たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

January 2015

2015/1/30
モルゴーア・クァルテット 第41回定期演奏会
@東京文化会館 小ホール

ハイドン:弦楽四重奏曲第81番
ヴェーベルン:弦楽四重奏曲
シューベルト:弦楽四重奏曲第15番
~アンコール~
シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」 第2楽章より

モルゴーア・クァルテット
(ヴァイオリン:荒井英治、戸澤哲夫 ヴィオラ:小野富士 チェロ:藤森亮一)

F.J.ハイドン、ヴェーベルン、シューベルトの最後の弦楽四重奏曲を並べたプログラムで、しかもアンコールの死と乙女を含めてト長調縛りでもある。
それにしても、至近距離で聴くモルゴーアのサウンドは強烈だ。プログレでのワイルドさこそ影を潜めていたが、トゥッティの気迫溢れる合奏には目も耳も釘付けになる。予想していたとおり、オーセンティックなレパートリーでも総じて辛口で引き締まった演奏。
正直に言ってハイドンとヴェーベルンは全く馴染みがなく、シューベルトの15番が聴きたいがために買ったチケットだったが、果たして感銘度が大きかったのもこの曲だった。ほぼ同時期に作曲された「グレイト」とも共通する要素がある大規模な作品で、スケルツォはかなり似通った雰囲気がある。何ともいえぬ陰鬱さが漂い、後期ロマン派すら予見させる天才の作だ。モルゴーアのシリアスなサウンドともピッタリ合致し、緩徐楽章でも緊張の糸がピンと張り詰めていて聴く方は気が抜けない。合奏精度が「モルゴーアにしては」意外と高くなかったのは、多忙な4人ゆえに合わせが充分出来なかったのか。また1stVnの荒井さんがいつになくピッチが安定せず、一体どうしたのかと思ってしまった。体調が万全ではない?アンコールの死と乙女では柔らかな合奏が復活していた。
前半の2曲については殆どコメントできない。ハイドンは半分意識が飛んでいたし・・・。ただヴェーベルンのSQ、彼の作品の中ではかなり難解な部類の作品ではないか。

ところで、至近距離でこの団体を聴いて思ったのだが、中低音を豊かに支えるVaとVcの重要性は勿論として、高音域と中低音域をクッションする2ndVnの役割の弦楽四重奏における重要性を痛いほど認識した。2ndVnは普段下支えに徹しているのだが、一瞬前面に躍り出た時に実に美しいソロが与えられていたりするのだ。モルゴーアの戸澤さんは気迫こそ荒井さんには負けるけれども、擦弦楽器とは思えぬほど繊細で柔らかな美音の持ち主で、今日一番鳥肌が立ったのはD.887での彼のちょっとしたソロだった。

2015/1/29
新日本フィルハーモニー交響楽団 第534回定期演奏会
@サントリーホール

武満徹:地平線のドーリア

吉松隆:トロンボーン協奏曲「オリオン・マシーン」
~ソリスト・アンコール~
モーツァルト:レクイエムより Tuba mirum
リゲティ:ロンターノ
クセナキス:ノモス・ガンマ 

トロンボーン:山本浩一郎
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:西江辰郎
指揮:井上道義


ミッキーこと井上道義「完全復活」を印象付けた、最高にエキサイティングなライヴだった。まだ喉は万全でなくガラガラ声なのに、「喋らない訳には!」とばかりに盛んにお喋り。特に今回は4曲とも編成がバラバラで舞台転換がかなりあったので、曲間トークでたっぷりとミッキーワールドが展開。昔NJPとノモス・ガンマを取り上げた時の公演パンフや当時の自らの写真を拡大コピーして持ってきて「髪がない今の自分の方が好きだ!」とか、「一階はS席だけど恩恵がないから(R/Lブロックと)代わってもらえば?」など、抱腹絶倒のトークは尽きない。特に今回のプログラムはご本人も興奮気味だったのではないだろうか。
演奏自体も素晴らしい。武満徹「地平線のドーリア」はノン・ヴィブラートの弦の音色が笙そのもの、エコーを表す第2グループのオケをかなりステージ後方においたことで空間的な広がりが生まれ、あたかも時間が無限化してゆっくりと流れるよう。この不思議な浮遊感が日本的なのだろうか。吉松隆の「オリオン・マシーン」は山本さんの超絶技巧が冴え渡る!歌声のように自在で、楽器であることすら忘れかけるほど。小編成のオーケストラが演奏している時、山本さんは歌ったり体をゆすったり、かなり演奏に参加。アンコールはないだろう、と思ったがまさかのモツレクのTuba mirum。さらさらっと思いつきで吹いたのだろうに、巧いのなんの。
演奏とは関係ないが、「オリオン・マシーン」初演者の箱山さんが退団し、ソリスト降板となったことはかえすがえすも残念。箱山さんありきで組まれたようなプログラムだろうに。

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休憩後のリゲティ「ロンターノ」は明晰であることを完全に拒否した音楽で、ゆっくりと繊細に色彩が変化していくのが印象的。「絵画を観るよう」とミッキーが語っていたが、まさにその通りの印象。そして、最後のクセナキス「ノモス・ガンマ」で脳天を完全に打ち抜かれた。まずは添付の衝撃的なリハーサル写真を観ていただきたいが、98人の奏者が指揮者を中心に円形に並び、阿鼻叫喚の大絶叫を20分間繰り広げる。凄絶なカオスの中に戦車のキャタピラ音、機銃掃射、民衆の叫び声、迸る鮮血が息つく間もなく現れては消えてゆく。突如として現れる弦のピツィカートですら慰めには聴こえず、戦没者の呻き・嘆きのようで不気味だ。不謹慎ながら、戦争経験者でPTSDになった方は脳内にこんな音塊が昼夜響いていて、精神を病んでしまうのではないか・・・と想像した。
道義さんの渾身の指揮のもと、新日フィルはいつになくキレッキレの見事な演奏を立て続けに披露した。アルミンク時代で蓄積された現代モノのDNAが蘇りかけたのか?このまま行けば、恐らく今シーズンの新日フィルで最も印象に残った公演はこれになるだろう。「ノモス・ガンマ」での道義さん、台ごとグルグルと回りまくって阿修羅のごとく指揮し、とても癌に侵されていた人とは思えない。表現者の凄さだ。

2015年1月29日の日本で偶然「ノモス・ガンマ」が演奏されたことはアイロニカルであり、また悲劇的なことでもある。1月は都響B定期、そして今日の新日フィルと、戦争に関連のある優れた現代音楽を聴いたが、心ある音楽家もきっと今の日本の現状を憂い、音楽という彼らの言語でメッセージを発信しているのだろう。

2015/1/28
新国立劇場 リヒャルト・ワーグナー「さまよえるオランダ人」
@新国立劇場

ヴァーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」(全3幕/ドイツ語上演/字幕付)

演出:マティアス・フォン・シュテークマン
オランダ人:トーマス・ヨハネス・マイヤー
ダーラント:ラファウ・シヴェク
ゼンタ:リカルダ・メルベート
エリック:ダニエル・キルヒ
マリー:竹本節子
舵手:望月哲也
合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:三澤洋史)
管弦楽:東京交響楽団
指揮:飯守泰次郎

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単刀直入に、演出があまりよくない。正確に言うと、部分的に惹かれる部分はあったのだが、力を入れていない場面との落差が大きすぎて全体的な印象がよくない。近頃の欧州の歌劇場のようにやたらめったら脱がせてエロシーンをぶち込むのも頂けないが、音楽を邪魔しない程度に舞台上に主張を持たせて緊張感を維持してもらわなければ困る。オペラは美術と音楽の融合による総合芸術なのだから、一方がダメダメでは魅力が減衰してしまうのだ。(ちなみに、来シーズンの「ローエングリン」もシュテークマン演出で再演である・・・)

第2幕の後半、オランダ人とゼンタが初めて出会って距離を縮めていく過程が特に酷かった。それぞれ舞台の両端に立ち、ただ前を向いて歌い交わしているだけ。二重唱が終わってやっと近づいて抱擁するのだが、あまりに学芸会的でお粗末だと思う。全体的に動きに乏しい舞台だし、いざ水夫を第3幕で大きく動かしたかと思えば三角形に並んで歌に合わせて両手を上げていくという、観ていて恥ずかしくなってしまうようなダサさ。ミュージカルならいざ知らず。
良かった点も少し。この演出が舞台にかけられるのも3度目なので議論は尽きている感があるが、幕切れでゼンタが海に沈みオランダ人が一人スポットライトで残り力尽きるという読み替えはやはりポイントだ。(音楽は救済の動機「あり」のヴァージョンなのでチグハグな感もあるが)その他に、第2幕の紡ぎ場が船首の形を模してあり、先端にはゼンタと彼女の紡ぎ車が置いてある。この紡ぎ車が舵とほぼ同じ形をしており、終幕でゼンタがオランダ船とともに没することを暗示している。(ややフラットなので見辛いが、写真参照)
ひびのこずえさんの衣装は愛らしくて好感を持ったが、激情的なオペラの衣装としては少しほのぼのとしすぎていたかも。ゼンタが赤いマント(?)を翻しながら歌う場面はドラえもんかスーパーマンにしか見えなかったし、水夫の服もややコミカライズされていた。ダーラントはシックにまとまっていて良かった。

演奏は、陳腐な演出を補ってあまりある素晴らしさを示した。このオペラでは何といっても合唱が充実していないと話にならないが、そこは世界に冠たる新国立劇場合唱団。特に男声は第一声から全音域ムラがなく重厚で、アンサンブルは全くブレないが海の男らしい威勢の良さを完璧に演じきっていた。第3幕の祝祭的な合唱・オランダ船の合唱との掛け合いは音量的な頂点で、広大なオペラパレスを揺るがさんばかりの強靭な歌声。歌手陣はこれだけのメンバーを揃えれば悪かろうはずがないが、特にゼンタのメルベートはこれぞヴァーグナー歌手!という力強さ。少女らしい可憐さはハッキリ言って微塵もないが、一心にオランダ人の伝説を信仰する強い女性としてのゼンタか。ヨハネス・マイヤーのオランダ人は苦しげな表情で、 Verloren! Ach, verloren! Ewig verlor'nes Heil!(ああ、救済は永遠に失われた!)以降の緊迫した追い込みがゼンタ共々凄まじい。日本人歌手では乳母マリー役の竹本さんの深々とした美声が印象的だった。そして、飯守さん指揮の東響である!前回東フィルとの「パルジファル」があまりにも素晴らしく、今回も最大限に期待していったが、東響らしく細部まで抜かりなく仕上げられたアンサンブル。ほんの一瞬現れるオーボエのソロは荒さんで、実にはかなく美しい。第1幕ではやや弦と管のバランスが悪く(弦が弱い)、おやと思ったが幕を追うごとに順調に修正。第2幕と3幕を繋ぐ水夫の合唱の管弦楽のみの部分では、床が持ち上がるのではというような巨大なスケールの音響が出現した。カーテンコールでは飯守さんに盛大なブラヴォーが送られたが(自分もちゃっかり)、ピットの東響の皆さんの幸せそうな達成感に満ちた表情もまた印象的だった。オランダ人とこうもりが交互に上演で、相当体力的にはキツイはずなのに素晴らしい演奏を続けてくれる東響なしには成功はなかっただろう。

2015/1/25
藤原歌劇団創立80周年 2015都民芸術フェスティバル参加公演
ヴェルディ作曲オペラ3幕<字幕付き原語上演>ファルスタッフ
@東京文化会館

ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」(全3幕)

演出:粟國淳
ファルスタッフ:折江忠道
フォード:森口賢二
フェントン:中井亮一
アリーチェ:佐藤亜希子
ナンネッタ:清水理恵
クイックリー夫人:牧野真由美
メグ・ページ夫人:日向由子
カイウス:所谷直生
バルドルフォ:曽我雄一
ピストーラ:小田桐貴樹
合唱:藤原歌劇団合唱部
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
指揮:アルベルト・ゼッダ

シェイクスピアの喜劇を題材にとったヴェルディ最後のオペラ作品。ロッシーニの権威で、昨年の東フィル定期への客演で大いに感銘を受けたアルベルト・ゼッダ翁(御年87歳!)がヴェルディを振るとあって興味津々で観に行った。

膨大な台詞が文字通りひっきりなしに繰り出され、登場人物同士の丁々発止のやりとりが続くこの作品は、ヴェルディ歌いにとっての最難関だという。確かに、声楽的に破綻なくアンサンブルを成立させながら、細やかな演技を交え、なおかつシェイクスピアのエッセンスも含ませるのは熟達の名歌手にとっても至難の業だろう。その点、今回の歌唱陣は健闘していたと言ってよいのではないだろうか。特にタイトル役の折江忠道さんが群を抜いて素晴らしく、彼の存在感が舞台のグレードをどれだけ高めたか分からない。
粟國淳の演出はオーソドックスの極みで、やや守りすぎな印象も受けたが、人物同士の小芝居の細やかさに拘りが感じられた。ファルスタッフと名を偽ったフォードが絡む場面(第2幕)などをはじめ、日本の公演にしては珍しいくらい頻繁に笑いが起きていたのはひとえに演劇的で分かりやすい演出によるものだろう。
だが今回最大の功労者はゼッダ/東フィルの引き締まった快活な音楽だろう。日本におけるオペラ上演では未だにオーケストラが軽視されている気がしてならないのだが、ゼッダの信じ難いほどの闊達な指揮は上演自体に前進するエネルギーを与え、歌手のアンサンブルをもしっかりとサポートしていた。ピットに入った東フィルはいつだかの「ファウストの劫罰」(指揮:プラッソン)の時とは比べ物にならない豪快な鳴りで、アンサンブルも十全、トランペットのまっすぐな響きはイタリアのオケを髣髴とされたほど。素晴らしい演奏だった。

藤原歌劇団創立80周年の記念シーズンもこの公演を以って終了。来シーズンには今回のゼッダ翁を再び迎えて貴重な「ランスの旅」を取り上げるし、佐藤正浩氏指揮の「仮面舞踏会」というワグネリアン垂涎の(笑)公演もある。楽しみ。

2015/1/24
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 第305回定期演奏会
@横浜みなとみらいホール

コルンゴルト:組曲「シュトラウシアーナ」
R.シュトラウス:4つの最後の歌
ブルックナー:交響曲第9番(ノヴァーク版)

ソプラノ:チーデム・ソヤルスラン
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
コンサートマスター:石田泰尚
指揮:サッシャ・ゲッツェル

ゲッツェル月間の集大成となる充実のプログラム。ブル9がメインで「4つの最後の歌」を置けば普通はプログラムは終わるが、シュトラウシアーナを置いてしまう神奈フィルは凄い。毎回2時間超えで演奏内容も素晴らしいのだから・・・。ちなみに、3つとも作曲家の最晩年の作。
それにしても、シュトラウシアーナは前座にしては贅沢すぎる選曲だ!甘い甘いウィーン菓子そのもののサウンドに引き込まれる。滑らかなフレージング、絶妙なテンポの伸縮はまさにウィーン人ゲッツェルの真骨頂。完全にリラックスしつつもオーケストラを見ている。ポルカでのシャンパンの泡が弾けるような響きも素晴らしい。
続く「4つの最後の歌」には個人的偏愛があるので、冒頭数小節を聴いただけで条件反射的に泣けてきてしまうのだが、それを差し引いても今日の演奏は温かく、いつまでも印象に残るであろうものだった。重層的で陰りのある弦の響きが全曲を支配し、ホルンや木管のふくよかなソロもあまりに耽美的。シュトラウス最晩年の黄昏の心象風景を確かに体感し、涙が止まらなかった。。ソプラノのソヤルスランはトルコでポストを持つゲッツェルの秘蔵っ子だろうが、唖然とするような美貌とスタイルの持ち主で、カーテンコールの所作を含めてあたかも19世紀から抜け出てきたような雰囲気がある名花。(ロビーで終演後見たときは今風のオネーチャンでしたがww)その声は無理がなく上昇音型も伸びやかで、ソプラノにしては低音域に凄みがあったのが印象的。彼女のドイツ語も美しく、ずっと歌詞を口ずさんでいたゲッツェルの繊細なリードもあって一層歌いやすそうだった。またすぐにでも聴きたい!東京春祭などで招聘しないだろうか。
そしてメインプロのブルックナー9番。最高潮に高まった期待は裏切られることはなかった。ウィーン・フィル在籍中にゲッツェルがこの曲を弾いたことがあるかは知らないが、冒頭から耳を疑うほどに美しい弦のトレモロが最弱音で響いてきた。先ほどのシュトラウスでも感じたことだが、合わせようと思って合わせた直接的な音圧というよりは、ゲッツェルのタクトに楽員一人一人が反応して出した音が結果的に合わさり、深い味わいのある音が立ち昇るといった趣。「アンサンブルを多少犠牲にしてでもよく歌うことを選択し、結果としてしなやかな演奏になる」ということはあるが、今日の神奈フィルの弦は両者を達成してしまっていた。これは驚異的・奇跡的(失礼!)なことだ。これほどの素晴らしい弦を得たブルックナー演奏の貴重さは、多少の瑕があっても全く揺るがない。木管では特にオーボエの虚無的な旋律が素晴らしく、2楽章トリオは魅了された。金管群も力に溢れ、特にホルン9本(8本+アシ1)の響きの深さは昨年の読響をも上回る。神戸さんのティンパニは今日はそれほど突出せず、ノーアタックでのトレモロなのでオーケストラを力強く下支え。ゲッツェルはテンポを結構動かしていたが、基本的に楽節単位での変化だったため、いやらしさは皆無。どっしりと構えた荘重さが勝った。難物である終楽章に入ってやや音楽の密度が薄れ、コーダの終息感をそれほど感じなかったのは若干惜しかったが、彼の年齢を考えれば素晴らしい成果。一流演奏者としての経験から生み出された、極上の弦の歌わせ方だけで8割方満足してしまった。
自分はウィーン・フィルを一度だけ聴いたことがあるが(2010年、プレートル指揮)、神奈フィルの弦からあの独特の典雅なふわりとした響きを聴けたことを、正直未だに半分信じられずにいる。それほどに衝撃的な体験だった。何という恐ろしい指揮者!
開演前のプレトークでゲッツェル自身が語っていた通り、彼と神奈フィルの旅は来シーズン11月の定期演奏会へと続く。継続的に取り上げているコルンゴルト、次は「シンフォニエッタ」。次が3年間の集大成なんて言わず、来々シーズン以降に超名曲・「交響曲嬰ヘ調」を期待してもいいのかなぁ!いいですよね!

2015/1/23
東京都交響楽団 第783回定期演奏会Bシリーズ
《日本管弦楽の名曲とその源流20(プロデュース:一柳慧)》(最終回)

ベリウス:交響詩「夜の騎行と日の出」
ルトスワフスキ:チェロ協奏曲
~ソリスト・アンコール~
J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番より サラバンド
一柳慧:交響曲第9番「ディアスポラ」(都響委嘱作品・世界初演)

チェロ:ピーター・ウィスペルウェイ
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:山本友重
指揮:ハンヌ・リントゥ

源流シリーズもいよいよ最終回。自分は今回含め2度しか聴けなかったが、現代音楽界とそれに至る流れの存在を聴衆に啓蒙し続けた意義は大きいだろう。来季からは現代曲はプログラムの隅々に散りばめられ、シーズンを通してより面白さが増す。
今回は指揮にリントゥ、チェリストにはウィスペルウェイという超豪華版。確かルトスワフスキ、シベリウスの順に追加されて演目が仕上がったように記憶しているが、彼の客演がさりげなくアナウンスされた時は軽く小躍りしたのをよく覚えている。現代随一の名手がルトスワフスキを弾く!

演奏の印象はというと、やはりそのルトスワフスキにかなり持って行かれた感がある。ソロ・チェロが静かに、しかしはっきりと語り始めるようなD音を20数回繰り返し、次の瞬間それは一市民の叫びに変わる。ぐぎぐぎともがき苦しむような音型が続いた後、トランペット群による牽制がかかる。やがて抑圧は管弦楽全体に波及していき、轟然とソリストに襲いかかる。それでも怯まず叫び続ける独奏と管弦楽の闘争が続き、ついに弦楽がソロ側へとなびき始める。そしてソロと弦が融合し、ユニゾンで奏でる時のすさまじい音響!ソリストを囲む弦楽五部という構図もあいまって、あたかも教祖の演説に聴き入る熱狂的カルト集団のようだった。終盤、ソリストが凱歌のように奏でるA音の連呼も意味深だ。オーケストラは追随せずソロ単独で終わるというのは一体どういう意味を持つのか?歴史的にカタストロフを予見させるD音に始まり、ショスタコーヴィチが第5交響曲終楽章で実に252回も繰り返したA音で終わる意味は?考えればキリがない超名曲。
ウィスペルウェイのソロはあまりにも素晴らしく、身体から発せられる全ての所作が悉く超一流の表現に結びついていた。リントゥ/都響が彼から大いにインスピレーションを受けていたのは明らかで、普段の都響以上に冴え渡るアンサンブル、フルートセクション全員が持ち替えて絶叫するピッコロの恐怖、打楽器陣のアクロバット的なプレイは圧巻の一言。ソロと互角に渡り合ったといっていいと思う。なお、ウィスペルウェイはアンコールでバッハのサラバンドを弾いたが、なんとルトスワフスキの冒頭と同じようにD音を何度か繰り返してから曲に入り、会場が笑いに包まれるという珍事が。カーテンコールでの所作も含め一筋縄ではいかない人物だが、紛れもない天才だ。

順番が前後するが、1曲目のシベリウス「夜の騎行と日の出」は、都響のソリッドで緊密なアンサンブルが活きた佳演。リントゥの指揮に誇張はないが、時折長身を大きく揺さぶり本能的に表現する。変ホ長調の暗闇から光への歩みは第5交響曲と共通し、終盤では管楽器のたっぷりとした息の長い歌とともに充足がやってくる。大詰め近くで木管の一部が若干もたついたのが少し惜しかった。

そして、メインの一柳慧「第9交響曲」初演。伝統的な4楽章形式で、オーケストラの書法も古典的。現代曲としてはかなり保守の部類に入るだろうが、聴き易く面白い作品だった。
バッソ・オスティナート(低音部による反復)の単純で重苦しい特徴的な旋律は楽章を飛び越え、楽器と調性を変え度々登場し、全世界的な苦しみの持続を暗示する。H(ヒロシマ)とF(フクシマ)をモチーフとして扱ったということだが、円熟の管弦楽法が少し厚すぎたのだろうか、それらがはっきりと聴き取れる瞬間はそう多くなかった。4楽章、それまで以上の執拗さでオーケストラ全体がクレッシェンドしてゆく過程はトゥーランガリラ交響曲にも似た天井知らずの恍惚感をもたらすが、もしかしたらあれは核武装により自己崩壊を起こす世界だったのかもしれない。1・2楽章はアタッカで、途中「ゴジラ、東京湾に現る」とでも題したくなるような怪獣映画さながらの破壊シーンが垣間見えた。3楽章はスケルツォにあたるか。
表題の「ディアスポラ」=「離散」の意味するところはこの交響曲が描いた世界の先にあるのでは。作曲者は自らの戦争体験を1楽章~3楽章までに注ぎ込み、4楽章以降の世界はわれわれ聴衆に託したのだと思う。「今の時代が良い方向に行っていないと感じる。70年前の意識とつながるところがある」(2015年1月8日・日経新聞)と作曲家が危惧するところは、自ずから明らかである。反復と変容がキーワードという点は、今回のシベリウス・ルトスワフスキと共通する(プログラミングの意図もそれがあるだろう)
全曲烈しい音響が続くが、リントゥ/都響は音響地獄にせずあくまでシリアスに描いた。

今宵の演奏会の成功に、リントゥが果たした役割は大変大きい。随所で見せるアクションはダイナミックだが、オケとの対話を通じ最良の音を瞬時に引き出す手腕を持っている。シベリウスは初指揮(!)、一柳作品は勿論初演なのに的確で無駄のない指揮。都響との現代モノ、北欧モノをもっと聴きたい。早期の再客演を強く希望したい。

2015/1/20
アレクサンダー・ガヴリリュク ピアノ・リサイタル
@東京オペラシティ・コンサートホール

モーツァルト:ロンド ニ長調 K.485
ブラームス:パガニーニの主題による変奏曲
-Intermission-
サン=サーンス(リスト/ホロヴィッツ編曲):死の舞踏
ヴァーグナー(リスト編曲):イゾルデの愛の死
リスト:コンソレーション第3番
リスト:即興ワルツ
リスト(ホロヴィッツ編曲):ラコッツィ行進曲
リスト:巡礼の年第2年補遺「ヴェネツィアとナポリ」より タランテラ
~アンコール~
ショパン:12の練習曲 Op. 25-7
リムスキー=コルサコフ:熊蜂の飛行
ショパン:夜想曲第8番
メンデルスゾーン(ヴォロドス編曲):結婚行進曲
シューマン:子供の情景より トロイメライ
ピアノ:アレクサンダー・ガヴリリュク

先日のN響定期でのガヴリリュクが凄かったので、滅多に行かないピアノ・リサイタルに行ってみた。プログラム後半にはオーケストラに関連する曲目が多く、自分のようなオーケストラ人間には取っ付き易い。
前半のK.485の清明で光がさすような音楽も良かったが、続くパガニーニ変奏曲以降の超絶技巧曲オンパレードがとにかくもう言語に尽くせぬほどの凄まじさ。ガヴリリュクの誇りと確かな技術力から実現したプログラムだろうが、超難曲をこれだけ詰め込むというのは、普通は考えられない。

今回弾いている表情を余すところなく観られるステージ横の席(反面指は見えないのだが・・・)で、逐一変化する彼の顔を追っていたが、これらの大曲に対して何も気負わず、只管音に向き合う姿勢には圧倒された。音響的には驚天動地の迫力で、しかもリストやサン=サーンスなのでその音楽はとても直接的・具体的なのだが、どこかこの世のものとは思えぬ静けさが漂っていた。30代にしてこの後光が差すようなオーラは一体何なのだ?と思って後で調べたら、どうやら浜松のコンペティションの直後に事故で生死の境をさまよったのだとか。リストやホロヴィッツらが手がけた肉体の限界に挑むような音楽は、皮肉にも三途の川を渡りかけた天才により最善の状態で再現されたということか。この世界はなんと容赦ないのだろう!

技巧系のソリストというと低音部ばかりやたら聴こえてくる人もいないではないが、彼の場合左手の強靭さもさることながら右手の熾烈な高音も凄い。全音域においてムラがなく地を振るわせるような音楽を聴かせてくれた。それでいて音響の全体像はクリアで美しい。弾性の高い打鍵が魅力的だったパガニーニ変奏曲、自在なルバートを駆使して歌い上げたリスト編イゾルデの愛の死、ホロヴィッツ編の死の舞踏、何れも度肝を抜かれた。
熱烈な拍手に何とアンコールは5曲!正直なところ聴衆の熱気に途中からたじろいでいたのだが、聴けるならいつまでも聴きたいという気持ちも分からなくはない。「熊蜂の飛行」などでのアクロバットのみならず、ショパンでの静かな叙情など、本プロではあまり明らかにならなかった彼の一面を垣間見られたのも収穫だった。とにかく凄いものを聴かせてもらった、と言うほかない。

2015/1/18
東京フィルハーモニー交響楽団 第857回オーチャード定期演奏会
@Bunkamuraオーチャードホール

シューマン:ピアノ協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

ピアノ:仲道郁代
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:青木高志
指揮:阪哲朗

いきなり余談だが、自分は独墺のピアノ協奏曲の中でシューマンが一番好きだ。華々しくも押し付けがましくもないし、何より旋律が可愛げでたまらなく美しい。
そんなシューマンの協奏曲。仲道さんのピアノは粒立ちがよく、透き通って叙情的。1楽章のアルペジオはまさに吐息のよう。3楽章でHrがやや遅れたもののオケはピッタリ付け、かつふっくらと表情豊かで好印象だった。(ヘミオラが楽しい)
先日のドヴォコンに引き続き、阪さんの合わせ物の巧さを認識。単なる伴奏にとどまらず、かといって独奏者を引き立てることも忘れないバランス感覚が素晴らしい。
後半「田園」。先日の7番は14型だったが今回は16型。雄渾な低弦が駆動力となって力強く前進するサウンドが実に心地よかったが、オケをもう少し前方に出せば更に強靭に鳴っただろうに・・・。(←東フィルのスタンスらしい)決して華やかではないが、どこかくぐもったような味わい豊かな響き。阪さんは全曲を一つの弧のようになめらかに繋いだ。フレーズの切れ目の処理に細心の注意が払われていて、聴く側にストレスがない。かといって円満なだけではなく、第3楽章ではギアチェンジが巧み、切れ目なく続く第4楽章では思い切り激しい嵐。第5楽章では清澄さが回帰するが、前半楽章より更に推進力に富み、写実的な嬉々とした表情。全体的に自分好みで、とても聴き応えのある「田園」だった。個人的には先日の7番よりずっと良かった。

演奏とは関係ないのですが、「田園」終了直後の「ウリャー」(!!)という謎の奇声がつくづく残念・・・。新種ですかね?

2015/1/17
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
オーケストラ名曲への招待 ウィーンの風―甦る名曲たち
@ミューザ川崎シンフォニーホール

ヴァーグナー:舞台神聖祝典劇「パルジファル」より第1幕への前奏曲
コルンゴルト:チェロ協奏曲
~ソリスト・アンコール~
J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番より サラバンド
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
~アンコール~
J. シュトラウス2世:ポルカ「浮気心」

チェロ:山本裕康
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
コンサートマスター:
﨑谷直人

指揮:サッシャ・ゲッツェル

衝撃の初ゲッツェル体験。
冒頭の「パルジファル」前奏曲ではゲッツェルのリードが確信に満ち、やや薄味だが紛れもないヴァーグナーの響きを引き出す。Tpのアタックに更なる柔らかさを求めるのは酷か。残念だったのはパウゼの度に雑音が入り雰囲気が壊れたこと・・・。
続いてはコルンゴルトのチェロ協奏曲。この作曲家らしいイカしたリズムや旋律が洗練された書法の中に次々と展開されるが、大地の歌を思わせる長大なFlソロには戦後のコルンゴルトの葛藤も確かに滲む。Vcソロの山本裕康さんとバックのオケは作曲家の顔がはっきり見える名演。アンコールのバッハも沁みる...
前半だけでもかなりの満足度だったが、エロイカはまさにゲッツェルの本領発揮。清新、雄弁...色々な形容詞が当てはまりそうで当てはまらない、刻一刻と表情が変化していく驚異の演奏。特に対向配置の弦の表情の濃さは尋常でない。ウィーン風の優美な演奏を期待していたら度肝を抜かれた。最高に良い意味で。
幅広いディナーミクの1楽章(Tpのテーマは途中まで)も面白かったが、以降はいよいよ目が離せない。時折豪快に轟く神戸さんのティンパニ、予想外のアクセントの連続。終楽章冒頭は一気呵成に行ったかと思えば、Pizzでは速度を落としてみたり、あたかもR. シュトラウスのように艶やかに絡みつく。最後は金管を最強奏させ堂々たる終結。面白すぎる!
エロイカの後神戸さんが「よっこらせ」とスネア・シンバル(兼務!)に移動して始まったのがシュトラウス2世のポルカ「浮気心」。ゲッツェルの腰フリダンスはここで絶好調、彼のユーモラスな動作に神奈フィルがまたピッタリ付ける。搾りたて生ジュースのようなフレッシュさのポルカだった。

才気溢れる彼のブルックナー9番を聴くため、勿論定期にも赴くが、今日のエロイカだけでも凄い情報量。アクションは大胆、終楽章の低弦テーマ強調の時のジェスチャーには吹き出しそうに(英雄交響曲で、だ!)なったが、音楽に命を吹き込むためのアクションなので(ギリギリ)いやらしくない。

2015/1/14
東京フィルハーモニー交響楽団 第90回東京オペラシティ定期シリーズ
@東京オペラシティ・コンサートホール

ドヴォルジャーク:チェロ協奏曲
~ソリスト・アンコール~
カザルス:鳥の歌
ベートーヴェン:交響曲第7番

チェロ:堤剛
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:青木高志
指揮:阪哲朗

ドヴォコン・ベト7というベタなプログラム。終演も早かった。
大御所堤さんを迎えた協奏曲、オケの響きはなかなか膨らみがあっていい。阪さんの指揮は繊細かつ迷いがなく、ソリストに対する配慮も十全だ。ホルン・ソロもふくよかで素晴らしかった。しかし、肝心のソロは・・・。入りではそれほどではなかったが、オケと丁々発止で盛り上がる箇所になると音程の乱れがかなり気になった。堤さんが楽壇の重要なポストにあることや、弦楽器奏者としては高齢であることを引き合いに出したくはないが、なんとも音程が決まらず(悪い意味で)オケから浮き上がって聴こえてくるソロを聴いているとそういったことを勘ぐってしまった。本日の公演で35年間(!)務められた首席を辞されるチェロの黒川正三さんへのはなむけとして演奏された「鳥の歌」は滋味のある演奏。
後半のベートーヴェンは一切小細工なし、しかし楽曲のポテンシャルは最大限に引き出すという潔いスタンス。程よい重厚感で前へ前へ弾性豊かに進んで行き、指揮を含めてクライバーを連想させる。現代ドイツのオケはこういう演奏をしたがるのではないか?東フィルは阪さんの頻繁なキューに誠実に応えようとしていたが、楽節の結尾の揃えや管のソロの不安定さが時折見受けられた。弦の目一杯弾ききるサウンドはなかなか壮大だし、全体のバランスも決して悪くなかったのだけれど、東フィルのフィジカルの弱さが出てしまったように思う。お叱り覚悟で言えば、もうワンランク上のオケで阪さんを聴いてみたい・・・。
先述の黒川さんは終演後、楽団・聴衆双方から熱烈な喝采を浴びていた。コンマス青木さんの上気した表情が印象的だった。

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