2018/3/20
東京都交響楽団 第849回定期演奏会Aシリーズ
@東京文化会館 大ホール

ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」

管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:山本友重
指揮:エリアフ・インバル

2017/18シーズンの都響の〆は桂冠指揮者インバルの指揮による3プログラム。今シーズンは夏の都響スペシャル「葬礼」「大地の歌」でも存在感を示した彼だが、ワンシーズンに2度やってきてくれるのは個人的に嬉しい。ちなみに今回の来日前に彼は中国で2つのオケに初客演を行っている。3/4に広州響、3/11に中国フィル(昨年、シェフのロン・ユーと来日した)でそれぞれブルックナーの交響曲第7番を指揮していた。現地メディアによれば、いずれも熱烈な歓迎をもって迎えられたようだ。ちなみにインバルは都響との3プロの後にもアジアの2つのオケを振ってから欧州へ戻っていく。詳細についてはまた項を改めたい。
そんなインバルも今年2月で彼も82歳となった。カーテンコールでは好々爺といった雰囲気が漂うが、足どりは矍鑠としており、厳しく容赦ない音楽も健在だ。まずは今回の客演の第1回目のA定期にて、ショスタコーヴィチ「レニングラード」一本勝負。

ショスタコーヴィチの交響曲の中でも第5番・第10番などと並んで人気の作品であろう第7番「レニングラード」でだが、インバルが日本で取り上げるのは日本では初めてではなかろうか?少なくとも、都響で指揮するのは初めてだ。(彼は昨年6月、首席客演指揮者の任にあるカスティーリャ・イ・レオン交響楽団とも同曲を演奏している)
第1楽章の冒頭主題から力強く、剛直な響きで開始された。そして、その特徴はついに全曲の結びまで続いていった。鋭く引き締まった構築の指向—芝居っ気がないとも言えるが—は、紛れもなく近年のインバルの演奏に共通するところだろう。消えゆくヴァイオリン・ソロに続き現れるスネアドラムのリズムで、展開部が始まる。これが実演は勿論、どの既出盤をも凌駕する驚きのハイテンポで繰り広げられた。あのN.ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管の超高速演奏(88、Chandos)よりも更に速い。その中で各ソロが整然と続き、遂にはホールを揺るがさんばかりの大音響に到達するわけだが、これだけの豪速の中でも声部間のバランスが常に保たれ、整然とオーケストラが合奏を続けるのだから圧巻である。極限まで肥大化した行進曲が衝撃的に転調する箇所(練習番号45)では3台目のスネアドラムが加わり、咆哮する大オーケストラの中でもリズムの明晰さは見事に保たれていた。
しかし、である。徹底的に音響の明晰さを志向するインバルの采配が健在であることは嬉しかったが、それ以上にこの大音響を聴きながらどこか寒々しい思いが浮かんできた。今回のような豪速テンポで「レニングラード」の第1楽章を聴いてしまうと、もはや深刻な身振りとは無縁の音楽になる。特に金管がミュートを付けて吹く「戦争の主題」は極めて皮相的となり、鼻歌のように軽々と通り過ぎてゆく。しかし、それらが徐々に合わさっていくと、容赦なく止まることを知らない暴力装置と化すのだ。現代の社会もこれと同じではないか?ある一人が軽い気持ちで発した一言に不特定多数が同調してゆくと、最後にはシュプレヒコールとなる。その主張の如何によらず、それはある種暴力的な色合いをはらむものだろう。幸い「レニングラード」の最後は高らかなC-durの響きで閉じられるわけだが、「集団」の恐ろしさ―とりわけ間違った方向へ傾いた時の―を感じた一瞬であった。

話が逸れた。第2楽章以降も即物的な音楽が続いたが、第3楽章の冒頭主題は思いの丈を込めて歌われた。切々と響く弦楽にインバルの声も重なる。続くフルート・ソロは凍てつくようで、楽章後半で回帰(ヴィオラのソリで奏でられる)する際はまた違った表情で響く。思念を超えた純粋な響きで、人工美とでも言えようか。この独特の質感は、彼らのショスタコーヴィチ演奏では第4番でも感じたものだ。そしてアタッカで終楽章に進むと、再びソリッドな音楽が回帰する。管弦楽はますます引き締まり、一糸乱れぬ進軍となる。再び弦楽中心の響きが戻ってきた後に、楽章冒頭の音型や運命動機、1楽章の「人間主題」も交えた大フィナーレを形成するわけだが、インバルは暗→明を明快に印象付けるでもなく、あくまで険しく強面な響きを維持したまま凄絶なクライマックスを築いた。そこに至る直前のバンダ群の響きの雄弁だったこと!正直なところ、本隊を超える充実に思えた。正面突破のインバルの棒に率いられ、楽曲は轟々と閉じられた。

圧倒的な音響のためか、会場はフライングの拍手が飛び出すでもなく一瞬の沈黙に包まれた。その後はインバルとオーケストラに対して嵐のような喝采が浴びせられたが、終演後は賛否も分かれたようだ。それもそのはずだ。見事に彫琢され、揺るぎなき確信をもって構築されていたが、「果たしてショスタコーヴィチとは何だったのか」という演奏でもあった。インバルは徹底的に音楽を切り詰め、声部バランスを整えて見事な音響世界を我々に提示する。「その後はあなた方が判断してください」と言っているようにも思えた。情景描写は最後まで見えてこなかったが、音楽そのものが言語となりイデーやドラマとして我々に語りかけてくる演奏だと自分は感じたのだが、好意的に過ぎるだろうか。ともあれ、インバルが今も変化している音楽家であることは間違いない。