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July 29, 2015

2015/7/29 尾高忠明/東フィル 武満徹、グリエール、チャイコフスキー

2015/7/29
フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2015 東京フィルハーモニー交響楽団
@ミューザ川崎シンフォニーホール

武満徹:波の盆
グリエール:ホルン協奏曲
チャイコフスキー:交響曲第5番

ホルン:イェンス・プリュッカー
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:依田真宣
指揮:尾高忠明

先日の定期におけるマーラー9番が圧倒的な素晴らしさだった尾高さん×東フィルの組み合わせはサマーミューザに続く。尾高さんが札響との名録音も遺す「波の盆」、ロシアの名旋律が味わえる二曲を取り上げ、一見名曲プロのようで奥深い魅力を聴かせてくれた。

例によって公開ゲネプロから見学。今回、尾高さんは全曲棒を持たず両手で柔らかく指揮した。終始リラックスした雰囲気で、さながら楽団のお父さんのような包容力がある。練習自体は比較的頻繁に止めて修正を施していくもので、弦楽器のフレージングに対する指示が多かった。チャイコフスキーでは「パワーは本番に取っておいて」と言ったものの尾高さん、オケともにかなり力の入った演奏、金管含め7分吹き程度だったのではないか。

本番、冒頭の「波の盆」の魅力にいきなり涙腺が緩む。生まれ出でて世俗に染まってしまう以前、母親の胎内で羊水に揺られている純朴な頃の記憶(そんなものはあるはずはないのだが)を呼び起こすような根源的な音楽。途中貫入するおどけた行進曲の諧謔、哀感にみちた旋律も全て無に始まり、無へ帰してゆく。尾高さんの音楽性にも流石にぴたりと一致している。

続いてのグリエールは、武満の余韻を消し去るような華麗さがあり、少々プログラミングとしては唐突な印象。1951年の成立だが、現代的な雰囲気は一切なくロココ風味だ。ホルン・ソロの北ドイツ放送響首席イェンス・プリュッカーは生真面目に、確実に楽音を紡いでいく。重音奏法や高速パッセージも着実にクリア。バボラークやドールのような、呼吸をするようにホルンを吹く人々とは違う味わいで、これはこれで渋くていい。オケも尾高さんの得意とするロシアン・ロマンティックを体現していた。

休憩を挟んでのチャイコフスキー5番、この曲は間違いなく尾高さんの「十八番」である。
昨年の音大オケ・フェスティバルにおける藝大との演奏では、彼の完璧な楽曲設計を学生オケがほぼ完璧に音化してしまった結果、ちょっと考えられないような純度でチャイコフスキー5番が再現された。あれは昨年の裏ベストと言っていい衝撃度で、学生オケの集中力がプロオケの技量に勝った瞬間だった。
とはいえ、今回の東フィルの演奏が藝大に劣ったというわけではない。尾高さんと東フィルの長年に亘る関係の積み重ねが、高度な次元での「遊び」や「揺らし」を可能にしていたからだ。尾高さんが拍を明晰に打たない場面でも合奏は自信に漲っており、指揮者が時折仕掛けるちょっとした変化にオケが嬉々として応える。この成熟度に達したオケと指揮者は、おそらく何を演っても無敵である。自分が知る限り、ここ数年でそういう融通無碍な関係に至ったコンビはインバル×都響であったが、尾高さんと東フィルもその次元に差し掛かっているはずだ。
ただ、東フィルの合奏精度には更なる向上を求めたい箇所があったのも事実。弦の厚みは素晴らしいが、一部の管楽器には明らかな不調が聴かれ、ホルン・ソロにも惜しい場面があった。そういう瑕がしばらく吹っ飛ぶ感銘を与え得る演奏ではあったのだが・・・。

「ほぼ日刊サマーミューザ」上のレヴューはこちら


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takupon68 at 23:30│Comments(0)TrackBack(0)公演評 

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