2016/4/29
読売日本交響楽団 第87回みなとみらいホリデー名曲シリーズ
@横浜みなとみらいホール 大ホール

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
~ソリスト・アンコール~
J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番より アルマンド

マーラー:交響曲第1番「巨人」

ヴァイオリン:佐藤俊介
管弦楽:読売日本交響楽団
コンサートマスター:長原幸太
指揮:ラハフ・シャニ

今月号の「月刊オーケストラ」(読響の配布パンフレット)の特集は「指揮者コンクール優勝者の躍進」である。今月このオーケストラを振る指揮者が、いずれも高名な指揮者コンクールの覇者であるからだ。
下野竜也、山田和樹がブザンソン国際指揮者コンクール出身。そして月末にやってきた今回のラハフ(ラーヴ)・シャニは彼らより一回り若い、27歳の俊英だ。2013年にグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールを制し、急な代役を含めバンベルク響やドレスデンとベルリンのシュターツカペレ、更には昨年末にヴェルザー=メストの代役としてウィーン・フィルの定期デビューをも成功させている。その華々しい躍進はあのドゥダメルを髣髴とさせるが、シャニの興味深い点は彼の経歴にある。出身のイスラエルにてピアノとコントラバスを学び、2007年にはピアニストとしてイスラエル・フィルにデビューしているそうだ。更に、2010年にはコントラバス奏者としてこのオーケストラに入団したのだ(自分は入団間もない彼の演奏を名古屋で聴いている)。そして2013年には指揮者としてイスラエル・フィルにもデビューしているというから、つまり彼はピアノ・コントラバス・指揮の全てにおいて優れた実力を有していることになる。彼は今バレンボイムの下で学び、シュターツカペレ・ベルリンの定期やオペラ公演も振ることになっている。まさにライジング・スターではないか。(彼の経歴については、音楽評論家・松本學氏によるレポートを参考にした)

今回のプログラムも、偶然か否かユダヤ人作曲家の曲目が並ぶ。前半のメンデルスゾーンの協奏曲は12型のヴァイオリン対向配置で、コントラバスは舞台下手側である。つまり、バレンボイムと同じ。
この協奏曲を、シャニは意外にも暗譜で振った。指揮台すら置いていない。協奏曲で暗譜というのは珍しいが、よほど体に入っているのであろうか。実際、オーケストラはスムーズに流れ、曲の進行を邪魔することはせずとも各所の引き締めも適度に行われていた。ソリストのカデンツァからトゥッティに移行する箇所はいまひとつの滑らかさが欲しいが、伴奏のバランスとしては良好であった。
佐藤俊介のソロは年初にアツモン/神奈川フィルとの共演で聴いたが、今回も楽曲の認識を新たにする演奏。ガット弦を張っていたかどうかは分からないが、やや控えめな音量はその可能性も十分有していただろう(だからオーケストラもやや小さめ)。オケの短い序奏に始まる冒頭から、「フレーズの反復において同じことをしない」という意識が強く感じられた。弾き終わりオケのトゥッティになると、部分的ではあったが彼もオケに参加する。このトゥッティ⇔ソロの対比、もしくは融和的な発想はバロック期への回帰を思わせる。一方で第3楽章はヴィルトゥオーゾ的な冴えでも魅せ、なかなか一筋縄ではいかない演奏だ。しばしば弓を張り直していた様子を見ると、扱いにくい楽器なのかもしれない。音程もそれを思わせる瞬間があったが、新鮮な演奏に感謝である。アンコールはよく響くホールを味方に付けた演奏。

休憩後はマーラー「巨人」。この曲はどうやらシャニの勝負曲のようだ。先述したバンベルク響、イスラエル・フィル、ウィーン・フィルのデビューにおいて、メイン・プロは全て「巨人」である。オーケストラは当然拡大、ホルンが9本(8本+アシスタント1本)、トランペットは5本(3本+アシスタント1本+起立バンダ1本)とやや大所帯による演奏で、ホルンはティンパニ前に1列に並べられた。
シャニの指揮は見れば見るほど70年代の血気盛んなバレンボイムそっくりだ。オーケストラに対する鋭角的なジェスチュア、ムチを入れるような足踏みなど大いに影響を受けていると思われる。イスラエルという彼の出自が成せる技かもしれないが、第2楽章主部における無骨な弦のマルカート、中間部のレントラー舞曲におけるポルタメントはいかにもユダヤ的だ。第3楽章で木管群にトランペットのしゃくりを敢えて被せてくる流儀もインバルを思わせる。1989年生まれだから何かしらの形で耳にはしているのだろう。第4楽章のなりふり構わぬ劇的な進軍、こちらはバレンボイム的なドラマ性で、かつ理性的なテンポの制御が見事だ。コーダに入ってからのティンパニ&低音の金管による下降音型の思い切った強調はインバルの技。終結のD音はふっと力を抜くようで独特だった。

こう書くと「バレンボイムとインバルの良いトコ取りではないか」と思われるかもしれないが、これらの技が彼の体から自然なものとして出てきているので、単純な「コピー」ではない。第1楽章の長い序奏―舞台裏のトランペット奏者が二回に分けて帰ってきた意味はよく分からないけれど―における緊張感の持続や第3楽章の寂寥感など、非常に精緻に音楽をつくる手腕も有している。前半に引き続き「巨人」も譜面台は置かず、絶えずオーケストラとの緊密なコンタクトによって音楽は刺激的に進んだ。弱音の情報量がより増えれば、さらに魅力的な音楽になるだろう。読響は前傾姿勢でシャニの音楽に応じ、前述した弦楽器は乱れつつも大胆に奏でていた。木管もテンポの遅さを持ち応えられないのは惜しいが、オーボエの歌心は素晴らしい。ホルンは1stと3rdに首席が揃い、終楽章の立奏は勿論のことハリのある音色で大活躍。ティンパニの引き締めも特筆すべき見事さで、シャニと読響は実に幸せな出会いを果たしたのではなかろうか。客席は意外におとなしい反応であったが、定期枠ならもっと歓声が飛び交っただろうに。