たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

February 2015

2015/2/27
JUST ONE WORLDシリーズ 第14回 ピョートル・アンデルシェフスキ
@フィリアホール

J. S. バッハ:フランス風序曲
シューマン:8つのノヴェレッテより 第8番
シューマン:幻想曲
J. S. バッハ:イギリス組曲第3番
~アンコール~
シューマン:8つのノヴェレッテより 第8番
ベートーヴェン:6つのバガテルより 第1曲

ピアノ:ピョートル・アンデルシェフスキ


アンデルシェフスキ、今回の来日最終公演。パーヴォ/N響と共演した際はどこかよそよそしい音楽で心配していたが、N響との4回の演奏会を終え、ソロで自分一人と向き合う過程で徐々に彼らしい自由さが復活してきたのではないか。25日のオペラシティでも好評だったようだが、ここフィリアホールの贅沢な小空間で体験するアンデルシェフスキは本当に素晴らしい音楽を存分に聴かせてくれた。
オペラシティでは曲目を変更したらしいが、フィリア公演ではそれに加え、前半と後半でピアノ(同じスタインウェイ)を弾き分けることをも選んだ。「弾き分け」が最初から銘打たれた企画ならともかく、通常のコンサートでは異例のことだ。そして、これが功を奏したのである。前半も勿論素晴らしかったのだが、ピアノから少々弦の雑音のような音が聴こえ、「おや」と思う場面があった。後半のシューマン「幻想曲」では低音部の強靭な打鍵をしっかりとピアノが受け止め、かつ曲想の繊細な変化に合わせ空気感まで自在に変えてしまう彼の演奏の魅力を余すところなく伝えてくれた。バッハはシューマンに比べると澄明だが、淡々としているように見えて恐ろしく中身の濃い音楽。
弾きながらこみ上げるものがあったのか、アンデルシェフスキはイギリス組曲が終わった後答礼もせず呆然とした面持ちで一度舞台袖に引っ込み、2回ほどカーテンコールを繰り返した。その後、「(日本語でなくて)英語でごめんなさい、今からもう一度ノヴェレッテを弾きます。このピアノの方が・・・ずっと心地よいから」(much more comfortableと言っていた)と告げてノヴェレッテをもう一度弾いてくれた。彼の言うとおり、前半よりずっと彼の没入も激しく忘れがたい演奏となった。最後の6つのバガデルも素敵な贈り物。

フィリアホールに集った聴衆の温かい雰囲気も良い方向に作用したと思われる。これまで生で聴いた中で一番素晴らしいピアノ演奏だった。アンデルシェフスキのステージ姿は、正直何を考えているのかよく分からず宇宙人(暴言!)っぽいのだが、彼は楽器を通じてわれわれに語りかけているのだ。作曲家の意図を音にして聴衆に伝える、とはよく言われる言葉だが、それを脚色や誇張なしに体験できる音楽家はほんの一握りであり、超一流だ。アンデルシェフスキは間違いなくその一人。

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2015/2/26
東京交響楽団 第627回定期演奏会
@サントリーホール

ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴスの主題による幻想曲
サラサーテ:スコットランドの歌
ブリテン:ピアノ協奏曲
~ソリスト・アンコール(ピアノ)~
ウィリアム・バード:森はこんなに荒れて
エルガー:交響曲第1番

ヴァイオリン:大谷康子
ピアノ:キット・アームストロング
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:水谷晃
指揮:秋山和慶

後半のエルガーが20時半から始まるという、長~い英国プロ。都響ならブリテンとエルガーではい終わり、というところだろうが、2曲も追加してしまう東響のサーヴィス精神というか。ただでさえ過密日程でお疲れだろうに。

一曲目のRVWは有名曲だが、実演に接する機会はあまりなく貴重。小編成の弦の響きの上にフルートとハープの郷愁あふれるメロディが重なり、ホールを独特の雰囲気が包み込む。続くサラサーテではオーケストラが拡大し金管も加わる。ソリストの大谷さんは言うまでもなく東響のコンマスとしていつも素晴らしいソロを聴かせてくれる素敵なヴァイオリニスト。オーケストラ内で聴く彼女のソロは本当に卓越していて、東響から一番キラキラした音を引き出すコンマスだと思う。ただ今回のサラサーテでは意気込みすぎたのか、少々ピッチや安定感に難のある箇所が・・・。普段の大谷さんを知るだけに少々歯痒い思いを抱いた。秋山さん指揮のオケは手堅く。
続いては若きブリテンによる力作・ピアノ協奏曲で、初演は作曲家自身のソロで演奏されている。ソリストのキット・アームストロングは7歳で大学レヴェルの数学を学んだという天才で、綿密に計算された(であろう)ペダルの踏み込みや左右の打鍵のバランスなど、大編成でよく鳴らすオケに一歩も負けない素晴らしい演奏を聴かせた。貫禄は流石にないものの、緩徐楽章での歌いこみも自然でよかった。秋山さんは錯綜する複雑なリズムを完璧に処理、申し分ないバックを務めた。
休憩後のエルガー1番はこれまた大作。誰とは言わないが、あまり棒の上手くない指揮者の演奏だと何をやっているかさっぱり分からないこともある曲だが、そこは秋山さん。気心知れた東響から分厚くもキレのあるサウンドを引き出した。1stと2ndが火花を散らすようなヴァイオリン群の攻め気味のプレイは見ごたえがあり、ほぼ完璧かつセクションとして目を見張るような厚みで聴かせたホルン群も大活躍。(その他の金管も勿論良かった)3楽章のしっとりした弦の歌では東響の合奏力が活きていた。終楽章終盤ではぐんとテンポを落とし、大見得を切る秋山さんの芸風も健在。特にこの曲には合っていて抜群の効果をもたらしていた。

これだけの素晴らしい演奏、客入りがいまひとつだったのは何とも勿体無い。指揮者生活50周年記念月間の締めくくりに相応しい、快心のエルガー1番だったのではないか。東響のスケール感・安定感も相変わらずだ。

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2015/2/25
東京フィルハーモニー交響楽団 第859回サントリー定期シリーズ
@サントリーホール

マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:三浦章広
指揮:チョン・ミョンフン

今月の東フィルはかなり忙しい。リゴレット、エッティンガーラスト公演、元シェフのチョンさんの久々の登場。同一時間に2公演が可能な大所帯(実際別働隊の東フィルはいま大分にいる)とはいえ、いくらなんでもやりすぎではないか、そう思わざるを得ない定期演奏会だった。

チョンさんのマーラー6番は基本的に骨格がしっかりしていて揺るがない。特に両端楽章はかなり淡々としていて、それだけに容赦ない大管弦楽の咆哮もストレートに、次から次へと襲ってくる。その迫り来る恐怖感は充分に体感できた。ただ如何なる感情の起伏も単色で描かれており、あまりに割り切られた感覚で構築されすぎではないか?と思ってしまう。まあ、これは好みの問題。一方でアンダンテの第3楽章ではテンポを揺らしてよく歌いこむ。東フィルの弦もここでは深い歌を聴かせていた。
変則18型巨大編成の東フィルはチョンさんのほぼ右手オンリーの簡略化された指揮の行間を読むように力一杯の演奏をした。10本のコントラバスを揃えた低弦の量感など並々ならぬものだったし、猛速で過ぎ去ったスケルツォも技術的には高度だった。ただ、マーラーの特徴の一つである場面の頻繁な転換に順応できていたかというとやや怪しいものがあり、特に終楽章は演奏するのが精一杯といった感じ。かなりの人数のエキストラを毎回動員するこのオケにはなかなか難しいのかもしれないが、チョンさんクラスの指揮者による即興的な揺さぶりにも動じず、音楽の骨格が保たれ続けるような安定感の獲得が、東フィルには急務のように思われる。金管楽器のトップ奏者や、大人数の打楽器奏者、2ndヴァイオリントップの女性奏者など、一部の奏者は傑出したパフォーマンスを見せていた。

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2015/2/24
クリスティアン・ティーレマン指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
@サントリーホール

R. シュトラウス:メタモルフォーゼン
ブルックナー:交響曲第9番(ハース版)

管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン
コンサートマスター:マティアス・ヴォロング
指揮:クリスティアン・ティーレマン

偉大なふたりの作曲家の、最晩年の作品を並べたプログラム。決して派手ではないが、深い余韻を残す組み合わせだと思う。なお、来シーズンの名古屋フィルで尾高さんが全く同じプログラムを指揮する。

23声部を23人の奏者で演奏するという、ほかにリゲティの「ルクス・エテルナ」位しか類を見ない(というより、僕は知らない)作品であるシュトラウスの「メタモルフォーゼン」。演奏家に対する作曲家の全幅の信頼がひしひしと伝わるよう。そして当夜の演奏は、その信頼に十分値するものとなった。戦争で傷ついた祖国への想いであるとか、シュトラウス自身の晩節の心情が込められている、というのはプログラムの曲目解説のような言葉だが、あのドレスデン空襲で自らの本拠地を失ったシュターツカペレ・ドレスデンの名手たちに、そのような御託を並べるのは寧ろ失礼だ。オーケストラが世代交代しても脈々と受け継がれる楽団のDNAの中に、その悲しい歴史は確かに息づいている。声高な主張がなくとも彼らの音楽の中に十分感じることは出来た。ティーレマンの指揮も伝統ある楽団の室内楽的にブレンドされた音楽を尊重するもので、無粋なアゴーギクとは無縁。静かな名演と呼ぶにふさわしい演奏だった。時折現れるベートーヴェン「英雄交響曲」の葬送行進曲主題は胸を締め付けるように苦しい。本当の苦しみは静かに、されど容赦なく襲ってくる。
「メタモルフォーゼン」の独特の余韻を味わいながら自席に戻る。オーケストラと指揮者が入場し終えると、完全な静寂が訪れてからタクトが動き、d-mollの弦楽合奏が荘厳に響いてくる。抑制された、ただ事ではない響き。第1主題のトゥッティはそれほど威圧的でなく、静かに提示される。ティンパニの一打もふわりと柔らかい。ティーレマンの指揮は只管に繊細で、第2・第3主題の扱いはいずれも羽毛を撫でるように丁寧。だが再現部に差し掛かると音楽が狂気を帯びたかのように生々しくなり、強烈な音塊が次々と炸裂する。オーケストラ全体の響きからの逸脱こそないが、ブラスは7分ほどのパワーで大いなる畏怖をもたらす。1stトランペットの啓示のような強調を経て迎えたコーダでは遅いテンポの中に全てが積み重なり、異世界への扉が開けたところで容赦なく終止符が打たれる。
かなり長い楽章間を経て始まったスケルツォでは、テンポこそ中庸のものだったがオーケストラの風格が全開になった。全ストリングスによる渾身の演奏には何かが憑依したような凄みがあり、ティーレマンの役割は彼らのエネルギーを一点に束ね、発散する目安を示すことのみ。
終楽章は意外にも淡々と開始された。オクターヴを超える跳躍を持つ、この世のものとも思えぬ第1主題の提示を経て、徐々に楽器が重なった末に訪れるカタストロフィ。トランペットに続き咆哮する9本のホルン群は完璧としか言いようがなかった。絶妙にブレンドされ一つの巨大な塊となった楽音は、あたかも天まで聳えたつ柱が突如として眼前に立ち現れたかのような印象を与える。ヴァーグナーテューバの哀切な下降音型も言うことなし。ティーレマンはこの楽章に来てかなりゆったりとしたテンポを設定し、オーケストラに更なる深い呼吸を求めていた。それはフレージングや大胆なゲネラル・パウゼに表れ、特に後者は頻繁に挿入された上一つ一つが長いことが多かったが、聴衆はほぼ身動き一つせず彼の指揮に徹頭徹尾付き合った。マイクは立っていなかったが、もしこの演奏を録音で聴けば恣意的な工作として一蹴するかもしれない。だがライヴゆえか、ティーレマンの言いなりになってしまう自分は確かにいたのである。楽章が進むにつれて無尽蔵のブラックホールのようなスケールはどんどんと拡大され、コーダ直前のとてつもない不協和音の強奏は過去聴いたことがないほどに長く引き伸ばされた。ここが恐らく全曲の頂点であり、清濁全てを飲み込んでしまったブラックホールは天国的なコーダの中で静かに溶解していった。弦のピッツィカートは十分な合間をとって名残惜しく鳴らされ、最後の一音はとりわけ長い間を経て響き、そのまま音楽は終息した。
ティーレマンが指揮棒を下ろしてなお続いた長い長い静寂を経て、喝采が巻き起こる。ほぼ無敵ではないかとすら思われた1stホルンをはじめ、名演の立役者たちは熱烈に称えられる。ティーレマンもオーケストラに深く謝意を表した。この演奏の後に、アンコールなどもちろん必要ない。

中学生以来久々に聴いたシュターツカペレ・ドレスデンの響きは、ティーレマンを迎えて更なる深化を遂げているように思えた。同国人ゆえなのか、彼の人間性の問題なのかは分からない。ただ間違いなく言えるのはティーレマンはこのオーケストラの美質を理解・尊重し、またオーケストラも彼の導きに応える意思があるということだ。オペラピットという主戦場で数百年に渡り磨かれてきた「聴き合う合奏」の強みは、クラシック音楽界をグローバリゼーションが席巻する今ますます輝かしさを増している。ティーレマンは彼らの守護神であり、指針である。ベルリン転出という噂が立って久しいが、やや不器用で頑固な職人である彼をドレスデンから奪わないでほしい。ティーレマンというと「ドイツ音楽正統派継承者」といった、まるで右翼活動家のような不名誉なレッテルがここ日本では貼られてしまっているのが彼の不幸だが、彼の本質は正統か亜流かといった所にはないはずだ。極限の繊細さと大胆さ、その両方を最高のレヴェルで演奏家に要求し、しかも彼らを納得させてしまう説得力が彼の最大の強みではないか。その力は聴衆をもねじ伏せてしまう。ゆえに、空気を共有していない記録媒体では彼の魔術が減衰してしまうのだろう。やはり最終的には「ナマ」を聴かねば結論は出せないのだ。

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2015/2/23
クリスティアン・ティーレマン指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
@サントリーホール

リスト:交響詩「オルフェウス」
ヴァーグナー:ジークフリート牧歌
R. シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
~アンコール~
ヴァーグナー:歌劇「ローエングリン」より 第3幕への前奏曲

管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン
コンサートマスター:マティアス・ヴォロング
指揮:クリスティアン・ティーレマン

図らずも一日置いて大曲「英雄の生涯」を聴き比べすることになった。一方は次世代型ハイブリッド指揮者×日本のトップオケ、もう一方は叩き上げのドイツ人名匠×世界最古のオーケストラのひとつ、シュターツカペレ・ドレスデン。さあ、結果はいかに。ちなみに偶然だが、どちらもオケもヴァイオリンを両翼に分けた対向配置でコントラバスは下手側だった。

冒頭のリストの交響詩はなかなか取り上げられない作品で、録音でも実演でもこれまで耳にしたことはなかった。ギリシャの吟遊詩人オルフェウスを具現化した作品で、ハープの効果的な使用が印象的。(オルフェウスは竪琴の名手だった)高貴な雰囲気が全体を支配する美しい作品だが、予習段階ではリストの他の交響詩同様にそれほど内容があるとは思えず、惹かれなかった。だがいざドレスデンの演奏で聴くと、あまりの素晴らしさに「こんなに良い曲だったか?」と耳を疑ってしまう。一曲目から16型の大編成でステージ上にずらりと並んだ弦楽の豊かな音色、中間部でふわりと膨らんで豊かに鳴る金管群。幸福感に満ちた終結における、ティーレマンの余韻を持たせた音の切り方も素晴らしかった。

続く「ジークフリート牧歌」では12型に縮小。インバルやノットが日本のオケと聴かせてくれたこの曲も優れた水準にあったが、今回ティーレマンは腰をかがめて殆ど弦楽器奏者の顔の位置で振り、彼ら以上の繊細で丁寧なリードを見せた。(ちなみに指揮台はなく暗譜)ティーレマンが左手を数センチ単位で震わせると、ドレスデンの弦は即座にそれに反応し、弱音から信じ難いような超弱音へと達する。しかも驚きなのはこの変化が実に曲線的に、全セクションで行われること。あたかもアンプのツマミを回すかのように。美貌の首席オーボエ奏者セリーヌ・モワネ嬢をはじめとする管楽器のソロも絶品だ。彼らも弦と同じく、無音状態からふわりと弦の弱音に溶け込んでくる。なぜこのような芸当が可能なのだ・・・?ティーレマンの指揮はあくまでオーケストラが「互いを聴き合う」サポートに徹しており、先述した弱音部の精緻コントロールに彼とオーケストラの強固な信頼関係が現れていた。時折彼の音楽に聴かれるあざとさなど微塵も感じず、繊細さだけが強く印象付けられる。

前半だけでも聴きに来た甲斐があったが、メインはドレスデンの十八番・「英雄の生涯」。そしてこれが一生モノ・感涙モノの感銘を残す演奏だった。もしかしたらこれを超える「英雄の生涯」を聴くことはもうないかもしれないし、望もうとも思わない。実はシュターツカペレ・ドレスデンのR.シュトラウス(ドン・ファン、ティル、原典版『英雄の生涯』)は前首席指揮者ルイージと来日した時も聴いているが、ルイージの流麗な指揮、重心軽めの音楽にSKDの個性が上滑りしているように感じられ、それほど感銘を受けなかった。もちろんオーケストラの深い味わいは素晴らしかったけれども。
16型4管編成(ホルンはアシスタント1を含め9本!)の大編成となったSKDが奏でる冒頭のEs音は、まろやかに融け合った芳醇極まりないサウンドが舞台からいっぱいに広がってきた。刺々しさなど微塵もなく、永久に浸っていたくなるあまりに魅惑的な音・・・。テューバが加わったあたりから流石にドスの効いた低音も聴こえてきた。弦は全セクションがいきなり前傾姿勢で、分厚さと音量は桁外れにあるのに華美すぎず、あくまでシックな音色を保ち続ける。前半のリストと同様に、第一曲は弦の響きをたっぷり残し味わい深く終結。木管楽器によるコミカルな「英雄の敵」の描写は、これぞオペラハウスのオケ!と快哉を叫びたくなるような表情の濃さ。大胆なソロを吹いたEsクラ奏者の方、お見事でした。切れ目なく続く「英雄の伴侶」ではマティアス・ヴォロングのソロが実演では最高水準の色気と貫禄。そもそも音量がかなり大きいし、一つ一つの音の瑞々しさに惚れ惚れする。N響の篠崎さんも素晴らしかったのだが、SKDのコンマスが凄すぎた。ティーレマンは協奏曲でソリストを支えるかのように彼を注視し、オーケストラも自在に呼吸する。そして、愛の交歓を経て力を増す英雄が、狂おしいほどの熱量のVnセクションにより渾身の力で描かれる。ここでのティーレマンの力の篭め方は尋常でなく、両拳をブルブルと震わせてありったけのエネルギーを放出していた。そして再び音楽が静まり、透徹した弦を経て戦場へと場面が移っていくのだが、普通なら何気なく通り過ぎるこの場面間の繋ぎすら素晴らしかった。例のごとくティーレマンは繊細な弱音を求め、それに応えたオーケストラからは擦弦楽器ということを忘れさせるような透き通った音が出てくる。目の前で奏者が音を奏でているのに、どこか遥か彼方から音が響いてくるような異次元の音・・・。全奏者が意識を注力しなければ生まれ得ないサウンドだろう。そして始まる戦場のドンチャカだが、SKDは馬力全開で重心の低い行進を始める。ティーレマンはどっしりしたテンポで貫禄充分。バスドラムや各種打楽器、金管なども盛大に鳴らしているのに、ホールも飽和しなければ全くうるさいとも感じない。寧ろまだまだ響きに余裕がありそうな気配すら漂っている。”気配”と思ったら本当にその通りで、ティーレマンは「戦場」で英雄動機が回帰する瞬間に全曲の頂点を持ってきた。冒頭で抑え目だったのはこの構築ゆえだったのか。金管楽器はどこまでもクレシェンドできるぜ、と言わんばかりに高揚していき、「英雄の業績」になだれ込む。ここでの低弦の強調にやや指揮者の個性を見た。そして、いよいよ到達した「英雄の隠遁と完成」においては、ホルン群と弦の弱音の滋味ある対話が聴こえてくる。弦楽器は先ほど同様どこから鳴っているのかという繊細さだし、ホルン群もそれに応じてふくよかな弱音で応えた。ここに来てティーレマンはテンポをぐっと落とし、晩年の諦念に充ちた英雄像をじっくりと描き出す。この解釈はウィーン・フィルとのCDでも同じだが、オケの味の濃さはSKDの方が上かもしれない。英雄の過去の戦いの回顧では、一瞬激しい闘争の音楽が戻ってくるが、この箇所の弦の総力を挙げたトレモロがまた鳥肌が立つほど。つい数分前にあれほどの弱音を奏でたのはあなた方ですか?と聴きたくなった。音が完全に消えてから、見事な沈黙がホールを十数秒包み、割れんばかりの喝采となった。ホルン、Vnソロ、金管群などに熱烈な賛辞が浴びせられたほか、ティーレマンもいつもの「指揮台からのドヤ顔」を見せてご機嫌そうだった。「英雄の生涯」のままの巨大編成で演奏したにもかかわらず、見事なバランスの良さとしなやかさを併せ持った「ローエングリン」第3幕への前奏曲のアンコールの後、ソロ・カーテンコール一回。

ところで、今回の演奏会では一つ「ネタ」になりそうな珍事が。英雄の生涯の終盤、Vnソロに続き金管のファンファーレが立ち現れ、打楽器陣を加えて静かに曲が閉じられる場面。バスドラム奏者が全身を使った渾身の一打を決めた次の瞬間、マレットが彼の手を離れてP席近くまで高らかに舞い上がった。見事に回転したそれは、幸いにして無音で床に着地し、回収となった。衝撃音が出なかったのは幸いだったし、オーケストラは平静に幕引きを奏していたけれど、聴衆とティーレマンの目にははっきり映ったはず。あの奏者、怒られてないといいが(笑)

この魅力尽きせぬ素晴らしいオーケストラについては、最終公演のブルックナー9番を聴いてから言及したいと思います!

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2015/2/22
東京都交響楽団 プロムナードコンサートNo.362
@サントリーホール

モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
モーツァルト:クラリネット協奏曲
~ソリスト・アンコール~
ハンガリー民謡
ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲「展覧会の絵」

クラリネット:アンドレアス・オッテンザマー
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:四方恭子
指揮:小泉和裕

前後半でガラッと曲目が変わる。必然か偶然か、演奏の印象もそれに伴って全く違ったものとなった。

都響のモーツァルトというとそれほど印象がないが、昨年レヴィンを迎えて弾けるような協奏曲や交響曲を聴かせてくれたのは新鮮だった。それに比べると今日の小泉さんはオーソドックスで、ピラミッド型の堂々としたモーツァルト。ドン・ジョヴァンニの序曲はシリアスな響きなので、彼の構えの大きなアプローチとの相性は悪くなかった。続くクラリネット協奏曲は、アンドレアス・オッテンザマーがソロを吹いた。昨日FBで"Feel better"と書いていたので、来日当初よりは体調が回復したのだろう。神奈フィルとウェーバーを吹いた時より柔軟性があったように思えた。みなとみらいホールではあまり気づかなかったが、サントリーホールの豊かな(豊か過ぎる?)残響の中で聴くと彼のダイナミック・レンジの広さに驚嘆する。弱音はどこまで小さくなるんだ!というくらい繊細で小さく、なおかつ膨らみを失わない。第3楽章冒頭のように伸びやかな歌を聴かせる場面での闊達な表情もたまらない。ベルリン・フィルならもう一人の首席奏者であるフックスが好きなことは変わらないが、オッテンザマーもまた素晴らしい。オケは頻繁に表情を変えるソロに驚異的なほどぴったり付け、コンマスの四方さんや小泉さんがオッテンザマーとアイコンタクトを交わしながら音を紡いでいく様子には思わずほっこりしてしまう・・・。モーツァルト最晩年の、清澄さの中に哀感漂う名作が理想的な形で再現されたことに感謝したい。この一曲だけでホールに足を運んだ甲斐があったというもの。
続くムソルグスキーの「展覧会の絵」。休憩中に「モーツァルトで得た至福をそのままに帰ってしまいたい」と仰る方が複数名いらっしゃったが、その気持ちは分かった。野蛮な(ラヴェル編なので薄れてはいるけれど)ムソルグスキーに向き合うには少々心が浄化されすぎてしまっていた(笑)とはいえとりあえず自席に戻り演奏を聴く。冒頭のトランペット・ソロは首席の高橋さんで、一箇所惜しかったけれども明晰な彼らしい優れたソロ。その他管のソロも完璧ではないにせよまずまずだったが、どこかオーケストラの響きの焦点が定まらず不思議な印象を受ける。原因を探ってみると、どうやらそれは小泉さん特有の大振りな指揮にありそうだ。独墺系のどっしりした音楽において太い流れを邪魔しない彼のタクトは、どうもフランス音楽のように細かなスパンで音楽の表情が変わっていく種類の音楽には向いていないように思える。また先振りが結構多いので、オーケストラもおっかなびっくり出てしまい、結果としてアインザッツの明晰性が失われていた。もっとも、重厚な牛車(ブィドロ)あたりから両者の呼吸がようやく一致し、いつもの都響らしい安定感のある響きが戻ってきた。バーバ・ヤーガ以降の盛り上がりはお約束だが、小泉さんは打楽器のずらしもテンポのタメもほぼ無しであくまでも生真面目に全曲を締め括った。これはこれで潔いが、自分の好みとは少々異なる。都響は先述の通り水準を保った演奏だったが、一点仰天したのは首席Trbの小田桐さんが牛車のユーフォニアムソロを兼務で受け持っていたこと。ユーフォニアム専門の奏者とはまた違った味のあるソロで、貴重なものを聴けた。

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2015/2/21
NHK交響楽団 2015横浜定期演奏会
@横浜みなとみらいホール

R. シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番
R. シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

ピアノ:ピョートル・アンデルシェフスキ
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:篠崎史紀
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

B定期での同演目が明快に賛否両論に分かれていたので、2月のパーヴォ月間のうち、A・Cともに感銘を受けた自分としては興味津々で会場へ向かった。

両端の大編成シュトラウスに挟まれたK.503では、アンデルシェフスキ・パーヴォ・N響が三位一体となった親密な対話を期待したが、残念ながら結果は不幸な形に終わった。昨年のフルシャ/都響で自由な思索を広げたピアニストと同人物とは思えないほど、こじんまりとそつなくモーツァルトを弾きこなしていた。何故だろう?恐らく彼は、パーヴォ/N響の結束に入っていけなかったのだろう。指揮者は小編成に刈り込んだオーケストラに信頼を置き、弦楽器は柔らかな音色で、管楽器は洒脱なソロで主張する。両者が奏でるモーツァルトは実に自然体で溌剌としていた。だがその連関にパーヴォがピアニストを招き入れたかというと―答えは否に近いだろう。第3楽章で三者は接近して協奏が始まったかと思ったが、時既に遅し。カーテンコールでコンマスと指揮者に称えられながらも、どこか寂しげに歩くアンデルシェフスキの表情が全てを物語っていた。聴衆の一人としては何ともいたたまれない。アンコールを弾かなかったのは当然かと思われる。本日22日の名古屋公演はどう出るだろう?無難に終わるか、ソリストが羽を伸ばし稀有のライヴとなるか。

そして、ソニーにツィクルスの録音も開始したリヒャルト・シュトラウスの交響詩二曲。あくまで個人の感想だが、発売の暁にはかなり賛否の分かれるものとなりそうだ。
前半に奏された「ドン・ファン」は速めのギュッと凝縮したテンポの音楽の奔流に圧倒される。リズムや金管の難所は寸分の狂いも無く決まり、あっという間に全曲を駆け抜ける。VnソロやObで提示される女性たちも艶やかで、全曲中盤よりやや後に登場するHr群の勇壮なソロの野太さは特筆に値する。これほどの豪快なホルン群を聴けるのは、首都圏ではここN響と日橋さんを擁する日フィルだけだ。全体として血気盛んな25歳のシュトラウスを髣髴とさせる怒号の連続であったが、オーケストラは余裕すら感じさせる安定感だった。
「作曲当時のシュトラウス目線」というパーヴォの方向性は後半の「英雄の生涯」でも継続されていた。この曲はシュトラウスが自らの交響詩群の締め括りとした大曲であるが、作曲当時彼は若干35歳。この年齢で自らの生涯を振り返る作品を書いてしまうところに、シュトラウスのエゴを強く感じるのは自分だけではないと思う。緻密なオーケストレーションが効果的に鳴れば鳴るほど、作り物としての「回顧録」の胡散臭さを強く認識せざるを得ないのだが、パーヴォは英雄の人生を振り返ることを最初から放棄してしまった!彼は創作意欲に満ちた壮年期のシュトラウスを自ら演じ、過剰なまでにオーケストラを轟然と響かせたのだ。基調テンポは「ドン・ファン」以上に速く、前進あるのみ。「英雄の伴侶」では自由度を持ったVnソロに合わせ弦楽のフレージングに変化を付けたが、豊麗でエロティックな音楽が姿を見せたのはたったその一場面のみ。他は剛直なN響のサウンドが痛快に炸裂し続ける音響地獄と化していた。金管に若手メンバーや豪華なエキストラを揃えたベストメンバーのN響がいざ底力を出せば、これほどまでの大音量が生まれるのだというディスプレイならば全く言うことなしだが、果たしてこの色気のない音楽はシュトラウスなのだろうか?「作曲家目線」がパーヴォの確信犯ならば彼の目論見は大成功だろうが、自分はまた聴こうとは思わない。

「英雄の生涯」はエゴの塊だと認識しつつも、その人工美の極致をこれでもかと味わわせてくれる指揮者と楽団には白旗を揚げるしかない。現代におけるその最高の組合せは、現在来日中のクリスティアン・ティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンであろう。自分はブルックナー9番は既にチケットを持っているのだが、今回のパーヴォ/N響で激しい欲求不満に陥っているので、23日も急遽検討している・・・。

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2015/2/20
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 第306回定期演奏会
@横浜みなとみらいホール

ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容
ウェーバー:クラリネット協奏曲第1番
〜ソリスト・アンコール〜
ヴァイネル:2つの楽章より Barndance
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」

クラリネット:アンドレアス・オッテンザマー
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
コンサートマスター:石田泰尚
指揮:川瀬賢太郎

ヒンデミット、ウェーバー、チャイコフスキーと多彩な「変奏・引用」プロ。神奈フィルのプログラミングはシンプルにして説得力があり、実に魅力的だ。
ベルリン・フィル首席クラリネットのオッテンザマーを迎えた協奏曲が今回の呼び物だったようだが、自分は寧ろ両端プロの素晴らしさが強く印象に残った。彼のクラリネットは非の打ち所がないのだけど、同じBPh首席フックスの温かく柔らかな音色に比べると分が悪いというか・・・。神奈フィルのバックはウェーバーらしい仄暗いサウンドと快活さを兼備。第2楽章のHr三重奏も味わいがあったが、もう少し木質の音が良かったかも。アンコールではオーケストラも参加してアグレッシヴで若々しい音楽を披露してくれた。なおオッテンザマー、今回の来日では体調が優れず、オケとの合わせはGP一回のみだった模様。にもかかわらず呼吸のズレは全く感じなかったが、これは川瀬さんの巧みな指揮の賜物だと思う。
前半一曲目のヒンデミットは間違いなく名曲なのだが、マイナーと言うほどではないにせよ演奏機会が多い曲でもない。(数年前にアルミンク/NJPの名演を聴いた)クーベリック/BRSOの来日ライヴ(Altus)、ブロムシュテット/SFSO(DECCA)など名盤は多いのだが・・・。神奈フィルの演奏はパワフルにして丁寧。第2楽章の伊福部音楽風の抒情も丁寧に再現され、特に木管の旋律の受け渡しは見事だった!神戸さんのティンパニも豪快に主題を刻む。
後半の「小ロシア」。(殺し屋が出てくるオペラを観た翌日に「コロシヤ」を聴くとはこれいかに。いや、なんでもありません)第2楽章冒頭のティンパニがマーラー「嘆きの歌」の「流這いの楽師」にしか聴こえなかったり、第4楽章の狂乱が後々のチャイコフスキーに比べてはるかにぶっ飛んでたりと、ツッコミ所の多い曲(笑)。だがその野趣溢れる魅力に一旦ハマるともう抜け出せない。川瀬さんは堂々たるテンポで全曲を構築し、おざなりに流される場面は皆無。両端楽章での気迫に満ちた追い込み、チャーミングな楽章のいずれも魅せた。終楽章のVn群による渾身のダウンボウには視覚的快感すら覚え、金管と打楽器陣が一段とパワーを増して大興奮のうちに締めくくられた。チャイコフスキーの前期交響曲はなるべく行くようにしているが、これほど充実した演奏を聴けるとは嬉しい限りだった。目一杯に鳴らしつつ統一感も保つとは、川瀬さん/神奈フィル、流石!

余談。演奏とは関係ないが、舞台下手側のNHKカメラが結構雑音を出していて、如何なものかと思った。放送されるのはありがたいのだけど・・・。

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2015/2/19
東京二期会オペラ劇場 ジュゼッペ・ヴェルディ『リゴレット』オペラ全3幕
@東京文化会館

ヴェルディ:歌劇「リゴレット」(全3幕)

マントヴァ公爵:古橋郷平
リゴレット(公爵に仕えるせむしの道化):上江隼人
ジルダ(リゴレットの娘・16歳):佐藤優子
スパラフチーレ(ブルゴーニュ生まれの殺し屋):ジョン・ハオ
マッダレーナ(スパラフチーレの妹):谷口睦美
ジョヴァンナ:与田朝子
モンテローネ伯爵(チェプラーノ伯爵夫人の実父):長谷川寛
マルッロ(公爵の廷臣):加藤史幸
マッテオ・ボルサ(公爵の廷臣):今尾滋
チェプラーノ伯爵:原田勇雅
チェプラーノ伯爵夫人:杣友惠子
マントヴァ公爵夫人の小姓:小倉牧子
合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
指揮:アンドレア・バッティストーニ

その指揮に触れたあらゆる人が「天才!」と異口同音に口にする指揮者、アンドレア・バッティストーニ。自分は今回のリゴレットが”初・バッティ体験”となったが、想像以上の凄まじさだった。指揮者に対してこれほどの衝撃を受けたのは、インバル、パーヴォ・ヤルヴィを初めて聴いた時以来かもしれない。まず公演前に、彼がイタリア文化会館で行ったリゴレットに関する講演のレポートを読んで驚愕する。何故20代という若さでこれほどまでにイタリア・オペラの根幹を理解した語りができるのだろう?トスカニーニ以来、100年に一人の天才という評も納得がいく。彼を今日本のオーケストラで聴けるのは紛れも無く僥倖だ。
バッティストーニがタクトを一閃させると、オーケストラ・合唱団は憑かれたかれたように奏で、歌う。単なるバトン・テクニックの問題ではなく、あらゆるジェスチュアや彼の呼吸までもが演奏者を刺激してしまうのだと思う。しかも彼の場合、頭で考えて棒を振っているというよりは表現が本能的に出てきているのではないか、とすら感じさせる。激しい大音響から厳粛な弱音箇所まで、ピットの中から響いてくる音楽の全てに必然を感じるのだ。
オーケストラの雄弁さに比べると歌手は少々厳しいものがあったかもしれない。恐らく初日ゆえの緊張によるものだと思うが、ここの所充実したアンサンブルが続いている二期会「らしくない」舞台だった。(特にジルダ・・・)そんな中タイトルロールの上江さんは一人気を吐き、苦悶するリゴレット像を明快に提示していた。邦人歌手で聴いたヴェルディ・バリトンとしては表現・声量ともに堀内さんに匹敵する圧倒的な素晴らしさだったように思う。有名なCortigiani, vil razza dannata(悪魔め、鬼め)ではバッティストーニが猛烈にテンポを煽り、凄まじい高速で始まったが全く動じない渾身の歌を披露してくれた。マントヴァ公も悪くなかったが、高音→低音、強弱の推移の際に歌のテンションも一緒に下がってしまうのが気になった。あまり出番の無い役だが、殺し屋の妹マッダレーナの谷口さんは色っぽい歌唱を聴かせてくれてよかった。
演出はパルマとの提携とのこと。幕が開くとともに黄金色の公爵邸が広がり、聴衆は一気に引き込まれる。第3幕の居酒屋での立ち聴きなども位置関係がよく分かるようになっており、比較的簡素ながらも押さえどころを押さえた舞台装置に満足した。

結果的にバッティストーニの才能に打ちのめされたが、恐らく複数回公演のうちにどんどん良くなっていくと思う。出来ることなら別キャストでも観たかった。

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2015/2/18
都民芸術フェスティバル オーケストラ・シリーズ No.46 東京都交響楽団
@東京芸術劇場

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
〜ソリスト・アンコール〜
シューマン:子供の情景より トロイメライ
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

ピアノ:末永匡
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:レオシュ・スワロフスキー

先週の調布公演に続きスワロフスキーが指揮。オール・ベートーヴェンで熟達の指揮を披露した。「皇帝」はCb4本とかなりオーケストラの編成を絞っての演奏だったが、聴こえてくるのは実に立派なサウンド。この編成でもここまで鳴るのか、と関心しているうちにピアノ独奏が華麗に入ってくる。今回のソリストはテンポ感が完全にオーケストラと噛み合わず、細かい走句の繰り返しでだんだん速くなっていってしまい、スワロフスキーがはっきりソリストを見て修正しようとしても完全に自分の世界に酔いしれて突き進んでしまった。単刀直入に言って協奏曲には全く向かないピアニストなのだろう。アンコールのトロイメライも自由なルバートを駆使した演奏で、こちらはそう悪いとは思わなかった。
堂々たるベートーヴェンを奏でたスワロフスキーと都響は何の非もないだけに気の毒。終演後、楽員の冷めた反応が全てを物語っていた。
休憩後の「田園」は14型に拡大。都響らしい解像度が高くきめ細やかなサウンドが最大限の美質として作用した。トゥッティにおける低弦の支え、1stVnと2ndVnの滑らかな掛け合い、広田さんのObに代表される木管群の瀟洒な独奏など、これを「いつものクオリティ」と言えるのは贅沢なこと。スワロフスキーは中庸なテンポで全曲を構築しつつ、リッチな歌を随所で引き出して聴き手を飽きさせなかった。第3・第4楽章の写実的な描写も素晴らしい。終楽章でのごく自然な呼吸の中での高揚は、指揮者とオーケストラの盤石な信頼関係をはっきり感じさせるものだった。

スワロフスキーのような、決して派手ではないがしっかりと音楽をつくる指揮者は貴重である。今後とも都響との関係の持続を願いたい。

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