2015/10/23
NHK交響楽団 第1819回定期公演 Cプログラム
@NHKホール

トゥール:アディトゥス
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

ヴァイオリン:五嶋みどり
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:伊藤亮太郎
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ


パーヴォ・ヤルヴィ×N響の就任披露シリーズ、第4弾(NHK音楽祭含め)は20世紀音楽のプログラム。考えてみれば、N響でひと月丸々定期を振るというのは相当のヴォリュームだ。3プロ×2回でまず6回、そして特別演奏会を含めれば二桁に達するのではないか?一回ずつの本番でオケと指揮者の距離が縮まっていくことを考えれば、月初と月末では大きくこのコンビも変貌したのだろう。

一曲目に取り上げられた「アディトゥス」、作曲者のトゥールはかつてロック・バンド"In Spe"を率いエストニア(パーヴォの母国だ)で人気を博し、グループを離れた後本格的に作曲家としての活動を始めたそうだ。時期的にペレストロイカと重なり、西側へ紹介されたのも彼の作曲活動を後押ししたとか。
パーヴォはこの母国の人気作曲家の品々を盛んに演奏しており、2005年N響2回目の客演時にもやはり演奏会冒頭に取り上げている。テューブラーベルと金管の下降音型―「トゥーランガリラ交響曲」の愛の敷衍にそっくりな―が華やかに響き、壮大な音の渦が広がっていくこの作品、なるほど繰り返し演奏するのも分かる充実の一品だった。編成はかなり大きいが、序曲的な要素が感じられるのに加え、オーケストラのエンジン始動を促す効果もあると感じた。

続いてのショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」、五嶋みどりの久々のN響登場が呼び物だった。パーヴォのショスタコーヴィチも2月の5番(そういえば、これも以前客演時に振っている)が素晴らしかっただけに期待が高まる。
五嶋みどりはこの陰鬱で深い内容を持つ作品において持ち前の尋常ならざる精神力を見せつけ、第1楽章・第3楽章―とくに後者―では巨大なNHKホールが水を打ったように静まり返っていた。自分はというと、禊を済ませたかのようなオーラに圧倒される一方、昨年のサントリーホールにおける一連のシリーズでも感じた技巧・音量の低下を感じずにはいられなかった。吐露したい感情はもう爆発しそうな位だけれども、その表現に必要なフィジカルが限界に近いのではないだろうか。靴音高くパッサカリアを弾くみどりさんは本当に素晴らしいけれども・・・。
パーヴォ/N響は、伴奏の域を超えた集中力を要するこの難曲でベストな相性を発揮していた。特にベストメンバーが揃った管楽器群の痛烈なアイロニーは客席までしっかり届き、偶数楽章での交錯するリズム処理も目を見張るほどに鮮やか。終楽章の追い込みなど、音盤で聴くサロネン/バイエルン放送響に匹敵する見事さではなかったか!

大喝采に包まれたショスタコーヴィチの後は、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」。こちらも、既に名コンビとなりつつある指揮者とオケの呼吸が遺憾なく発揮された演奏となった。(個人的には、当夜のベストは協奏曲でなくこちらを採りたい)
「20世紀における巨大なコンチェルト・グロッソ」 という楽曲の性質を的確に抉り出したパーヴォの指揮は、即興的なニュアンス変化も含め微に入り細を穿つ。常と化したCb下手・対向配置はこの曲でも敢行されていたが、見事な有機性を示したN響も素晴らしい。特に1stVnとVaの攻め具合は以前と同じオケとは思えないほどだ。CbとVcは元々見事だが、後は2ndVnがやや大人しすぎる印象を持った。弦5部の充実は、バルトークに相応しい土の香り漂う、汚さギリギリの音色の表出という結果に繋がっていたことを特筆しておきたい。第4楽章をはじめとする管楽器群のソロもそれぞれ見事だった。作品の性格上、暗めのアプローチが採られることの多い「オケコン」だが、部分的に「青ひげ」「弦チェレ」を思わせる暗さを出しつつも、総じてパーヴォが楽観的な解釈を行っていたのは興味深い。ショスタコーヴィチが歴史的解釈の拘束から脱しつつあるように、バルトークも純音楽的なアプローチが増えていくのだろうか。

ひと月の間パーヴォ×N響の就任披露シリーズを可能な限り聴いてきたが、パーヴォの即興的な変化にN響が柔軟に反応する場面が多く見られた。N響にとって目覚しい変化であり、これを短期間のうちに実現させるこの指揮者の手腕もやはり凄いのだろう。これからの充実した共同作業に向け、まずは船出を祝いたい思いだ。