2015/9/19
東京都交響楽団 プロムナードコンサートNo.365
@サントリーホール

リムスキー=コルサコフ:歌劇「見えざる都市キーテジと聖女フェヴローニャの物語」より ケルジェネツの戦い
ショーソン:詩曲
サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ
~ソリスト・アンコール~
クライスラー:中国の太鼓

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ヴァイオリン:川久保賜紀
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:四方恭子
指揮:クリスティアン・マセラル


冒頭のリムスキー=コルサコフはなかなかの大編成、戦いの描写とあってかなり激しく鳴る音楽だが、オーケストレーションの冴えによりそれほど煩くは感じない。ただ管弦のバランスなどにはあまり拘泥しない演奏のように感じられた。一曲目ゆえ致し方ないところか。

続くショーソン、サン=サーンスは静動の対比を意図したのだろうか。二曲並んだ鮮やかさを味わいたいところだったが、残念ながら消化不良。オーケストラのリズムの鈍さと色彩感の不足は否めなく、 特にショーソンは繊細な表情変化がまるで台無し。ソロの川久保さんは線が細いながらも緻密に弾いていたと思うが、アンコールのクライスラーの方がずっとリラックスした演奏だった。

この時点で「都響どうした?」 という不安感があったが、それは次の「悲愴」で確信に変わってしまった。とにかく全編怒号のような管楽器の咆哮、どこまでも無秩序な音楽。これほど荒れた都響も珍しい。
都響の所為というよりは、指揮者に原因があるように思えた。指揮者を横から観察していると、右左の手で拍のタイミングが違い、弦楽器が困惑している。フレーズの切りもアクションだけ大きくて、雑だ。管楽器の出が揃わないのも不明瞭なタクトによるところではないか。これで音楽表現に明確な主張が感じられるならまだ良いのだが、新鮮な魅力にはついに一度も出くわさず。こんな「悲愴」ってあるか?

前回のヒメノとの出会いも残念な結果に終わったが、音楽的な意図が感じられなかったという点でマセラルの方が個人的には印象が悪い。 ヒメノはコンセルトヘボウの打楽器奏者出身、マセラルはフィラデルフィア管のアソシエイトで育ったということだが、気の知れた仲間うちでの音楽作りをそのまま都響で応用してしまったのではないか。言語も文化も違った音楽集団に自らの方向性を伝える、という指揮者の仕事の厳しさを再確認した演奏会となった。