2016/4/24
東京交響楽団 第639回定期演奏会
@サントリーホール 大ホール

シェーンベルク:ワルシャワの生き残り
ベルク:歌劇「ルル」より交響的小品(『ルル組曲』)

ブラームス:ドイツ・レクイエム

ソプラノ:チェン・レイス
バス・バリトン/語り:クレシミル・ストラジャナッツ
合唱:東響コーラス
合唱指揮:冨平恭平
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:水谷晃
指揮:ジョナサン・ノット

ノット/東響による、ドイツ・オーストリアの中央突破プログラム。この愛すべき名コンビは、これまで様々なスケールの対比をシーズン中に組み込んできた。ミクロで言えばオーケストラのセクション間の斬新な対比、マクロで見れば曲や演奏会それぞれの個性の対比。こうした対比の積み重ねにより、思いもよらぬ音楽の味わい方や深遠なメッセージを聴衆に提供し、同時に演奏者も一段上に上がっていくというのがノット/東響の興味の尽きないところなのだ。
その一方、昨年の マーラー「3番」や夏に控えるブルックナー「8番」のように、ここぞという場面における直球プログラムも光る。今回の「ドイツ・レクイエム」も曲の規模・内容から言ってそれに準ずるだろうが、更にシェーンベルクとベルクが加わることで演奏会の深みが増した。この二人の作曲家はブラームス無しには語れないし、更にブラームスの背後にはベートーヴェンやJ. S. バッハの存在も見え隠れする。ノットが継続的に東欧作品を取り上げてきたことも、ブラームスがドヴォルジャークの恩人だったことに関連付けられ、点と点が線として結ばれる。ノット監督は、西洋音楽史に様々な角度から光を当てることにより現代に至る潮流を描こうとしているのだろうか。

幕開けを告げるのは軍隊トランペットの一撃だ。シェーンベルク「ワルシャワの生き残り」はその名の通り、ガス室送りになるユダヤ人の壮絶極まるドキュメントをわずか10分足らずの音楽に凝縮したもので、スネアドラムやコントラバスのコル・レーニョ(戦車のキャタピラ音のようだ)など、突き刺さるようなオーケストレーションが生々しい語りが引き立てられる。"Get out!"と同時に軍隊ラッパが語りに合わせて火を吹くなど、音楽と語りの整合性も抜かりない。そして、ガス室送りにするユダヤ人を数える時に突如鳴り響く「シャーマイスロエル(聞け、イスラエルよ)」の祈り、いや絶叫の大合唱。
ベルクの「ルル」による組曲は、一転して冒頭は弦楽器のきわめて美しい合奏に始まり、アルトサクソフォン、ヴィブラフォンなどの非現実的な音色を交えて濃厚に発展していく。オーケストラの融け合い方は耽美的そのもので、オスティナートなどでは金管打楽器の鋭さも加わり雄弁に場面が展開していく。第5曲で切り裂きジャックがルルを刺殺するシーンは何度聴いても衝撃的で、強奏の直後に不気味にうごめく低弦は血に染まったナイフの不規則な動きをも連想させ、鳥肌が立つ。
この2曲において、ノットは鋭くオーケストラの各セクションを振り分け、シャープなサウンドを現出させた。シェーンベルク作品で語りを務めたストラジャナッツはやや微温的で、英語による1人称とドイツ語による軍曹の台詞の切り替えも明快でなかった。軍曹はもっと叫ぶように表現されて然るべき箇所なのだが―。終局の男声合唱も、やや温い印象を与えた。ベルク作品でルル、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢を歌ったチェン・レイスは美しく清楚な声を持つソプラノで、背中が大きく開いた真紅のドレスはセックスアピールとしても楽曲に相応しいが、やや声の表現としては熟していない印象を受けた。「ルルの歌」は本来もっと魔性的な魅力を有しているはずだ。

2曲終わって休憩になるわけだが、すでに後半のブラームスの聴き方は普段とまったく異なるものにならざるを得ない。シェーンベルクの暴力的な響き、ベルクの恐ろしいほどの美しさ、いずれもがブラームスとつながりを有しているからだ。その他にも、ブラームスにおける「終りのラッパ」はシェーンベルクでの「軍隊ラッパ」に重なり、軍隊という合法的な暴力装置に慄くことになる。
ブラームス「ドイツ・レクイエム」は断続的に書き上げられた大作だが、ブラームスが30代の時に完成しており、決して老作曲家の筆による作品ではない。ノットの演奏はその点をしっかり踏まえており、冒頭にズーンと響くオルガンの低音、ヴァイオリンを排したオーケストラの響きにも推進力がある。(決してテンポが速いわけではないのだが)合唱団がほとんど歌いっぱなしの大曲なので、ノットは合唱を的確に導くことに相当の神経を使っていたようだった。彼の指揮は必ずしも大きくないが、フレーズの行き先や歌い手と共に呼吸する姿勢が流石に熟練の指揮者だ。第2曲で有為転変を歌いながらスケールを広げていく手腕も実に鮮やかだったし、"Aber"以降の転換も輝かしい。表現の力点が置かれた第6曲では"Tod, wo ist dein Stachel!"(死よ、お前の棘はどこにあるのか!)という詩に呼応してヴァイオリンに鋭い表情を施した。そして決して尻すぼみでない終曲、何れもが素晴らしかった。
しかし、最も衝撃を受けたのはノットと東響コーラスが見せた繊細な詩の汲み取り方だ。その選択、ニュアンス共に鳥肌が止まらなかった。例えば、第3曲でバリトン・ソロに続き"daß ein Ende mit mir haben muß. und mein Leben ein Ziel hat, und ich davon muß."(私には終わりがある。そして私のいのちにも限りがあり、私はそこへ向かわなくてはならない)という箇所の"muß"強調。また第4曲で神の御手の中で楽しげに歌われる3/4拍子。他にも聴かれたが、シェーンベルク&ベルクの救いなき悲劇を経験した後だと、これら聖書の言葉がドキリと凍りつくような意味を持ってくるのだ。生と死の対比が浮き彫りにされ、果ては「ドイツ・レクイエム」の「ドイツ」の広義性すら引き出される。その解釈は無限にして、最終的には聴衆に委ねられた。
4列でステージ後方にずらりと広がる東響コーラス、第1曲冒頭の柔らかい弱音など大編成ならではの良さが出た。全曲素晴らしいスケールと精緻さだが、第6曲ではやや気負いも感じられたか。いずれにせよ前述した詩への寄り添いが見事、ドイツでは頻繁に歌われる「自分たちの」レクイエムという意味合いもある作品だけに大編成で共感に富んだ演奏が聴けたことは嬉しかった。ベルクの「ルル」演奏中、ソプラノが歌う後ろで男声合唱がじっとその後ろ姿を見つめているのもある種不気味で、もの言わぬ群衆の視線といった劇場的効果を生んでいた。

独唱2人は前半に比して収まりの良い歌唱を聴かせた。だがバリトンはややポジションの移動が目立って聴こえてしまい、先日東京春祭で歌ったマルトマンが残ってくれれば、などと想像してしまった。何はともあれ、ノット/東響が在京オケの中でも群を抜いた集中力で演奏を達成していることは事実。今年度最初の定期も大ヒットであった。最後に一つ、今回はノットにとって初「ドイツ・レクイエム」だそうだ・・・!