ての要素を完璧に配置することで宇宙を音楽的に体現できる、こうインバルは信じているのではないだろうか。(今回コンマスを務められた矢部さんのTwitterによると、インバルは12歳の時に世の中を信仰を通してではなく科学を通して見るようになるという、心の大変革を経験したそうだ)
このことを念頭に置きながら今回の演奏を振り返ってみると、特異に思われた解釈や指示の数々の多くに納得がいく。低弦の刻みや金管のリズムへのアクセントによる縁取り、および次の主題への移行前のリタルダンドは音楽の骨格を聴き手にはっきり認識させるため。第1楽章コーダで主題を吹くホルンをまず抑え、付点リズムを繰り返す他の金管を強調し、一番最後にさあ出番だ!とばかり最強奏させるのはその例だ(スケルツォでは逆にホルンのリズムを強めに出しておき、徐々に弱めてトランペットにフォーカスしていた)。終楽章で"sehr ausdrucksvoll"(たいへん表情豊かに)と指示されたトランペット以外の金管によるコラールに続く弦のトゥッティの最後の6音が全ダウンになっていたのは?と思ったが、スコアを見るとなるほど全ての音符にアクセントの指示があるのでこれの強調だろう。また同じ旋律の反復では大抵2回目は音量を落として差をつけ、同じ音楽にしない。既にブログやTwitterで多くの方が触れている箇所だが、極めつけは終楽章コーダでヴァイオリン群になされた指示。1小節に6つある8分音符を完全なトレモロにせず、シベリウス5番終楽章の中間部のように分けて弾かせ、クレッシェンドしてffに至るとプルトの裏は全弓、表はトレモロというように分奏させていた。これによりトレモロの迫力を出しつつ旋律も浮かび上がらせるという離れ業が達成されており仰天したのだが、調べるとインバルの師チェリビダッケが全く同じ手法を取っている。(一番よく分かるのが楽友協会の長い残響に対応して弩級のスロー・テンポとなった89年ウィーン・ライヴ!(SONY))更にそもそも演奏以前の話だが、文化会館のみ倍に増やされた木管は恐らく残響の少ない上野で声部が埋もれないための対策だろう。
上記に記したのはまだまだインバルの指示の一部で、本番と練習を繰り返す過程でさしもの都響も悲鳴を上げるほどにディテールが徹底されたらしい。事実、無意識に雰囲気で流される箇所は皆無であり、出てくる全ての音・音量バランスが吟味され尽くしていた。異端的ともいえるインバルのブルックナー4番がほぼ理想的な形で達成されたのはひとえに当夜の都響の献身によるものだ。稀有なカリスマ指揮者によりリミッターが解除されたこの名人集団に、最早怖いものなどありはしない。圧倒的精度と厚みを見せたストリングスのうち、池松さん率いるコントラバスはヴァーグナーでドキリとするような渾身のピツィカートを聴かせ、ブルックナーではコンマ数秒早く出て重厚な音響形成に寄与した。また1楽章の金管との呼応をはじめ前傾姿勢でキレッキレの音楽を聴かせたヴィオラは名手・店村さんの存在が大きそう。管楽器はダブル首席が多い充実の布陣で、インバルのブルックナーに相応しい強靭なアンサンブルを聴かせたトロンボーンは筆頭に称えられるべき。細かいパッセージも含めて全くぶれずストレートなサウンドを聴かせたトランペットはいつもながら国内最高水準だ。ホルンはなんといっても有馬首席のソロが味わい深かったし、前半のヴァーグナーでソロをとった岸上さんもふくよかで素晴らしかった。木管セクションも見事。上野のみ参加の倍管組はさぞ大変だったと思う・・・。付け加えのようになってしまったが、今回は安藤さんのティンパニもよかった。
聴衆は熱に浮かされたように和音が消えた後もしばらく拍手が出来ず、しばらくの静寂の後嵐のような喝采が沸き起こった。何か生きるための糧をもらった、という歓喜に満ちた雄叫びのようにすら思われた。当然オケがはけたあとにインバルが一人呼び出され、スタンディングで拍手を送られる。会場を後にする聴衆の顔はみな紅潮し、凄いものを聴いたという興奮に周囲の温度が上がったような錯覚にさえとらわれた。人間としての根源的感覚を呼び起こさせるような演奏会だった。