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October 30, 2015

2015/10/30 高関健/藝大フィルハーモニア バルトーク

2015/10/30
藝大フィルハーモニア 第371回定期演奏会
@東京藝術大学奏楽堂

~プレコンサート~
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
演奏:藝大フィルハーモニア チェロアンサンブル
(寺井創、豊田庄吾、夏秋裕一、羽川真介、松本卓以、山澤慧)

バルトーク:バレエ音楽「中国の不思議な役人」組曲
バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

管弦楽:藝大フィルハーモニア
コンサートマスター:野口千代光
指揮:高関健

相当久しぶりに藝大奏楽堂での演奏会を聴く。上野といえば東京文化会館、上野学園石橋メモリアルホール、そしてこの奏楽堂だが、しょっちゅう訪れるのは文化会館だけだ。
プロオーケストラの定期演奏会で「役人」「弦チェレ」「オケコン」というバルトークの代表的三品が一挙に乗ることは、実はありそうでない。バルトーク音楽を心から愛する自分としては、この演奏会を見逃すわけには行かなかった。
ちなみに、藝大フィルを聴くのは実は初めて。

自由席につき奏楽堂の1階中央よりやや後方の座席を取り、まずプレコンサートを聴く。本プロに加えこちらもバルトーク、藝大フィルのチェロセクションはしなやかな音色で土っぽいサウンドを聴かせてくれた。
本プロの「役人」、オーケストラは14型。(以後全曲同じ編成だった)ステージを見てまず「おや」と思ったのは、管楽器と打楽器に雛壇がないこと。つまり全ての楽器が平舞台での演奏となった。これは正直音響的な効果としてはかなりマイナスで、奏楽堂の比較的多めの残響と相まって細部の混濁が聴かれた。とくに「役人」はただでさえオーケストレーションが込み入った曲だから、弦楽器の猥雑な動きに乗っかってくる木管群の信号動機、そして威圧的に奏する金管群がごちゃ混ぜになってしまった。演奏自体は水準高く、高関さんらしい手堅く安定した指揮(かなりゆったりしたテンポだった)に藝大フィルがしっかりと応え、少女を誘惑する3人の登場人物を描き分けるソロ・クラリネット、終盤近くの卑猥なソロ・トロンボーンも素晴らしかった。
ここで休憩に入る。3作品とも重いからなのか、休憩は一曲ごとに取られた。(聴衆としてもその方がありがたかったが) 

続いての「弦チェレ」、オーケストラは弦5部が左右に分かれて対峙する形を取り、指揮台の向かって下手側にチェレスタ、上手側にハープが置かれる。ピアノはチェレスタの隣で、チェレスタを弾いたH塚君は曲中連弾になる箇所ではピアノと自分の楽器を往来していた。 
昨年末に聴いた大野和士/都響の同曲は情念系とでも言おうか、分厚いサウンドをベースに大野さんが自在なアゴーギクで揺さぶって魅力的に仕上げていた。高関さん/藝大フィルの演奏は対照的で、ほぼアゴーギクは使わず、徹頭徹尾楽曲を丁寧に紐解いていくもの。結果的に切っ先を突きつけられるような冷たい凄みは後退したが、これも曲のあり方の一つだろう。藝大フィルは所々アンサンブルに苦しそうな箇所が無いではなかったが、高関さんのこれ以上ない位丁寧な指揮(とくに第2楽章終結部!)に導かれて立派な演奏だった。ティンパニの思い切りの良い強打が印象的。

再び休憩を挟んでの「管弦楽のための協奏曲」。正直聴く側としては若干疲れてきたのだが、もっと負担が大きいはずの演奏者のことを考えてしっかりと聴く。オーケストラのコンディションはほぼ先ほどと同一に保たれ、休みがあった管楽器も抜け目ない演奏。音楽がぐるりと回転して大胆に転換していくような場面でも相変わらず高関さんは生真面目だが、がっしりとした構築により、ソロが明滅する管弦楽曲というよりは堂々たる一大交響曲のような仕上がりとなっていた。各楽章間の有機的な動機の繋がりもよく見える。

なかなか長いプロで、終演は21:30頃となった。なるほど、この3曲を一夜に演ろうとすると舞台転換、管楽器奏者への配慮、そして聴き手の集中力など色々な問題があるのかもしれない。充実したパフォーマンスだったが、それに加えて色々な発見があったのも収穫だった。 最後に、出来れば藝大フィルは文化会館で公演してほしい。


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takupon68 at 23:20│Comments(3)TrackBack(0)公演評 

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この記事へのコメント

1. Posted by A5和牛とワインの日々   November 25, 2015 18:09
お返事いただきありがとうございました。
ここ数ヶ月は意外にも、バルトークが多く取り上げられ、注目すべき演奏が行われてきたように思われます。東響、新日本フィル、N響そして東京芸大(11月に再び東響)。どれもが印象深い演奏で、バルトークについてまた彼を視座として同時代の作曲家たちについて集中的に考えさせられました。
ご指摘のとおり、自分もオケコンは単なる管弦楽曲というよりは、「堂々たる一大交響曲」のように受け取りました。晩年のドビュッシーのようにソナタ形式を採っている点があげられますが、マーラー型の、人生や時代、社会に相渉る自己表出の形式としての交響曲として認知されうると思います。実際、高関氏の指揮は、所々にマーラー、ショスタコーヴィチ、そしてチャイコフスキー(これは空耳か)の交響曲の片鱗を感じさせるものでした。バルトークと彼らでは音楽上の資質にかなり隔たりがあると考えますが、自己の終末の予感と向かい合わざるをえなくなった境遇に加え、極めて音楽形式に意識的である作曲技法が、彼の意図に拠らない(或いは反して)意外な面を見せることとなったのかなと思いました。
2. Posted by 平岡 拓也   November 26, 2015 07:49
A5和牛とワインの日々さま、コメントありがとうございます。

言われてみればバルトーク演奏は続いておりますね。自分は彼の「青ひげ公の城」が最愛のオペラですので、シーズン初めの新日本フィルを聴けなかったのは痛恨でありました。

バルトーク作品がショスタコーヴィチ同様現代の古典として定着し、様々な視点による演奏が増えてきたと思います。自分の強く印象に残った所ではインバル/都響による「青ひげ」、大野和士/同オケによる「弦チェレ」などがありますが、この数ヶ月の演奏の密度は頻度・内容どちらも瞠目すべきものです。
本来同じルーツを持つとも言われるマジャール系とアジア系は、音楽の上でもどこか共通項が多いように感じます。その上バルトークは循環主題などの強固な構築がありますから、我々にはすんなり受け入れられるのかもしれませんね。
3. Posted by A5和牛とワインの日々   December 01, 2015 18:00
こんにちは。
自分は「青髭公の城」は意味もなく遠ざけていました。アルミンク来、新日本フィルが気に入っているのと、メッツマッハーに影響されて、この9月に出かけました。バルトークの多面性が窺われる力作、力演で気に入りました。でもなぜかあまり世間に反響がなかったようでした。これが機縁でバルトークに嵌ったのかもしれません。11月の東響熱は10月のN響熱に匹敵する関心の盛り上がりようですね。両方とも、バルトークとショスタコーヴィチの組み合わせがありました。

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