Inbal 317


Bon anniversaire Monsieur Inbal!

指揮者エリアフ・インバルが今年2月16日に80歳の誕生日を迎えたことを祝し、縁の深いフランス放送フィルハーモニー管弦楽団を指揮しての記念コンサートが3月4日に催されました。エマニュエル・パユを独奏に迎えてヴィトマンの"Flûte en suite"(フランス初演)とブルックナーの交響曲第9番が演奏され、ブルックナーの演奏後には"Happy Birthday"献奏のサプライズも。
このたび長年のインバル・ファンでいらっしゃる山本 憲光様より、この演奏会に際してラジオ・フランスがインバルおよびパユに行ったインタビューの全訳を寄稿して頂きました。大変興味深い内容ですので、拙ブログでの公開という形で皆様とシェアしたいと思います。全訳をお寄せ頂き、また掲載を快諾頂きました山本様には心より御礼申し上げます。
(山本様は、"norry"様というレビュアー名でインバルのディスク評を行っていらっしゃいます)



ラジオ・フランス・フィルハーモニー管弦楽団
エリアフ・インバル80歳記念コンサートの生放送の幕間に放送されたインタビュー


エマニュエル・パユ(演奏終了後、舞台袖でのインタビュー)
ラジオ・フランス(RF):今日の演奏会にあなたを招いたのはインバル氏ですね。彼とのかかわりについて一言お願いします。 
パユ:私は彼の録音を聴きながら大きくなったということができます。私がパリ音楽院にいた15から20歳のときに、彼はフランクフルト放送響とのマーラー全集など偉大なレフェランスというべき録音をたくさん残しました。彼は既に巨人の仲間入りをした人ということができます。彼と共演するのは初めてですが、彼のようなエスタブリッシュした指揮者がこういう記念すべき演奏会のプログラムにヴィットマンのフルート協奏組曲のような現代曲を取り上げてくれるのは本当に素晴らしいことだと思います。
(他に1月29日に亡くなり、この演奏がささげられたオーレル・ニコレの思い出も語られましたが割愛します)

エリアフ・インバル(3月2日のリハーサル終了後に収録)
RF:80歳を迎えた感想は?
インバル(I):全くなんということもなく、前と何も変わらない。かえってこういうふうに20も30もインタビューを受けたり記事が出たりすることで80歳になったことを実感しますね(笑)。
RF:80歳記念のコンサートにこのオーケストラを選んだ理由は?2006年の70歳のときもそうでしたね。共演してもう40年になるということですが。
I:それ以前からです。昔はフランス国立管も振っていましたが、あるとき政治問題があって、国立管と放送フィルのどちらかを選ばなければならなくなりました。私は放送フィルを選びました。それからは最低でも年1回は客演しており、それ以来40年になりました。
RF:インバルさん、あなたはこれまでいろいろなところで「自由精神」ということをおっしゃってきました。自由精神と指揮者であることとの関係は?
I:指揮者としての私は常に作曲者の意図を根底にあるものとしてやってきました。その作曲者の意図をどのような観点からとらえるかということについてはいろいろな観点があるということだと思います。
RF:つまり作曲者の意図は不動だけれどもそれをどういう観点から見るかについては自由精神が働くということですね。
I:そのとおり。
RF:インバルさん、今回のヴィットマンのフルート協奏組曲はフランス初演の現代曲ですが、あなたにとってこのように初演の曲を手掛けるということにはどういう意義があるのですか。
I:以前フランクフルターアルゲマイネ新聞が、私がフランクフルト放送響のシェフの在任中に行った初演の回数は、私の前に在任していた全ての指揮者の初演回数の合計よりも多かったという記事を書きました。私もそう書かれてからそのことを知ったのですが、私はこれまでずっと、でき得る限り多くの新しい曲を紹介することに力を注いできました。
RF:インバルさん、あなたの音楽活動の中心にスピリチュアルなものがあるということは、これまであなた自身がいろいろなところで語っておられます。あなたはユダヤ文化の中で育った上、チベット仏教に関心を持ち、ゲオルギー・グルジェフのエソテリックなキリスト教思想にも影響を受けており、汎神論者であるということですが、それは80歳になった今でもそうですか?
I:そう言っていいでしょう。我々が今住んでいるこの宇宙は、決して偶然で生まれたものではなく、いってみれば世界を統御するスーパーコンピューターのプログラムのような、創造者(force creatrice)が創造したものであるということを、私は確信しています。それが神なのかどうかは分かりませんが。以前アインシュタインが「インテリジェント・デザイン(intelligent design)」と呼んだのもそういうことだと思います。ダーウィンの進化論は正しいとしても、この世の美は、少なくとも決して偶然のみの産物であるとは思えません。
RF:アリストテレスの「第一原因」のようなものでしょうか。インバルさん、いずれにしてもそういった創造者という考えはあなたの音楽にとって重要なものということでしょうか。
I:まさにそのとおりです。私にとって音楽することは、それが神かどうかは分かりませんが、世界の創造者とコンタクトを持つということに他なりませんし、音楽をするとき、私は創造者の存在を確信しています。
RF:インバルさん、後半のプログラムはブルックナーの9番ですが、御存知の通りブルックナーは大変信仰心の厚い人だった上に、9番は神に捧げられています。今回この曲を取り上げることは、今お話しされた創造者の存在への確信とどう関係しますか。
I:ブルックナーはパーソナリティとしては大変ナイーヴな人物でしたが、音楽家としては全く前例のない独創的な人でした。彼の音楽はベートーヴェン以来の伝統とは直接的なつながりはありません。彼の音楽は創造者や人生に関する瞑想のようなものです。いずれにしても、作曲家に限らず、画家であると小説家であるとみなそうですが、彼らは自分たちが作っているものの全てを知っているわけではないのです。例えば春の祭典を作曲したときのストラヴィンスキーは、最初からこういうものを書こうと思って書いたわけではなく、上の方からやってくる衝動に身を任せていたら今まで考えたこともなかったようなものができてしまったという意味のことを言っています。作曲家はどこかから与えられる大きな恵み(don)としてそれが何かを知らないまま曲を書いているのです。
RF:インバルさん、ブルックナーは自作を何度も改訂した人として知られています。そしてあなたは3番、4番、8番の初版を初めて世に紹介した指揮者として知られています。なぜあなたはそのように初版の演奏に熱心なのでしょうか?ある意味、初版を演奏するということは、自作を何度も改訂して改善しようとしたブルックナーの意思に反するということにはなりませんか?
I:ああ、その質問ですね(笑)。まずブルックナーがなぜ何度も改訂したかというと、要は初版では演奏してくれる人がいなかったからですよ。例えばちょうど私が先週指揮したばかりの8番は、彼の理解者であったはずのリヒターが全く理解してくれませんでした。フォン・ビューローもそうでした。だからブルックナーは彼らに理解してもらえるまで改訂を重ねたのです。それでどうして私が初版の演奏をするか、ですが、ベーレンライターが私に3番、4番、8番の初版の楽譜を見せてくれました。私はページをめくったとき、そこに、ストラヴィンスキーのような全く前例のない前衛的作曲家がいることに気づきました。そしてそれがブルックナーが本当に作りたかった音楽だと気付いたのです。もしブルックナーがマーラーのような人だったら、自分の力で人にそれを演奏させるところまでやらせることができたでしょう。しかし彼は優しくて大変ナイーヴな人でした。だから彼は自作を演奏してもらえるようになるまで改訂するしかなかったのです。
RF:インバルさん、私たちの質問に答えていただいてありがとうございました。そして80歳おめでとうございます。 
I:ありがとう。 

(了)