2016/5/26
フィリア・ハイムコンツェルトシリーズ
第1回 『時の終わりのための四重奏曲』
@フィリアホール

武満徹:雨の樹 素描II~オリヴィエ・メシアンの追憶に~
武満徹:カトレーンII

メシアン:世の終わりのための四重奏曲

ピアノ:萩原麻未
ヴァイオリン:成田達輝
チェロ:横坂源
クラリネット:吉田誠

これまで数多くの宝物のような時間をフィリアホールで過ごしてきたが、今回も長く記憶に刻まれるであろう豊かな時間だった。今回の武満徹×メシアンのプログラムを、このホールは実に温かく包んでくれた。80年代から90年代—つまり晩年期の武満は、「追憶」という言葉をタイトルに忍ばせた作品を数多く書いた。それは時に協奏的性格を持ち(『ノスタルジア』)、また管弦楽作品であったりもする(『トゥイル・バイ・トワイライト』)。今回のピアノ曲はメシアンに捧げられた。特に意図はないかもしれないが、楽器の選択が好ましく感じられる。

萩原麻未の独奏は感銘深いものだった。冒頭に出た蠱惑的なメロディが断片的に続き、音楽の行間も滑らかに埋められる。ペダルの減衰やタッチの絶妙さ、それらがホールをたゆたう水の質感で充した。発展するのではなく、静かに溜まっていく—紛れも無い武満音楽の質感がそこにあり、かつメシアンを思わせる煌びやかな響きも微かに聴こえてくる。力強い打鍵もある。

続いて、後半の「世の終わり・・・」と編成を同じくする「カトレーンⅡ」。ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、クラリネットという特異な編成ゆえに、きっとこの組み合わせは多いのだろうけど—それでもこの並びで聴くことには意義がある。管弦楽付きの「カトレーン」に続き初演を担ったタッシがメシアンでも優れた録音を残しているように、この2曲は母胎を同じくするように思える。(ちなみに、1975年の『カトレーン』委嘱は東京FMによる。この顛末については、当時プロデューサーを務めていた東条碩夫氏がこちらで振り返っておられる。該当箇所以外もかなり面白いのでオススメ)明らかにフェルドマンの手法を取り入れつつも調性感豊かな、いかにも70年代の武満らしい音楽。時折メシアンの動機も聴こえてくる。

休憩を挟み、いよいよメシアン「世の終わりのための四重奏曲」。ここまでもステージ上は最小限の照明で演出されていたが、ここに来てその効果が俄然説得力を増す。収容所の極限状態で初めて演じられたその音楽は、21世紀の今でも聴衆はおろか演奏者をも呑み込まんとする強烈な磁場を放った。これに立ち向かった若き演奏者達には心からの喝采を送りたい。
多楽章形式、曲想の変化の激しさなど、後に書かれる大傑作「トゥーランガリラ交響曲」をこの編成で先取りしたような感もある。静寂の中に始まり、凄まじい天使のヴォカリーズがやってくる第2曲へ。第3曲のクラリネット独奏は吉田誠のセンスが光る。第6曲「7つのトランペットのための狂乱の踊り」以降、曲が終わりへと向かう気配が立ち込める。そして第7曲を経て、「尽きることなき光と不変の平和の第8日」とメシアンが語る終曲へ。ヴァイオリンとピアノが抑制的な表情の中に、絞り出すようにして頌歌を歌う。全てが洗い流され、再創造された世界のうちに音楽は閉じられる。

曲の終了の余韻をあまり待てない御仁がいたのは残念だが、4人の卓越した独奏には大きな喝采が送られた。武満徹が亡くなって20年、こうして時代と連動する音楽が弾き継がれ、聴き継がれていくことにこそ意味がある。それを感じさせた青澤隆明氏の解説も良かったし、何より素晴らしい企画に大感謝である。