去る6月10日・12日、指揮者エリアフ・インバルはマーラーの第9交響曲を振ってフランスのリール国立管弦楽団にデビューを果たしました。この演奏会に際してフランスのル・モンド紙がインバルに行ったインタビューの全訳を、長年のインバルファンでいらっしゃる山本憲光様よりご寄稿いただきました。以前拙訳をアップした所属事務所によるインタビューと内容的に重なるところもありますが、恐らくは初めて明らかになる事実もありますので本項でシェアさせていただきます。
以前山本様には、フランス放送フィルでのインバル80歳記念コンサートに関連したインタビューの全訳もお寄せいただきました。前回に引き続き掲載を快諾下さり、心より御礼申し上げます。
 
エリアフ・インバル すべては音楽のために 
ル・モンド 2016年6月8日

2月17日以来、エリアフ・インバルは80歳代の指揮者の仲間入りをし、数ある指揮者の中でも伝説的な長期のキャリアを誇る一人となった。その一連の記念コンサートは、3月4日のラジオ・フランス・フィルハーモニー管で始まり、リール国立管による、6月12日リール新世紀ホール(Nouveau Siècle)及びベルギーにおけるコンサートで幕を閉じる。イスラエルに生まれ、パリ音楽院のルイ・フレスティエ及びオリヴィエ・メシアンのクラスで学んだこの指揮者は常にフランスと緊密な関係を保ち続けるとともに、彼自身と家族はパリ郊外に居を構えている。 

頑固なまでの実直さ
 

「自分の経歴についてどう思っているかですって?」
エリアフ・インバルはパリのバスティーユ広場近くのフランス風カフェで、テーブルに置かれたウィンナ・コーヒーを前にして答えた。
「私のキャリアは全て音楽以外のものではありません。私はキャリア主義者ではありません。私は今まで数々の名のあるマネージャーを袖にしてきました。というのも彼らのやり方が気に入らなかったからです。」
そして、彼がフランクフルト放送響のポストにあった際、フィリップスから、ベルリン・フィルでブラームスの交響曲全集を録音する機会を与えられた際のことを語った。
「断りました。そして自分のオーケストラで録音しました・・・」

この頑固なまでの実直さはエリアフ・インバルの芸術を特徴づける一つの要素である。それは全く見るまま聞くままである。3月4日のパリのフィルハーモニーでもそうであった。衣装に身を包んだマエストロは、泰然と指揮台に上がった。プログラムの後半はブルックナーの9番。彼がテルデックに、初版で全交響曲を録音した作曲家である。次いでデンオンにマーラーの全交響曲を録音し、それが世界的な名声をもたらした。

貴重な推薦

インバルはそのキャリアの多くをディスクに負っている指揮者である。この未完成の第9では、表現のしなやかさを敢えて犠牲にした表現主義的手法を駆使し、音楽的感興の極限を追求する。
「私はオーケストラに対して大きな柔軟性を要求します。私が情動的分節法と呼んでいるものです。大事なのはもはや色彩でも、ニュアンスでも、デュナーミクでもなく、なぜ作曲家が楽譜の中にあるものを書いたのか、ということです。精神性も情動を通して到達されるのです。」
 
この、音楽の背後にある「真実」への探求こそが、エリアフ・インバルを音楽へと駆り立てるものであり、彼が常に立ち戻る原点である。テクスト、つまり作曲家の意図を尊重するのは当然である。重要なのは言葉や音符の彼方にあるものなのだ。
「私は、その作品によって超えられる仲介者のような存在こそ真の創造者(作曲家)であると思っています。ブルックナーがそうです。彼は自分にインスピレーションを与えたものについて語っていますが、それは凡庸なイメージでしかありません。唯一作品のみが鍵を持っているのです。例えばマーラーの第6交響曲には、20世紀のすべてのカタストロフが含まれています。」

エリアフ・インバルはイスラエル建国の年に12歳であった。彼のイェルサレムで過ごした日々の記憶は、独立戦争下で爆撃を避けて防空壕へ避難したことよりも、教養豊かでとても宗教的な家庭での楽天的な子供時代のそれによって占められている。聖書を2歳で読み、4歳でシナゴーグの聖歌隊のソリストとなった。そして、7歳のときにおじさんがギターを作ってくれた。エリアフ・インバルは思春期を迎える前にヴァイオリニストとなり、当時イスラエルでは珍しかったコンサートを開き、そして彼は指揮者を自分の天命と心得るようになった。音楽こそが彼の唯一の宗教となったのだ。

エリアフ・インバル:
「私は常に、知っている譜面であっても、あたかもそれを初めて見るものであるかのように忘れることにしています。私は軍のオーケストラのコンサート・マスターとしてテル・アヴィヴで兵役に就きました。私はベートーヴェンやショスタコーヴィチを暗譜して、放送局オーケストラやオペラやハイファのシンフォニーオーケストラで演奏しました。私は多くをレナード・バーンスタインに負っています。」
このアメリカの偉大な指揮者(注:バーンスタイン)は、彼の作品である「カディッシュ」をイスラエルで初演するために来ていたが、この非常に才能のある若者の話を聞き、彼にベートーヴェンのコリオランを指揮するよう求めた。このマエストロの貴重な推薦が、インバルに奨学金を得てヨーロッパに旅立つ機会を与えたのだ。パリでルイ・フレスティエに、オランダのヒルヴェルスムでフランコ・フェラーラに、イタリアのシエナでセルジュ・チェリビダッケに師事した。エリアフ・インバルは、1963年に26歳で、グイド・カンテルリ・コンクールに優勝し、その後ドイツとイタリアの他(フランクフルトの後はベルリン・コンツェルトハウス管、ヴェニスのフェニーチェ劇場、RAIの放送響)、プラハ(チェコ・フィル)と東京(東京都交響楽団)でキャリアを積み重ねてきた。

彼はマーラーとブルックナーのみならず、ベルリオーズ、シューマン、ブラームス、ラヴェル、スクリャービン、ショスタコーヴィチの全集を録音している。エリアフ・インバルのレパートリーは彼が中央ヨーロッパに魅かれていることを物語っている。
「演奏解釈は生き物です。我々を取り巻く世界は変化し、私自身も発展していく。だからこそ私は常に、知っている譜面であっても、あたかもそれを初めて見るものであるかのように忘れることにしているのです。」

幸せなエリアフ・インバルは、80歳にして、このように言うことを躊躇しない。
「私は指揮者になるために生まれました。人生において他のものになろうなどと一度も思ったことはありません。」

(了)