2016/9/20
東京都交響楽団 第815回定期演奏会Bシリーズ
@サントリーホール 大ホール

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番
ショスタコーヴィチ:交響曲第8番

ヴァイオリン:オーギュスタン・デュメイ
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:山本友重
指揮:エリアフ・インバル

C定期の「グレイト」、A定期の「オケコン」に続くインバル×都響月間第3弾。ブルックナー、マーラーと並ぶインバルの「最強」レパートリーであるショスタコーヴィチの登場である。都響と演奏するのは初となる「第8番」。前半のモーツァルトの協奏曲は、以前ブルックナー6番を取り上げた際に四方コンマスを独奏に演奏していたはずだが。

モーツァルト「ヴァイオリン協奏曲第3番」でソロを弾いたのは、インバルの長年の友人(初めて出会ったのはデュメイ15歳の時だという!)である名手オーギュスタン・デュメイ。関西フィルのシェフとしての活動が近年では有名だが、今もなお技巧に衰えはないことを鮮やかに証明してみせた。グリュミオーに学んだ彼のヴァイオリンは冒頭から茶目っ気に満ち、高弦の軽やかな表情から低弦のグイという押し出しまで芸の幅が広い。第2楽章の息の長い歌など、昔懐かしい達人のヴァイオリンを聴くような感にとらわれた。インバル指揮の10型オケも最初のざっくりとした弦の引っ掛かりから雄弁で、端正にして不足感はない。近年指揮もするデュメイは常にオケのメンバーとのコンタクトも忘れず、音楽に合わせて体を揺らしながら豊かなモーツァルトを響かせていった。舞台上での振舞いも自由で、指揮台横の補助階段にハンカチを無造作に置いて楽章間で拭ったり、アンコールを弾くかと思われた何度目かのカーテンコールではハッタリをかまして団員がズッコける場面も。彼の音楽そのままの奔放さである。

後半。インバルはにこやかに現れてコンマスと握手(一度両氏の手が滑り、し損ねた(笑))をすると、ショスタコーヴィチ「交響曲第8番」の世界にすぐさま没入。冒頭に現れる重厚な低弦は叫ばず、しかし確かな存在感を伴ってどっしりと響く。ことさら楽譜外の暗示的な要素を取り入れることなく、あくまで楽譜の範囲内で緻密に音楽を構成していくのがインバルの流儀。そうして響くショスタコーヴィチには誰の演奏とも異なる質感がある。スル・タスト指定の10小節以降、またポコ・ピウ・モッソに転じ4分の5拍子に乗って奏でられる箇所、これらの第1ヴァイオリン、なんと痛切にして美しいことか!冒頭楽章は「交響曲第5番」の第1楽章を更に巨大にしたような趣を持つが、当夜の演奏は非常にシャープ、楽章中間のアレグロ・ノン・トロッポからアレグロへの速度変化も激烈で容赦ない。変拍子的に行進曲がつんのめり、やがて冒頭の「C-B-C」が変貌した巨大な叫びに到達する。ここまで、全て一気呵成。
コールアングレの見事なソロに続き楽章始めの静けさが回帰したと思うと、第2楽章はなんとアタッカ。しかも猛烈に速いのである。ピッコロのソロも演奏可能なギリギリの速度で奏でられ、続くオーケストラ全体の狂乱もギシギシと軋みが伝わるよう。そして、この演奏で最も驚きだったのが続く第3楽章であろう。冒頭のヴィオラ群、スコア上にはマルカティシモ(音符を特にはっきりと)と指定があるが、これを実践するためにインバルが要求したのは全ダウンボウという恐ろしい選択だった。店村首席以下鬼の形相で一音ずつ刻み付けて行き、第1ヴァイオリンに同パッセージが渡ると流石に通常の弓の返しに変わった。この効果は視覚的にも物凄いもので、楽章全体に遍満するある種の狂気を冒頭で決定づけたといえる。その後のトランペット・ソロも完璧で、阿鼻叫喚に続く第4楽章はパッサカリア音型の抽出が緻密。そして、ファゴットの高域のソロに始まる第5楽章では再び狂乱が帰ってくる。ここでも急激なテンポアップ、弦のダウンボウでの強調などインバルの徹底した読みが活きていた。楽章結尾、弦のハーモニクスの音程が定まらなかったのだけは痛恨の極み。

インバル80歳、ウィーン響との旧録音から実に10分近く凝縮された新たなショスタコーヴィチを魅せてくれた。都響の演奏能力ギリギリの音を引き出す熾烈な要求、そして尽きせぬアイディア。この夜のショスタコーヴィチ「交響曲第8番」は、彼らの同作曲家演奏の中でも燦然と輝く凄演となったのである。ソロ・カーテンコールで呼び戻されたインバルの表情からも演奏への満足が伝わった。ただ、ウィーン響との旧盤の不気味な雰囲気も愛する身としては、凝縮された表現へと変わった今のインバルを愛しつつもやや寂しいような気もする。第3楽章のトランペット・ソロに続き、セクションが非常に細かなタンギングで三連符を吹く箇所も、旧盤では神経質に吹かせていたが今回は一音省略されていた。(もっとも、これはラザレフなどもやっていることだが)
都響との三連戦を成功裏に終えたインバルは、次の公演地である大阪へと旅立って行った。