2020/01/23
第58回大阪国際フェスティバル2020
関西フィルハーモニー管弦楽団創立50周年記念
飯守泰次郎×関西フィル「ワーグナー特別演奏会」
@ザ・シンフォニーホール
 
ヴァーグナー:歌劇『タンホイザー』より
序曲、歌の殿堂のアリア、夕星の歌
ヴァーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』より
前奏曲と愛の死

ヴァーグナー:楽劇『ヴァルキューレ』より
ヴァルキューレの騎行、ヴォータンの別れと魔の炎の音楽
ヴァーグナー:楽劇『神々の黄昏』より
ジークフリートの葬送行進曲、ブリュンヒルデの自己犠牲
 
メゾ・ソプラノ:池田香織
バリトン:ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
コンサートマスター:岩谷祐之
指揮:飯守泰次郎

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2021年も厳しい状況が続くコロナ禍。外国人演奏家の来日はまだまだ困難を伴っており、大阪国際フェスティバル2020・関西フィル創立50周年という2つの冠をもつこのヴァーグナー・ガラも、ソプラノのリカルダ・メルベートが来日不可能となった。そして代役として登場したのが、当初からこの演奏会にカヴァーとして名を連ねていた池田香織である。びわ湖ホールでの『指環』4夜全てに出演するという快挙を成し遂げた彼女。最終夜の『神々の黄昏』は無観客上演となり、全世界にYouTube配信された(現在はBlu-rayを購入可能)のでそれをご覧になった方も多々おられよう。大詰め「自己犠牲」のみとはいえ、池田香織の『黄昏』が観られる─そう思って会場に駆けつけたファンもきっと少なくなかったはずだ。勿論筆者もその一人。

今回のガラは『タンホイザー』『ヴァルキューレ』『神々の黄昏』からの抜粋で、作曲順の演奏。
演奏会の開幕を告げる『タンホイザー』序曲から、「巡礼の合唱」の旋律と「ヴェーヌスベルクの動機」の性格の対比がよく出ている。終結で回帰する「巡礼…」旋律を奏する金管はめっぽう強力で、壮麗なE-durの和音でホールを満たした。続く「殿堂のアリア」で池田が登場、本来ソプラノが歌うエリーザベトのアリアを華々しく歌う。低域の„sei mir gegrüsst!“から最高音Hの輝かしさまで、音域とは何なのかという自在ぶり。彼女はこれまで『サロメ』であればヘロディアス、先日の『サムソンとダリラ』のダリラのように、妖しい魅力を放つ役柄で高い評価を受けてきたが─対照的とも言えるエリーザベト(このアリアは初挑戦という!)も素晴らしい。純粋でありつつ、そこに強い意志を確かに湛えているのだ。続く「夕星の歌」では14日間隔離のスケジュールがとれたクプファー=ラデツキーが登場、ヴォルフラムに最適な知的な言葉捌きと抑制された歌を披露した。
前半を締め括るのは『トリスタンとイゾルデ』の「前奏曲と愛の死」。極限の緊張状態から音が紡がれるこの冒頭、チェロ群が出す「憧憬の動機」の3回目で僅かにフライングが聴かれたのは惜しかったが、演奏は実に濃く雄弁。飯守の棒を先読み先読みでうねり、悶える関西フィルとの間には、やはり長年蓄積された関係があるのだろう。低弦のピッツィカートで前奏曲が閉じられると、指揮者とコンサートマスターの間に座った池田が静かに、そして座したまま„Mild und leise...“と語り始める─「愛の死」である。死による愛の成就という究極の浄化を歌いつつも、「見て!」「感じないの?」と呼びかけを続け、次第に会場全体を陶酔の波が包み込んでゆく。そうして到達する頂点で飯守は大きくタメを作り一層音楽の波を際立たせたが、それに完璧に順応する池田香織にも改めて驚嘆。管弦楽・指揮者・歌手が理想的な調和を成し、最後にオーボエのDisを名残惜しく留めつつH-durの終結となった。
前半終了時点で筆者の涙腺はいと簡単に決壊。

後半は『ヴァルキューレ』から、風雲急を告げる第3幕の前奏曲「ヴァルキューレの騎行」で始まる。今回は弦楽器の編成こそやや小さいのだが、バストランペットなども加わった管弦楽から放たれる音楽の熱量に、これだよこれと胸を熱くした。そして、楽劇大詰めの「告別と魔の炎の音楽」で再びクプファー=ラデツキーが思いの丈を込めて歌う。ここでもやはり彼の歌は端正で、言葉が一つずつ聴き取れるのは素晴らしいのだが、愛娘を眠らせるヴォータンとしてはもう一歩の感情の昂りを期待したくもなった。初台の『フィデリオ』のピツァロが見事だったように、彼はヴォルフラムやグンターのような役が最も合っているのかもしれない。なお彼のカヴァーにはびわ湖リングや愛知祝祭管の『指環』で驚異的な水準を聴かせた青山貴が入っていた。声そのものに豊かな響きを有する彼が歌う「告別…」もまた聴いてみたかった。
そして、『指環』の最後を飾る『神々の黄昏』の抜粋へ。まずはハーゲンの手にかかった英雄を送る「ジークフリートの葬送行進曲」。「ジークフリート動機」がトランペット、ヴァーグナー・テューバなどで悲壮に轟く。トゥッティの音色はそれほど洗練されているとは言えないが、それすらも凄味としてしまう音楽の力があった。配置の転換(ここはもう少しやりようがあったのではないか)を経て、いよいよ終結の「ブリュンヒルデの自己犠牲」が始まる。決然とした表情で現れた池田香織が歌い始め、その凛とした歌は4管編成のオケ(しかもピットではなく舞台上なのでより強力に響くはず)にもかき消されない。しかも、決して叫ばない。頻出する最高域ではターゲットを絞り、百発百中で当てているのが目に見えてわかる。加えて彼女は„Fliegt heim, ihr Raben!“直前では遠くの鴉を見やるなど、あたかもそこに舞台があるかのように彼女は演じる。薪がくべられ、天界まで焼き尽くす炎が見えるようだ(そして実際音楽は何よりも雄弁にそれらを語っている)。この深いテクストの理解は、やはり4部作を完走した歌い手ならではのものだろう。先般の「愛の死」同様、いやそれ以上に舞台は融け合い、そしてローゲの炎に焼き尽くされ、指環はライン川へと還った─。

これだけの演奏の後でも、現在我が国ではブラヴォーの声を飛ばすことはできない。歯痒い。がしかし、その代わりとしては充分なほどの温かく熱い拍手が演奏者を幾度もステージに呼び戻した。元々この公演は昨年に予定され、それが一度は中止となった後の代替公演が今回だった。前回出演予定で今回出演が叶わなかった歌い手も多くいる。そうした仲間の分も全力で、という気概も感じさせるような、壮絶なヴァーグナー・ガラであった。迷わず来て本当によかった。