2016/9/10
東京都交響楽団 第813回定期演奏会Cシリーズ
@東京芸術劇場 コンサートホール

エルガー:チェロ協奏曲
~ソリスト・アンコール~
J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 BWV1009より サラバンド

シューベルト:交響曲第8番「グレイト」

チェロ:ターニャ・テツラフ
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:エリアフ・インバル

9月の都響はABC全てのプログラムを桂冠指揮者インバルが指揮する。インバル80歳記念・都響デビュー25周年記念と銘打たれており、これまでの彼の軌跡を写真とともに振り返る特設ページまでオープンする気合の入りようだ。都響にとって彼が、これまでも、そしてこれからも重要な指揮者であることの顕れだろう。

一曲目はエルガー「チェロ協奏曲」。インバルとエルガーはあまり結びつかないかもしれないが、チェロ協奏曲に限ると彼はよく振っているようだ。最近ではフランス放送フィルでマルク・コッペイと、リヨン国立管でソル・ガベッタと、ソウル・フィルでリン・ハレルと、若手からヴェテランまで幅広い世代の名手と演奏している。慣れたレパートリーであろう。今回はブレーメン・ドイツ室内フィルで首席チェロ奏者を務めるターニャ・テツラフとの共演。兄はヴァイオリニストのクリスティアンであり、先年オペラシティの企画でブラームス「二重協奏曲」を兄妹共演していたのは記憶に新しいところだ。 
ターニャのソロは悲哀を当たり散らすことはせず、むしろエルガーの音楽が纏う静かな哀しみを実直に表現していく。1776年製グァダニーニの薫り高い音色も含めて、第3楽章での長い旋律線の歌い込みが特に素晴らしい。のっぴきならざる表情を持つ演奏(旧くはデュ・プレ、最近だとワイラースタイン)も映える楽曲だが、ターニャはそこまで深刻な表情ではない。それでも曲の良さは充分に伝わったのである。アンコールのバッハはより時代考証的な路線の演奏で、耳に快かった。
インバルの伴奏は先述の通り振り慣れているだけあって実に雄弁。ソロへの気配りや入りの指示、オケとソロの音量バランスや表情の受け継ぎなど実に見事な職人芸であった。14型の都響は終楽章の最後で一瞬クラリネットに事故があったが、それを除けばインバルの望む分厚い音色を的確に表出させた。

休憩後はシューベルト「グレイト」。インバルとシューベルトはこれまた意外といえば意外なのであるが、これまで都響とは5番と「未完成」を指揮しており、ロマン派楽曲として当然レパートリーに入っていると思われる。弦は16型、木管楽器は倍管で4本ずつ(ちなみに、インバルは何でも倍管という嗜好ではなく、ベートーヴェンの1-2、4番などでは通常の2管を採る。また『グレイト』でも当初は2管を想定していたそうだ)という大きな編成である。ただ彼の倍管仕様は、音の分厚さというよりは声部の明晰さの確保が目的だ。弦が強奏する箇所のみ4管全てに吹かせて旋律が埋もれるのを防ぎ、それ以外は1番と3番といった具合に精妙な調整を行っている。それ故だぶついた響きにはならないのだ。
今回はサポーター向けの公開GPから彼の音楽づくりに触れることが出来たが、4日目のリハーサルかと思うほど細部への拘りが凄く、時折分奏をも用いながら丹念に仕上げる過程に驚いた。それは主に長大な前半楽章に対するもので、特に第2楽章でF-durの下降旋律を奏でる第2ヴァイオリンと、それに先行するチェロ、コントラバスの対比を際立たせていた。GP中のインバルの言葉(カッコ内)を借りれば、低弦が「地上の音楽(on the earth)」を奏で、第2ヴァイオリンが「天上に連れて行く(bring us to heaven)」ということだ。ここの柔和な音色はベートーヴェン「第9」の緩徐楽章を想起させるもので、天地の対比というインバルの言葉はそれを裏付けるもののように思われた。本番でも最も感銘深かったのはこの楽章であったが、第1楽章ではコーダ直前にアッチェレランドをかけ、冒頭のホルンの旋律が威容を増して回帰する箇所では一気に冒頭のテンポに落とすなど、こちらも大胆かつ統一感のある構築だった。第3楽章は比較的穏当で—と言っても弦の厚みは凄いのだが—第4楽章はオケの性能とインバル得意の声部の浮き上がらせ方が痛快に決まった。オーボエとクラリネットのベルアップはマーラーさながらだが、これも進歩史観的な奏法というよりは声部の強調を目的とするものだろう。その証拠に、GPではトロンボーンにも同じリズム動機を明晰に吹くよう要求していた。終結部の弦トゥッティによるCの執拗な連呼は予想通り完全ダウンボウで地鳴りのような迫力、その後わずかにテンポを上げて最後はアクセントで締めくくられた。

演奏直後サポーター向けにインバルの懇親会が行われ、そこで「倍管や16型で古典派演奏を行うのは何故か」というような質問が出た。恐らくは今回の気宇壮大な「グレイト」を念頭に置いた質問だろうが、インバルは以下のように答えた。
「20本のヴァイオリンで自作が演奏されるのを聴いたモーツァルトが喜び、第4番の交響曲—これは比較的古典的な作品ですが―が金管、ティンパニ含めて4倍になった演奏にベートーヴェンが喜んだという記録が残っています。私が言いたいのは、作曲家が現代のオーケストラを手にした時、どのような響きを求めるか、それを指揮者が選択する必要がある、ということです。過去の偉大な指揮者もそうしてきました」
彼の意見は、解釈と改編の合間に位置する、ある種危険な領域なのかもしれない。しかし、原典主義というスタイルにも無限の可能性が存在する現代の音楽界において、指揮者が作曲家の意図を汲み取り、ネオ・ピリオド的な視点で楽曲を再構築するというインバルの意志が一つの説得力を生んでいるのも確かだ。昨年のベートーヴェン「第9」に続き、ファッション的なピリオド奏法を好まないインバルらしい「怪演」にして「快演」であった。