2014/6/21
東京交響楽団 第80回東京オペラシティシリーズ
@東京オペラシティ・コンサートホール

J. S. バッハ(ヴェーベルン編曲):「音楽の捧げ物」より 6声のリチェルカーレ
藤倉大:5人のソリストとオーケストラのための《Mina》
ハイドン:交響曲第44番「悲しみ」
ブラームス:交響曲第4番

フルート:相澤政宏
オーボエ:荒絵理子
クラリネット:エマニュエル・ヌヴー
ファゴット:福井蔵
ハンマーダルシマー:ネイサン・デイヴィス
管弦楽:東京交響楽団
指揮:ジョナサン・ノット


一つの演奏会をあたかも一つの芸術作品のように彫琢したノットの恐るべき知性にあっけに取られ、しばらく色々な感想が脳内を渦巻いていたが、何とかまとまってきたので覚書程度に残してみる。
 
一見してちぐはぐのように思えるプログラムだが、リチェルカーレを室内楽曲に準ずる作品として、また藤倉作品は「協奏交響曲」の形式と捉えることができる。すると、室内楽曲→協奏交響曲→古典派交響曲→ロマン派交響曲と、音楽史に沿って楽曲形態の発展を俯瞰することが出来るのだ。しかも、実際演奏される作品はハイドンから藤倉作品までと時代を大きくまたいでいる。なんと考え抜かれた構成であろうか。

そして演奏そのものも、長らく記憶に残るであろうものだった。藤倉作品については自分の理解が及ばないため割愛するが(木管楽器の超絶技巧と、ツィンバロンを髣髴とさせるハンマーダルシマーの音色が印象に残った)、他の3曲はいずれも全く違った味わいながら、ノットと東響のパレットの豊かさを強く感じさせる名演。
アバドWPhで親しんでいたヴェーベルン編曲の6声のリチェルカーレは、原曲とはかけ離れた味わいながら、時にソロ楽器が広大な空間にぽつりと浮かび、また時にはトゥッティで厚みのある響きを聴かせたりと、生演奏でも大変興味深く聴ける作品だった。

前半の締めくくりとなったハイドンの44番「悲しみ」も、「これで今日はお開き!」とノットに言われても文句は言えない最高級の名演。惜しくもスダーンの任期中には東響のハイドンを聴く機会がなかったが、きっとその下地があるのだろう、このオーケストラは古典派演奏に一家言を持っているように思える。ノットの指揮はリズムの交錯を浮かび上がらせたりと明晰だが、それでいて作為的でなく自然。特にアダージョ楽章においては、音楽は淀みなく流れていくのに、どこか秋空を眺めるような寂寥感が湧き上がって感涙してしまった。
 
ここまででコンサートを一つ堪能したかのような充足感だが、更に後半にはブラームスの4番が待ち構えている。ノットはブラームス演奏において重要な要素となる古典的均整感を最後まで維持しながら、ほぼインテンポで重厚に仕上げた。東響とノットの呼吸がいよいよピッタリと合致し、全パートが気迫の漲った音を奏でたためであろうか、がっちりとした構成の枠の中からはみ出さんばかりの熱気がオペラシティの場内を駆け巡る壮絶な演奏は、「これこそブラームスの醍醐味だ!」と快哉を叫びたくなるほど。
古典派からロマン派までを一つで繋いだ演奏会において、ノット/東響が提示した一つの「結論」に会場は大いに沸いた。このコンビ、もはやどの公演も聴き逃せない。