2016/11/15
ウィーン国立歌劇場 「フィガロの結婚」
@神奈川県民ホール 大ホール
モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」(全4幕/イタリア語上演/字幕付)

演出:ジャン=ピエール・ポネル
アルマヴィーヴァ伯爵:イルデブランド・ダルカンジェロ(バス・バリトン)
伯爵夫人:エレオノーラ・ブラット(ソプラノ)
スザンナ:ローザ・フェオーラ(ソプラノ)
フィガロ:アレッサンドロ・ルオンゴ(バリトン)
ケルビーノ:マルガリータ・グリシュコヴァ(メゾ・ソプラノ)
マルチェリーナ:マーガレット・プラマー(メゾ・ソプラノ)
バジリオ:マッテオ・ファルシエール(テノール)
ドン・クルツィオ:カルロス・オスナ(テノール)
バルトロ:カルロ・レポーレ(バス)
アントニオ:イーゴリ・オニシュチェンコ(バリトン)
バルバリーナ:イレアナ・トンカ(ソプラノ)
村娘:カリン・ヴィーザー(ソプラノ)
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団(合唱監督:トーマス・ラング)
管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
指揮:リッカルド・ムーティ

「ナクソス島のアリアドネ」「ヴァルキューレ」と観てきたウィーン国立歌劇場の来日公演。この日の「フィガロの結婚」をもって全日程が終了となる。

「フィガロ」は20世紀の大演出家ジャン=ピエール・ポネルの演出(かの有名なベーム指揮の映像収録、またウィーン歌劇場初の日本公演のプロダクションがまだ上演されているとは!)で、時代考証の確かな衣装と立派なセット(舞台を囲う大掛かりな枠もきちんと石造りに見える)はそれだけで価値がある。昨今の抽象的演出はそれ自体の必然性より予算・発想の枯渇を感じさせてしまう場合があるが、ポネルのような信頼の置ける伝統的演出ではそのような心配は皆無といえる。客席もかなり沸いていて、自分も満足した。ただ一方で「これで良いのか?」という疑問は最後まで拭えなかった(ちなみにアバドは1994年にジョナサン・ミラー演出を持ってきたらしいが、音楽監督不在の今そういうイニシアチブを発揮する人はいないのだろうか)。

物語の魅力がストレートに伝わってきたのは、演出の確かさも勿論であるが、熟達したムーティの棒が導く緊密なアンサンブルによるところが大きい。首都圏のホールの中でもとりわけ鳴らないはずの県民ホールが嘘のように芳醇に鳴り、まるでピアノを1人で弾くような鮮やかな音量変化には痺れるばかり。丁寧かつ活力に満ちた音楽の運び、そして若手管楽器群がとろけるような美音で歌い抜くアリアの伴奏もあまりに美しく感涙する。それほど小編成ではなく、たっぷりと鳴らすアプローチで、その泡立つ響きの魅力は紛れもなく「ウィーンのモーツァルト」だ。

歌手は全体的に小粒ながらムーティの厳格なタクト—少しでも遅れるとすぐに振りが変わる鋭い棒!—に応え、重唱の旨味を中心に聴かせる。元来ローマ歌劇場でムーティは新演出の「フィガロ」を振る予定だったそうだが、同劇場を彼が辞したことで彼が選び抜いた若手キャストによる日本公演となったのかもしれない。個別で印象的だったのは伯爵夫人のブラット、ケルビーノのグシュコヴァ。ダルカンジェロも貫禄あるバス・バリトンによる伯爵だ。若干フィガロは彼の陰に隠れた感がある。なお、有名な「もう飛ぶまいぞ」でのヴァリアンテの付加(それほど自由ではないのがまたムーティらしい)や、慣習的にカットされるアリアの復活も聴かれたのは嬉しい。

結果的に、ピットの極上さ、総合的な感銘度はこの公演がダントツであった。良くも悪くもウィーン国立歌劇場を知ることができた3度の公演であり、オペラ引っ越し公演という興行の難しさも実感せざるを得なかった。ただ終演後の楽屋口を見ると、日本とウィーンの関係はやはり特別なものがあると思う。