November 10, 2016
2016/11/10 ジンマン/N響 モーツァルト、グレツキ
2016/11/10
NHK交響楽団 第1847回 定期公演 Bプログラム
@サントリーホール 大ホール
モーツァルト:クラリネット協奏曲
~ソリスト・アンコール~
エデン・アベス:ネイチャーボーイ
グレツキ:交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」
クラリネット:マルティン・フレスト
ソプラノ:ヨアンナ・コショウスカ
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:篠崎史紀
指揮:デイヴィッド・ジンマン
NHK交響楽団 第1847回 定期公演 Bプログラム
@サントリーホール 大ホール
モーツァルト:クラリネット協奏曲
~ソリスト・アンコール~
エデン・アベス:ネイチャーボーイ
グレツキ:交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」
クラリネット:マルティン・フレスト
ソプラノ:ヨアンナ・コショウスカ
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:篠崎史紀
指揮:デイヴィッド・ジンマン
今年の7月で80歳を迎えた名伯楽デイヴィッド・ジンマン。2009年、2013年に引き続き、N響定期に3度目の登場でA・B定期を指揮した。B定期は一般発売がきわめて限られているのでこれまで聴いたことがなかったのだが、有難いご縁でチケットを頂き初参戦。サントリーホールでのN響はパーヴォ・ヤルヴィ指揮でのマーラー「第3番」で既に経験済だが、B定期独特の客層や雰囲気は今回初めて体験することになった。聞きしに勝る高齢な客席で、今回のやや渋めのプログラム故か空席も多い。演奏中のノイズも致し方ないものだろうか。
前半はモーツァルトのクラリネット協奏曲。折角アメリカ出身のジンマンが伴奏するのだから、コープランドの名品あたりをやってくれれば良いのに―などと演奏前は思っていたが、オーケストラが演奏し始めるとそのような考えはどこかに飛んでいった。丸椅子に腰掛けながらもジンマンの指揮は実に精妙、滑らかに流しつつ緩くはない絶妙のバランス感覚は流石にヴェテランの手腕である。N響の弦もふっくらとして美しい。マルティン・フレストの独奏は超弱音の表現が多岐に富み、新鮮かつ老練な味(彼は若く見えるが40代なのだ!)。長いバセット・クラリネットを使用した独特の響きによる演奏は、より小空間で味わいたかったような気がしないでもない。ご一緒した方はミューザあたりで聴きたかったと仰っていたが、自分もそう思う。アンコール「ネイチャー・ボーイ」ではチェロ首席(藤森氏)が弾くDの持続音に乗せてフレストが吹き、声を交えて奏でた。独特な音楽世界。
後半は、実演稀少なグレツキ「悲歌のシンフォニー」。まずはライヴで体験できた喜びに感謝である。
自分はこの曲に対して特に何の先入観もなく、ヒットチャートに載ったという出来事もリアルタイムで経験していない。なので、単純に音楽への印象を書くことにする。16型のオーケストラで、2列のコントラバスのうち後列が弱音で弾き始める旋律を様々な声部が歌い継いでゆき、単旋律の響きの総量が膨らんでゆく。その様はどこか中世的であり、かつ斬新でもある。全3楽章ではそれぞれ別のテクストが用いられており、15世紀後半の修道院の哀歌「ウィソグラの歌」が第1楽章、ナチス・ドイツの独房の壁に刻まれた祈りが第2楽章。第3楽章では、長く外国に支配され続けた現ポーランド・オポーレ地方の民謡である。現代の我々からすれば最も悲惨に思えるホロコースト下での詩が、最も短く、そしてシンプルで純粋な祈りを捧げているのには心が引き裂かれる思いだ。ジンマンが導くオーケストラは曲想もあって激さず、しかし確かな統率力によりコントロールされこの独特の作品を紡ぐ。そこにコショウスカの滋味深い歌が加わると、言語に絶する諦念が沁み出すのだ。記憶に留めねばいけない演奏であった。
余談になるが、今回の定期公演は前半・後半ともにオーボエ・トランペットが加わらないという珍しい形であった。フルートがチューニングのAを全後半で吹く演奏会は、今後もしかしたらないかもしれない。貴重な形でのB定期デビューとなった。
前半はモーツァルトのクラリネット協奏曲。折角アメリカ出身のジンマンが伴奏するのだから、コープランドの名品あたりをやってくれれば良いのに―などと演奏前は思っていたが、オーケストラが演奏し始めるとそのような考えはどこかに飛んでいった。丸椅子に腰掛けながらもジンマンの指揮は実に精妙、滑らかに流しつつ緩くはない絶妙のバランス感覚は流石にヴェテランの手腕である。N響の弦もふっくらとして美しい。マルティン・フレストの独奏は超弱音の表現が多岐に富み、新鮮かつ老練な味(彼は若く見えるが40代なのだ!)。長いバセット・クラリネットを使用した独特の響きによる演奏は、より小空間で味わいたかったような気がしないでもない。ご一緒した方はミューザあたりで聴きたかったと仰っていたが、自分もそう思う。アンコール「ネイチャー・ボーイ」ではチェロ首席(藤森氏)が弾くDの持続音に乗せてフレストが吹き、声を交えて奏でた。独特な音楽世界。
後半は、実演稀少なグレツキ「悲歌のシンフォニー」。まずはライヴで体験できた喜びに感謝である。
自分はこの曲に対して特に何の先入観もなく、ヒットチャートに載ったという出来事もリアルタイムで経験していない。なので、単純に音楽への印象を書くことにする。16型のオーケストラで、2列のコントラバスのうち後列が弱音で弾き始める旋律を様々な声部が歌い継いでゆき、単旋律の響きの総量が膨らんでゆく。その様はどこか中世的であり、かつ斬新でもある。全3楽章ではそれぞれ別のテクストが用いられており、15世紀後半の修道院の哀歌「ウィソグラの歌」が第1楽章、ナチス・ドイツの独房の壁に刻まれた祈りが第2楽章。第3楽章では、長く外国に支配され続けた現ポーランド・オポーレ地方の民謡である。現代の我々からすれば最も悲惨に思えるホロコースト下での詩が、最も短く、そしてシンプルで純粋な祈りを捧げているのには心が引き裂かれる思いだ。ジンマンが導くオーケストラは曲想もあって激さず、しかし確かな統率力によりコントロールされこの独特の作品を紡ぐ。そこにコショウスカの滋味深い歌が加わると、言語に絶する諦念が沁み出すのだ。記憶に留めねばいけない演奏であった。
余談になるが、今回の定期公演は前半・後半ともにオーボエ・トランペットが加わらないという珍しい形であった。フルートがチューニングのAを全後半で吹く演奏会は、今後もしかしたらないかもしれない。貴重な形でのB定期デビューとなった。