November 20, 2015
2015/11/20 フェドセーエフ/N響 ショパン、グラズノフ、ハチャトゥリアン、チャイコフスキー
2015/11/20
NHK交響楽団 第1821回定期公演 Cプログラム
@NHKホール
ショパン:ピアノ協奏曲第1番
~ソリスト・アンコール~
ショパン:前奏曲 Op. 28 第4番
グラズノフ:バレエ音楽「四季」より 秋
ハチャトゥリアン:バレエ組曲「ガイーヌ」より
剣の舞
ばらの少女たちの踊り
子守歌
レズギンカ舞曲
チャイコフスキー:祝典序曲「1812年」
ピアノ:チョ・ソンジン
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:伊藤亮太郎
指揮:ヴラディーミル・フェドセーエフ
今年4月のN響客演、およびチャイコフスキー・シンフォニー(旧モスクワ放送響)との来日公演で絶賛を呼んだフェドセーエフが再びN響に戻ってきた。これだけの頻度で巨匠を聴ける日本のファンは恵まれているに違いない。一時重篤の報を聞いた時は最悪の事態を覚悟したが、本当にうれしい。
前プロは何故かショパンのピアノ協奏曲第1番。というのも、つい先日開催されたショパン・コンクールの覇者の登場が前々から呼び物だったからだ。想像するに、こういったコンクールの結果が決まると、ドミノのように次々とスケジュールが埋まっていくのだろう。音楽ビジネスの世界は轟々と動いている。
そんな期待十分のソリストはチョ・ソンジン。以前プレトニョフ/東フィルとの共演でもショパンを聴いたが、ほとんど記憶にない。その時はオーケストレーションに大々的な変更が加わったプレトニョフ版なるものだったため、勝手に版のせいにしたのだが、今回は果たして。
結論から言うと、ちっとも面白くなかった。技術的には当たり前に上手いのだが、フレージングに工夫があるでもなし、オーケストラと共同作業をするという気概を見せるでもなし(演奏後の対応を見るに、オーケストラと指揮者はただの伴奏程度にしか思っていないのでは?)。以前の東フィル客演と同様、ほとんど印象に残らない演奏だった。フェドセーエフは手堅く伴奏を作っていったが、彼にこの曲を振らせてしまうのは何とも勿体ないことだ。
演奏後は高齢でやや足取りが重いフェドセーエフを気遣うこともなく、一人でスタスタと答礼を繰り返す。客席で見ているこちらとしても何とも違和感の残る光景だった―若くてステージマナーを知らない、という声もあろうが、既に一定の名声を得ている演奏家の取る態度であろうか?個人的にはきわめて不快だった。
気を取り直して、休憩後はマエストロの十八番であるロシア名曲集だ。どことなく先日の小泉さん/都響の「肖像」シリーズのプログラムと類似している。 冒頭からグラズノフ「四季」の最後を彩る「秋」が煌びやかに響く。小泉さんのほぼ倍遅いテンポ(どちらが標準的なのだろう?)で展開される懐深いサウンドは、フェドセーエフ特有のものだ。静動がたびたび対比される音楽だが、その静の部分がこれほど甘い抒情を湛えていたとは、この演奏を聴いて初めて思い知らされた。
続く「ガイーヌ」抜粋も愉しいことこの上ない!マエストロの魔法のタクトにN響のメンバーもよく反応し、「剣の舞」では冒頭の刻みから弦の裏拍が引っかかり強めで野性味がある。もはや伝説となった「レズギンカ」では、サモイロフこそ不在ながらN響の誇る名手竹島さんが素晴らしい音で妙技を魅せた。和製サモイロフとお呼びしても差し支えないだろうか?軽やかに決まるリムショット、即興的な強調はまさにフェドセーエフの「レズギンカ」だ。
ここで既に客席のヴォルテージは最高潮だが、金管別働隊がオーケストラの奥に入場して「1812年」が始まる。 フェドセーエフは重心低いサウンドを存分に引き出し、冒頭のロシア正教聖歌から思い入れたっぷり。決して華美な路線を行かず、荘重なロシアの大管弦楽曲として仕上げていた。バス・ドラムのキャノン砲はなかなかの威力だったが、 もうひと押し欲しい(小泉さん/都響の演奏ではマレットが吹っ飛んでしまった!)。最後にすべてを掻き消すように鳴らされるチャイムを思い切り伸ばしたのも心憎い。
前半がチャイコフスキーの協奏曲あたりだったら最高の演奏会だったろうが、惜しい。コンクールの優勝者が登場する公演というのはスリリングで悪くないが、演奏の質が保証できないという意味で自分は懐疑的である。
NHK交響楽団 第1821回定期公演 Cプログラム
@NHKホール
ショパン:ピアノ協奏曲第1番
~ソリスト・アンコール~
ショパン:前奏曲 Op. 28 第4番
グラズノフ:バレエ音楽「四季」より 秋
ハチャトゥリアン:バレエ組曲「ガイーヌ」より
剣の舞
ばらの少女たちの踊り
子守歌
レズギンカ舞曲
チャイコフスキー:祝典序曲「1812年」
ピアノ:チョ・ソンジン
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:伊藤亮太郎
指揮:ヴラディーミル・フェドセーエフ
今年4月のN響客演、およびチャイコフスキー・シンフォニー(旧モスクワ放送響)との来日公演で絶賛を呼んだフェドセーエフが再びN響に戻ってきた。これだけの頻度で巨匠を聴ける日本のファンは恵まれているに違いない。一時重篤の報を聞いた時は最悪の事態を覚悟したが、本当にうれしい。
前プロは何故かショパンのピアノ協奏曲第1番。というのも、つい先日開催されたショパン・コンクールの覇者の登場が前々から呼び物だったからだ。想像するに、こういったコンクールの結果が決まると、ドミノのように次々とスケジュールが埋まっていくのだろう。音楽ビジネスの世界は轟々と動いている。
そんな期待十分のソリストはチョ・ソンジン。以前プレトニョフ/東フィルとの共演でもショパンを聴いたが、ほとんど記憶にない。その時はオーケストレーションに大々的な変更が加わったプレトニョフ版なるものだったため、勝手に版のせいにしたのだが、今回は果たして。
結論から言うと、ちっとも面白くなかった。技術的には当たり前に上手いのだが、フレージングに工夫があるでもなし、オーケストラと共同作業をするという気概を見せるでもなし(演奏後の対応を見るに、オーケストラと指揮者はただの伴奏程度にしか思っていないのでは?)。以前の東フィル客演と同様、ほとんど印象に残らない演奏だった。フェドセーエフは手堅く伴奏を作っていったが、彼にこの曲を振らせてしまうのは何とも勿体ないことだ。
演奏後は高齢でやや足取りが重いフェドセーエフを気遣うこともなく、一人でスタスタと答礼を繰り返す。客席で見ているこちらとしても何とも違和感の残る光景だった―若くてステージマナーを知らない、という声もあろうが、既に一定の名声を得ている演奏家の取る態度であろうか?個人的にはきわめて不快だった。
気を取り直して、休憩後はマエストロの十八番であるロシア名曲集だ。どことなく先日の小泉さん/都響の「肖像」シリーズのプログラムと類似している。 冒頭からグラズノフ「四季」の最後を彩る「秋」が煌びやかに響く。小泉さんのほぼ倍遅いテンポ(どちらが標準的なのだろう?)で展開される懐深いサウンドは、フェドセーエフ特有のものだ。静動がたびたび対比される音楽だが、その静の部分がこれほど甘い抒情を湛えていたとは、この演奏を聴いて初めて思い知らされた。
続く「ガイーヌ」抜粋も愉しいことこの上ない!マエストロの魔法のタクトにN響のメンバーもよく反応し、「剣の舞」では冒頭の刻みから弦の裏拍が引っかかり強めで野性味がある。もはや伝説となった「レズギンカ」では、サモイロフこそ不在ながらN響の誇る名手竹島さんが素晴らしい音で妙技を魅せた。和製サモイロフとお呼びしても差し支えないだろうか?軽やかに決まるリムショット、即興的な強調はまさにフェドセーエフの「レズギンカ」だ。
ここで既に客席のヴォルテージは最高潮だが、金管別働隊がオーケストラの奥に入場して「1812年」が始まる。 フェドセーエフは重心低いサウンドを存分に引き出し、冒頭のロシア正教聖歌から思い入れたっぷり。決して華美な路線を行かず、荘重なロシアの大管弦楽曲として仕上げていた。バス・ドラムのキャノン砲はなかなかの威力だったが、 もうひと押し欲しい(小泉さん/都響の演奏ではマレットが吹っ飛んでしまった!)。最後にすべてを掻き消すように鳴らされるチャイムを思い切り伸ばしたのも心憎い。
前半がチャイコフスキーの協奏曲あたりだったら最高の演奏会だったろうが、惜しい。コンクールの優勝者が登場する公演というのはスリリングで悪くないが、演奏の質が保証できないという意味で自分は懐疑的である。