2016/10/9
東京交響楽団 第94回東京オペラシティシリーズ
@東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル

武満徹:弦楽のためのレクイエム
ドビュッシー:交響詩「海」

ブラームス:交響曲第1番

管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:水谷晃
指揮:ジョナサン・ノット

ジョナサン・ノット音楽監督が率いる東京交響楽団は、10月20日から27日まで、5つの公演地にてヨーロッパ・ツアーを行う。N響、読響、京響、都響と日本のオケも次々とヨーロッパを巡っているが、果たしていま在京オーケストラでも一番熱い注目を集める東響はどのような評価を受けるのであろうか。今回のオペラシティでのプログラムは、楽旅のプレ・コンサートのひとつ。サントリー定期がプレ公演の第2弾である。

武満徹「弦楽のためのレクイエム」は東響による委嘱初演作品であり、このオーケストラが「お国もの」として作曲家没後20年の節目に欧州の地で紹介するならば、知名度の点も含めて他に代え難いだろう(なお来年は初演60周年だ)。武満作品を邦人以外の指揮者が振ると新鮮な味わいを感じることが多いが、今回のノットの指揮もまた新たな作品の魅力に光を当ててくれた。冒頭の幽玄な旋律の積み重ねが明晰に響き、東響の弦が水が滴るようなサウンドを空間的に拡げていく。三部構成の作品だが、中間部でヴィオラと第2ヴァイオリンに現れる厳しい音(かなり強いスルポン?)もはっきりとリズムを鋭角的に浮き立たせて弾かせる。それを経て冒頭の旋律が帰ってくると、聴く者は作品の形式感を最後に認識することになるのだ。ノット監督、巧い。

続いてはドビュッシー「海」。西洋と東洋という二項が、対立ではなく共生や共鳴に転化する—音楽史においてこう考えた時、今回の武満作品とドビュッシーは同質である。自分などはアタッカで演奏してもよいと思ったほどなのだが。
ノットはこの曲をN響でも指揮しており、それを放送音源で聴く限りでは引き締まったフォルムの佳演だった。東響との演奏は当然ながらそれとは全く異なり(進化したとも言える)、攻撃的な指揮と音楽の表情が一致した劇的な演奏だ。総体としての響きは内向きに凝縮していきつつ、各セクションが即興的な反応も含め阿修羅のようなノットの指揮に果敢に応じていく。第2曲まで美しい演奏が続いたが正直なところ、彼らならもっと表現を詰められるかなという箇所が多く思われた。しかし、オーケストラのあらゆる響きを総動員して描く終曲こそは圧巻で、海の飛沫が岩にぶつかり砕け、生まれる細かな泡まで想起させる細やかなフレージングなどが猛速の中で展開された。東響は機敏につけ、崩れが目立ったトランペットなどは仕方あるまい。リスクテイクの姿勢は素晴らしく、欧州の舞台に向けてより磨き上げれば一層鮮烈なものになると思う。

後半のブラームス「交響曲第1番」。ノットと東響のブラームスは、「ピアノ協奏曲第1番」と「交響曲第4番」(いずれもオペラシティ)の底力ある低重心の響きが未だに印象に残っており、今シーズン開幕の「ドイツ・レクイエム」が更にそこに加わっていた。さて今回は。
冒頭から想像通りの低重心で進んでいくが、鋭敏なリズムと切れ味よく刺さる強奏はノットのブラームスの特徴だ。前半の「海」で時折刺激的すぎるように感じられたこれらの要素が、堅牢な構築が映えるブラームスでは活きる。第1楽章、提示部繰り返しを単なる反復とせず、それまで繰り広げてきた熱きドラマがそのまま続くように腕を拡げるノットの解釈・視覚的な指示には唸らされた。ただこの楽章中で、オーケストラ全体はテンポを保とうとしているのだろうが、おそらくはノットの棒に反応し過ぎてしまい(!)ヴァイオリンがやや加速してしまうような場面も聴かれた。展開部結尾から再現部へと雪崩れ込む箇所の弦の絞り出すような底力は、これまで聴いたこの曲の実演でもとりわけ強い憤怒の形相を湛えていたことも付記しておきたい。第2楽章は見事なオーボエとヴァイオリンにオケが豊かに呼応し、第3楽章もその延長線上にある。そして第4楽章ではじっくりとした運びの中に熱がこみ上げていき、ついにコーダではそれが抑えきれず歓呼となって総員が駆け出す、というドラマが見えた。トロンボーンのコラールは惜しかったし、ホルンも完璧ではなかったが、前半と同じく前傾姿勢のオケが実に素晴らしい。ノットは終演後疲れ切った様子でオケを早々に解散させたが、熱狂した聴衆は彼を帰さなかった。

ジョナサン・ノットの音楽は実に多様である。膨大なレパートリーを持つが、カメレオン的にそれらを振り分けるというよりは何か一貫した芸術的主張が感じられる。際立たせるフレーズ一つ、音楽的な運び、それら全てに知性に照らされた熱情が宿っているのだ。今回のプログラムも前日の川崎公演とは全く異なったようだが、ノットの描く世界を東響で、多彩なレパートリーで体験できる我々は、ほんとうに幸せな聴衆ではないか。