2016/3/24
東京都交響楽団 第802回定期演奏会Bシリーズ
@サントリーホール

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム
バーンスタイン:交響曲第3番「カディッシュ」(日本語字幕付)

語り:ジュディス・ピサール、リア・ピサール
ソプラノ:パヴラ・ヴィコパロヴァー
合唱:二期会合唱団(合唱指揮:冨平恭平)
児童合唱:東京少年少女合唱隊(合唱指揮:長谷川久恵)
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:山本友重
指揮:エリアフ・インバル

 
インバルによるブリテンとバーンスタイン—都響の2015-16年楽季の中でも、もっとも待ちわびていた演奏会である。以前からプラハ、フランクフルトの縁深いオーケストラと演奏を重ねてきた「カディッシュ」は、インバルにとって特別な意味を持つ作品であり、アジア圏で彼がもっとも信頼を寄せるオケである都響との上演は満を持してという感がある。バーンスタインがインバルの音楽キャリアを拓いた師であること、1977年にイスラエル・フィルで巨匠が自ら「カディッシュ」を指揮した際のリハーサルに立ち会った事実などを含め、今回の演奏会の背景には実に多くのコンテクストがある(それらの多くは、本公演の 特設サイトにて語られている)。それらについて逐一言及すると無尽蔵に項を費やしてしまうので、今回の「カディッシュ」がサミュエル・ピサールのテクストを用いたもの(『ピサール版』とでも呼ぼうか)の日本初演である、ということに多くを割きたい。 

ポーランド出身のサミュエル・ピサールはパウル・ツェランやプリーモ・レーヴィのようなホロコーストからの生還者—最も若い世代だが―であり、死体を片付けに来た清掃夫のふりをして処刑を免れたとのことである。戦後は20代でケネディ政権のスタッフを務め、国際的な弁護士・外交官として活躍した。1974年にはノーベル平和賞にノミネートされた真のセレブレティである彼だが、同胞が死にゆく中生き残った罪悪感などに突き動かされた要素も多かったのだろう。ピサールは妻ジュディスを通じてレナード・バーンスタインと親交を深め、作曲家の死後しばらくして(2001年のアメリカ同時多発テロも契機の一つだったという) 英語の語り、アラム語・ヘブライ語の声楽陣、管弦楽による交響曲第3番「カディッシュ」のテクストを書き、ジョン・アクセルロッド指揮でピサール版は初演されている。
1963年の初演において「カディッシュ」は喝采の一方で痛烈な批判を受けた。一方で自らの信仰の疑念を神にぶつけ、再び神の手をとって世界を愛するように諭すという構成は凡そ正統的なユダヤ教徒には受け入れ難いものだったという。1977年の改訂でテクストの比重は軽くなった。ピサール版においてもこの本筋は変わっていないが、ピサール自身の凄絶な生が盛り込まれているという点でバーンスタイン版とは全くの別物である。抽象ではなく、世界の痛みがリアルな死臭を伴い伝えられるのだ。自らの信仰の疑念を神にぶつけ、再び神の手をとって世界を愛するように諭すという構成は凡そ正統的なユダヤ教徒には受け入れ難いものだったという。1977年の改訂でテクストの比重は軽くなった。ピサール版においてもこの本筋は変わっていないが、ピサール自身の凄絶な生が盛り込まれているという点でバーンスタイン版とは全くの別物である。抽象ではなく、世界の痛みがリアルな死臭を伴い伝えられるのだ。ピサール版においてもこの本筋は変わっていないが、ピサール自身の凄絶な生が盛り込まれているという点でバーンスタイン版とは全くの別物である。抽象ではなく、世界の痛みがリアルな死臭を伴い伝えられるのだ。
今回の都響での上演に際し、ピサールは一部テクストを追加・改編しているので、厳密には世界初演と言っても差し支えなかろう。残念ながら彼は2015年7月に逝去し、本公演への出演が叶わなくなったが、最後までテクストの改編を行っていたという。その作業は妻ジュディス・娘リアに引き継がれ、今回の公演では彼らが語りとして舞台に立った。サミュエルが一手に引き受けていた朗読は、二人が分担して担当することになった―Preludeがジュディス、Invocationがリア、Kaddishは曲内で細かく配分されるといったように。
第1楽章のPreludeから作曲者のバーンスタイン、そしてピサールがかつて共に働いたJ. F. ケネディの名が登場する。Invocation(神への呼びかけ)では死者・生者への祈りの始まりとして、ピサールの周囲で死んでいった人々への祈りが捧げられる。その中ではアウシュヴィッツ、マイダネク、ダッハウの収容所の名前が出され、ダンテ『神曲』の地獄すら生温く感じられるほど、と語られる。続いて「ユダヤ人問題の最終解決(„Endlösung der Judenfrage")」に関与したアドルフ・アイヒマン、ユダヤ人への生体実験で知られる医師ヨーゼフ・メンゲレの名も出される。ピサールの家族について語られるのは次の"Kaddish 1"だ。続く第2楽章"Din Torah"で語られるのは、神の名を口にし、鉄製ドアが閉じられるとわずか3分のうちに命を絶たれ、"Never forget!(忘れるな!)"と壁に爪を刻み付けるという光景―ガス室の処刑の描写である。"Kaddish 2"のソプラノ・ソロはピサールの祖母(彼女もまた殺されたという)の子守唄と重ねられており、ここではトレブリンカの収容所の焼却室が回帰される。"Amen"を連呼する合唱のカデンツァの中静かな口調で語られるのは、神に対する憤りだ。第3楽章のスケルツォでは神への痛烈な皮肉が無調的な響きの中に描かれるが、冒頭でピサールは太古からの惨事を回顧してゆく。エジプトに始まり、バビロン捕囚、ローマ人の征服、十字軍、宗教裁判、ポグロム、ナチの絶滅政策、そして最後にジハードにも言及する。アインシュタインの"God does not play dice with the universe(神はサイコロを振らない)"を自嘲的に扱い、「ではなぜあなたは人類の運命を弄ぶのか?」と投げかけるあたり、絶望も最果てまで来たという趣ではないか。ピサールはこの後、次なる「最終解決」やヒロシマ、ナガサキ、そして弾道ミサイルにも備えなければいけないのか、と我々に投げかける―この箇所こそ、東京での上演に際してピサールが書き加えた箇所なのだ。続いて語られるのは戦後のピサールの歩み、そして信仰の復元である。"Renew your promise!"という振り絞るような祈りにも似た神への呼びかけに続いて"Kaddish 3"へ突入する。このセクションでは神への懐疑は希薄になり、頌歌とでも言うべき明るさが宿る。最後に付け加えられた"With peace, freedom and prosperity for all"という一節は2014年のフランクフルトでの上演にはなかったものであり、ピサールの遺言のようにすら感じられる。フィナーレ冒頭の管弦楽が静まると、弦楽の穏やかな響きの中で最後の祈りが切々と紡がれる―"Bond with us again, Lord...(中略)...on this small, fragile planet -- our common home."という一節の最後に、"violent"というドキリとする形容詞がやはり今回付け加えられているのは、世相を反映してのことだろうか。最後に三唱される"Amen!"(最後は"A--men!!!"だ)はジュディスとリア二人によって読まれる。
以上、ピサールのテクストによる「カディッシュ」を振り返ってみた(既に長くなり恐縮です)。このテクストによる演奏は50分程度となり、バーンスタイン版に比べると演奏時間は10分ほど長くなっている。テクストの分量、および言葉に合わせてオーケストラの演奏箇所を反復している部分が少なからずあるろう。同音を伸ばすのか、或いは反復するのかはインバルが生前ピサールと相談して決めたとのことだ。 

今回の「カディッシュ」実演から受けた印象、ならびに前半のブリテンについても最後に記しておきたい。ジャズや十二音技法など多様式が混在し、交響曲と言うよりはオラトリオ的な要素も強い「カディッシュ」。インバルはバーンスタインの作品を頻繁に振っているとは言い難いが、この曲だけは特別のようで、譜面台をはみ出す大型スコアを完全に頭に入れて振っていた。語りのテクストも時系列で記載してあるわけだが、こうした舞台に慣れていない(寧ろ初めての可能性もある)ピサール母娘をよく助け、時折入りをプロンプトしながら振る様は実に頼もしく、80歳とは思えぬキレを見せた。凄惨な情景の語りではぐっと表情も険しくなるように思われ、ピサールの語りと本来の音楽の乖離を懸命に防いでいたというのは言葉が過ぎるだろうか。いずれにせよ、ピサール、バーンスタイン両人と交友があったインバルの存在、並びに彼自身の意欲が上演に最大の深みをもたらしたことは間違いない。前述した伸ばし・反復等の改編については批判もあるだろうし、作曲家もこのピサール版を聴いたらもしかすると良い顔をしないかも知れぬ。更に今回はフィナーレのフーガの終結部におけるトゥッティの伸ばしの後、弦5部にグイともう一度強調される仕掛けも加わっていた。これらが恣意的に聴こえるかどうかは、聴き手によるだろう。自分としては、解釈の範疇であると思う。「カディッシュ」のテクストとしては作曲家の娘ジェイミーが書いた版もあるが、先述した"Renew your promise!"の箇所(オリジナルだと"Believe!")が"Simple!"になっているなど、こちらは疑問を抱かないではない。個人的にはピサール版の迫真を採りたいところだ。
都響は複雑なリズムやジャズ風箇所で若干のぎこちなさを感じさせたものの、感動的な演奏に大きく寄与。"Kaddish 3"を予告する旋律を奏でるヴィオラなど実に深い音色だった。アラム語&ヘブライ語の歌唱、8パートに別れて先頭の奏者がそれぞれ指揮をするなど大胆に書かれた合唱に真摯に取り組んでいた二期会合唱団、東京少年少女合唱隊も素晴らしい。ソプラノのヴィコパロヴァーはインバルの「カディッシュ」には欠かせない名手だ。そして語りの大役を務めたピサール母娘にも敬意を表したい。夫や父の遺志を継いでの登壇とは誠に驚くべき家族の絆ではないか。何より彼らはバーンスタイン財団の公認する語り手なのである。
前プロのブリテン「シンフォニア・ダ・レクイエム」もインバルの冴えが光った。冒頭の打楽器と金管の低音のD音からただならぬ情念がこもり、深刻な表情が一貫する。アタッカで続く第2楽章ではキレ味鋭い弦やホルンが炸裂し、終楽章は冒頭楽章の祈りが回帰する。70年代、同時代音楽を鬼のように振っていたインバルの再来のようで、指揮の見事さは驚くべきものがあった。彼に導かれた都響も重厚な音色で見事なブリテンを奏でていた—この作曲家にしては些か重過ぎる感もあったが。全く違った2つの作品で捧げる「鎮魂」の3月B定期。この演奏会の直前に起こったブリュッセルでの痛ましいテロなど、時代の風を感じる一夜だった。