2016/7/14
読売日本交響楽団 第560回定期演奏会
@サントリーホール 大ホール

ハイドン:交響曲第6番「朝」
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

管弦楽:読売日本交響楽団
コンサートマスター:小森谷巧
指揮:コルネリウス・マイスター

読響の首席客演指揮者就任がアナウンスされてから初めてのコルネリウス・マイスター登壇。彼の読響デビューは芸劇での「アルプス交響曲」で、それは確かに良い演奏だったのだが—たった1度の共演での決定とは余程相性が良かったのだろう。シュトゥットガルト州立歌劇場のポストをカンブルランの後任として担うことや、今回の読響の人事を見ていると、おそらくは現シェフとも友好な関係にあるのだろう。そんなことを考えながら、サントリーホールへ入る。

ハイドン第6番「朝」はこの日の天気とは真逆の爽快な運行、時折華を添えるフルートの装飾的旋律が美しく、ヴァイオリン対向配置の小編成弦楽合奏も愉しげに弾んだ(チェロトップには遠藤真理さん)。古典派においてハイドンは「交響曲の何たるか」を示した訳だが、マーラーは逆に交響曲形式を最大に拡大しようと試みた。両作曲家が鮮烈な対比を成す今回のプログラムにおいては、ハイドンも鮮烈に聴こえる。 

後半マーラー第6番は、スケルツォを第3楽章に配した演奏。普段この曲を聴く時はスケルツォ→アンダンテの順を好むが、今回のハイドンとの組み合わせでは逆が妥当だろう。スケルツォを第3楽章に持ってくることで、前半との形式上の対比が明快なものになる。マイスターは読響の剛性を迷いなく炸裂させて轟然たる音響を作ったが、フォルムには古典的な均整美を感じた。デフォルメ的な没入よりも全体像の明晰さを優先する、という路線は現代のマーラー演奏の標準であろうか。読響は金管の豪壮なパワーや低弦の力感など、自らの強みを活かしつつマイスターに献身的に応えた。第4楽章の波状攻撃のような音響でのカタルシスには、日本に読響あり、というような感慨を覚えざるを得なかった。マイスター×読響、なかなか面白そうなコンビになりそうである。