2016/7/16
東京交響楽団 第642回定期演奏会
@サントリーホール 大ホール

ブルックナー:交響曲第8番(ノヴァーク版)

管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:林悠介(ハノーファー北ドイツ放送フィル)
指揮:ジョナサン・ノット

ノット×東響が実直に歩む音楽の船旅において、今シーズンのハイライトともいえる公演はやはりこれだろう。昨年はマーラー「第3番」の圧倒的名演、そしてショスタコーヴィチ「第15番」をメインに据えた衝撃のプログラムが印象深いが、無限の組み合わせを考えうるノット監督があえてブルックナーの一本勝負で挑むことの重みを、しかと受け止めたい。音楽評論家の松本學氏がサントリー定期の翌日の横須賀公演に寄せて力のこもったエッセイを寄稿されていたが、それによるとノットがブルックナー「第8番」を振ることは実に珍しいそうだ。長年連れ添ったバンベルク響とのフェアウェル公演にも、この曲を取り上げた。さて、東響とは―。

ブルックナーの「第8番」が、この作曲家の全交響曲中でも特別な地位を占めることに疑いの余地はない。ハープは3台、オーケストラは3管編成と拡大され、音楽の色彩が最大限に引き出されている。それでいて華美な方向に舵を取らず、全楽章通じて自らの信仰告白、神との対話とも言える自省的な世界が展開されるのが紛れもないブルックナーの特徴であり、凄み、魅力だ。「今更そんなことを」というお叱りを重々承知でこのように申し上げたのは、ノット監督が東響と導き出した演奏に改めて楽曲の孤高の境地を認識したからなのだ。あたかも世界の秘蹟を明らかにするような融け合った響きがベースとしてあり、その上で厳しい眼力に基づく指揮を行っていく。結果として、金管群は全体の響きに融け込みつつ、時折施される大胆な強調では怒れる獅子のごとき表情を見せる。弦楽はアタックを振られずとも自発的に表現し、濃密な五弦の会話は果てしなき積み重ねの中で上へ上へと高みを目指す。ノット監督は、完成品としての音楽を目指しているのではない。楽章中の1小節ごとに、自ら含めてステージ上の音楽の次元をぐいぐいと導いていくのだ。それも、強制ではなく!
それにしても、眼を閉じて聴くとまったく日本のオケとは思えぬ熟成度であった。全体を貫く厳しい響きの中、第3楽章の夢見る抒情は指揮者のヨーロッパ性とオケの日本的な儚さの融合ではなかったか。そして、両端楽章の結尾はテンポを落とさずにイン・テンポで崩れ落ちるように振り抜いた。これはMr.Sと同様の着眼点である。これによって全曲の一つの「環」が完結するのだ。

ノットと東響がこれまで歩み、またこれから歩む旅を想うと、ジョナサン・ノットという指揮者が如何に俯瞰的視点でプログラムを組んでいるかに目眩がする。彼は音楽を通じて演奏家・聴衆と対話するのみならず、日本文化における音楽の系譜を築こうとしているのではないか。そして、長い任期はきっとそれを可能にするだろう。