2016/9/16
新日本フィルハーモニー交響楽団 第562回定期演奏会
すみだトリフォニーホール 大ホール
モーツァルト:交響曲第33番
モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番
~ソリスト・アンコール~
ヘンデル(ケンプ編曲):メヌエット ト短調

ブラームス(シェーンベルク編曲):ピアノ四重奏曲第1番
~アンコール~
ブラームス:ハンガリー舞曲第1番

ピアノ:アンヌ・ケフェレック
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:崔文洙
指揮:上岡敏之

上岡敏之氏が新日本フィルの第4代音楽監督に9月から就任、お披露目となる演奏会が行われた。「ジェイド」シリーズ(サントリーホール定期)の幕開けは「ツァラトゥストラはかく語りき」「英雄の生涯」の二本立てというスペクタキュラーなものだったが、「トパーズ」の第1弾は静と動の対比が美しいプログラム。モーツァルトの二作品は調性的にも共通しており(変ロ長調)、続くシェーンベルク編曲のブラームスはモーツァルト作品の平行調(調号を同じくし、主音が短三度下)であるト短調という統一感のある流れとなっている。上岡氏らしい凝ったプログラムだ。

開幕を告げるモーツァルトの「交響曲第33番」では小編成のオーケストラの機動力を活かしつつ、ピリオド路線というよりは自然なロマン性を曲から引き出す。終楽章の切れ味ある愉悦はいかにもモーツァルト、もともと古典派作品との相性が良い新日本フィルだが、当夜はとりわけ見事な演奏だった。上岡氏の指揮はオケの隅々まで掌握しつつも堅苦しい感じは皆無。視覚的な情報量の多い指揮をされる方だが、目を閉じて耳を傾けると、いっそうバネに富んだ豊かな音が広がっていくのが分かる。
続いてはアンヌ・ケフェレックをソリストに迎えてのモーツァルト「ピアノ協奏曲第27番」。こちらでは冒頭から達観したような弦の響きが柔らかく、ソリストを包み込むように音楽が進む。上岡氏自身もピアノの名手(CDもリリース済)であるだけに、ピアノとの調和・対話には何のストレスもなく耳の悦楽。フランス人ピアニストのケフェレック女史は「永遠の少女」と呼びたくなるような可憐な雰囲気の持ち主だが、演奏もまったくその通り。澄んだタッチのモーツァルトを聴かせた後は、一人で喝采を受けるのが照れくさいような素振りで、舞台袖近くで上岡氏を何度もカーテンコールに誘っていた。

後半はブラームスの「ピアノ四重奏曲第1番」のシェーンベルク編曲版。ナチスを逃れてロサンゼルスに渡ったシェーンベルクに、当時ロサンゼルス・フィルの音楽監督を務めていたオットー・クレンペラーが編曲を依頼して生まれたのが今回のヴァージョンだ。終楽章では「ハンガリー舞曲」も彷彿とさせるブラームスお得意のロマの熱情が振りまかれるが、シェーンベルク編曲ではブラームスのオーケストレーションとはかけ離れた盛大な打楽器の追加が聴きどころ―といっても、第1楽章冒頭はいかにもブラームスらしい渋めのサウンドで始まるのだが。曲を追うにつれ、ブラームスの語法を使っていたシェーンベルクが徐々に自らの音楽で語りだすように思えるのは自分だけか(演奏もその方向性に寄り添っていたように思う)。
オーケストラの機能を全開にするこの曲において、上岡氏は流石の手腕を発揮した。先述した1楽章冒頭では深い響きを木管と弦のブレンドで表出させ、全体としては流線形の外枠に音楽を収めていく。第3楽章では打楽器の下支えによりマーチ風の展開があるが、ここも単調に陥らず音楽は常に流麗さを保った。野趣に富むシェーンベルク編曲が、これだけ美麗に再現されることには驚きを隠せなかったという所感である。この明晰さはフレーズの積み重ね、また各セクションのバランスの良さによるもの。終楽章では弦のトップ奏者のソロ(原曲への敬意のようにもとれる)が挿入されるが、これらも含めて鮮やかなテンポ変化で終結へ。
これで盛大にお開きかと思われたが、何度目かのカーテンコールにて上岡氏が再びタクトを一閃、ブラームス「ハンガリー舞曲第1番」のアンコール。これがまた笑ってしまうほどアップ・テンポの演奏で、チェロのピッツィカートは鬼のような速さが要求されていた。上岡劇場炸裂、といったところか。ちなみにソリストのケフェレック女史のアンコール、オーケストラの「ハンガリー舞曲第1番」ともにト短調と、フラット2つに徹頭徹尾支配されたトリフォニー・シリーズ幕開けとなった―これらは全て新監督の思惑通りとのこと。今後の上岡×新日本フィル、どのように我々を魅せてくれるか。