2016/9/17
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 第322回定期演奏会
@横浜みなとみらいホール 大ホール

ゴルトマルク:ヴァイオリン協奏曲第1番
~ソリスト・アンコール~
J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番より サラバンド

マーラー:交響曲第5番

ヴァイオリン:ライナー・キュッヒル
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
コンサートマスター:石田泰尚
指揮:サッシャ・ゲッツェル
 
サッシャ・ゲッツェルが首席客演指揮者として3年の任期を終え、神奈川フィルを離れることになった。私は彼とこのオーケストラの演奏全てを聴けたわけではない。しかし世紀末転換期の作品を中心に、薫り高く、それでいて埃を被っていない新鮮な風を横浜に運んでくれたことは間違いないだろう。そんな彼が最後のみなとみらい定期に選んだのは、マーラー「第5番」をメインに据えたプログラム。やはり独墺の作品群だ。プレトークによれば、彼と神奈川フィルの出会いもマーラー「巨人」だったそうである。

前半は、ウィーン・フィルのコンサートマスターを今夏で勇退したライナー・キュッヒルをソロに迎え、ゴルトマルクの協奏曲。彼はこの曲を都響客演時などにも弾いているそうで、レパートリーなのだろう。ゲッツェルもウィーン・フィルで弾いていた人であり、気心知れた2人による妥協ない音楽が繰り広げられた。このゴルトマルク作品は1877年の成立ということで、音楽史上の同年の動きを見てみると、3月にチャイコフスキー「白鳥の湖」初演、12月にサン=サーンス「サムソンとダリラ」とブルックナー「第3番」初演という時代である。ロマン派的な綿々たる要素の中に、第1楽章中盤のフーガ(オケの導入に続きソロが入って来る)などの書法が盛り込まれている。キュッヒルの独奏は持ち前の硬質な音色を響かせるもので、第3楽章の高速パッセージなどの粒立ちの良さなど円熟の味わいを魅せた。 ゲッツェルのサポートも秀逸。キュッヒルのアンコールのバッハもやはり峻厳な演奏で、昨今のスタイルとは一味も二味も異なる彼独特の世界だった。 

後半はマーラー「交響曲第5番」。 ゴルトマルクが40分近くを要する大曲であったが、そこから更に重量級のマーラーということでオーケストラにとっては負担の大きいプログラムだっただろう。リハーサルの様子については窺い知れないが、少なくともこの日響いたマーラーは最近好調の神奈川フィルらしからぬボロボロの演奏だった。冒頭のトランペット・ソロの痛烈なミスに始まり、若手奏者が増えて勢いを増した木管群にも動揺が伝わったか連鎖的なミスや脱落が相次ぐ(その中でファゴットは光っていた)。ただオーケストラのトゥッティは力のあるもので、凄腕ティンパニをはじめとする鳴り物系がやや突出し過ぎた感はあるものの、ゲッツェルとのこれまでの演奏でも聴かれたような豊麗なサウンドは随所で聴くことができた。近年よく聴かれる細部強調的なマーラーとは異なり、トゥッティが丸ごと表情を変えていくような独特の演奏だ。それでいて、基調となるサウンドは暗い抒情を湛えており、やはりウィーンの人なのだな、と唸らされる。合奏の一体感が訪れたのは第4楽章のアダージェットで、ここで発揮された繊細なフレージングはなかなかの聴きものであった。第5楽章では一転響きが明に転じ、パロディ風味の仕掛けを随所で強調するゲッツェルの遊び心も発揮された。神奈川フィルは最後まで全力疾走で付け、余裕のない管楽器、前方と後方のプルトでかなり熱量・一体感の差がある弦楽器など問題を抱えつつも大健闘した。特にスケルツォを輝かしく決め、全曲通して攻めの姿勢を貫いたホルントップの女性は終演後客席・ステージの両方から大喝采を送られていた。

これでゲッツェルは神奈川フィルを離れることになるわけだが、重層的なウィーンの薫りを我々にもたらしてくれた名匠へのはなむけとしては、正直なところ不出来が目立つ演奏ではあった。しかし、プレトークでの„Auf Wiedersehen"の言葉通り、いつか神奈川フィルにも(来シーズンは既に読響、紀尾井ホール室内管との共演が予定されている)戻ってきてくれることだろう。