2016/8/24
ソウル・フィルハーモニー管弦楽団

Brahms Symphony No. 2
@芸術の殿堂 コンサートホール(韓国、ソウル)

ブラームス(ドヴォルジャーク編曲):ハンガリー舞曲
第17番 嬰ヘ短調
第18番 ニ長調
第19番 ロ短調
第20番 ホ短調
第21番 ホ短調 – ホ長調

ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
~ソリスト・アンコール~
ラフマニノフ:楽興の時第4番 Op. 16-4

ブラームス:交響曲第2番

ピアノ:オルガ・カーン
管弦楽:ソウル・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:エリアフ・インバル
 
日頃から指揮者エリアフ・インバルのファンを自称している私だが、恥ずかしながら実は都響との組み合わせ以外での彼の実演を聴いたことがなかった。自分が1996年生まれということで、物心付いた頃にはフランクフルト放送響とのコンビも、ベルリン響(現ベルリン・コンツェルトハウス管)とのコンビも解消されてしまっていたのだ。近年主席の任にあったチェコ・フィルとの来日公演は実現せず。そんな中、ここ数年のインバルはアジア圏の楽団への客演が目立つようになった。シンガポール響でマーラー9番、台北響では同じくマーラーの3番、そしてソウル・フィルとはショスタコーヴィチ11番でデビューした後ブラームス1番、マーラー7番などを振っている。都響を除けば、今アジアで彼と最も関係が深い楽団はソウル・フィルと言っても過言ではないのだ。この夏は偶然にしてインバルの客演以外にも興味深い演奏会が揃ったので、4日ほどソウルでの音楽生活を楽しむことにした。

羽田発金浦着の便でソウルに到着した当日の夜、お目当てのインバル/ソウル・フィルを聴いた。この楽団のシリーズ構成には詳しくないが、インバルは今回同プログラムで二回の演奏会を指揮する。本日はその一回目だ。ソウル・フィルが定期公演会場として使っているのは、韓国随一の総合芸術文化施設である「芸術の殿堂(ソウル・アーツ・ センター)」内のコンサートホール。このホール、「芸術の殿堂」の正門からかなり歩いてやっと到着するので、決してギリギリには着かないようにしたい。席数は2600席とやや日本のサントリーホールよりは多く、内観も広々とした印象を受ける。今回は3階席L側のBox席最前列で聴いた。第1ヴァイオリンはほぼ視界に入らないが、昇ってくる音の旨味を堪能できるという点では悪くない席だった。何より、日本円にして約2000円と安い。

さて、肝心の音楽以外の話が長くなり過ぎた。冒頭で述べた通り、私はインバルを都響以外のオケとの実演で聴いたことがない。そのためソウル・フィルとどのようなコミュニケーションを図っているのかを興味深く見、聴こうと心掛けたのだが、結果としては実に面白かった。
まず大前提として、インバルの指揮は音楽的な必然に基づくものだ、ということを再認識した。「なにを当たり前のことを」と仰る向きもあるかもしれないが、これは意外と大変なことだと思う。インバルの場合、音楽の機微と彼の動作は非常に細かく結びついている。音楽が流れに乗っている時はほとんど体を動かさずにテンポを刻んでいるだけかと思えば、弱音においても声部が立体的に交わる瞬間では具体的に指示を出していることが多い。
そしてそのことを前提として、インバルがオケによって明らかに振り方を変え、また音楽の色合いも結果的に異なっているという発見があった。私がこれまで聴いてきた都響は非常に技術的な素点が高く、細かな指示を出さずともインバルの望む音が出てくる。その反面、丁々発止のスリルや楽員が指揮者の意図を追い越そうというような場面は稀だ。その結果我々聴衆は「熟成された」とか「調和した」という印象を抱くのである。
だがソウル・フィルは違う。国民性の違いと言ってよいのかは分からないが、客席もオケも何か予測を外れた事態が起こるのを心待ちにしているような空気感さえある。この不確定要素の多さを、おそらくはインバル自身も楽しんでいるのだ。都響に比べると、綻びも必然的に増える。だが、ひとたび両者の駆け引きがバシリと合致すると、そこから生まれる音楽のパワーは無尽蔵である。

例えば、ラフマニノフ「パガニーニ狂詩曲」の第5変奏や第14変奏など、後の「交響的舞曲」を連想させるような重厚なリズムを管弦楽が刻み付けていく箇所では、インバルの重量感ある構築をオケがよく咀嚼して目覚ましい効果を生んでいた。ブラームス「ハンガリー舞曲」の急速なテンポの部分でもそうだ。インバルのややぶっきら棒な指揮の行間を読み、滑らかなカンタービレで埋めていく能力においては、流石に都響に一日の長がある。ただ、自らの意志を透徹させようと時折躍起になってオケと「闘う」インバルを引き出せるのは、もしかしたらソウル・フィルなのかもしれない。(なお、オルガ・カーンのソロはこれぞ正道を往くヴィルトゥオーゾ、という輝きがあった。アンコールも素晴らしい) 

後半のブラームス「第2番」では両者の持ち味が絶妙に混ざり合った結果、ここソウルでしか聴けない名演が仕上がってしまった。「長閑な田園風景」といったコピーとは極北に位置する烈しい音楽の応酬なのだが、ここまで来ると彼らの気迫にねじ伏せられてしまう。序盤こそセクション間で呼吸が合わない場面もあったが、トゥッティで表情が強張ってくるともう盤石だ。チョン・ミョンフン前監督の下でカンタービレを身に着けた優秀な団員達が、各モティーフを切り詰めて演奏させ構造の明晰さを求めるインバルに共感しつつも、前の「クセ」を脱しきれないまま弾き進めてゆく。その結果、ヴィオラがチェロを上回るほどに濃密に歌いつつも楽曲としての芯がブレない演奏が展開されたのだ。中間楽章で慰めを告げる木管にも常に疑問符が伴い、弦五部とインバルが繰り広げる激しい内的葛藤を際立てることになる。そして訪れる終楽章では、それらすべてを踏まえた上で全セクションが一気に解放されて歓呼を叫び、高らかな勝利のファンファーレと化しながらコーダへ突っ込んでいくのだ。最後の金管の和音を聴きながら、「あらゆる苦渋を乗り越えてこそ、本当の歓びが輝くのだ」と思い私は落涙した。


終演後、インバルはまるでロックスターのような大喝采でオケ・聴衆に讃えられていた。心から感極まった面持ちで、珍しくコントラバス奏者まで握手に行ったり、オケを回れ右させて挨拶させるなど、ソウルでは少しはしゃいでいるのかな、とすら思えるほどだ。インバルとオケの即興的な呼吸の変化も含め、続く第二夜が待たれる。