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November 02, 2015

2015/11/2 大野和士/都響 ラヴェル、プロコフィエフ、細川俊夫、ドビュッシー

2015/11/2
東京都交響楽団 第797回定期演奏会Bシリーズ
@サントリーホール 大ホール

ラヴェル:スペイン狂詩曲
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番
細川俊夫:嵐のあとに―2人のソプラノとオーケストラのための
(都響創立50周年記念委嘱作品・世界初演)
ドビュッシー:交響詩「海」

ヴァイオリン:ヴァディム・レーピン
ソプラノ:イルゼ・エーレンス、スザンヌ・エルマーク
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター(ラヴェル、ドビュッシー):四方恭子
コンサートマスター(プロコフィエフ、細川):山本友重
指揮:大野和士

いよいよ都響のヨーロッパ・ツアーが目前に迫った。今回のツアーは、ベルリンはフィルハーモニー、アムステルダムはコンセルトヘボウなど、ヨーロッパの名ホールを巡る大規模な楽旅だ。歴代のシェフの薫陶に加え、2014年までのインバル時代にアンサンブル力をぐんと向上させた楽団の威信をかけた”殴りこみ”とでも言おうか。それを率いるのは当然、今年度から音楽監督に着任した大野和士である。

ここ最近、カーテンコールを含めて全ての行程が2時間で収まるプログラムを組むことが多い都響。今回ばかりはヨーロッパ仕様ということだろうか、終演が21:30近くというヴォリュームの定期となった。(ツアー中では、ルクセンブルク公演にて今回とまったく同じ演目が組まれる)
開演前に大野さんと委嘱作品を手がけた細川さんによる対談形式のプレトークが行われた。4月のプレトークでは突然ステージ上を歩き出したり、大きな身振りで自分の世界に没頭したりと”自由な”大野さんだったが、今回は細川さんの聞き手に回ったためかスムーズな進行で委嘱作品の聴き所を解きほぐす。プログラムに記載されていた事項とも重なる部分があったので詳細は記述しないが、2011年の震災が念頭にあり、その「嵐」の中から差す一抹の希望が描かれているとのこと。
プログラム的な連関も考慮されている。冒頭のラヴェルの第2曲「マラゲーニャ」はドビュッシーの同じく第2曲「波の戯れ」からの影響があり、ラヴェルとプロコフィエフは「スペイン」という共通項でくくることが出来る。(プロコフィエフ作品の初演地はマドリッドだ)また、細川作品とドビュッシーは当然「海」というテーマ性で共通。こうして全ての演目が有機的に結び付けられるあたり、流石は才人大野さんと思う次第だ。

さて、肝心の演奏について。
冒頭のラヴェルは、さしもの大野さんと言えどもヨーロッパ・ツアーの演目で少々生硬なのかな?という部分がちらほら。ただ弦楽器の弱音は密やかな空気感をふわりと立ち昇らせる。曲の進行に従い硬さは取れてきて、ダイナミックな強奏と沸き立つ気分を抑えるような弱奏の対比が自然に成される。都響の金管・打楽器陣はいつになく鳴らしていたが、広大な音場を持つフィルハーモニーだと丁度良く響くだろうか?曲最後に弦が情感豊かにうねってクライマックスを迎えるが、ここでのヴァイオリン群の音色は胸を締め付けるような濃さで出色。

続くレーピンをソロに迎えたプロコフィエフ、出来にムラがあると言われて久しいレーピンだが―この日はボチボチといったところだろうか。大野さんとは9月にバルセロナ響と同曲を共演済で、両者のテンポ感ほかの咀嚼は問題ない。大野さん指揮のオケはぐっと編成を減らし、この作曲家独特の人を食ったような表情をやや端正に示していく。対するレーピンは、下品な言葉で言えば「オレオレ」なヴィルトゥオーゾ・スタイルで、美音ながらアク強めに全曲を弾き進める。悪魔的なプロコフィエフゆえにこのスタイルは奇妙な一致を生み、結果的になかなか高水準の演奏となったように思う。だが、このスタイルでロマンティックな歌を紡ぐ作品をやられてしまうと、ちょっと辟易するかもしれない。

休憩を挟んでの細川作品、プロコフィエフで人数を減らしたオーケストラは再び拡大、多数の打楽器を含めた大編成となる。無音の中、舞台後方の打楽器群が演奏を始める。といっても、冒頭では打楽器の表面を擦る音が静かに響くのみだ。やがてフルート群(バス・フルート、ピッコロ含む)が息のみを吹き込んで風が起こる様子を表現する。風はオーケストラ全体に波及し、ついにはトゥッティの刺激的な音響により嵐が沸き起こる。この一連の流れはいわゆる「自然描写」という言葉から連想される美しく和やかな情景とは正反対といってよく、嫌でもあの怖ろしい震災と津波を聴き手の脳裏に刻印する。そしてこの嵐の激情が収まらぬ中、ソプラノ2人がオーケストラの中から浮かび上がるようにGを最強音で歌い始める。細川さんによればこの2人はある一人の巫女の「陰」と「陽」であり、旋律的にも同じ所から始まって段々と分岐していく。彼女らが歌うのはヘッセの「嵐のあとの花」で、嵐に打ちのめされた花が少しずつ静かな世界を取り戻す過程が描かれているのだが、この静かな希望への道程は決してなだらかなものではない。彼女らの歌の間にも刺激的な管弦楽が邪魔に入り、穏やかな音楽の流れを切り捨てるような厳しさがある。最終的に音楽は静謐な方向へ向かっていき、弦楽の最弱音で消え入るが、その結果は聴き手に委ねられて明らかではない。
自分は細川作品がとても好きなのだが、今回の委嘱作品にもまた大変感じ入った。彼の作品で例示するならば「循環する海」の豊穣なスケール感、「ヒロシマ・声なき声」の差し迫るような恐怖を併せ持つ音楽と言おうか。細川さんの筆致は洗練され円熟したものだが、中でも邦楽器の効果的な用法は見事だった。単に日本的な要素を入れるのではなく、締太鼓や風鈴、鈴といった独特の音響がアンティーク・シンバルなどに溶け込んで奥行きをもたらす。これはきっと、ヨーロッパでも高い評価を得るのではないだろうか。

細川作品に続く「海」はドビュッシーによるもの。正直、3曲続けて聴いてかなり精神的には充足した気持ちになっていたのだが―更にこのドビュッシーも素晴らしかった。
大野和士と都響の組み合わせは、シーズン冒頭のB定期では最高級に感じられ、A定期でやや不安になり、一連の夏公演では素晴らしさを再認識してきた。そして、今回のヨーロッパ公演プログラムでは―オーケストラと指揮者の組み合わせが芸術的に更なる高次元へ羽ばたく可能性はじゅうぶんにあるものの―日本を代表する指揮者とアンサンブルとして、ヨーロッパ各地で演奏するのに何の不満もない水準に達していたと思う。常に豊かな響きを失わない都響のソロ群の美しさを自然に束ね、ここぞという場面で豊かに放つ大野さんの指揮は実に見事だ。フランスのオーケストラとの共演で聴かせた余裕のあるふわりとした響きというよりは、アメリカオケのような豪放さで奏でられるドビュッシーという風合いだったのは少し個人的な好みとは異なるが、この演奏はなかなかすぐに達成できる水準でないことは確か。

通例とは異なる長いプログラムだが、全体の演奏に少しの緩みも見られなかったのも都響の集中力の高さを物語っている。大野さん・楽団の皆さん共々、くれぐれも体調やトラブルに気をつけて実りあるツアーとしてほしいと切に願いたい。


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takupon68 at 22:00│Comments(0)TrackBack(0)公演評 

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