2015/2/24
クリスティアン・ティーレマン指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
@サントリーホール

R. シュトラウス:メタモルフォーゼン
ブルックナー:交響曲第9番(ハース版)

管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン
コンサートマスター:マティアス・ヴォロング
指揮:クリスティアン・ティーレマン

偉大なふたりの作曲家の、最晩年の作品を並べたプログラム。決して派手ではないが、深い余韻を残す組み合わせだと思う。なお、来シーズンの名古屋フィルで尾高さんが全く同じプログラムを指揮する。

23声部を23人の奏者で演奏するという、ほかにリゲティの「ルクス・エテルナ」位しか類を見ない(というより、僕は知らない)作品であるシュトラウスの「メタモルフォーゼン」。演奏家に対する作曲家の全幅の信頼がひしひしと伝わるよう。そして当夜の演奏は、その信頼に十分値するものとなった。戦争で傷ついた祖国への想いであるとか、シュトラウス自身の晩節の心情が込められている、というのはプログラムの曲目解説のような言葉だが、あのドレスデン空襲で自らの本拠地を失ったシュターツカペレ・ドレスデンの名手たちに、そのような御託を並べるのは寧ろ失礼だ。オーケストラが世代交代しても脈々と受け継がれる楽団のDNAの中に、その悲しい歴史は確かに息づいている。声高な主張がなくとも彼らの音楽の中に十分感じることは出来た。ティーレマンの指揮も伝統ある楽団の室内楽的にブレンドされた音楽を尊重するもので、無粋なアゴーギクとは無縁。静かな名演と呼ぶにふさわしい演奏だった。時折現れるベートーヴェン「英雄交響曲」の葬送行進曲主題は胸を締め付けるように苦しい。本当の苦しみは静かに、されど容赦なく襲ってくる。
「メタモルフォーゼン」の独特の余韻を味わいながら自席に戻る。オーケストラと指揮者が入場し終えると、完全な静寂が訪れてからタクトが動き、d-mollの弦楽合奏が荘厳に響いてくる。抑制された、ただ事ではない響き。第1主題のトゥッティはそれほど威圧的でなく、静かに提示される。ティンパニの一打もふわりと柔らかい。ティーレマンの指揮は只管に繊細で、第2・第3主題の扱いはいずれも羽毛を撫でるように丁寧。だが再現部に差し掛かると音楽が狂気を帯びたかのように生々しくなり、強烈な音塊が次々と炸裂する。オーケストラ全体の響きからの逸脱こそないが、ブラスは7分ほどのパワーで大いなる畏怖をもたらす。1stトランペットの啓示のような強調を経て迎えたコーダでは遅いテンポの中に全てが積み重なり、異世界への扉が開けたところで容赦なく終止符が打たれる。
かなり長い楽章間を経て始まったスケルツォでは、テンポこそ中庸のものだったがオーケストラの風格が全開になった。全ストリングスによる渾身の演奏には何かが憑依したような凄みがあり、ティーレマンの役割は彼らのエネルギーを一点に束ね、発散する目安を示すことのみ。
終楽章は意外にも淡々と開始された。オクターヴを超える跳躍を持つ、この世のものとも思えぬ第1主題の提示を経て、徐々に楽器が重なった末に訪れるカタストロフィ。トランペットに続き咆哮する9本のホルン群は完璧としか言いようがなかった。絶妙にブレンドされ一つの巨大な塊となった楽音は、あたかも天まで聳えたつ柱が突如として眼前に立ち現れたかのような印象を与える。ヴァーグナーテューバの哀切な下降音型も言うことなし。ティーレマンはこの楽章に来てかなりゆったりとしたテンポを設定し、オーケストラに更なる深い呼吸を求めていた。それはフレージングや大胆なゲネラル・パウゼに表れ、特に後者は頻繁に挿入された上一つ一つが長いことが多かったが、聴衆はほぼ身動き一つせず彼の指揮に徹頭徹尾付き合った。マイクは立っていなかったが、もしこの演奏を録音で聴けば恣意的な工作として一蹴するかもしれない。だがライヴゆえか、ティーレマンの言いなりになってしまう自分は確かにいたのである。楽章が進むにつれて無尽蔵のブラックホールのようなスケールはどんどんと拡大され、コーダ直前のとてつもない不協和音の強奏は過去聴いたことがないほどに長く引き伸ばされた。ここが恐らく全曲の頂点であり、清濁全てを飲み込んでしまったブラックホールは天国的なコーダの中で静かに溶解していった。弦のピッツィカートは十分な合間をとって名残惜しく鳴らされ、最後の一音はとりわけ長い間を経て響き、そのまま音楽は終息した。
ティーレマンが指揮棒を下ろしてなお続いた長い長い静寂を経て、喝采が巻き起こる。ほぼ無敵ではないかとすら思われた1stホルンをはじめ、名演の立役者たちは熱烈に称えられる。ティーレマンもオーケストラに深く謝意を表した。この演奏の後に、アンコールなどもちろん必要ない。

中学生以来久々に聴いたシュターツカペレ・ドレスデンの響きは、ティーレマンを迎えて更なる深化を遂げているように思えた。同国人ゆえなのか、彼の人間性の問題なのかは分からない。ただ間違いなく言えるのはティーレマンはこのオーケストラの美質を理解・尊重し、またオーケストラも彼の導きに応える意思があるということだ。オペラピットという主戦場で数百年に渡り磨かれてきた「聴き合う合奏」の強みは、クラシック音楽界をグローバリゼーションが席巻する今ますます輝かしさを増している。ティーレマンは彼らの守護神であり、指針である。ベルリン転出という噂が立って久しいが、やや不器用で頑固な職人である彼をドレスデンから奪わないでほしい。ティーレマンというと「ドイツ音楽正統派継承者」といった、まるで右翼活動家のような不名誉なレッテルがここ日本では貼られてしまっているのが彼の不幸だが、彼の本質は正統か亜流かといった所にはないはずだ。極限の繊細さと大胆さ、その両方を最高のレヴェルで演奏家に要求し、しかも彼らを納得させてしまう説得力が彼の最大の強みではないか。その力は聴衆をもねじ伏せてしまう。ゆえに、空気を共有していない記録媒体では彼の魔術が減衰してしまうのだろう。やはり最終的には「ナマ」を聴かねば結論は出せないのだ。