2016/7/25
東京都交響楽団 第812回定期演奏会Bシリーズ
@サントリーホール 大ホール

モーツァルト:交響曲第25番
マーラー:交響曲第5番

管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:アラン・ギルバート
 
昨日に続き、アラン・ギルバートと都響のサントリー公演2日目。公演とは関係ないが、この日の曲目は9月に予定されているインバルの大阪フィル初客演と全く同じである。

モーツァルト「交響曲第25番」、昨日同様に芯の太い響きだが鈍重さは皆無、随所で即興的な遊びを試みるアランの棒さえ先読みする弦楽合奏に震撼した。特に池松さん率いるコントラバス群のセンスはズバ抜けており、後半共々大活躍だった。第1楽章再現部でアランがアッチェレランドをかけようとした箇所、セクション丸ごとズレたホルンにはオヤオヤと思わされたが、他セクションは限りなくベストに近い。モダン・アプローチでもこれだけ清新なモーツァルトが聴けるのは嬉しい。

後半のマーラー「交響曲第5番」。この組み合わせによる初のマーラーの成功が更なる力を与えたか、昨日とはまた変わって細部のデフォルメは大胆に変貌。やや都響の歴代指揮者の色が感じられたようなトゥッティの響きも、より野性的でボディブローの効いた骨太なものに近づいた。アランがやりたい音楽は本来後者寄りではなかろうか。第1楽章の実に精巧な(高橋首席の技術には、この言葉が適切だろう)トランペット・ソロに続き訪れるトゥッティから別次元、在京オケの枠を早くも飛び越えたものだ。続く弦のフレージングも慎重で、楽章後半で同旋律が形を変え木管に現れる箇所では葬列が急停止するような指示が施され、聴く者を驚かせる。全曲の中でも特に圧巻だったのは第2楽章、ソナタ形式を明らかに見せつつ楽章全体のエネルギー感が凄まじく、正に激情がホールを渦巻く。全てを薙ぎ倒すような怒涛の進軍はインバルのそれをも上回るほどだ。オーケストラの力感が単発に終わるのではなく、どこまでも増幅し、再現部で轟々と粘り、最後には解放される—苦悶のマーラーが浮かび上がるようである。続く第3楽章も豊かな演奏だったが、ホルン群は他のセクションの出来からするとやや惜しい感をもった。続くアダージェット楽章では、冒頭吉野直子さん(客演)のハープがこれ以上ない導入の役割を果たし、温かな透明感すら備えた弦がアランと共に楽音を拡げていく。ここで聴かれた響きは、近年の日本のオーケストラが奏でた弦楽合奏の中でも際立ち、もはや神憑りと言っていい。響きの密度、音の方向性、フレージングの収め方、全てに嗚咽した。もっとも、これはスコアの指示というよりは自然な音楽の指向を優先したものに思われたが。そして続く第5楽章では、甘い夢のあとに続くパロディのように楽観的に始まるが、次第にオーケストラの熱量が増して行く。第2楽章で立ち消えたコラールの昇華とそれに続くコーダでは、木管の強調(767小節以降)などにアランがニューヨーク・フィルのバーンスタインの書き込みを参考にしたと思われる箇所もあり、白熱の中最後に加速して大団円。

今回アラン・ギルバートが用いた「第5番」のスコアは、現在一般的であるラインホルト・クビーク校訂の新版であるらしい(インバルは一貫してエルヴィン・ラッツ校訂の旧版を使い続けている)。アランは当初都響に残るインバルの「癖」を感じたそうだが、2日目の当夜はアランの流儀と都響の伝統が絶妙に合致した結果大名演が生まれたように感じた。アランは生枠のニューヨーカーであり、先述したバーンスタインへの配慮他、ユダヤ的な粘りなども自然に盛り込みつつ「21世紀のマーラー」像を打ち立てたとみて疑いないだろう。
ああ、それにしてもなんという雄渾な音楽だったことだろう。終演後ホールが大喝采に包まれることは少なからずあるが、顔が涙やら鼻水やらでグチャグチャになるほど嗚咽し、演奏後しばらく拍手ができずに手を合わせ祈ってしまうような演奏会はそう多くない。今夜は間違いなく、星の降る夜。その場に居合わせた幸運にただ感謝するのみだ。