2016/4/16
東京交響楽団 第91回東京オペラシティシリーズ
@東京オペラシティ コンサートホール
リゲティ:アトモスフェール
パーセル:4声のファンタジアから第7番、第5番
リゲティ:ロンターノ
パーセル:4声のファンタジアから第4番、第6番
リゲティ:サンフランシスコ・ポリフォニー

R. シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

ヴィオラ・ダ・ガンバ:神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:林悠介(ハノーファー北ドイツ放送フィル ソロ・コンマス
指揮:ジョナサン・ノット
 
東響の2016/17シーズンが始まった。どこかのオケを揶揄しているわけではないが、やはりシーズンの開幕を音楽監督が振るというのは気持ちが良いし、オケも聴衆も引き締まる感じがある。今回のようなプログラムであれば尚のこと、だ。
音楽を別のメディア(ここでは"媒体"の意とする)と結びつけることも積極的に行うノット監督。今回のプログラムは明らかにキューブリック監督の『2001年宇宙の旅』を意識しており、更にリゲティ×パーセル×リヒャルト・シュトラウスという、時代も地域も異にする作曲家を並列することで新たな発見をもたらしてくれる。多様なコンテクストが読み取れる珠玉のプログラミングだ。 

前半はリゲティとパーセルが交互に、間髪入れず対比されていく。実際の演奏を聴く前は、パーセル作品はオペラでいう「場面転換音楽」的な扱いかと思っていたのだが、この認識が甚だ甘かったことを痛感させられる。「アトモスフェール」「ロンターノ」「サンフランシスコ・ポリフォニー」と三様に違った作品ではあるが、持続的な多声部の交錯、時折訪れるトーン・クラスターなど聴き手に非常な緊張感を強いる作品であることは事実。リゲティ作品の素晴らしさに魅せられつつ、一音も聴き逃すまいと耳は自然と鋭敏さを高めていく。そして、スポットがステージからオルガン横下手側のバルコニーに移ると、ヴィオラ・ダ・ガンバの四重奏団がパーセルの旋律を静かに弾き始める。西洋音楽史上実に300年もの時を隔てた二つの作曲家がシームレスに繋がる瞬間 、これは客席で体験しなければ分からない恍惚であった。リゲティとパーセルが「緊張と緩和」の構成を成すと同時に、パーセルが如何に先進的な作曲家だったかが明らかになったのだ。バロック期には意外なほどの声部の衝突、斬新な和音の選択。これはリゲティを聴いた後だからこそ得られた驚きであった。穏やかなようで、じっと見ていくとドキリとするメッセージを孕んだ音楽―ノットが提起するものはあまりに深い。
ノットと東響が描いたリゲティの音楽は極上だった。ギリギリまで重ねられて低弦のトレモロを衝撃的に導く木管のトーンクラスター(『アトモスフェール』)の色彩美は実演ならではの発見であったし、後半に続く「ツァラトゥストラ」の「病より癒え行く者」結尾のフルート・クラリネットそっくりの音色が聴こえてきた(『サンフランシスコ・ポリフォニー』)のも驚きだった。「ロンターノ」の美しさも素晴らしい。

前半の衝撃度の大きさに、ここから更に「ツァラトゥストラ」が続くとは信じがたいほどだったが、ノットと東響は更に驚かせてくれた。冒頭の導入部をあまり大袈裟に演奏しなかったのも好感が持てるが、演奏の透徹度が前半に引き続き保たれていたのが何より嬉しい。ギッシリと音が詰め込まれたシュトラウスのスコアだが、こけおどし的な衝撃ではなく内容の豊かさで満足させてくれた。自然がハ調・人間がロ調で描かれ、各動機が曲の進行と共に再現・発展していく様子が手に取るように分かる。特に驚いたのは、冒頭の「自然の動機」によるフーガが低弦から始められる「学問について」だ。ここでややアンサンブルがバラけたのだが、これを立て直すためにノットはかなり明確に振りテンポが落ちた。これによってフーガ全体がリゲティの多声部進行のような味わいを帯び、即興的かもしれないが前半を連想させたのだ。東響はどのセクションも太く濃い音で響き、特にホルンの充実は全体の印象に大きく寄与した。ゲスト・コンマス林さんのソロも実に見事で、独墺系の味わい豊かなリズム感すら体現していた。ソロに対する第2ヴァイオリンの合いの手は、対向配置の良さが出た箇所だ。

ノット監督は昨シーズン11月以来の登壇だったが、その際のプログラムと今シーズン4月のプログラムが円弧を描いているのでは、と以前書いたことがある。そのマクロの連環と同時に、一つ一つの曲目を比較しても類似点をいくつも発見することができる。リゲティ作品の対比、ハンガリー(バルトーク、リゲティ)・チェコ(ドヴォルジャーク)という中欧への視点、バロック期(ストコフスキー編曲のJ. S. バッハ、パーセル)への視点、生の活力と死への帰着(ショスタコーヴィチ15番、ツァラトゥストラ)など、切り口は無数である。今回の来日でもブラームスの「ドイツ・レクイエム」と世紀末ウィーンの作曲家という興味深い対比が待ち受けており、ノット監督はまだまだ我々の探求心を引き出してくれるようだ。