2016/9/11
≪東京二期会オペラ劇場公演≫
リヒャルト・ワーグナー 『トリスタンとイゾルデ』オペラ全3幕
@東京文化会館 大ホール

ヴァーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(全3幕/ドイツ語上演/字幕付)

演出:
ィリー・デッカー
トリスタン:福井敬(テノール)
イゾルデ:池田香織(メゾ・ソプラノ)
マルケ王:小鉄和広(バス)
クルヴェナール:友清崇(バリトン)
メロート:村上公太(テノール)
ブランゲーネ:山下牧子(メゾ・ソプラノ)
牧童:秋山徹(テノール)
舵取り:小林由樹(バリトン)
若い水夫の声:菅野敦(テノール)
合唱:二期会合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団
指揮:ヘスス・ロペス=コボス

ヴァーグナー畢生の大作、「トリスタンとイゾルデ」が東京二期会における初演と相成った。本邦を代表するこのオペラ団体において、この傑作中の傑作がいまだ上演されていなかったというのは少々驚きではあるのだが、今回の上演を観終わって考えると、「『機が熟する』というのはこういうことか」という感慨すらこみあげてくる。それ程に素晴らしく意義深い、実に幸福な二期会初演であったのだ。
これほどに歌・ピット・演出が三位一体となった舞台はそうそう体験できるものではないだろう。ヴァーグナーの楽劇を上演するということは、それ自体がある種の冒険となるわけだが、全てのキャストがその冒険に果敢に挑戦し、目覚ましい成果を上げていた。そしてその仕上がりは、二期会のみならず日本団体によるオペラ上演の中でもエポックメイキングな水準とさえ言いたい。

今回のヴィリー・デッカーによる演出(ライプツィヒ歌劇場との提携)では、前面に張り出したひし形の舞台と後方に設置された大きな背面の壁、そして舞台中央の小舟が3幕を通じて用いられる。壁や舞台の色彩の変化、照明との融合により音楽の進行が暗示され、観る者に場面展開を印象付けるという点で、「音楽を阻害しない」節度ある演出と言えるだろう。単純化すると、第1幕では海原の青、第2幕では森林(マルケ王の狩を象徴?)、第3幕では水墨画のような白黒の世界となる。
特に雄弁に思えたのは第2幕で、マルケ王はじめコーンウォールの人々は緑、愛に燃えるトリスタンとイゾルデは深紅の衣装と区分されている。また表題役2人のうち、まずトリスタンが「私を死なせてください」と歌うが、幕の後半でイゾルデも同じ台詞を真似する。更に今回のデッカー演出では、小舟の中で2人の立ち位置が入れ替わるようになっており、両者を隔てるものが失せ、「トリスタン⇆イゾルデ」と陶酔しながら愛の極致へと向かう様が視覚的にも表現されていた点が秀逸だった。(これも、先述した音楽の進行の暗示、のひとつだ)
また、本来メロートの剣によりトリスタンが重傷を負う幕切れの箇所では、表題役2人がそれぞれ目を傷つけ合うという「読み替え」(とはいえ、昨今のヨーロッパの読み替えに比べればはるかに穏当に思える)があり、これによりトリスタンとイゾルデは光を失う。続く第3幕ではトリスタンを追ってイゾルデがカレオールに辿り着くものの、目が見えないためにお互いがすれ違い、遂に相見えぬうちにトリスタンが事切れるというのは悲劇的だ。ただ、クルヴェナールら従者は隣で何をしているのか、という演劇的なもどかしさも無きにしも非ず。

デッカー演出は現れる要素がシンプルな舞台であるが故に、歌い手が担う演劇的な役割は非常に重くなる。ただでさえ音楽的な表現を通じて物語を語る必要があり、その上で演劇的な要求を達成するというのは途方も無く高い壁であろうと思う。その難題が各歌い手には求められるわけだが、11日のキャストは理想的とも言える水準で、純粋に驚きの連続であった。イゾルデはブランゲーネ、トリスタンはクルヴェナールと、相手へ鬱屈した激情をぶちまける場面の多い舞台であったが、それらの感情がリアルな感覚と共に伝わってきたのは嬉しい。
トリスタンの福井敬さんは英雄的な性格をよく描きつつ、第3幕の苦悩の演技でも魅せる。彼の従者クルヴェナールを演じた友清祟さんも多彩な表情で、村上公太さんのメロートとのやり取りも緊迫感がある。イゾルデを支えるブランゲーネの山下牧子さんは、第1幕終盤で媚薬を飲んだトリスタンとイゾルデを見て絶望(その永遠の苦しみは彼女が図ったことなのだ!)、また第2幕での警告の呼び声など、声楽面・演技面ともに卓越した高水準。逢引に嘆くマルケ王は小鉄和広さん、渋いバスの魅力で魅せ、スーツ姿もよく映える。そして、イゾルデを演じ切った池田香織さんの名唱は忘れ難いものだ。第1幕での激昂、第2幕での恍惚たる表情、第3幕を閉じる「愛の死」へ繋ぐ神秘的とも言える表情、それら全てが緻密な計算の上に達成されていたのだから。本邦が誇る名イゾルデの登場と言いたい。

ピットでの演奏を担ったのはヘスス・ロペス=コボス指揮する読売日本交響楽団。昨年9月、常任指揮者カンブルラン指揮により「トリスタン」を演奏会形式上演した経験がオケにとっては何よりの宝となったことだろう。厚みあるサウンドはこの楽団の特質を素直に活かしたもので、ヴェテランのロペス=コボスの棒は、粘らず音楽を美しく響かせていく。カンブルランの精密さはないが、歌手を的確に助け、舞台上との連携を維持する姿勢には好感が持てた。「愛の死」冒頭を神妙にゆっくりと開始したイゾルデを支えつつ、終盤にかけて自らのテンポに誘導していくあたりは老練な技であろう。第1幕最後の男声合唱とバンダ(金管の別働隊)はかなり控えめに聴こえてやや不満だったが、次幕冒頭のバンダは好バランス、しかも雰囲気たっぷりに響いた。

最後に今回の歌手陣に共通して言えることだが、背面の壁が音響的な支えの役割を担ったことを勘案しても、至極強力な歌唱であった。最初はセーヴしていて段々ノッてくる、という音楽的密度の高まり方ではなく、最初から(寧ろイゾルデに関しては第1幕こそ凄まじい怒りだ)エネルギー全開。結果的に、「後半に向けてここではペース配分をしているんだな」といった推測をする隙・余裕を観客に与えないのだ。そんなことをしていたら振り落とされてしまう、そのめくるめくドラマ展開もヴァーグナーの凄さの一つなのだから。幕が下り、喝采の中ふと我に返る、という感覚を国内オペラで得たのは、ひょっとすると、初めてのことだったかもしれぬ。感慨深いことだった。