2018/6/23
やたたフィルハーモニー管弦楽団 第3回演奏会
ティアラこうとう 大ホール

ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」
〜ソリスト・アンコール〜
イザイ:ヴァイオリン・ソナタ第2番より 第4楽章「復讐の女神たち」

マーラー:交響曲第4番
〜アンコール〜
J. シュトラウス2世:ワルツ「酒、女、歌」

ヴァイオリン:栗原壱成
ソプラノ:中山美紀
管弦楽:やたたフィルハーモニー管弦楽団
コンサートマスター:山本佳輝
指揮:平塚太一

やたたフィルハーモニー管弦楽団、というやや変わった名を持つオーケストラを聴きに出かけた。プログラムにもある通り、「やたた」は彼らの前身団体である藝大の「C年有志オーケストラ」(C年、というのはCDEF...という音階を学年に当てはめた音大特有の呼称。つまり1年生有志の意)がベルリオーズ『幻想交響曲』の練習中に指揮者・平塚太一が叫んだ三連符のことらしい—何か思想や理想を標榜するのではなく、練習の現場で咄嗟に出た一言をそのまま楽団名に、というのはなんとも面白いではないか。

注目したいのは今回のプログラムである。藝大の精鋭団体とはいえ、学生オケでベルクとマーラーを組み合わせる団体は少ないだろう。まずはこの2曲(当初はシュトラウス2世のワルツ『芸術家の生活』も含まれていたのだが)で勝負に出たということに喝采を贈りたい。そして、肝心の演奏が実に優れていた。繰り返すが、藝大の優れた演奏者が揃っており、ハナからアマチュアオケを聴く姿勢では全く無かったのだが—繰り広げられた音楽は、こちらの想像を大きく超える洗練と深みを湛えたものだった。

ベルクのヴァイオリン協奏曲『ある天使の思い出に』冒頭のクラリネットの合奏からそれは光っていた。ヴァイオリンの開放弦に受け渡す重要な音型の、なんとまろやかなことか。そこから拡がっていくトゥッティのブレンドも絶妙で、この曲が持つ独特の厭世観と浮遊感を如実に表現してゆく。ヴァイオリン独奏の栗原壱成は控えめに弾き始めるが、徐々に取り憑かれたような烈しい表情で慟哭を紡ぐ。暗譜でこの曲を弾く同世代、という時点でまず筆者は衝撃を受けているわけだが、その精度と没入に再度驚きを隠せなかった。第2楽章後半のバッハのコラールを奏でるクラリネットも再び見事で、それに続くオケ・コンマス・独奏の三位一体の音楽に魅せられるうちに、曲は閉じられた。
熱演によりマノンの魂が昇天したのち、アンコールに三たび驚く。イザイのヴァイオリン・ソナタ第2番から、『復讐の女神たち』の名を持つ終楽章だ。怒りの日の動機を交えつつ響く鋭い音楽。こちらも見事な演奏だった。

マーラー「交響曲第4番」で、いよいよオーケストラと指揮者の密な呼吸は明らかとなる。16型対向配置の合奏は実にきめ細かく、弦の艶やかな音色と木管の多彩なニュアンス、美しく揃った音程と、美質を挙げ出すとキリがない。平塚太一の指揮もまた実に精妙だ。ある時は同志たちの音楽性を信じて自由にソロを任せ、またある時はぐいと音楽を引き締めて堅牢に前進する。そのフレージングの精緻さは不気味なほどで、第1楽章の小回りの利いた運びや第3楽章のポルタメントも、トゥッティでピタリと決まる。また第2楽章・2度目の中間部でガラリと調性を一変させる(D-dur)瞬間の悦びに充ちた表情も堪らない。楽曲に潜む棘や相反する要素の同居など、「古典的」と評される楽曲が内包する先進性が見事に表出された。そして、第4楽章ではソプラノの中山美紀が「天上の生活」を歌い始める。BCJはじめ古典寄りのレパートリーで活躍してきた彼女だが、この度マーラーで新境地を拓いた。今回が初挑戦だという。決してヴォリューム感のある全方位的な声ではないのだが、上に抵抗無く伸びてゆく頭声がもつ唯一無二の美しさはボーイ・ソプラノの独唱をも想起させ、多義的な曲世界―冷酷なイロニーも含む―を純朴な歌で描いてくれた。ドイツ語も美しく、この曲の歌い手として次代を担う存在だ。(声と管弦楽のバランスに常に留意しつつ、間奏部はシニカルに仕立てた指揮がまた見事!)

此岸と彼岸を往来し、深く没入するような本プロの後に続くアンコールは、シュトラウス2世のワルツ『酒、女、歌』。身体を揺するようなフレージングや金管の豪壮な響きが入り乱れ、演奏者も解き放たれたかのように愉しげに奏でていた。人生辛いことは色々あれど、最後は「酒、女、歌」なのだろう。
同世代の若手音楽家が体当たりで魅せてくれた演奏に、深い感銘を受けた。演奏水準と士気の高さ(そもそも学部生が16型オケを招集し、練習を重ねるだけでも大変だろう)は目を見張るばかりで、またマーラーの音楽がきわめて自然な振る舞いで響くことにも驚いた。膨大な情報が行き交う現代社会にあって、本来矛盾する要素が同居するというマーラーの異質性は、(筆者も含めた)若い世代にとって最早当然のものと化したのである。中山美紀、栗原壱成、平塚太一率いるやたたフィルハーモニー管弦楽団の奏でた音楽は、名曲にもまだまだ新たな解釈の余地が残されていることをも示したのだ。