たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

October 2014

2014/10/7
サントリーホール スペシャルステージ 2014 五嶋みどり
ヴァイオリン・リサイタルⅠ
@サントリーホール

~プレ・コンサート~
サーリアホ:カリス(聖杯)
(ヴァイオリン:高橋奈緒 ピアノ:秋山友貴)
シュニトケ:ヴァイオリン・ソナタ第3番
(ヴァイオリン:城戸かれん ピアノ:山中惇史)

シューベルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナチネ
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ K. 304
R. シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ
~アンコール~
ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女

ヴァイオリン:五嶋みどり
ピアノ:オズガー・アイディン

五嶋みどりさんのヴァイオリンを初めてナマで聴いた。
ホンモノのアーティストというのは往々にして会場の空気を一瞬にして支配し、自在に操ってしまうが、みどりさんもやはりその一握りの存在だったようだ。
一曲目のシューベルトのソナチネでは何とも形容し難い清らかな時間が流れた。かと思えばシューマンの1楽章では劇情が渦巻き、緩徐楽章では再び穏やかに・・・。何の演出も加えず、ただ曲のあるままの姿を我々に提示する。それだけで清新な感動がもたらされた。
休憩後のモーツァルトは冒頭からしてコケティッシュな表情。ラストのシュトラウスでは、「英雄の生涯」と「ばらの騎士」それぞれの主題をミックスしたような雄大なメロディが繰り広げられる。かと思えば歌曲の「チェチーリエ」のように感極まったようなピアノの叫びが続き、ヴァイオリンが応える。よく考えてみればこれらは総じて曲に抱いた感想なのだが、同時に演奏に対しての感想なのだ。「演奏=曲」という、ある意味インタープリターとしての役割を捨て去ったプレイ。それがこれほどまで魅惑的だとは!
そして何より、彼女の演奏には常に「静」が付きまとった。どんなに激しても、どこか静けさを感じる。理性で全てがコントロールされた、怖いほどの落ち着き様なのだ。

リサイタルを聴き終えて、「みどりさんの演奏が好きだったか」と問われると自分は返答に困ってしまう。もっと綿々と旋律を歌いぬいたり、艶やかな美音を聴かせる演奏の方が好きなのかもしれない。
ただ、今のみどりさんが達してしまった境地は恐ろしく高いレヴェルにある。今回のような《禊を済まして挑んだような》演奏を平然とやってのけるような演奏家は、同じヴァイオリニストでは他に、チョン・キョンファしか知らない。(庄司紗矢香さんもその境地に達しつつあると思う)

なお、この演奏会の開演前にはプレ・コンサートとして、事前にみどりさんのマスタークラスに参加した方の演奏があった。特にシュニトケのソナタには魅了された。

全く演奏会とは関係ないのですが、隣の席が小学校入ったくらいとお見受けするお子さんで、オペラグラスまで持ち込んでたので「只者じゃないな」とビビってました。そしたら何てことはない、演奏が始まって1分後にスヤスヤ、こっちにもたれてきて休憩前まで腕枕をする羽目になりました(笑)
そのコ、休憩後はえらく真剣に聴いていて、シュトラウスの1楽章が豪壮華麗に終わると拍手をしそうになって寸前で止めて周りをキョロキョロ見回してました。かわいい。分かるよ、したくなる気持ち。

2014/10/4
東京交響楽団 第623回定期演奏会

プロコフィエフ:交響曲第1番「古典」
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番
~ソリスト・アンコール~
クライスラー:レチタティーヴォとスケルツォ、カプリース
プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」より

ヴァイオリン:マイケル・バレンボイム
管弦楽:東京交響楽団
指揮:サントゥ=マティアス・ロウヴァリ 


果汁200%の新鮮な音楽!ロウヴァリのチャラさと、プロコの人を食ったような、もっと言えば(とても良い意味で)聴く側を舐めたような音楽性がとても良く合う。バレンボイム息子氏は顔色一つ変えず難曲を弾き進む。ピッチと技巧は完璧、表現も粘りがあって良かったのだが、アツさは遂にアンコールの最後まで感じられずw ロウヴァリ指揮のバックはコンチェルトでも伸縮自在で、楽しい楽しい。
後半のロメジュリ、個人的に不得手な曲だったがそんなことは頭から吹っ飛んでしまった。普段上品な東響が大変貌し、劇性溢れる演奏に。ロウヴァリは前半以上に大胆不敵な指揮だが、それは全て曲への純粋な共感から出る動き。(カーテンコールでの所作も破天荒なのに何もいやらしくない 笑)
それにしてもあのホジャイノフ似の若武者、只者じゃなかった。東響と彼の縁が末長く続きますように。あとObトップに待望の荒さん復帰、おかえりなさいませ! 

プロコフィエフの音楽にこれまであまり馴染めなかったのだけれど、今日完全に解消されました。茶目っ気にクスクス笑いつつ、時たま紛れたワサビの辛さに泣く、いわばロシアンルーレットみたいな音楽なんだな。東響さん、ロウヴァリ、ありがとう(笑) 

2014/10/4
新日本フィルハーモニー交響楽団 第531回定期演奏会
@すみだトリフォニーホール

ツィンマーマン:管弦楽のスケッチ「静止と反転」
ベートーヴェン:荘厳ミサ曲

ソプラノ:スザンネ・ベルンハルト
メゾ・ソプラノ:マリー=クロード・シャピュイ
テノール:マクシミリアン・シュミット
バス:トーマス・タッツル
合唱:栗友会合唱団(合唱指揮:栗山文昭)
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:崔文洙
指揮:インゴ・メッツマッハー 

シーズン頭から大感動!ツィンマーマンからミサソレへの移行の瞬間は「救われた!」と感じたが(笑)、それだけベートーヴェンの音楽が偉大ということか。速めで引き締まった骨太のオケに加え充実のソロ歌手・栗友会の健闘で、真に迫る演奏が展開された。ミサソレはベネディクトゥスが好きすぎてどんな演奏を聴いても泣けてしまうのだが、それにしても今日は格別だった。立奏したコンマス崔氏のソロも思い入れたっぷりで素晴らしかった・・・。
メッツマッハーの一連のベートーヴェンの中では一番感動した(曲目が反則といえばそうだがw)。近い将来ドイツ・レクイエムを取り上げてくれないだろうか。きっと素晴らしいだろう。

2014/10/5
神奈川県民ホール リニューアル&開館40周年記念 マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」
神奈川県民ホール

マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」

ソプラノ:横山恵子、並河寿美、菅英三子
アルト:竹本節子、小野和歌子
テノール:水口聡
バリトン:宮本益光
バス:ジョン・ハオ
合唱:県民ホール特別合唱団、湘南市民コール、洋光台男声合唱団
児童合唱:小田原少年少女合唱隊
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
指揮:現田茂夫

何故か1部2部の間に休憩が入った。現田さんは予想通りゆったりしたテンポで振り通し、所々結構粘る場面も。このテンポで無くては!という必然性よりは500名の大合唱のアンサンブルを優先したのでは。第2部冒頭はやや緊迫感に欠けた。
その大合唱の主力は、この3月にもインバル/都響と同曲を歌った晋友会合唱団の主力たる湘南市民コール。大所帯を考えればまずまずのアンサンブル。(ただいくらなんでも多すぎる)オケも健闘していたが、合唱の壁に吸収されてしまったオケは不幸だった。トゥッティでは完全に埋れてしまった。

2014/10/2 新国立劇場「パルジファル」
@新国立劇場オペラパレス


ヴァーグナー:舞台神聖祝典劇「パルジファル」(新制作)

 

演出:ハリー・クプファー

アムフォルタス:エギルス・シリンス

ティトゥレル:長谷川顯

グルネマンツ:ジョン・トムリンソン

パルジファル:クリスティアン・フランツ

クリングゾル:ロバート・ボーク

クンドリー:エヴェリン・ヘルリツィウス

第1・第2の聖杯騎士:村上公太、北川辰彦

4人の小姓:九嶋香奈枝、國光ともこ、鈴木准、小原啓楼

花の乙女たち:三宅理恵、鵜木絵里、小野美咲、針生美智子、小林沙羅、増田弥生

アルトソロ:池田香織

合唱:新国立劇場合唱団

合唱指揮:三澤洋史

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

指揮・芸術監督:飯守泰次郎


歴史的上演だった。自分の人生の中で忘れ難い体験が、また一つ増えた。

 

7月の「ホフマン物語」でオペラとは何なのかを悟り、この世界にぐいと引き込まれたのだが、今回の「パルジファル」によって、とうとう自分はこの世界から抜け出せなくなった。

 

圧倒的に濃縮された時間であり、あまりに構成要素が多すぎて、またそのどれもが信じられない高次元に達しているので、どこから書いていいのか皆目見当もつかないのだが・・・。とりあえず、詳細は数多いヴァグネリアン諸賢にお任せするとして、ヴァーグナー鑑賞歴の甚だ浅い自分には今回感じ取ったことを書き綴るくらいが、どうやら今の自分に出来る精一杯のようだ。

 

幕が上がり、舞台の奥から光の河がおだやかに流れてきた瞬間からすでに異世界だった。事前にHP上に掲載されていた舞台機構の説明を読んで、大量のLEDによる装置だと知っているのに、なぜこれほどまで神々しいのか。神聖さとは最も遠い位置にあると思われる機械の集合体が、演出家により息を吹き込まれ、一気に俗世を超越した不可侵性を帯びうることに単純に感動してしまった。

(なお本番は1階席だったが、4階最前列で見学したGPでは、河のラインが明確に見てとれ、結果として演出のコンセプトがより明解に伝わってきた)

 

冒頭、光の道上の各キャスト(後方にいるのが仏僧たち)
冒頭、光の道上の各キャスト(後方にいるのが仏僧たち)

 

今回のクプファーによる新演出でまず話題となったのが上述の「光の道」と、聖槍の象徴たる可動式のメッサー(ナイフ)だったが、演出のコンセプトから言えば、真っ先に着目すべきは「光の道」に配置された黙役の仏僧たちではないか。「パルジファル」の音楽それ自体が東洋的哲学を内包し、最終的には東西の壁を超えた普遍的な救済が訪れる、というものであるが、今回クプファーが仏僧たちを用いて表そうとしたのは、まさにその理念の可視化であろう。

日本へのリップサーヴィスではないということは、仏僧たちの動きや位置関係が場面ごと、更には各登場人物ごとに至るまで細かく描き分けられていることからも自明だ。例えば、第1幕冒頭・グルネマンツらが聖域で王の到着を待っている場面では仏僧たちは舞台奥にじっと佇んでいる。これにより、「舞台手前=聖域」「舞台後方=異教の地」という描き分けが成され、観客は舞台の距離以上の空間的・精神的距離を認識するのである。

この他にも仏僧らは多くの場面でさりげなく役割を果たすが、やはり終幕がもっとも重要だろう。救済者となって聖域に帰還したパルジファルは聖杯の守護者の継承を宣言するのだが、この時舞台後方の仏僧はパルジファルやグルネマンツ、クンドリーにまで仏衣を羽織らせる。そして彼らは、舞台奥へ向かい「光の道」を歩んでいくのだが、これは単純な東西宗教観の和解を意味しないようだ。パルジファルの仏衣の着方は本来の着方とは全く異なっているし、道を歩む騎士団の面々は這うようにして苦しげに上っていく。《お互いを理解し共に歩もうとしても、その過程は苦しみや欺瞞を伴う》と、「パルジファル」の重要なテーマである「共苦」の困難さをクプファーがわれわれに語りかけているようにも思える。これは世の東西を問わず共通する難題であり、2014年の日本でこのメッセージをクプファーが投げかけたことを、自分は重く受け止めたい。

演出上のその他の要素についてはあまり触れずにおくが、一つだけ。舞台上ではダンサーを用い、歌い手はピット内に配した花の乙女たちの場面はきわめて見事だった。ダンサーたちのなまめかしい足がパルジファルの周囲を取り囲み、花弁の集合のように見せることで、彼女らが花の精霊であるという事実を観客に冷静に認識させつつ妖艶さを表現していた。

 

アムフォルタス(中央右寄り)を乗せるメッサー(ナイフ)アムフォルタス(中央右寄り)を乗せるメッサー(ナイフ)

 

演出に関してまず述べたが、ヴァーグナーの音楽あってこその舞台。音楽面の充実に触れずにおくわけには、当然いくまい。

超一流の歌い手、それも各登場人物に合う人々を集結した今回の歌手陣はほとんど隙がなかった。

まずは1幕の長大な語りで聴かせた重鎮サー・ジョン・トムリンソン。流石に加齢ゆえのピッチの狂いはあったが、そんなことは彼の表現力の前では些細な問題に思えた。これだけ味わい、実感のこもった深い語りを聴かせられるグルネマンツ歌いがいま、世界中のどこにいるだろう!トムリンソン=グルネマンツであった。

そして2幕をはじめとしてクンドリーの官能と苦悩を描き抜いたエヴェリン・ヘルリツィウス!身体的にも要求の高い役柄であるが、完璧の出来だった。文句なしのブラヴォー!

春には理知的なヴォータンを聴かせたエギルス・シリンスによるアムフォルタス他、全キャストが総じて高水準、聖杯の合唱などで活躍する新国立劇場合唱団も素晴らしかった。

そして、飯守泰次郎カペルマイスターと東京フィルに心からの賛辞と感謝を送りたい。この長大かつ複雑極まりない作品、指揮し通すだけでも並大抵の指揮者では務まらないはず。飯守氏はヒューマンな感興を常に湛え、尽きせぬヴァーグナー愛を以って渾身の指揮を展開した。東京フィルも、第2幕でクンドリーがパルジファルに接吻し、パルジファルがアムフォルタスの傷を解する箇所でややバラけた以外は大きな事故もなく、充分にヴァーグナーの神秘的かつ雄大な響きを堪能させてくれた。これで初日だったので、千秋楽にはオーケストラもかなりの水準に達することだろう。

 

全曲が終わり、飯守氏がタクトを下ろすと地響きのような喝采が沸き起こった。自分は海外オペラの経験にも当然乏しいので、今回のカーテンコールでの熱狂を適切な物差しを以って伝えられないのが歯痒いが、ヴェテランのオペラ愛好家の皆さんに聞いてみたところ、海外団体でもこれほどの熱狂はない、との言葉が返ってきた。事実、幕が完全に閉まっても、客電が灯っても暫く喝采は止まず、歴史的上演を達成したキャストへの労いは続いた。

 

冒頭の繰り返しになるが、一生忘れ得ぬ体験だった。10/2の新国立劇場オペラパレスに響いたのは、苦悩と後悔を常に抱える誰しもに共通する「普遍的な」メッセージだったに違いない。

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