2018/6/2
クリーヴランド管弦楽団 ベートーヴェン交響曲全曲演奏会〔1〕
@サントリーホール 大ホール

ベートーヴェン:バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲
ベートーヴェン:交響曲第1番

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

管弦楽:クリーヴランド管弦楽団
コンサートマスター:ウィリアム・プリュシル
指揮:フランツ・ヴェルザー=メスト

8年ぶりに来日したヴェルザー=メスト/クリーヴランド管を聴いた。同団は2017/18シーズンで創立100周年を迎えており、その記念シーズンの締め括りとして「プロメテウス・プロジェクト」と題したベートーヴェン・ツィクルスに取り組んでいる。5/10-5/19の本拠地での上演に続き、ベートーヴェン演奏の本丸の一つであるウィーン(楽友協会)に乗り込み5/24-5/28の5日間で一気に披露。そのツアーの掉尾を飾るのが、ここ東京(サントリーホール)における6/2-6/7の演奏会というわけだ。つまり我々は、短期間のうちに演奏を重ねた彼らのベートーヴェンの帰着点—演奏行為に結論はないが、今回のツアー中という意味—を聴くことになる。
先述の通り「プロメテウス・プロジェクト」と銘打たれた今回のツィクルスであるが、これは文字通りギリシア神話の英雄プロメテウスを象徴的な糸口として、ベートーヴェンの全交響曲および4つの序曲を新たな文脈に置こうという試みだ。このプロジェクトに寄せるヴェルザー=メストの意気込みは相当に熱く、プログラム・ノートにおいて彼自身が長文のイントロダクションを寄稿しているほか、序曲以外の曲目解説も担当し熱弁をふるっている。指揮者の視点による紐解きに加え、ヨーロッパの歴史・哲学全般にわたるヴェルザー=メストの深い見識が惜しげもなく披露されており、これは相当に読み応えがある。これからの公演を聴かれる方には購入を強く推したい。

ツィクルスの開幕を告げるのは当然、バレエ音楽「プロメテウスの創造物」の序曲。「ベートーヴェンの作品のリズムや動機、旋律などは、ここから継続し発展していった」(ぶらあぼ2018年5月号)と指揮者は語るが、なるほどこの作品はベートーヴェンが最初に書いた序曲(1801年)であり、ごく短い中に後年の発展が予告されているようですらある。演奏はシンプルにして力強く、クリーヴランド管の瑞々しい音楽性が颯爽と舞った。なお、この公演当日の日中に行われた彼らのリハーサルにも立ち会うことが出来たが、そこでは演奏開始直後に楽器配置を微調整していた。ヴィオラ外側の通常配置なのだが、ヴィオラに続く形で配置されていたコントラバスをチェロの後方に移動させ、より低音が密集するように工夫したのだ。その後再開された演奏では、如実に効果が出ていたと感じる。

続いての交響曲第1番。この曲はしばしばモーツァルト、ハイドンら古典派の影響が示唆されるが、ヴェルザー=メストは正面切ったアプローチで指揮した。プログラムを読むと、作曲家独自の方向性と様式は既に完成されている、と彼は語っている。なるほど彼の言葉は演奏の性格と寸分違わず一致している。序曲に引き続き12型のオーケストラは細部まで輝かしく、抜群の妙技を発揮した。絶妙なヴォリューム感の弦楽器、それと完璧なバランスで融け合う管楽器とティンパニ。アメリカの楽団というよりはヨーロッパの名門を想起させる美しいサウンドだが、どのオケに近いのかと言われると返答に困ってしまう。これは紛れも無くクリーヴランド管が100年の伝統の中で研磨してきた唯一無二の響きなのだ。とりわけ瞠目したのが、終楽章の疾走する主題を奏でるヴァイオリン群。音の粒立ちが奇跡的なまでによく、音程も実に精妙だ。それでいて、ヴェルザー=メストの颯爽とした音楽を易々と実現してみせる。驚異のアンサンブルと言う他ない。

後半は、冒頭の「プロメテウスの創造物」序曲と同様、このプロジェクトの文脈においてきわめて重要な役割を担う交響曲第3番「英雄」だ。この長大な交響曲において繰り広げられる「形而上の英雄の闘争」は、神々に抗い炎を盗んだプロメテウスと重ね合わされる。終楽章における同バレエ音楽の引用は言わずもがなだ。それと同時に、「ハイリゲンシュタットの遺書」以降のベートーヴェン自身の超克が刻み付けられてもおり、音楽史上における交響曲という形式に対する闘争でもあった。こうした多くの「闘争」が内包された作品に対し、弦楽器が18-16-11-10-8、木管楽器は倍管という巨大な編成を用いてヴェルザー=メストは挑んだ。作品の理想の実現においてはこの規模が必要、という指揮者の判断なのであろう。果たしてどのような響きになるのか―と思って聴いたが、驚いたことに視覚的な威圧感はやがて霧消してしまった。冒頭の主和音からあまりにオーケストラの響きが精緻で、これだけの大管弦楽が室内楽的な音楽を紡ぎうるという事実に驚嘆したからだ。音圧で圧倒するのではなく、12型で感じたような珠玉のバランスがここでも保たれる。ヴェルザー=メストの運びは威風辺りを払うものだが、フレーズの細かな連環や管楽器の浮き上がらせ方など、決して巨匠風のベートーヴェンのコピーではなくあらゆる可能性を吟味した結果だといえる。最弱音の緊張感(決して音は痩せない)に息を呑んだ葬送行進曲を経て、後半楽章に差し掛かるにつれてヴェルザー=メストの指示は少なくなっていく。アタッカで進んだ第4楽章など、殆ど振らずともオーケストラが物凄い表現で堂々と返球する場面も少なくない。指揮者と楽団の阿吽の呼吸に加えて、短期間の全曲演奏で熟成された音楽の完成度の高さに圧倒されるばかりであった。

彼らが繰り広げたベートーヴェンは客席を熱狂させ、オーケストラが袖に戻った後もヴェルザー=メストは一人呼び戻された。珠玉の演奏への感嘆に加えて、「プロメテウス・プロジェクト」により新たな楽聖・ベートーヴェン像が我々に提示されようとしていることへの快哉までもが、その喝采には含まれているように感じられた。聴衆一人ひとりの心に語りかけ、深い味わいを残す開幕公演であった。