たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

July 2014

2014/7/30
フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2014 東京都交響楽団
@ミューザ川崎シンフォニーホール

ヴァーグナー:ジークフリート牧歌
ブルックナー:交響曲第7番(ノヴァーク版)

管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:エリアフ・インバル


サマーミューザにまさかの桂冠指揮者インバル登場!ということで、先日の「都響スペシャル」の余韻を残すような熱気にみちた客席。気軽に聴ける公演もあれば、こういう超本格派プログラムをさりげなく入れてくるあたりサマーミューザ、ニクいです。(本格志向といえば8/5東フィルのマーラー5番もお勧め!自分は行けなくなりチケット手放しましたが...)
ヴァーグナーとブルックナーという連関性のあるプログラム。このコンビによるジークフリート牧歌は、2012年のマーラー・ツィクルス第1期の合間に行われた特別公演「嘆きの歌」の前プロ以来、ブルックナー7番はやはり12年4月のB定期以来となります。
サマーミューザ恒例・公開ゲネプロからじっくり聴かせてもらいました。インバルはブルックナー特有のリピートを適宜省略し、しばしば止めて修正しながら全曲をみっちり通し。豪壮に鳴る金管群に「スタッカートを付けるな!丸い音で!」と何度も指示していたのが印象的でした。マーラーで時折見せる粗野なサウンドとは違った、セクションとしてまとまった響きが欲しいということでしょうか。ジークフリート牧歌はインバル立ちっ放しで全曲止めず演奏。
一時間強、お友達とアフタヌーン・ティーを楽しんだ後はいよいよ本番。既に腹6分目くらいに感じましたが(笑)今日は2階下手側のLA2列目。
ジークフリート牧歌はゲネプロ時より音が柔らかく、量感より繊細さが持ち味の都響の弦の真骨頂。弦にそっと寄り添う鷹栖さんのObをはじめとする木管のソロも素朴で美しい。本来各パート一人という最小編成の曲だけに、オケでの演奏に対しては若干懐疑的でしたが、今日の都響の演奏はまさに室内楽の精神。左手の柔らかな動きに象徴されるように、インバルもあまりガチャガチャいじくらない。ただ冒頭の愛撫するような主題が中間部で盛り上がる場面では、弦に思い切りアクセントを付けて弾かせていて、こればっかりは賛同できませんでしたが・・・。
本プロのブルックナーでは「毎回演奏が違う」インバルの面目躍如。ゲネプロではさらさらと流していた部分もねちっこく歌わせます。1楽章から唸り声も出て気合充分。熱量たっぷりのコーダの後は2楽章にアタッカで入り、冒頭のヴァーグナーテューバはあまり冴えず・・・難しい楽器なので仕方ありませんが、安定してませんでしたね。インバルが力をそれほど入れず、軽く合図を出すだけでも弦が豪快に鳴り渡ります。ノヴァーク版ならではの打楽器とティンパニによるクライマックス直前箇所でようやく渾身の煽り。ここでティンパニを強く叩かせないのは12年のCDと同じ、勿体無く思いました。
第3楽章は今日一番の出来だったかもしれません。前半2楽章の重みに対しどうも弱い後半楽章がこれほどがっしりとした構築で演奏されると、それだけで嬉しくなってしまいます。ただトランペットソロの2度目に2nd奏者を重ねて爆音で吹かせるという珍妙な細工があり、未だに意図が分かりません。野趣あふれ過ぎ。
フィナーレは3つの主題ごとに表情が全く違いました。インバルのヴォーカルが盛大に入った第1主題は決然と、第2主題は強弱つけつつもたゆたうように、そして金管により提示される第3主題はフレーズの結尾をペザンテでぐりぐり重々しく(個人的にこれはツボ)。大変メリハリが効いていて良かったのですが、若干効きすぎな感じも。コーダに入る直前にギアを踏み込んだかのように加速するのはいかがなものかなぁ・・・。コーダ自体は真っ当なテンポで、しかし熱く熱く終結しました。
良くも悪くもインバルにしか出来ないブルックナー演奏だけに、客席は賛否に分かれて面白い反応になるかと思いきや、大合唱ブラヴォでびっくり。そればかりか、まさかのインバルにソロ・カーテンコール一回。皆さん何だかんだいってインバルを愛している。個人的な感想を言うと、心を揺さぶられるような場面はあまり無かったですが、前へ前へと力強く牽引していくインバルの解釈の完成度・外向ではなく内部に凝縮していくようなオーケストラの引き締まったサウンドに魅了され、ふとわれに返ると夢中で手を叩いていました。インバルバカという批判は甘んじて受けます(笑)
ところで、黄金コンビだけにいつも都響定期や在京オケ定期で見かける方々と次々と遭遇しました。休憩時間には素敵な出会いもありハッピー。昔は一人で聴いて黙々と感想をブログに書くだけでしたが、今年に入り経験豊富な先輩方から色々な価値観を教えていただいています。自分の幅を広げる機会を沢山頂き、本当にありがたいことです。 

2014/7/29
フェスタ サマーミューザKAWASAKI 2014 読売日本交響楽団
@ミューザ川崎シンフォニーホール

〜プレ・コンサート〜
ラヴェル:組曲「クープランの墓」(木管五重奏版)より
(倉田優、辻功、金子平、吉田将、松坂隼)
モーツァルト:ディヴェルディメントK.136より 第1、3楽章
(日下紗矢子、島田玲奈、鎌田成光、山田友子、赤池瑞枝、小田透、柳瀬省太、長岡晶子、髙木慶太、松葉春樹、石川滋)
チャイコフスキー:バレエ音楽「眠りの森の美女」より ワルツ
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ヴァイオリン:松山冴花
管弦楽:読売日本交響楽団
コンサートマスター:日下紗矢子
指揮:ダレル・アン 

 
今年サマーミューザで読響を振るのはシンガポール出身の若手ダレル・アン。結果から言うとなかなかの指揮。
まずは開演前にプレコンサート。木管五重奏版「クープランの墓」も良かったし、何と言っても日下さん率いる弦楽5部によるK.136が絶品!好調な読響をギュッと凝縮したようなハリのある音、前菜にはもったいなかった。
本プロは華やかなワルツに始まり、松山冴花さん奏するVn協奏曲はかなり異色の演奏かも。ポルタメントを多用し、テンポの緩急激しく濃厚に弾き進む。音色や音程は若干犠牲となったが、単なる清楚系よりずっと勇気の要る表現。D.アン指揮のオケは敏捷にピタリと付ける。単なる伴奏にとどまらずチェロのアクセントの強調など工夫があったのも良かったし、濃い表現ながら若干細身の音のソリストを配慮し、最適な音量にオケが抑えていたのも良かった。ちなみにこの塩梅が意外と難しいらしく、以前インバル/都響が神尾真由子さんを迎えて同じ曲を演ったときは、かなりの音量で歌いまくるソリストに対してオケが必要以上に抑えすぎた結果、スケールが小さくなってしまった。インバルはあまりコンチェルトは得意ではないと思う・・・。
閑話休題。後半、編成が増えても音響空間に余裕あり。ミューザの容量の大きいこと!アンは殊更ロシア的情緒を強調せず、即物的な音楽作り。知性が勝り過ぎ、旋律間の歌い継ぎが几帳面な前振りで阻まれた所もあったが、まずまずいい指揮者。それにしても今日の読響の弦は出色だった。時に雄々しすぎ音が荒れることもある弦(それが一種の野性味を醸し出すのも事実なのだが)が今日はビシッと統制され、あまり歌わない指揮者を補填するかのように名旋律を綿々と歌い抜いた。そこには女性的な柔らかさがあり、惚れ惚れとした。ところで、前回の東響オープニングで懸念した客席について。4楽章の終結後指揮者がタクトを下ろすまでは勿論、下ろした後もしばらく静寂が続き、やがてふわりと始まった拍手が素晴らしかった。いつもこうありたいもの。
日下さんのソロ公演、次回は絶対に行きたい!

2014/7/27
オーケストラ・ダヴァーイ 第8回演奏会
@すみだトリフォニーホール

チャイコフスキー:スラヴ行進曲
プロコフィエフ:スキタイ組曲「アラとロリー」
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」

管弦楽:オーケストラ・ダヴァーイ
指揮:森口真司

(記録のみ) 

2014/7/26
フェスタ サマーミューザKAWASAKI 2014
東京交響楽団 オープニングコンサート
@ミューザ川崎シンフォニーホール

ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」
シューマン:チェロ協奏曲
~ソリスト・アンコール~
コリリアーノ:ファンシー・オン・バッハ・アリア
J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番より プレリュード
ヴァスクス:「本」より
サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」

チェロ:ダーヴィッド・ゲリンガス
管弦楽:東京交響楽団
指揮:ユベール・スダーン

 
いよいよ真夏のオーケストラの祭典が始まりました。
もともとオープニングの指揮は俊英ウルバンスキの予定でしたが、変更により楽団・聴衆ともにお馴染みのマエストロ・スダーンに。
一曲目の「ローマの謝肉祭」は5月の定期演奏会(メインは同じ作曲家の「テ・デウム」でした)でも聴きました。その時と印象は同じで、大変真面目な謝肉祭という感じ。フランスオケの録音だと大抵緩めに入ってくる冒頭の弦から気合入りまくりで、スダーン先生唸り声出てました。
続くシューマンのチェロ協奏曲ですが、何とも渋ぅぅい曲。煮ても焼いても食えないとはこのことか?というくらい渋い。彼のヴァイオリン協奏曲も非常に渋いので、こればっかりは仕方ありませんね。
では演奏がつまらなかったかというとそんなことはなく、ゲリンガスのこれまた渋ぅい歌い回しが実に曲に合っていて味わい深かったのです。盛大な拍手に気を良くしたのか、ゲリンガスはなんと3曲ものアンコールを披露!コリリアーノなどの現代曲もあり、指揮者としても活動する彼の芸幅の広さを思い知りました。
メインの「オルガン付き」はほぼ一ヶ月前にワグネルの定期で聴きました。今回のスダーン先生の音作りはまるでドイツ音楽のようにがっしりしたもの。サウンド自体も華美というよりは中低音重視のピラミッド型でした。この曲を金管で厚塗りして欲しい向きには違和感があったかもしれませんが、こういう渋い(何回目だw)アプローチで聴く第1楽章第2部の美しさといったら極上です。東響のしっとりした艶消しのような弦に、オルガンの低音が優しく寄り添い...至福の時間でした。フィナーレは金管で弦がかき消されることもなく絶妙なバランスで鳴り響き、東響でいつも不満を感じることの多いティンパニも今日は豪快に決めてくれました(今日は新澤さんでした)!
予想以上に充実の演奏で大満足ですが、惜しむらくは客席のノイズ...先述の美しい弦に数秒ごとに執拗にかぶさる無神経な咳、ビニール袋、アメの包装の嵐。休日マチネ公演とはいえ、流石に許し難い。この客席で「悲愴」や「ブル7」だとかなり厳しいものがあると思いました。(なお、客入り自体は頗る良好でした)

昨日サントリーホールにて行われた交響曲第10番(クック番第3稿)の演奏会をもって、インバル/都響による新マーラー・ツィクルスが完結した。楽団としては3月の第9番を完結としていたが、インバルの考えを尊重すれば今回の10番こそが本当の終わりとしてよいだろう。

 

2009年からインバル/都響を可能な限り追いかけてきた自分としても、一つの区切りがついた感慨にとらわれている。

 

初めてインバルを聴いた「巨人」のCD初めてインバルを聴いた「巨人」のCD

 

クラシックを本格的に聴くようになって間もないころ、彼とフランクフルト放送響の「巨人」のCDを買い、それまで聴いていたアバドやワルターのディスクとは全く異なる分析的な音作り(録音ポリシーも含め)に唖然としたのをはっきりと覚えている。熱狂的感動とは程遠い、「何だこれは?」という戸惑いが最初の出会いだったインバルが、都響という在京オケを振ると知ったのが5年前の3月。月末にチャイコフスキーの5番をみなとみらいホールまで聴きに行った。これが、初インバル・初都響。

このチャイコフスキー5番が失神するほど強烈な印象を与えた。正直、期待していなかったのだ。というのもその前年にテミルカーノフ/ペテルブルク・フィルによる文句のつけようのない演奏を聴いていたので、「国内オケに超えられるはずがない」と高を括っていたのだ。まったくなんとも生意気な中学生である。インバルはこの曲からお涙頂戴的な情緒を剥ぎ取り、緩急のコントラストをグロテスクなまでに強調した。彼の指揮の下都響は金管群を中心に、ホールを揺るがせんばかりの熱演を披露、当然会場は沸きに沸いた。「インバルとはこんなに凄い指揮者だったのか!こんな国内オケがあるなんて!」この二つの思いがたちまち芽生え、その日から私は彼らの公演を最優先事項の一つとして設定した。

 

痛恨だったのは中高が全寮制だったことで、長期休暇以外は基本的に東京での演奏会を聴くことが出来なかった。本能的に「これは聴かなければ!」と思った公演は無理をしてでも行ったが、マーラーに劣らず名演揃いの一連のベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、ショスタコーヴィチなど多くの公演を聴き逃した。12年9月からの新ツィクルスについても同様で、結局聴けたのは3, 4, 5, 8, 大地の歌, 9, 10にとどまった。

彼らのマーラーを初めて聴いたのは10年3月の都響スペシャル・交響曲第3番で、一階席前方の席でインバルの気迫を浴びまくった衝撃の体験だった。新ツィクルスが発表された時、自分は「このコンビのマーラーをまとめて聴ける!」と狂喜乱舞だったが、「またやるのか」「金集めじゃないのか」という批判の声も少なくなかったように思う。だが果たしてツィクルスが終わって振り返ってみると、インバルの演奏に「同じことの再現」などという概念が全く当てはまらないことを痛感した。彼のレパートリーは膨大で、どの作曲家を取り上げても水準以上の演奏をする職人肌の一面を持ちながら、ことマーラー演奏に関しては「求道者」とも言える尋常ではないこだわりを持っている。マーラー演奏における彼の理想は非常に高く、決して満足することはない。事実、わずか2年を置いて取り上げられた交響曲第3番のアプローチはかなり異なり、贅肉を削いで曲の核心に切り込まんとする姿勢が感じ取れた。(今回のこの高水準のツィクルスを経てもなお、『もう一度ツィクルスをやりたい』とまで言っているとか)

 

そんなマーラーの伝道師であるインバルが偏愛するのが、第10番クック版である。彼は補筆者であるD. クックと交流を持った最後の世代の指揮者であり、「彼はマーラーの草稿から全ての素材を採って曲の補筆を行った」としてその仕事を非常に高く評価している。ただ、1989年に弟子達が出版した第3稿第2版には賛同しかねる部分も多いそうで、今回は現在一般に流通している第2版のスコアに手を加えての演奏となった。おそらく、インバルはオーケストレーションを出来るだけ厚くすることで「マーラーらしい響き」を得ようとしているのだろう。結果、フランクフルト放送響とのCD、コンセルトヘボウ管との映像から更に進化したインバルによる「最新の」クック版演奏となった。

版問題はこのくらいにして、2日間の演奏について軽くまとめておきたい。お友達の方のご親切によりゲネプロから体験できたため、実に3回インバル/都響の10番を聴くことができたわけだが、やはりインバル、それぞれに相違点があり、最終日に全てを出し尽くしたという感がある。

初日のゲネプロでは第1楽章が豪速でやや違和感あり。各所で止めてやり直しをしていたので全曲通すためだったのかもしれない。そして本番では幾分落ち着いたテンポ(他の指揮者に比べると速い)。難所の多い大曲ゆえ指揮者・オケともにかなり慎重に進んだ印象で、特に難しい第2楽章のリズムは鈍い感あり。ただ全体としての流れがピンと一本の糸のように明快で、第5楽章でインバルは激しく振るもがっちりとフォルムは維持されていた。2日目ではインバルがより熾烈にオケを煽り、流れのスムースさは幾分犠牲になったもののより「インバルらしい」うねりを伴う音楽に。2楽章もしっかりメリハリが付き、終盤の難所ではまさかの加速!そして終楽章のホルンによる1楽章冒頭主題の回帰の後、低弦の唸りに続く弦楽器群によるフルートの旋律の再現では、今にも指揮台から転げ落ちるのではないかというような激しい指揮!コンセルトヘボウとの同曲演奏で見せたその没入の凄さ、最終日にようやく見ることができた。強烈な響きが脳にこだまする中、13度のグリッサンドで全てを吐き出して曲は終わった。

 

演奏としてのまとまりの良さは初日に軍配が上がるだろうが、インバルがやりたかったのはまさに2日目の終楽章のような音楽なのではないだろうか。どこに居ても異邦人としての孤独を味わい、最愛の伴侶アルマにも裏切られて世を去ろうとする絶望、死に切れない悲痛な叫び、しかしそれらを嚙み締めてもなお「女性」という永遠なる存在を信じようとするマーラーの切実な愛・・・。彼がこの曲を完成できずに世を去ったことは本当に痛恨の極みだが、クック版という残されたセカンドチョイスを信じてマーラーの遺言を再現させようとするインバルと都響の執念に涙した。嗚咽した。

この難曲における都響の献身はいつも以上で、特に実に3本のトランペットを持ち替えて巧みな演奏を繰り広げたTrpの岡崎氏、終楽章のあまりに美しいソロを吹いたFl寺本氏、素晴らしい打音で曲を引き締めたミリタリードラムの女性奏者は会場の絶賛を浴びていた。勿論他のセクションも素晴らしい演奏だった。オケがはけた後もインバルはやまぬ拍手に応じ2回ステージに現れ、最大級の賛辞を受けた。

 

まさにマーラー・ツィクルスを完璧に締めくくる凄演であった。と同時に、インバルが都響の首席指揮者として築いてきた一つの黄金期がここで終止符を打たれたという印象を持った。勿論今後もインバルと都響は名コンビであり続けるだろうし、大野次期音楽監督の下都響も更なる発展を遂げていくだろう。だが、昨日のインバルに対する聴衆の熱狂的反応は紛れもなく、一つの時代の終焉に対する惜別の念の表れだろう。

ありがとう、マエストロ・インバル。ありがとう、都響。

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