2015/1/23
東京都交響楽団 第783回定期演奏会Bシリーズ
《日本管弦楽の名曲とその源流20(プロデュース:一柳慧)》(最終回)

ベリウス:交響詩「夜の騎行と日の出」
ルトスワフスキ:チェロ協奏曲
~ソリスト・アンコール~
J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番より サラバンド
一柳慧:交響曲第9番「ディアスポラ」(都響委嘱作品・世界初演)

チェロ:ピーター・ウィスペルウェイ
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:山本友重
指揮:ハンヌ・リントゥ

源流シリーズもいよいよ最終回。自分は今回含め2度しか聴けなかったが、現代音楽界とそれに至る流れの存在を聴衆に啓蒙し続けた意義は大きいだろう。来季からは現代曲はプログラムの隅々に散りばめられ、シーズンを通してより面白さが増す。
今回は指揮にリントゥ、チェリストにはウィスペルウェイという超豪華版。確かルトスワフスキ、シベリウスの順に追加されて演目が仕上がったように記憶しているが、彼の客演がさりげなくアナウンスされた時は軽く小躍りしたのをよく覚えている。現代随一の名手がルトスワフスキを弾く!

演奏の印象はというと、やはりそのルトスワフスキにかなり持って行かれた感がある。ソロ・チェロが静かに、しかしはっきりと語り始めるようなD音を20数回繰り返し、次の瞬間それは一市民の叫びに変わる。ぐぎぐぎともがき苦しむような音型が続いた後、トランペット群による牽制がかかる。やがて抑圧は管弦楽全体に波及していき、轟然とソリストに襲いかかる。それでも怯まず叫び続ける独奏と管弦楽の闘争が続き、ついに弦楽がソロ側へとなびき始める。そしてソロと弦が融合し、ユニゾンで奏でる時のすさまじい音響!ソリストを囲む弦楽五部という構図もあいまって、あたかも教祖の演説に聴き入る熱狂的カルト集団のようだった。終盤、ソリストが凱歌のように奏でるA音の連呼も意味深だ。オーケストラは追随せずソロ単独で終わるというのは一体どういう意味を持つのか?歴史的にカタストロフを予見させるD音に始まり、ショスタコーヴィチが第5交響曲終楽章で実に252回も繰り返したA音で終わる意味は?考えればキリがない超名曲。
ウィスペルウェイのソロはあまりにも素晴らしく、身体から発せられる全ての所作が悉く超一流の表現に結びついていた。リントゥ/都響が彼から大いにインスピレーションを受けていたのは明らかで、普段の都響以上に冴え渡るアンサンブル、フルートセクション全員が持ち替えて絶叫するピッコロの恐怖、打楽器陣のアクロバット的なプレイは圧巻の一言。ソロと互角に渡り合ったといっていいと思う。なお、ウィスペルウェイはアンコールでバッハのサラバンドを弾いたが、なんとルトスワフスキの冒頭と同じようにD音を何度か繰り返してから曲に入り、会場が笑いに包まれるという珍事が。カーテンコールでの所作も含め一筋縄ではいかない人物だが、紛れもない天才だ。

順番が前後するが、1曲目のシベリウス「夜の騎行と日の出」は、都響のソリッドで緊密なアンサンブルが活きた佳演。リントゥの指揮に誇張はないが、時折長身を大きく揺さぶり本能的に表現する。変ホ長調の暗闇から光への歩みは第5交響曲と共通し、終盤では管楽器のたっぷりとした息の長い歌とともに充足がやってくる。大詰め近くで木管の一部が若干もたついたのが少し惜しかった。

そして、メインの一柳慧「第9交響曲」初演。伝統的な4楽章形式で、オーケストラの書法も古典的。現代曲としてはかなり保守の部類に入るだろうが、聴き易く面白い作品だった。
バッソ・オスティナート(低音部による反復)の単純で重苦しい特徴的な旋律は楽章を飛び越え、楽器と調性を変え度々登場し、全世界的な苦しみの持続を暗示する。H(ヒロシマ)とF(フクシマ)をモチーフとして扱ったということだが、円熟の管弦楽法が少し厚すぎたのだろうか、それらがはっきりと聴き取れる瞬間はそう多くなかった。4楽章、それまで以上の執拗さでオーケストラ全体がクレッシェンドしてゆく過程はトゥーランガリラ交響曲にも似た天井知らずの恍惚感をもたらすが、もしかしたらあれは核武装により自己崩壊を起こす世界だったのかもしれない。1・2楽章はアタッカで、途中「ゴジラ、東京湾に現る」とでも題したくなるような怪獣映画さながらの破壊シーンが垣間見えた。3楽章はスケルツォにあたるか。
表題の「ディアスポラ」=「離散」の意味するところはこの交響曲が描いた世界の先にあるのでは。作曲者は自らの戦争体験を1楽章~3楽章までに注ぎ込み、4楽章以降の世界はわれわれ聴衆に託したのだと思う。「今の時代が良い方向に行っていないと感じる。70年前の意識とつながるところがある」(2015年1月8日・日経新聞)と作曲家が危惧するところは、自ずから明らかである。反復と変容がキーワードという点は、今回のシベリウス・ルトスワフスキと共通する(プログラミングの意図もそれがあるだろう)
全曲烈しい音響が続くが、リントゥ/都響は音響地獄にせずあくまでシリアスに描いた。

今宵の演奏会の成功に、リントゥが果たした役割は大変大きい。随所で見せるアクションはダイナミックだが、オケとの対話を通じ最良の音を瞬時に引き出す手腕を持っている。シベリウスは初指揮(!)、一柳作品は勿論初演なのに的確で無駄のない指揮。都響との現代モノ、北欧モノをもっと聴きたい。早期の再客演を強く希望したい。