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指揮者エリアフ・インバル80歳の誕生日を祝うインタヴュー・シリーズの第2部。第1部はこちら
第2部では、イスラエルやヨーロッパで過ごした指揮者としての修行時代について振り返る。インバルが重要な師や音楽家に出会った時代である。

ニーナ・ロルフス(NR):インバルさん。イスラエルの若き指揮者であったあなたは、レナード・バーンスタインと出会いました。この出会いはどのようにして起こったのですか?

インバル(I):当時、私は軍のオーケストラでコンサートマスターをしつつ、指揮者の助手をしていました―これが私の兵役だったのです。人々はこの仕事に就いている私のことを既に知っていましたし、才能ある若者としての評判も得ていました。突然、私はイスラエル・フィルから次のような電話を受けたのです。明日来てバーンスタインのために指揮をしてくれ、と。私はその時インフルエンザで熱もあったのですが、とにかく行って「コリオラン」を振りました。バーンスタインは私を傍に呼んでこう言いました。「君には偉大な指揮者になる才能がある。海外へ出て勉強しなさい!」と。彼の推薦状のおかげで奨学金を頂くことが出来たので、バーンスタインは私の人生においてきわめて重要だったのです。もし彼と出会わなかったら一体どうなっていたか分かりません。それでも何とか指揮者として出世していたかもしれませんが、私が海外で学べたのは彼のおかげなのです。彼はまた、私の模範としても大切な存在でした。他の指揮者にとってのカラヤンのように。その当時イスラエルで、私は数々の偉大な指揮者達にも接していました。

NR:そしてリハーサルを観に行ったのですよね。

I:ええ、非公式にね。許可されていませんでしたから。私はリハーサル室の窓をすり抜けて、隠れていました。数年後私自身がイスラエル・フィルを指揮した時、オーケストラの楽員に私が忍び込んでいた窓を見せてあげましたよ。そのようにしてバーンスタイン、クーベリック、マルケヴィチ、フリッチャイの仕事ぶりを目撃したのです。他の素晴らしい指揮者やソリスト達も沢山見ました。これが私の霊感となり、学びの場でした。当たり前ですが、リハーサルは勉強になりますからね。そして、オーケストラの中で演奏することはより良い勉強になりました。オーケストラでは、まさに全てを学ぶことになります―何が大事で、何が間違っているのか、どうすることが効率が良く、どうすることが邪魔にしかならないのか。私はこれらを実践によって学んだのです。

NR:パリに来た時、フランスのオーケストラを聴いて衝撃を受けたそうですが。

I:衝撃を受けた、というのは多分言いすぎだと思いますが、確かに彼らの音はまったく違って聴こえました。さび付いていない、豊満な音。どちらかと言えば私はウィーン風のサウンドを聴いて育ちましたので。そしてコンセルヴァトワールの学生としてフランスの楽団を指揮した時、既に私はこのウィーン風のサウンドを彼らに教え込もうとしました。オーケストラというのは実に多様で、時には同じ都市や国にあるオーケストラでも全く違います。私は、指揮している曲目において必要なことをオーケストラに教え込みます。ドビュッシーやラヴェルをドイツのオーケストラで指揮するときは、フランスのオーケストラで演奏する時とは違った要求をしなければなりません。逆もまた然りで、フランスのオーケストラでブルックナーを振る時は、文化的に自然な表現がついてくるドイツのオーケストラとは別のことを要求します。これは今日に至ってもそうです。

NR:パリで学生として過ごした時代はあなたにとって大いに影響を与えたわけですよね―とりわけ、そこでのいくつかの出会いが生んだ結末は。

I:まずはじめに私は沢山のリハーサルを見学しに行き、興味深い指揮者達の仕事ぶりを見て多くを学びました。メシアンは重要なことを教えてくれました―彼の音楽分析の講義は、私がそれまでに習っていたものとはまったく違っていました。何故なら、彼はモティーフの構造からではなく、色彩や音の取り合わせから講義を始めたからです。これは違った側面・見方でした。当時ナディア・ブーランジェがたぶん今の私より年上だったと思いますが、彼女は実践的な練習をする代わりに音楽の哲学、彼女の考えや好みについて話してくれました。例えば彼女はリヒャルト・シュトラウスやヴァーグナーが好きではありませんでした。ですが、とりわけストラヴィンスキーについては興味深い事実を教えてくれました。コンセルヴァトワールで私の教師だったルイ・フレスティエとは、音楽の見方について大いに議論しました。スコアの何を注視すべきか、どのようにしてそれに気付き、音楽を指揮するために系統立てるか、といったことです。それから私はチェリビダッケに会いにシエーナに行きました。彼のスタイルは非常に科学的でした。指揮の動きでさえ一定の原則に従うべきとされました。皆が彼の稽古を受けましたが、クラス全体のうち20人の生徒が積極的で、残り40人は消極的な生徒でした。指揮の動きというのはとても個人的なものなのですから、これはなんとも馬鹿げたことですね。ですが彼の稽古は規律と構造を教えてくれ、指揮の最中に体をしゃんと伸ばせるようになります。チェリビダッケはまた、スコアの分析に対して非常に堅固な意見の持ち主でした。対照的に、私のもう一人の指揮の師であったヒルフェルスムのフランコ・フェラーラは自発性を重んじる人でした。コンセルヴァトワールに入る前、既にレッスンを受けていたのですが、彼は本能を用いたのです。彼は生徒を観察していた時、生徒の長所と短所が何であるかを(本能的に)知っていて、生徒一人ひとりに対し個別に対応しました。

NR:つまり、あなたは指揮者の仕事をまったく違った師から習ったわけですね。

I:そう、二人の極端な師―フェラーラとチェリビダッケ―であったことは私にとって非常にためになりました。教訓的で、非常によくできたスコア学習の方法を伝えてくれたフレスティエと合わせて、これらは包括的な訓練になったのです。そしてもっとも有用だったのは、私の思い通りに出来るオーケストラが常にあったことです。例えばヒルフェルスムでは、当時5つの放送オーケストラがありました―政党一つにつき一つ。ピアニストはピアノで練習ができ、ヴァイオリニストはヴァイオリンで練習ができます。しかし指揮者はどうでしょう?私が思うに、指揮者は鏡の前で練習は出来ないのです。私は人生で一度も指揮の動きや身振りを練習したことがありません。その代わりにスコアを取り出し、自分がやりたいことをどのように達成するかを考えてきたのです。そうすれば、他のあらゆることは自然に付いてきたのですよ。指揮者の体の動きは、必然的に生じるものでなければなりません。

NR:体の内から指揮するためには、きっと沢山の前提条件が充たされなければならないのでしょうね。

I:まさに初期の段階から、私は立派な教師達に恵まれました―小学校からコンセルヴァトワール、チェリビダッケとフェラーラのクラスに至るまで、全てそうです。既に小学校でのブルーメンソールさんは挙げましたが、イスラエルでのヨセフ・タル、イーディス・ガーソン=キーウィ、アベル・エールリッヒ―彼らはみな素晴らしい先生でした。先生の存在は大きな影響を持ちうると信じていますので、このような先生達から学ぶ機会を得たことは天の賜物でした。ある先生が生徒のテクニック習得に注力したとして、もしその生徒が音楽的な才能を有していたら、習得したテクニックを通して才能が引き出されるでしょう。またある先生は解釈的な土台を確立させられるでしょう。残念なことに私の息子がヴィオラを習っていた時の先生は、実用的なことは何も教えられず、また全く何の体系も有していませんでした。

NR:これまで、自分自身が教えることに注力したいと思ったことはありますか?

I:ありません。私は今でも自分は学生だと思っています。私は常に何か新しいことを学び続けているのです。多分90歳になったらこう言うでしょう―「よし、私も少しばかりは賢くなっただろう。これで次に取り掛かれる」と。

第3部に続く)

ドイツ語/英語の原文はこちらから。 
この日本語訳は、インバル氏の所属事務所であるカルステンヴィットの許諾を得て行っております。