たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

February 2015

2015/2/27
JUST ONE WORLDシリーズ 第14回 ピョートル・アンデルシェフスキ
@フィリアホール

J. S. バッハ:フランス風序曲
シューマン:8つのノヴェレッテより 第8番
シューマン:幻想曲
J. S. バッハ:イギリス組曲第3番
~アンコール~
シューマン:8つのノヴェレッテより 第8番
ベートーヴェン:6つのバガテルより 第1曲

ピアノ:ピョートル・アンデルシェフスキ


アンデルシェフスキ、今回の来日最終公演。パーヴォ/N響と共演した際はどこかよそよそしい音楽で心配していたが、N響との4回の演奏会を終え、ソロで自分一人と向き合う過程で徐々に彼らしい自由さが復活してきたのではないか。25日のオペラシティでも好評だったようだが、ここフィリアホールの贅沢な小空間で体験するアンデルシェフスキは本当に素晴らしい音楽を存分に聴かせてくれた。
オペラシティでは曲目を変更したらしいが、フィリア公演ではそれに加え、前半と後半でピアノ(同じスタインウェイ)を弾き分けることをも選んだ。「弾き分け」が最初から銘打たれた企画ならともかく、通常のコンサートでは異例のことだ。そして、これが功を奏したのである。前半も勿論素晴らしかったのだが、ピアノから少々弦の雑音のような音が聴こえ、「おや」と思う場面があった。後半のシューマン「幻想曲」では低音部の強靭な打鍵をしっかりとピアノが受け止め、かつ曲想の繊細な変化に合わせ空気感まで自在に変えてしまう彼の演奏の魅力を余すところなく伝えてくれた。バッハはシューマンに比べると澄明だが、淡々としているように見えて恐ろしく中身の濃い音楽。
弾きながらこみ上げるものがあったのか、アンデルシェフスキはイギリス組曲が終わった後答礼もせず呆然とした面持ちで一度舞台袖に引っ込み、2回ほどカーテンコールを繰り返した。その後、「(日本語でなくて)英語でごめんなさい、今からもう一度ノヴェレッテを弾きます。このピアノの方が・・・ずっと心地よいから」(much more comfortableと言っていた)と告げてノヴェレッテをもう一度弾いてくれた。彼の言うとおり、前半よりずっと彼の没入も激しく忘れがたい演奏となった。最後の6つのバガデルも素敵な贈り物。

フィリアホールに集った聴衆の温かい雰囲気も良い方向に作用したと思われる。これまで生で聴いた中で一番素晴らしいピアノ演奏だった。アンデルシェフスキのステージ姿は、正直何を考えているのかよく分からず宇宙人(暴言!)っぽいのだが、彼は楽器を通じてわれわれに語りかけているのだ。作曲家の意図を音にして聴衆に伝える、とはよく言われる言葉だが、それを脚色や誇張なしに体験できる音楽家はほんの一握りであり、超一流だ。アンデルシェフスキは間違いなくその一人。

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2015/2/26
東京交響楽団 第627回定期演奏会
@サントリーホール

ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴスの主題による幻想曲
サラサーテ:スコットランドの歌
ブリテン:ピアノ協奏曲
~ソリスト・アンコール(ピアノ)~
ウィリアム・バード:森はこんなに荒れて
エルガー:交響曲第1番

ヴァイオリン:大谷康子
ピアノ:キット・アームストロング
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:水谷晃
指揮:秋山和慶

後半のエルガーが20時半から始まるという、長~い英国プロ。都響ならブリテンとエルガーではい終わり、というところだろうが、2曲も追加してしまう東響のサーヴィス精神というか。ただでさえ過密日程でお疲れだろうに。

一曲目のRVWは有名曲だが、実演に接する機会はあまりなく貴重。小編成の弦の響きの上にフルートとハープの郷愁あふれるメロディが重なり、ホールを独特の雰囲気が包み込む。続くサラサーテではオーケストラが拡大し金管も加わる。ソリストの大谷さんは言うまでもなく東響のコンマスとしていつも素晴らしいソロを聴かせてくれる素敵なヴァイオリニスト。オーケストラ内で聴く彼女のソロは本当に卓越していて、東響から一番キラキラした音を引き出すコンマスだと思う。ただ今回のサラサーテでは意気込みすぎたのか、少々ピッチや安定感に難のある箇所が・・・。普段の大谷さんを知るだけに少々歯痒い思いを抱いた。秋山さん指揮のオケは手堅く。
続いては若きブリテンによる力作・ピアノ協奏曲で、初演は作曲家自身のソロで演奏されている。ソリストのキット・アームストロングは7歳で大学レヴェルの数学を学んだという天才で、綿密に計算された(であろう)ペダルの踏み込みや左右の打鍵のバランスなど、大編成でよく鳴らすオケに一歩も負けない素晴らしい演奏を聴かせた。貫禄は流石にないものの、緩徐楽章での歌いこみも自然でよかった。秋山さんは錯綜する複雑なリズムを完璧に処理、申し分ないバックを務めた。
休憩後のエルガー1番はこれまた大作。誰とは言わないが、あまり棒の上手くない指揮者の演奏だと何をやっているかさっぱり分からないこともある曲だが、そこは秋山さん。気心知れた東響から分厚くもキレのあるサウンドを引き出した。1stと2ndが火花を散らすようなヴァイオリン群の攻め気味のプレイは見ごたえがあり、ほぼ完璧かつセクションとして目を見張るような厚みで聴かせたホルン群も大活躍。(その他の金管も勿論良かった)3楽章のしっとりした弦の歌では東響の合奏力が活きていた。終楽章終盤ではぐんとテンポを落とし、大見得を切る秋山さんの芸風も健在。特にこの曲には合っていて抜群の効果をもたらしていた。

これだけの素晴らしい演奏、客入りがいまひとつだったのは何とも勿体無い。指揮者生活50周年記念月間の締めくくりに相応しい、快心のエルガー1番だったのではないか。東響のスケール感・安定感も相変わらずだ。

2015/2/25
東京フィルハーモニー交響楽団 第859回サントリー定期シリーズ
@サントリーホール

マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:三浦章広
指揮:チョン・ミョンフン

今月の東フィルはかなり忙しい。リゴレット、エッティンガーラスト公演、元シェフのチョンさんの久々の登場。同一時間に2公演が可能な大所帯(実際別働隊の東フィルはいま大分にいる)とはいえ、いくらなんでもやりすぎではないか、そう思わざるを得ない定期演奏会だった。

チョンさんのマーラー6番は基本的に骨格がしっかりしていて揺るがない。特に両端楽章はかなり淡々としていて、それだけに容赦ない大管弦楽の咆哮もストレートに、次から次へと襲ってくる。その迫り来る恐怖感は充分に体感できた。ただ如何なる感情の起伏も単色で描かれており、あまりに割り切られた感覚で構築されすぎではないか?と思ってしまう。まあ、これは好みの問題。一方でアンダンテの第3楽章ではテンポを揺らしてよく歌いこむ。東フィルの弦もここでは深い歌を聴かせていた。
変則18型巨大編成の東フィルはチョンさんのほぼ右手オンリーの簡略化された指揮の行間を読むように力一杯の演奏をした。10本のコントラバスを揃えた低弦の量感など並々ならぬものだったし、猛速で過ぎ去ったスケルツォも技術的には高度だった。ただ、マーラーの特徴の一つである場面の頻繁な転換に順応できていたかというとやや怪しいものがあり、特に終楽章は演奏するのが精一杯といった感じ。かなりの人数のエキストラを毎回動員するこのオケにはなかなか難しいのかもしれないが、チョンさんクラスの指揮者による即興的な揺さぶりにも動じず、音楽の骨格が保たれ続けるような安定感の獲得が、東フィルには急務のように思われる。金管楽器のトップ奏者や、大人数の打楽器奏者、2ndヴァイオリントップの女性奏者など、一部の奏者は傑出したパフォーマンスを見せていた。

2015/2/24
クリスティアン・ティーレマン指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
@サントリーホール

R. シュトラウス:メタモルフォーゼン
ブルックナー:交響曲第9番(ハース版)

管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン
コンサートマスター:マティアス・ヴォロング
指揮:クリスティアン・ティーレマン

偉大なふたりの作曲家の、最晩年の作品を並べたプログラム。決して派手ではないが、深い余韻を残す組み合わせだと思う。なお、来シーズンの名古屋フィルで尾高さんが全く同じプログラムを指揮する。

23声部を23人の奏者で演奏するという、ほかにリゲティの「ルクス・エテルナ」位しか類を見ない(というより、僕は知らない)作品であるシュトラウスの「メタモルフォーゼン」。演奏家に対する作曲家の全幅の信頼がひしひしと伝わるよう。そして当夜の演奏は、その信頼に十分値するものとなった。戦争で傷ついた祖国への想いであるとか、シュトラウス自身の晩節の心情が込められている、というのはプログラムの曲目解説のような言葉だが、あのドレスデン空襲で自らの本拠地を失ったシュターツカペレ・ドレスデンの名手たちに、そのような御託を並べるのは寧ろ失礼だ。オーケストラが世代交代しても脈々と受け継がれる楽団のDNAの中に、その悲しい歴史は確かに息づいている。声高な主張がなくとも彼らの音楽の中に十分感じることは出来た。ティーレマンの指揮も伝統ある楽団の室内楽的にブレンドされた音楽を尊重するもので、無粋なアゴーギクとは無縁。静かな名演と呼ぶにふさわしい演奏だった。時折現れるベートーヴェン「英雄交響曲」の葬送行進曲主題は胸を締め付けるように苦しい。本当の苦しみは静かに、されど容赦なく襲ってくる。
「メタモルフォーゼン」の独特の余韻を味わいながら自席に戻る。オーケストラと指揮者が入場し終えると、完全な静寂が訪れてからタクトが動き、d-mollの弦楽合奏が荘厳に響いてくる。抑制された、ただ事ではない響き。第1主題のトゥッティはそれほど威圧的でなく、静かに提示される。ティンパニの一打もふわりと柔らかい。ティーレマンの指揮は只管に繊細で、第2・第3主題の扱いはいずれも羽毛を撫でるように丁寧。だが再現部に差し掛かると音楽が狂気を帯びたかのように生々しくなり、強烈な音塊が次々と炸裂する。オーケストラ全体の響きからの逸脱こそないが、ブラスは7分ほどのパワーで大いなる畏怖をもたらす。1stトランペットの啓示のような強調を経て迎えたコーダでは遅いテンポの中に全てが積み重なり、異世界への扉が開けたところで容赦なく終止符が打たれる。
かなり長い楽章間を経て始まったスケルツォでは、テンポこそ中庸のものだったがオーケストラの風格が全開になった。全ストリングスによる渾身の演奏には何かが憑依したような凄みがあり、ティーレマンの役割は彼らのエネルギーを一点に束ね、発散する目安を示すことのみ。
終楽章は意外にも淡々と開始された。オクターヴを超える跳躍を持つ、この世のものとも思えぬ第1主題の提示を経て、徐々に楽器が重なった末に訪れるカタストロフィ。トランペットに続き咆哮する9本のホルン群は完璧としか言いようがなかった。絶妙にブレンドされ一つの巨大な塊となった楽音は、あたかも天まで聳えたつ柱が突如として眼前に立ち現れたかのような印象を与える。ヴァーグナーテューバの哀切な下降音型も言うことなし。ティーレマンはこの楽章に来てかなりゆったりとしたテンポを設定し、オーケストラに更なる深い呼吸を求めていた。それはフレージングや大胆なゲネラル・パウゼに表れ、特に後者は頻繁に挿入された上一つ一つが長いことが多かったが、聴衆はほぼ身動き一つせず彼の指揮に徹頭徹尾付き合った。マイクは立っていなかったが、もしこの演奏を録音で聴けば恣意的な工作として一蹴するかもしれない。だがライヴゆえか、ティーレマンの言いなりになってしまう自分は確かにいたのである。楽章が進むにつれて無尽蔵のブラックホールのようなスケールはどんどんと拡大され、コーダ直前のとてつもない不協和音の強奏は過去聴いたことがないほどに長く引き伸ばされた。ここが恐らく全曲の頂点であり、清濁全てを飲み込んでしまったブラックホールは天国的なコーダの中で静かに溶解していった。弦のピッツィカートは十分な合間をとって名残惜しく鳴らされ、最後の一音はとりわけ長い間を経て響き、そのまま音楽は終息した。
ティーレマンが指揮棒を下ろしてなお続いた長い長い静寂を経て、喝采が巻き起こる。ほぼ無敵ではないかとすら思われた1stホルンをはじめ、名演の立役者たちは熱烈に称えられる。ティーレマンもオーケストラに深く謝意を表した。この演奏の後に、アンコールなどもちろん必要ない。

中学生以来久々に聴いたシュターツカペレ・ドレスデンの響きは、ティーレマンを迎えて更なる深化を遂げているように思えた。同国人ゆえなのか、彼の人間性の問題なのかは分からない。ただ間違いなく言えるのはティーレマンはこのオーケストラの美質を理解・尊重し、またオーケストラも彼の導きに応える意思があるということだ。オペラピットという主戦場で数百年に渡り磨かれてきた「聴き合う合奏」の強みは、クラシック音楽界をグローバリゼーションが席巻する今ますます輝かしさを増している。ティーレマンは彼らの守護神であり、指針である。ベルリン転出という噂が立って久しいが、やや不器用で頑固な職人である彼をドレスデンから奪わないでほしい。ティーレマンというと「ドイツ音楽正統派継承者」といった、まるで右翼活動家のような不名誉なレッテルがここ日本では貼られてしまっているのが彼の不幸だが、彼の本質は正統か亜流かといった所にはないはずだ。極限の繊細さと大胆さ、その両方を最高のレヴェルで演奏家に要求し、しかも彼らを納得させてしまう説得力が彼の最大の強みではないか。その力は聴衆をもねじ伏せてしまう。ゆえに、空気を共有していない記録媒体では彼の魔術が減衰してしまうのだろう。やはり最終的には「ナマ」を聴かねば結論は出せないのだ。

2015/2/23
クリスティアン・ティーレマン指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
@サントリーホール

リスト:交響詩「オルフェウス」
ヴァーグナー:ジークフリート牧歌
R. シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
~アンコール~
ヴァーグナー:歌劇「ローエングリン」より 第3幕への前奏曲

管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン
コンサートマスター:マティアス・ヴォロング
指揮:クリスティアン・ティーレマン

図らずも一日置いて大曲「英雄の生涯」を聴き比べすることになった。一方は次世代型ハイブリッド指揮者×日本のトップオケ、もう一方は叩き上げのドイツ人名匠×世界最古のオーケストラのひとつ、シュターツカペレ・ドレスデン。さあ、結果はいかに。ちなみに偶然だが、どちらもオケもヴァイオリンを両翼に分けた対向配置でコントラバスは下手側だった。

冒頭のリストの交響詩はなかなか取り上げられない作品で、録音でも実演でもこれまで耳にしたことはなかった。ギリシャの吟遊詩人オルフェウスを具現化した作品で、ハープの効果的な使用が印象的。(オルフェウスは竪琴の名手だった)高貴な雰囲気が全体を支配する美しい作品だが、予習段階ではリストの他の交響詩同様にそれほど内容があるとは思えず、惹かれなかった。だがいざドレスデンの演奏で聴くと、あまりの素晴らしさに「こんなに良い曲だったか?」と耳を疑ってしまう。一曲目から16型の大編成でステージ上にずらりと並んだ弦楽の豊かな音色、中間部でふわりと膨らんで豊かに鳴る金管群。幸福感に満ちた終結における、ティーレマンの余韻を持たせた音の切り方も素晴らしかった。

続く「ジークフリート牧歌」では12型に縮小。インバルやノットが日本のオケと聴かせてくれたこの曲も優れた水準にあったが、今回ティーレマンは腰をかがめて殆ど弦楽器奏者の顔の位置で振り、彼ら以上の繊細で丁寧なリードを見せた。(ちなみに指揮台はなく暗譜)ティーレマンが左手を数センチ単位で震わせると、ドレスデンの弦は即座にそれに反応し、弱音から信じ難いような超弱音へと達する。しかも驚きなのはこの変化が実に曲線的に、全セクションで行われること。あたかもアンプのツマミを回すかのように。美貌の首席オーボエ奏者セリーヌ・モワネ嬢をはじめとする管楽器のソロも絶品だ。彼らも弦と同じく、無音状態からふわりと弦の弱音に溶け込んでくる。なぜこのような芸当が可能なのだ・・・?ティーレマンの指揮はあくまでオーケストラが「互いを聴き合う」サポートに徹しており、先述した弱音部の精緻コントロールに彼とオーケストラの強固な信頼関係が現れていた。時折彼の音楽に聴かれるあざとさなど微塵も感じず、繊細さだけが強く印象付けられる。

前半だけでも聴きに来た甲斐があったが、メインはドレスデンの十八番・「英雄の生涯」。そしてこれが一生モノ・感涙モノの感銘を残す演奏だった。もしかしたらこれを超える「英雄の生涯」を聴くことはもうないかもしれないし、望もうとも思わない。実はシュターツカペレ・ドレスデンのR.シュトラウス(ドン・ファン、ティル、原典版『英雄の生涯』)は前首席指揮者ルイージと来日した時も聴いているが、ルイージの流麗な指揮、重心軽めの音楽にSKDの個性が上滑りしているように感じられ、それほど感銘を受けなかった。もちろんオーケストラの深い味わいは素晴らしかったけれども。
16型4管編成(ホルンはアシスタント1を含め9本!)の大編成となったSKDが奏でる冒頭のEs音は、まろやかに融け合った芳醇極まりないサウンドが舞台からいっぱいに広がってきた。刺々しさなど微塵もなく、永久に浸っていたくなるあまりに魅惑的な音・・・。テューバが加わったあたりから流石にドスの効いた低音も聴こえてきた。弦は全セクションがいきなり前傾姿勢で、分厚さと音量は桁外れにあるのに華美すぎず、あくまでシックな音色を保ち続ける。前半のリストと同様に、第一曲は弦の響きをたっぷり残し味わい深く終結。木管楽器によるコミカルな「英雄の敵」の描写は、これぞオペラハウスのオケ!と快哉を叫びたくなるような表情の濃さ。大胆なソロを吹いたEsクラ奏者の方、お見事でした。切れ目なく続く「英雄の伴侶」ではマティアス・ヴォロングのソロが実演では最高水準の色気と貫禄。そもそも音量がかなり大きいし、一つ一つの音の瑞々しさに惚れ惚れする。N響の篠崎さんも素晴らしかったのだが、SKDのコンマスが凄すぎた。ティーレマンは協奏曲でソリストを支えるかのように彼を注視し、オーケストラも自在に呼吸する。そして、愛の交歓を経て力を増す英雄が、狂おしいほどの熱量のVnセクションにより渾身の力で描かれる。ここでのティーレマンの力の篭め方は尋常でなく、両拳をブルブルと震わせてありったけのエネルギーを放出していた。そして再び音楽が静まり、透徹した弦を経て戦場へと場面が移っていくのだが、普通なら何気なく通り過ぎるこの場面間の繋ぎすら素晴らしかった。例のごとくティーレマンは繊細な弱音を求め、それに応えたオーケストラからは擦弦楽器ということを忘れさせるような透き通った音が出てくる。目の前で奏者が音を奏でているのに、どこか遥か彼方から音が響いてくるような異次元の音・・・。全奏者が意識を注力しなければ生まれ得ないサウンドだろう。そして始まる戦場のドンチャカだが、SKDは馬力全開で重心の低い行進を始める。ティーレマンはどっしりしたテンポで貫禄充分。バスドラムや各種打楽器、金管なども盛大に鳴らしているのに、ホールも飽和しなければ全くうるさいとも感じない。寧ろまだまだ響きに余裕がありそうな気配すら漂っている。”気配”と思ったら本当にその通りで、ティーレマンは「戦場」で英雄動機が回帰する瞬間に全曲の頂点を持ってきた。冒頭で抑え目だったのはこの構築ゆえだったのか。金管楽器はどこまでもクレシェンドできるぜ、と言わんばかりに高揚していき、「英雄の業績」になだれ込む。ここでの低弦の強調にやや指揮者の個性を見た。そして、いよいよ到達した「英雄の隠遁と完成」においては、ホルン群と弦の弱音の滋味ある対話が聴こえてくる。弦楽器は先ほど同様どこから鳴っているのかという繊細さだし、ホルン群もそれに応じてふくよかな弱音で応えた。ここに来てティーレマンはテンポをぐっと落とし、晩年の諦念に充ちた英雄像をじっくりと描き出す。この解釈はウィーン・フィルとのCDでも同じだが、オケの味の濃さはSKDの方が上かもしれない。英雄の過去の戦いの回顧では、一瞬激しい闘争の音楽が戻ってくるが、この箇所の弦の総力を挙げたトレモロがまた鳥肌が立つほど。つい数分前にあれほどの弱音を奏でたのはあなた方ですか?と聴きたくなった。音が完全に消えてから、見事な沈黙がホールを十数秒包み、割れんばかりの喝采となった。ホルン、Vnソロ、金管群などに熱烈な賛辞が浴びせられたほか、ティーレマンもいつもの「指揮台からのドヤ顔」を見せてご機嫌そうだった。「英雄の生涯」のままの巨大編成で演奏したにもかかわらず、見事なバランスの良さとしなやかさを併せ持った「ローエングリン」第3幕への前奏曲のアンコールの後、ソロ・カーテンコール一回。

ところで、今回の演奏会では一つ「ネタ」になりそうな珍事が。英雄の生涯の終盤、Vnソロに続き金管のファンファーレが立ち現れ、打楽器陣を加えて静かに曲が閉じられる場面。バスドラム奏者が全身を使った渾身の一打を決めた次の瞬間、マレットが彼の手を離れてP席近くまで高らかに舞い上がった。見事に回転したそれは、幸いにして無音で床に着地し、回収となった。衝撃音が出なかったのは幸いだったし、オーケストラは平静に幕引きを奏していたけれど、聴衆とティーレマンの目にははっきり映ったはず。あの奏者、怒られてないといいが(笑)

この魅力尽きせぬ素晴らしいオーケストラについては、最終公演のブルックナー9番を聴いてから言及したいと思います!

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