たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

March 2014

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 第297回定期演奏会
@横浜みなとみらいホール 19時開演

藤倉大:アトム
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
コンサートマスター:石田泰尚
指揮:金聖響

金聖響と神奈川フィルは結局フェスタサマーミューザでのマーラー9番しか聴けなかった。あれよあれよという間に退任公演である。時の流れは速い。

前半の藤倉大はよく分からなかったし、ところどころ記憶もないので割愛。

マーラーは王道を往く大変立派な演奏だった。第1楽章・有名なトランペットの難所は一回目はコケてしまったが、繰り返しはばっちり。その後も金管群は力漲り見事であった。第4楽章、2度目のハンマーの後に大いに盛り上がり、急に弦の行進曲が猛スピードで始まる箇所のトランペット群の死力を尽くした咆哮はまったく以って完璧。すばらしい。

オーケストラは対抗配置・下手に陣取ったコントラバスに合わせてチェロは1stヴァイオリンの隣。インバルのマーラーに慣れている身としては若干の違和感だが、世界的にはこれが最近のスタンダードなのか。むむむ。
金氏の音作りは、ピラミッド型にがっしりと音を組み上げるもの。9番や10番(CD)と同じ。推進力に富む演奏で、解釈やテンポはインバルにかなり近い。もっとも、インバルの方が細かい伸縮は施しているのは確かだが・・・。

退任公演ということで客席は温かくも大いに盛り上がり、金さんがユーモアも交えたスピーチ。また客演してほしいです。

藤村実穂子 リーダーアーベントⅣ
@紀尾井ホール 19時開演

白いジャスミン
高鳴る胸
愛を抱いて
ああ恋人よ、別れねばならない
憧れ
しずかな歌
解放
岸辺にて
帰郷
小さな子守歌
子守歌
(以上、R. シュトラウス)
-休憩-
マーラー:歌曲集「子供の魔法の角笛」より
ラインの小伝説
この世の生活
原初の光
魚に説教するパドゥアの聖アントニウス
この歌を思いついたのは誰?
不幸の中の慰め
無駄な努力
高い知性への賞賛
~アンコール~
マーラー:歌曲集「若き日の歌」より
ハンスとグレーテ
たくましい想像力
別離と忌避

メゾ・ソプラノ:藤村実穂子
ピアノ:ヴォルフラム・リーガー

始めての声楽ソロリサイタルであった。それが世界のメゾ・藤村実穂子さんというのはなかなか贅沢な経験かもしれない。

前半はロマン派最後の作曲家、R. シュトラウスの歌曲の数々。後半はマーラーの「子供の不思議な角笛」から抜粋して演奏された。

真夜中に体がとろけていく様な叙情性をまとったシュトラウスに対し、この世の実情を巧みに描く諧謔味をもつマーラー。プログラムとしても鮮やかな対比だが、藤村さんの歌唱もまたその違いを明確に描き出したものであった。
各所で言われていることではあるが、この人の歌唱には独特の「凛」とした雰囲気が漂う。周囲を圧し、思わず襟を正したくなるような高潔さがあるのだ。プログラムでは「求道者」という表現が用いられていたが、まさしくその通りだ。
そんな彼女の歌唱は、R. シュトラウスの甘くとろける歌曲にひとつの透徹した視線をもたらす。決して感傷的になりすぎず、ピリリと引き締まったフォルムを維持するが、完璧なドイツ語のディクテーションにより単語の一つ一つに生命が吹き込まれ、デーメルやリリエンクローンの詩の世界をわれわれ聴衆は追体験することとなった。特に、後半の「憧れ」から「子守唄」にかけては鳥肌が立ちっぱなしだった。ドイツ語を大学で履修する身としては、このような素晴らしい世界の理解がやがて待ち受けていると思うと武者震いする思いである。(笑)

休憩を挟んだマーラーでは、前半終始立ち姿を崩さなかった藤村さんは身振りを交えて感興豊かに歌った。こちらからは見えなかったが、きっと表情も細かく意識して変えていたのではないか。やはり「原光」の神々しさはこの人独自のものであるし、「この世の生活」で結局パンを食べられずに絶命してしまった子供の悲惨さなど、一つ一つの情景がひしひしと伝わってくる。
最後の「高い知性への賞賛」はロバやカッコウのパロディ調の曲であるが、ここでは藤村さんには珍しく(?)多少の茶目っ気も交えていた。アンコールもマーラーの「若き日の歌」で、素敵なデザートを頂戴したような気分で会場を後にした。

先日のドヴォルジャークのレクイエムも素晴らしかったことは素晴らしかったのだが、やはりドイツ歌曲において世界的にみても彼女ほどの高みに達している歌手は稀有だろう。素晴らしい体験に感謝したい。

こんばんは。「消費税も8%になるっちゅうのに、コイツは3/17以来何しとんねん!?」というお叱りの声が聞こえてきそうですので、とりあえず表題の通り近況報告風に言い訳させていただきます。

まず第一に、インバルの退任公演以来更新していませんでしたが、コンサートにはしっかり出向いております(笑) ただ、連日公演が多かったのとPCに向かう時間があまり取れないので中途半端になっている記事が多くてアップできていないのですね...。わたくし、スマホで長文を書くのが苦手なのです。SNSとかメールなら平気なのですが、ブログを一から書くときはキーボードを打ちたいのです。(克服しなくてはいけないと思ってはいますが)

第二に、2014年度都響会員になりました。AB定期&肖像シリーズです。プロムナードは日程の都合上3公演だけ行こうと思っています。

第三に、4月から某一万円札の方の大学に進学することになりました。早速明日入学式がありますので早いところ就寝した方が良いのですが(笑)
どうやら音楽を存分に楽しむと同時に、やりたい学業に励める環境になりそうなので、両親や関係者の皆様には感謝致すところです。サントリー(六本木一丁目)と紀尾井ホール(四ツ谷)まで一本というのも非常に魅力的。

3月中に聴いた公演でまだ記事にしていないものは、4/3の都響B定期をリミットにきちんと書いておこうと思います。SNSで更新のお知らせは出さないつもりですが、まあ気が向いたらぶらっと寄ってみていただければ幸いです。
一応備忘録とご参考までに17日以降伺った演奏会は下に列挙しておきます。

3/19 藤村実穂子 リーダーアーベント @紀尾井ホール
3/20 金聖響/神奈川フィル マーラー6番 @みなとみらい
3/24 小泉和裕/都響 ベートーヴェン&ブルックナー1番 @文化会館
3/29 東京春祭 マルリス・ペーターゼン リサイタル @文化会館
3/30 スダーン/東響 音楽監督退任公演 @ミューザ川崎


それでは。

東京都交響楽団 第766回定期演奏会Bシリーズ
@サントリーホール 大ホール 19時開演

マーラー:交響曲第9番

管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:山本友重
指揮:エリアフ・インバル

早いもので、インバルもついにプリンシパル・コンダクター退任である。
自分が都響を聴き始めたのはインバル任期の2年目、チャイコフスキーの5番のプロであった。(定期ではなく、地方公演枠のみなとみらい)
拙ブログを始めたころにも書いた覚えがあるが――前年の秋にテミルカーノフ/サンクトペテルブルク・フィルの同曲を聴いていたので、「さて日本のオケはどうやってくれるのかね」程度に構えていた(失礼!)ところ、脳天に樟脳を食らわされたのだ。以降このコンビに心酔し続けているのは言うまでもない。

閑話休題、本日は「公式には」マーラー・ツィクルスの最終回・第9交響曲である。この稀有なツィクルス、自分は学校との兼ね合いもあり3,4,5,8,9しか聴けなかったが、聴けた公演のどれもが一生記憶に残るであろう演奏である。それほどにインバルという指揮者が我々に語りかけるメッセージは重いのだ。

直前になってソロ・コンマスの矢部氏が体調を崩し、ゲネプロから山本氏が務めることになったり、スター奏者が所々抜けていたりと、若干の不安要素がなかったと言えばウソになるが、都響とインバルが紡ぎだした音楽を経験した今となっては、そのように勘ぐったことすら恥ずかしく思える。「そうだ、都響は今やここまでの境地に達しているのだ」と演奏中に再確認して涙ぐんだ次第。(わずか数年しか聴いていない自分がそう感じるのだから、長年のリスナーの感慨は計り知れない)

インバルは登壇すると何の気負いもなく冒頭の印象的な旋律を振り始める。都響も平然とインバルの指示に応えていたが、いつになく山本コンマスのリードが大きいように感じた。ただでさえ情報量の多いインバルの棒だが、都響は更にその行間を読んで音楽を創っていこうとしていたようだ。その結果ホールに立ち現れる音楽のスケールは途方もなく大きく、20世紀音楽への扉を開いた第1楽章の濃密さは恐ろしいほどであった。音が溢れんばかりに詰まった楽譜のどの箇所をも忽せにしないという、インバルの厳格な意志を都響が完璧に体現していた。
眼前に繰り広げられる未体験の光景に聴衆は呼吸すらままならず、楽章終了後に十分な静寂を経てようやくドッと息を吐き出す。演奏中会場は殆ど無音だったために、一気に緊張を解きほぐした。

第2楽章のレントラーは、白雲に乗って彼方へと過ぎ去るような素朴な憧憬を連想させる前楽章を敢えて否定する、冷徹な諧謔である。開始早々に荒削りに登場する第2Vnにインバルは渾身の指示を出していた。また穏やかなヘ長調の箇所では、進むことを僅かに躊躇うようなポルタメントを付し、絶品の味わいであった。(インバルは近年楽譜にないポルタメントの指示をしばしば行うが、どれもピタリと嵌っている)
トロンボーン・テューバの凶悪な響きが徐々に増え、オーケストラは縦横無尽に駆け巡るがそこは都響、一切崩れることはなかった。

そしてインバルが一旦袖へ戻り、チューニングと小休憩を経ての第3楽章。この楽章が単なる音響的快楽に終わってしまうと、続く深遠なアダージョへの橋渡しがスムーズに出来ない。かといってそうどっしり構えるわけにもゆかず、演奏者にとっては難物だと思われる。
休憩を挟んだインバルはより激しくオーケストラをリードし、独特の「イーッ!イーッ!」という掛け声も盛んに発しながら巧みに各パートへキューを出していく。中間部のトランペット・ソロでは、岡崎氏がロータリーからピストンに持ち替え、ほぼ完璧にして美しい音色を聴かせてくれた。夢見るようなソロも束の間、音楽の雲行きが怪しくなり、インバルが再び指揮棒を一閃させるとストレッタ的に急迫して凶悪に曲を結ぶ。急激な加速にもオーケストラはやはり動じなかった。

インバルが暫し天を見上げて静止したのち、万感の表情で指揮棒を振り下して第4楽章が始まる。インバルは直線的な動きだが、先述したように彼の指揮の行間を読んだオーケストラは滑らかにしてうねりのある音を響かせる。途中Fg, Clに惜しい瑕はあったものの、取るに足りないもの。前楽章までも客席・舞台ともに相当の集中力であったはずなのに、ここに来てサントリーホールの空間が湾曲したのではないかと思えるほどの凝集力がインバルのもとに集まる。何ということだろう。
弦楽の切々とした嘆きが楽器を増やして肥大していよいよ頂点に至った時、ヴァイオリン群の最強奏の箇所で驚くべき光景が見られたのである。
インバルが両手を横方向に激しく振るのに合わせ、各奏者が弓幅・弓の速度・ボウイングを全く統一せずに弾き鳴らしたのである。まさにトーン・クラスター。第一に視覚的に凄まじい効果を上げていたし、生まれたサウンドはまさに地獄の底から響いてくるような強烈さを持っていた。
曲はやがてゆるやかに減衰し、最後は弦楽4部のみとなって収束していくが、その中にわずかに現れる上昇音型が印象的である。全ての音が愛おしく、ゆっくりと消えて天へ立ち昇っていく瞬間は無限のようにも思えた。
十数秒の静寂の後、インバルがゆっくりと胸に当てた手を下すと、サントリーホールはかつてない轟音と喝采に包まれた。各奏者を厚く労い、感謝の意を表したインバルが客席を向くと、会場全体が地鳴りのように彼を称える。山本コンマスが花束を贈呈し、オーケストラも最大限の賛辞を贈ると、彼は活躍した女性奏者に花束から一輪ずつ抜いて渡していた。オーケストラがはけても聴衆の熱狂が収まるはずもなく、実に3度に渡ってインバルを単独で呼び戻した。そのうち2回目は見事に代役を務めあげた山本コンマスとであった。

―振り返れば、あまりに濃密な時間であった。マーラーの9番という曲だからとも言えるが、これまで自分の人生においてこれほど芸術の、人間の極北を見たことはない。演奏者・聴衆・事務局...当夜に関わったすべての方々に、一人ずつ握手をして感謝の意を示したいくらいだ。
インバルの描いた9番は決して淡々と死にゆくマーラーではなかった。彼岸に飲みこまれようとしながら、それでも「生きなければ!」と絶叫し、現世に留まろうとする執念・生への渇望なのである。私はマーラーの9番をそういう曲だと思ってきたため、今回のインバルのアプローチが正にピタリと合致したことに、改めて感動を覚えている。

各場面を回想して都響の素晴らしさを回想するのはやめておくが、世界有数のみならず、いよいよ世界最高水準のマーラー・オーケストラとなった都響。各楽員の皆さんの血のにじむような努力あってのものだが、このオーケストラをこれから一生追いかけられるという僥倖に心から感謝したい。

次にインバルを体験するのは夏。彼岸から現世を回顧する10番である。今から身震いがする。

第9交響曲を完成した当時のマーラーは心臓病による健康不安こそあれ、まだ活発に音楽活動を行っていた。

それゆえ、第9交響曲がマーラーの「白鳥の歌」 とは必ずしも言えないという見解が最近主流となっているようだ。私もその意見に概ね同調する次第であるが、 時間軸的な観点だけでなく作品の特徴から見ても、やはり第9交響曲はマーラーの遺言ではないと思う。

 

Gustav Mahler
Gustav Mahler

 

ベートゲ編纂の「中国の笛」を手にして独自の死生観を「大地の歌」で昇華させたマーラーは、Ewig, Ewig...と曲を締めくくったが、第9交響曲冒頭の音型にEwig, が戻ってくる。

 

ここで一つ思うのが、第9交響曲以降はマーラーが生への執着を綴った私小説ではないかということ。「大地の歌」までの作品で、彼は聴衆へのメッセージは伝えきっていると思うのだ。後の作品は彼自身のための人生のエピローグであり、独白である。

 

その第9交響曲では、胸中の思いをありったけ吐露するような第1楽章が終わったと思えば、中間楽章では悪魔がその思いをせせら笑い、かき乱す。「生きたい!生きなければ!」と叫ぶマーラーの思いは第4楽章の引き裂かれるような(同時にブルックナーの遺作を髣髴とさせる)下降音型にて表現され、弦楽を中心に延々と嘆きの歌が続く。それが全合奏による頂点に達した後は、生への執着に精魂果てたような静謐な音楽がやってくる。ここからは音量はごく微弱に落とされ、弦4部による繊細極まりない情景が描かれるが、終結付近に注目すべき点がある。下降音型の中に、力なく抵抗するような上昇音型がわずかに出現するのだ。これこそ、マーラーの最後の生への未練であり、執着であろう。

このように現実世界に留まろうともがきつつも、力及ばず彼岸へと渡ったマーラーは、死力を振り絞り本当の遺言を書き始める。彼の遺作である第10交響曲は、まさに彼岸から現世を見つめた作品なのだ。第2楽章~第4楽章の達観した、奇妙な浮遊感はまさにそこに理由があると思う。

 

一昨年マーラーの研究をした頃の記憶を覚醒させ、この駄文を執筆する活力を与えてくれたのは他でもない、マエストロ・エリアフ・インバルと東京都交響楽団による第9交響曲の演奏である。マエストロの透徹した作品への目線と、都響の限りない献身は、まさに現世に執着しもがくマーラー像を具現した。20世紀音楽への扉を開いた1楽章の精緻な構築、中間楽章の冷徹なまでの諧謔、そして第4楽章の悲痛な叫び。特に、全合奏の頂点において弦楽器がボウイング、弓幅ともに統一せずかき鳴らしたトーン・クラスターは当夜の白眉であり、この演奏の性格を決定づけるものだった。本公演は、マエストロの6年間の都響プリシパル・コンダクターとしての任期の最終公演にあたったもの。シェフとして最後の演奏会として、まさにこれ以上ないものであった。幸いにしてマエストロと都響の関係はこれからも続く。まずは7月、マーラーの真の遺言・第10交響曲を味わいたい。

 

駄文・長文失礼しました。

 

2014年3月17日(月) 19時開演 @サントリーホール 

東京都交響楽団 第766回定期演奏会 Bシリーズ

 

マーラー:交響曲第9番

 

管弦楽:東京都交響楽団

コンサートマスター:山本友重

指揮:エリアフ・インバル

 

(敬称は省略させていただきました) 

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