たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

April 2014

東京交響楽団 第44回川崎定期演奏会
14時開演@ミューザ川崎シンフォニーホール

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
シューベルト:交響曲第2番
-アンコール-
シューベルト:劇付随音楽「ロザムンデ」より 間奏曲第3番

管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:グレブ・ニキテイン
ピアノ:ゲルハルト・オピッツ
指揮:ユベール・スダーン

スダーン/東響の10年間に及んだ共同作業も、今回で一区切り。
在任中あまり聴く事ができなかったが、すばらしいコンビであった。

退任公演は実に簡素な曲目ながら、「これで充分!」といわんばかりのプログラム。彼らの10年を象徴するような組み合わせだ。信頼厚いオピッツの登場にも納得が行く。

まずは皇帝だが、ややホールの容積が大きすぎた感がある。ピリオド奏法を採用しながらも力強いベートーヴェンの響きだが、如何せん3階では音が遠い。スダーン/東響は第2楽章での幽玄な表情など、伴奏の域を超えて繊細な音楽作りをしていただけに、いささか残念だ。オピッツは安定感抜群。

私は聴いていないが、一時期このコンビの看板であった「シューベルト・ツィクルス」。後半はその中から2番の再演となる。
シューベルトの2番は、プレートル/WPh来日公演での奇跡的なまでの美演を経験済みなので、どうしてもハードルが高くなってしまう。今回の演奏は素晴らしい完成度であり、全曲通して彼らの到達した境地の高さを思い知らされたわけだが、その感動は自分の心にまでは降りてこなかった。
この曲は素朴にして可愛らしい、愛撫したくなるようなメロディがそこかしこに散りばめられているのだが、スダーンは寧ろ筋肉質な解釈。リズムをどっしりと構え、その枠の範囲内で工夫を施すといった具合だ。何度も例に出して恐縮だが、プレートルは根本となる枠すら揺り動かしながらとにかく歌いまくるという稀有な演奏であった。

それでも、第2楽章での繊細きわまる旋律美や、コンマスのソロを取り入れた第3楽章など、あっと驚くような場面も多々あった。日本のオーケストラが演奏するシューベルトとしては最高峰に位置づけられることは疑いないだろう。

喝采の中、スダーンは公演直前に急逝した若きチェロ奏者を偲び、ロザムンデの間奏曲を演奏すると告げた。今回の演奏ではこれが一番の収穫だったかもしれない。「時よ止まれ、お前は美しい」そう声をかけたくなるような絶美の瞬間であった。

次回スダーンの登壇は5月。震災で中止された演目を含むこだわりのプログラムを、どう魅せてくれるであろうか。

東京春祭 歌曲シリーズ vol.12 マルリス・ペーターゼン(ソプラノ)
18時開演@東京文化会館 小ホール

R. シュトラウス:献呈
シューマン:女の愛と生涯
R. シュトラウス:6つの歌より おとめの花、オフィーリアの歌
リーム:赤

-アンコール-
R.シュトラウス:万霊節
シューマン:献呈
即興「さくら」

ソプラノ:マルリス・ペーターゼン
ピアノ:イェンドリック・シュプリンガー


藤村さんに続き2度目の歌曲リサイタル。大変に感動した。
シューマンの女の愛と生涯が聴きたくてチケットを取った公演だったが、藤村さんのときと同様シュトラウスの歌曲に大いに感銘を受けた。やはりシュトラウスは最後のロマン派歌曲作曲家だったということか。

シューマンは荘重なサラバンドで開始される。夫との出会いから別れまでをソプラノが歌った後、最後にサラバンドが回帰することによって、夫を亡くした妻が過去を思い起こして歌っているのだということが分かる。いかにも頭の切れるシューマンらしい作品というべきか。

前後半にそれぞれおかれたシュトラウス作品について述べる語彙を残念ながら今私は持ち合わせていないが、今回のプログラム中でもっとも感動したことは確かだ。

リームの赤、も現代作品でこそあるが聴きやすく、ペーターゼンの鋭い嗅覚が光った。

アンコールにもシュトラウスとシューマンがそれぞれ置かれたが、最後に歌われたベルク風の「さくら」即興には驚いた。こういうことができるから現代モノにも強いんだろうなぁ・・・。

ペーターゼンの歌唱はオペラティックで、歌曲にしてはやや激しすぎるような気もするが、私としてはこのくらいでもまったく構わない。ただ文化会館の小ホールはハコが小さすぎた。
シュプリンガーは徹頭徹尾ペーターゼンを盛り立てていた。シューマンにおける雄弁さはこの人の力も多分にあったのだろう。

室内楽、ようやくリサイタルも楽しめるようになって来たかもしれません。

東京都交響楽団  第767回定期演奏会 Aシリーズ
19時開演 @東京文化会館

ベートーヴェン:交響曲第1番
--休憩--
ブルックナー:交響曲第1番(ノヴァーク版)

管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:小泉和裕

インバルとのマーラー・ツィクルスが過ぎ去り、4月から終身名誉指揮者となる小泉和裕との「1番」定期である。

都響のもっとも素晴らしい点の一つが、どんな指揮者が来ようと、どんなコンディションであろうと全力で演奏すること。どのオケもそうではないか、という意見もあるだろうが、意外とそうでもないように思える。特に渋谷放送響ではあまりに落差が顕著である。

さて本題。今回は開放的なハ長調プログラム。二大巨匠による「1番」という意図以外にも、この調性による統一感も存分に味わえる。

前半のベートーヴェンは予想通りオールドスタイル。近年ベートーヴェン演奏は小編成によるものが主流になったが、今回は懐かしさすら覚える分厚い響きで、あたかも巨匠の円熟期の作品のように聴こえてくる。
テンポも標準的。

そして後半、垂涎のブルックナーである。後年改訂されて後期交響曲風となったウィーン稿ではなく、作曲当初のリンツ稿での演奏だ。
私はここのところアバド/ルツェルン祝祭管(Accentus)によるウィーン稿の演奏に親しんでいたため、久しぶりのリンツ稿はなかなかに新鮮でよかった。3楽章の2ndVnが入ってくる箇所で低弦がズンズンとリズムを刻むなど、ウィーン稿に比べ洗練こそされていないが若々しい。

演奏はピカイチで、国内オケでこれだけのブルックナー演奏が可能であれば2流海外オケの来日公演をありがたがる必要は皆無だ。ほぼ首席を揃えた弦楽器群の剛健な響き、トランペット・ホルンに時折現れる完璧なブルックナー・サウンドに舌鼓を打った。小泉和裕は同曲を日本センチュリー響と録音しており、また長年ブルックナーには注力していることもあり、暗譜で見事な指揮ぶり。流れがスムーズで、かつここぞという箇所のエネルギーの放射は大変なものがあった。特に4楽章の構築は理想的だったと思う。

インバルは退任するが、そもそも音楽監督ではなくプリンシパルとしての契約だったのだから、オケのサウンドを守ってきたのはオケ自身である。大野時代になってもさらなる躍進を遂げてほしいと切に願う。

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