2016/1/23
読売日本交響楽団
スクロヴァチェフスキ指揮 特別演奏会 《究極のブルックナー》 2日目
@東京オペラシティ・コンサートホール

ブルックナー:交響曲第8番

管弦楽:読売日本交響楽団
コンサートマスター:長原幸太
指揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ

仰々しいタイトルが銘打たれた演奏会。ただ、今季の定期に名前がなかったスクロヴァチェフスキが特別公演枠で読響に来演、しかも常任指揮者退任時に聴かせたブルックナー8番を振るとあらば、ファンはまさに「究極の」という心持ちで臨んだのだろう。事実、会場はただ事でなく張り詰めた雰囲気。

第1楽章冒頭の低弦主題から引き締まった硬派なサウンドが響き、全体の造形を予告した。ああ、スクロヴァチェフスキは今も変わっていないのだなと思わせられる。その後も強奏は全管弦楽の絶叫で、陶酔とは無縁の極めて刺激的なアプローチ。唯一第3楽章の長大なアダージョは以前より俯瞰的な味わいが強まっただろうか。読響の弦の充実もあって、この楽章では思わず天を仰ぎ見ずにはいられないような絶美の瞬間が何度も訪れた。しかし、第4楽章で一気に現実に引き戻される。3つの主題が有機的に絡まりフィナーレを形成していく訳だが、スクロヴァチェフスキはこれまでの楽章以上に裏に隠れた木管の走句などを執拗に抽出してブロック的に聴かせる。また、コーダで弦楽器を一旦ふっと弱めて金管のマーチを浮き立たせ、徐々にトゥッティの力を強めていく流儀も健在だ。(レーグナーも同じことをやっている)幕切れでは第1楽章と同じく、16分音符を雪崩れるように奏して終わる。

細部の凝りや微妙なテンポ設定の変化はスクロヴァチェフスキのあくなき探求によるものだろうが、彼は基本的に自らのやり方を大きく変えない指揮者だ。作曲家でもある彼の流儀は、ハレ管と名盤を残すショスタコーヴィチなど近現代音楽では見事な手腕を発揮する。だがブルックナーではどうだろう—耳を刺すような刺激的なトゥッティや、音楽が本来持つ深い呼吸や濃密さを削ぎかねないテンポ設定、フレーズの局部的な強調に、私は賛同しかねる。(2010年の退任公演のCDを聴いた6年前のガキンチョは案外感動しているようなので、自分もいい加減なものだが)

読響も御歳92歳の老匠に対して精一杯の熱演で応えていたが、必ずしも音楽的に最上の成果とはいえなかった。冒頭の第一音からホルンは不調であったし、ヴァーグナーテューバも無神経に大きすぎる場面が多かった。またトゥッティの刺さるようなサウンドは指揮者の特徴とはいえ、加齢により調整力が低下した指揮者を援ける意味でもオケ自身によるバランスの調整がなされるべきだったのではないか。エモーショナルな熱演には違いないが、知情意の情に傾きすぎだ。

終演後の客席は予想通りの大熱狂、疲れ果てた様子のスクロヴァチェフスキは何度も呼び戻され、コンサートマスターを伴って答礼していた。
こう言ってしまうと元も子もないが、果たしてあの熱狂のうち何割が彼の音楽に対して向けられていたのだろう。演奏されたブルックナーの音楽に対してではなく、「92歳の指揮者が椅子も使わず80分の大曲を振り通した」という事実(これ自体はまったく驚くべきことで、感嘆するのも当然だ!)に対して向けられた喝采が大半だったのではないか。だから悪い、というつもりは毛頭ない。最初からそういう性格の演奏会だったというだけのことで、最後まで自分は冷め切っていた。(ただ、渾身の力で振り終えたマエストロが楽譜通りに全休符の沈黙を保っているにも係らず、罵声のようなフライングブラヴォーが投げ込まれたのは流石に気の毒だった。ああいう輩は、音楽を聴いていない)