2017/1/14
東京交響楽団 第648回 定期演奏会
@サントリーホール 大ホール

メシアン:交響的瞑想「忘れられた捧げ物」
矢代秋雄:ピアノ協奏曲
~ソリスト・アンコール~
メシアン:前奏曲集より 1. 鳩

フローラン・シュミット:バレエ音楽「サロメの悲劇」

ピアノ:小菅優
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:水谷晃
指揮:秋山和慶
 
東響1月定期には桂冠指揮者の秋山和慶さんが登場。時期的にはニューイヤーコンサートに引き続いての登場となるわけだが、小品・協奏曲・メイン曲という大枠を除けばその演目はまるで様相が異なる。メシアン、矢代秋雄、フローラン・シュミットというフランス音楽界の流れを追いながら、昨年逝去された中村紘子さんへのオマージュ(もしかすると本来、ピアノの前に座していたのは女史だったのかもしれぬ)の意味合いも持たせたプログラム。実に巧妙だと思う。聴く前は全プロ通しての演奏時間の短さを考えてしまったが、充実の演奏内容にそういった思いは消し飛んでしまった。

一曲目のメシアン「忘れられた捧げ物」は作曲家が初期に書いた管弦楽曲であり、題材的な側面も含めて「キリストの昇天」と似た雰囲気もある。「十字架」冒頭の痛みを伴いつつ美しい弦から出色だ。続く「罪」では金管・弦が鋭い対比を成し、変拍子で疾走する。メシアン自身の言葉で「蛇の毒牙と狂気に追いたてられ」と表現されている楽章だが、高弦の悲痛なグリッサンドなどはまさにそういった趣だ。それを経て、弱音器をつけた弦に始まる「聖体」がやってくる。再び緩やかな曲想へと移り、緊張感と奇妙な安堵感も伴いながら曲は終わる。神秘的な恍惚感をはらんだ作品を、東響は実に美しく、そして第2曲では鋭角的なリズムも強調しながら演奏した。
続いては矢代秋雄のピアノ協奏曲。昨年の5月に新日本フィルの定期演奏会において、下野竜也の指揮、トーマス・ヘルのピアノで聴くことが出来た―あれはかなり良い演奏だった―が、今回も新たな作品の一面を発見した思いである。その洗練度をもって、矢代がパリで学んだ作曲家だということを強く感じさせたヘルの独奏に対して、小菅優さんの独奏はより感情の機微を感じさせる。メカニカルな側面も盤石ながら、第1楽章は全体的にかなりの烈しさをもって奏された。それを盤石の安定度で支えた秋山さんの棒×東響の見事さは言うまでもない。終楽章のラプソディックな表情もきわめて明晰で、中村紘子さんの名と共に語られることの多いこの作品の次代を担う弾き手といった感をもった。アンコールのメシアンも素晴らしい。

休憩を挟んで、フローラン・シュミット(オーストリアのフランツ・シュミットとは別人だ)のバレエ音楽「サロメの悲劇」。なんでも彼は矢代秋雄を見初めた作曲家だそうで、あらためて心憎いプログラミングだと思う。吹奏楽界隈では名が知られている作曲家とのことだが、オーケストラの演奏会で見かけることは稀だ。しかし今回の演奏を聴き、実に素晴らしい作品だと改めて感じた。「真珠の踊り」で思う存分に歌うヴァイオリンは官能的だし、サリュスフォン(今ではコントラファゴットで演奏される)に始まる「海上の誘惑」では、波立った海面に陽光が乱反射し、煌びやかに映えるような情景―弦のトレモロ、ハープなどの応酬で描かれる―がたまらなく美しい。変拍子が壮烈な印象を与える終曲「恐怖の踊り」もオーケストラ・ファンには大好物だと思う。秋山さんがこの曲を何度指揮したことがあるのかは存じ上げないが、恐らく演奏機会は稀少であろう―それを全く感じさせない確信に満ちた棒捌きはほんとうに見事。東響も年始から身の詰まった響きで、オーボエやコールアングレのソロ、ハリのある金管・打楽器と、素晴らしい一体感だった。在京オケの中でも今や最も充実した響きだと思う。