たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

April 2015

2015/4/29
東京都交響楽団 「作曲家の肖像」シリーズ Vol.102 《北欧》
@東京芸術劇場

アルヴェーン:祝典序曲
ニールセン:序曲「ヘリオス」
シベリウス:交響詩「フィンランディア」

グリーグ:劇付随音楽「ペール・ギュント」全曲版より抜粋
婚礼の場で
花嫁の略奪とイングリッドの嘆き
山の魔王の広間にて
山の魔王の娘の踊り
オーセの死
朝のすがすがしさ
アラビアの踊り
アニトラの踊り
ソルヴェイグの歌(※)
ペール・ギュントの帰郷―海の嵐の夕方
難破
小屋でソルヴェイグが歌っている(※)
夜の情景
ソルヴェイグの子守唄(※)

ソプラノ:小林沙羅(※)
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:四方恭子
指揮:アイヴィン・オードラン 

今年度初めての都響肖像シリーズ。最終シリーズとなる今年度は、一人の作曲家の特集でなく地域ごと。 これまで取り上げにくかった作曲家を中心に盛り込んであるため、秘曲小品集といった趣だ。ありそうでなかった企画ではないだろうか。もっともワンシーズンだけだけれども・・・。

冒頭のアルヴェーンからキレの良いトランペットのサウンドが飛び込んでくる。「祝典序曲」は知られざる作品だが、コンサートの一曲目に相応しい華やかさ。スウェーデン版のエフゲニー・オネーギンかというような特徴的なポロネーズのリズムが支配する佳曲だ。終結間際の細かいパッセージも金管群は見事で、都響がこういう曲をやると本当にうまい。
続くニールセンの「ヘリオス」は低弦のどっしりした響きが心地よく、木目が細かく抜かりない演奏。ただそんな中で夜明けと陽光を悠々と示すHr群が頼りなかったのは残念だった。あれでは曇天だ。1st奏者をはじめとしてセクション全体が守りに徹しているのが丸分かり。このオケのHr群は時々こういった極端な守りに入るのが問題なのだが・・・。静かな終結の余韻を一人で破壊したブラヴォーの主(3階R側か?)は消されてよし。
前半を締めくくるのは有名曲「フィンランディア」。某・炎の指揮者あたりが振ると演歌の如き粘っこさを感じることがあるが、オードランの指揮は非常に淡々としたもの。(ここまでもそうだったのだが)タメはほぼ皆無で、音響をスパッと切って次へと進んでいく。ただ音塊には適度な力を感じさせるので、味気ないというほどではなかった。都響の真摯な演奏もあり、聴後感の充実した「フィンランディア」を堪能した。 

後半の「ペール・ギュント」抜粋は、全曲版と組曲版を折衷して抜粋する形での演奏。今回の指揮者オードランがベルゲン・フィルでの演奏の際に採った形のようだ。今月プレトニョフがキャンセルしたため「ペール・ギュント祭り」 は総崩れ、この都響のみになってしまった。
流石はノルウェー人によるグリーグ、と言ってしまうのはやや乱暴だが、オードランは前半同様清楚で外連味のない指揮ながら、相応に満足感を得た。大抵の指揮者が大見得を切る「山の魔王の広間にて」すらあくまでストレート。全曲の中では、弦楽器のみで奏された「オーセの死」が老母の悲哀をじっくりとした響きのなかに表出していて出色に思えた。弦楽器出身の指揮者(元ベルゲン・フィルコンマス)だけにタクトを置いて丁寧に振っていた。弦楽器といえば、第1曲で滋味豊かな音色のソロを聴かせたVa店村さんは素晴らしかった!まさに経験がものを言うといった貫禄のフィドルで、ソロリサイタルを聴きたくなってしまうほど。声楽ソリストに関しては―とりあえずコメントは差し控える。白いドレス姿は曲に大いに合っていた。

夏のような暑さに包まれた昭和の日の演奏会であったが、都響による清澄な北欧プログラムで体感温度が若干下がったような感覚を覚えた。このオーケストラに北欧モノは合う。

2015/4/26
東京ユヴェントス・フィルハーモニー 第9回定期演奏会
@第一生命ホール

ベートーヴェン:交響曲第1番
ベートーヴェン:交響曲第2番
シサスク:無伴奏混声合唱のためのベネディクティオ
シサスク:ミサ曲第3番「エストニア・ミサ」より サンクトゥス
シサスク:左手のためのピアノ協奏曲「星の灯台」 
〜アンコール〜
シサスク:カシオペア(作曲家ピアノ・ソロ)
シサスク:ミサ曲第3番「エストニア・ミサ」より サンクトゥス(作曲家指揮)

ピアノ:舘野泉
合唱:東京ユヴェントス・フィルハーモニー合唱団
合唱指揮:谷本喜基
管弦楽:東京ユヴェントス・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:坂入健司郎

年初に充実のマーラー「復活」を聴かせてくれた坂入さん/東京ユヴェントス・フィルによるベートーヴェン・ツィクルスが始まった。 「復活」はクレンペラー作品との組み合わせだったが、今回もエストニアの作曲家シサスクとの斬新なカップリング。秘曲と組み合わせること自体が目的化しておらず、意義深いものになっているのが何より素晴らしいではないか。
ベートーヴェン2番のD-dur、シサスク作品に頻出するD音ー。D音の行き着く先はツィクルス最終回のOp. 125「合唱」だろうか、はたやブルックナーの9番だろうか。坂入さん/東京ユヴェントスが見据える未来まで垣間見えるような希望に満ちたD音プロだ。

前半のベートーヴェン2曲だけでコンサートをひとつ聴いたに等しい満足度を覚えた。Vnは対向配置、Cbはずらりと後方一列に並ぶ。中規模ホールでの演奏に最適な室内オケ編成で、2本ずつの木管は名手揃い。
1番では若干指揮者とオケの歯車が噛み合うまでに時間を要した感もあったが、隠れたアクセントの強調やキレのある進行は魅力的だった。
続く2番では坂入さんが登場時にスコアを忘れる(笑)客席の雰囲気が一気に和らいだ。気を取り直して台に上がっててからの彼は文字通り獅子奮迅の指揮で、難聴からの精神的克己を果たそうとするベートーヴェンの荒ぶる気概が現代に蘇る。ハイリゲンシュタットの遺書、というとエロイカばかりが話題に上がるが、この2番も転換期の重要な作品なのだ。両端楽章のザッハリッヒな弦の猛進・鬼気迫る迫力は言わずもがなだが、中間楽章で落ち着きを取り戻しての木管群の芳醇な歌も実に美しかった。特にFlトップは素晴らしい。終楽章は作り込みの細かさを感じるも、神経質にはなっておらずあくまで純粋な音楽的発展といった趣。
特に2番に関してだが、合奏やピッチの精度も相当に高く、LFJで無料演奏でいいの?と思ってしまうような濃いベートーヴェン演奏だった。今後の番号が俄然楽しみになる。

後半のシサスク特集ではまずオケではなく16人のSATBによる無伴奏合唱が登場、驚異的な声部のクリアさにより温かな情感がホールを包み込んだ。続くピアノ協奏曲の世界初演ではTrbやTb、テューブラーベルやボンゴ、和太鼓を交えたやや大きめのオケをバックに被献呈者の舘野さんが独奏を披露。正直なところご高齢で左手のみの演奏だったので多くの部分がオケに埋もれていた感はある。
シサスク作品は初めて耳にしたが、19世紀頃からヨーロッパ各地で勃興した国民楽派の末端に位置付けられそうな音楽だ。技法的に目新しいところは皆無で、否定的見方をすればやや陳腐。だがエストニアの民俗色にオリエンタリズムを混ぜ込んだような作風は極めて分かりやすく、日本人の我々の郷愁をも誘う箇所もある。東京ユヴェントス・フィルは彼にオーケストラ付き合唱作品を委嘱するそうだが、素朴かつ熱い音楽が聴けそうだ。
カーテンコールで登場した作曲家は満足げな笑みを浮かべており、アンコールとしてピアノ・ソロで自作自演を披露し、舞台に上がった合唱団を指揮してサンクトゥスを再度演奏した。

会場が一体となってユヴェントスの築いた音楽の環に魅せられ、温かな余韻を残す忘れ難い演奏会となった。

2015/4/25
紀尾井シンフォニエッタ東京 第99回定期演奏会
@紀尾井ホール

モーツァルト:2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番
シューベルト:交響曲第8番「グレイト」

ヴァイオリン:アナ・チュマチェンコ、玉井菜採
管弦楽:紀尾井シンフォニエッタ東京
コンサートマスター:玉井菜採
指揮:サッシャ・ゲッツェル

今年の初めに首席客演指揮者を務める神奈川フィルと素晴らしいウィーン・プログラムを聴かせてくれたゲッツェルが紀尾井シンフォニエッタ東京に登場。やはりウィーンの2大作曲家で対比の妙を魅せた。

チュマチェンコ女史をフィーチャーした前半、コンチェルトーネでは玉井さん(彼女はコンマスをも務めた)との共演で、リラックスした雰囲気の中演奏されたが、如何に奏者を違えるといえども同じVnを2艇というのは音色の同一性から考えてあまり聴き易いとは言えない。美しい演奏ではあったが、あまり印象に残らない曲だった。独奏者がオケ・パートも殆ど弾いていたのも原因かも。
続くVn協奏曲第4番は冒頭からオケのコシのある響きが好ましく、小編成だが芯のある伴奏でずっしりとした聴きごたえを残した。チュマチェンコ女史のソロはまた絶品で、入りで若干ピッチの怪しさがあったがオケと対話するうちにみるみる雄弁さを増した。艶消しのような渋い味わいの音色は実に魅力的で、カデンツァの巧みな歌い回しでは会場全体がウットリと聴き惚れているのが分かった。円熟の至芸というべき素晴らしいモーツァルトであった。Vn奏者出身のゲッツェルの細やかなサポートも申し分なし。

後半シューベルト「グレイト」は対比の妙ここに極まれり、と快哉を叫びたくなるような、ある種の衝撃を持った稀有な超名演。KSTという名人集団と天賦の才を持つ指揮者ががっぷり四つに組めば、これほどの音の厚み・情報量・そして洒落た愉悦を併せ持つ演奏を成し遂げられるのかと呆気にとられている。もしかすると生涯忘れ得ぬレヴェルの名演であったかもしれない。
各楽章でゲッツェルが施した工夫について一つずつ言及はしないが、今回最高の効果をもたらしていたのは、1楽章のTrbによるAs-mollコラールで、霞がかかったように始め、やがてみるみる視界が開けるように快活さを増していった。Trbセクションだけを抑えさせるのではなく、管弦楽全体をぐっと抑制してから解放したのだ。室内オケ、それも優秀なKSTならではの細工であろう。なお転調して再びTrbにコラールが回帰する箇所では、Vaと1stVnの掛け合いを効果的に聴かせるなど一筋縄ではいかなかった。
また、第3楽章トリオの木管による喜びが溢れ出るような豊かな響きも素晴らしかったし、終楽章も名人芸大会にならず骨太なサウンドで締め括った。ゲッツェルは特段「ウィーン風の」サウンドは求めていないようだったが、手締めティンパニの使用、トゥッティでも刺激的に鳴らさず金管を含めふわりとした音響の中に収める音作り、そして何よりこの大作を暗譜で指揮したことが、彼の意気込みを物語っていたことは間違いない。

終演後は紀尾井ホールでは珍しい熱狂的な喝采、そしてそれは奏者からも巻き起こった。初共演にして、ゲッツェルはツワモノ揃いのこのオケの心を掌握した。それほどまでに、極めて高次元の音の交歓が詰まった「グレイト」だったのである。

2015/4/24
東京芸術劇場 世界のマエストロシリーズvol.3 小林研一郎&読売日本交響楽団
@東京芸術劇場

マーラー:交響曲第2番「復活」

ソプラノ:小川里美
メゾ・ソプラノ:アンネ=テレーザ・メラー
合唱:東京音楽大学合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団
コンサートマスター:小森谷巧
指揮:小林研一郎

コバケンこと小林研一郎という指揮者にはいくつか「十八番」があるが、この「復活」もそのうちの一曲である。チェコ・フィルとの録音も高評価であるし、国内でも聴く機会は少なくないはずである。昨年日フィルとの同曲を聴いた際は、ラザレフによりパワーアップしたオケの力を得て素晴らしい演奏を聴かせてくれた。その彼が在京屈指の馬力を誇る読響を駆るとなれば、これは俄然興味が湧くというものではないか。

第1楽章冒頭から気合が入った弦の響きに固唾を呑むが、この日の読響は管楽器群にらしからぬ瑕が続発し、特に第2楽章で発生したClのリードミスには閉口した。リハーサルは3日間みっちりやったそうだが、大曲でエキストラを多く動員したゆえの動揺だろうか?第3楽章のEsClの細かなパッセージの一部は吹くのがやっと、という部分もあり、現在のこのオーケストラの高い平均年齢、といったつまらぬ言葉が頭をよぎったのは事実。
ただストリングスはややブレながらも終始密度が高く、かつ柔軟な響きを聴かせてくれ、激烈な第1楽章の後に続いたレントラー風の甘さは当夜の白眉だったといえる。これほどふわりと自在なアゴーギクで第2楽章が奏でられるのを聴いたことはなく、魅力を再発見する思いだった。
管楽器にミスが連発、と書いたが、 6+アシ1を揃えたTpは、音色の統一はともかく全体的には悪くなかった。終楽章行進曲部直前のhi-Cの柔らかい響きはまるで木管のようで驚いたし、クライマックスにおける強靭な鳴りも見事であった。Tpと同数のHr群は更に良い仕事をしていたように思う。ソロで聴かせるのはマーラー演奏における必須用件であるが、トゥッティ全体の響きも特筆すべき水準であった。またTrbセクションの深みはこのオケの強みの一つで、全方位的に広がる豊かな鳴り、1stソロの味わい深さ、コラールの音程どれをとっても素晴らしく、国内オケということを感じさせない。 打楽器陣は1stTimのゲスト菅原さん(元・読響)の下支えに徹する象徴される堅実な仕事で好印象。
鳴り物続きで言うと当夜のバンダは完璧な仕事だった。 Tp4・Hr4のバンダ隊(本隊合流で11本ずつ!)は精度、音色ともに申し分なく、3階席中程で聴いた限りではバランス的な問題も感じなかった。1階席で聴いた友人は違和感を覚えたそうだが・・・。ちなみにTpには田島さん(読響)、Hrには山岸父(元・読響)、笠松さん(元・都響)、上間さん(東響)が並ぶ豪華布陣。成る程、悪かろうはずがない。ちなみに本隊参加位置はHrが下手側、Tpが上手側でいずれも合唱の隣。

前回の日フィル「復活」は東京音楽大学による合唱だったが、充実していたものの若干「声が若い」という印象が先行した。今回も同大学の合唱だったが、前回よりずっと満足度が高い。アンサンブルの精度が高く落ち着いて聴いていられるのは勿論のこと、強奏でも柔らかな響きを保っているために風格を感じさせたのだ。アカペラからSpソロを交え発展していく過程ではもっと音量を抑えて欲しい、と思ってしまったが、これは指揮者の指示であろう。女声ソロお二人はディクテイション、声の美しさともに何の文句もない。大詰めでは合唱と一緒に歌っておられた。(余談だが、コバケン特有の「嘆き顔」を見まいと(?)アルト歌手が「原光」で終始目を伏せがちだったのには笑えた)

コバケンの造形は昨年の演奏と同一だが、日フィルに比べて若干守りに徹した読響のプレイに影響されてかやや落ち着いた印象。日フィルの時は殆ど感じなかったアゴーギクの強引さが耳についたのはオケとの一体度の問題であろう。ただ一大叙情詩のように全曲を大きなスケールで貫徹する構築は説得力があり、クライマックスにおける息の長い昂揚に必然性を持たせることに成功していた。終演後のスピーチは今回はなし(良かった!)

このコンビは「復活」を郡山に持っていくらしい。合唱は地元の特設団体。

2015/4/22
〈対談 スタートアップカンファレンス 番外編〉
世界的名指揮者 「山田和樹」と、DeNA Co., Ltd.とふるさと納税生んだ伝説VC 「村口 和孝」
面白対談
@慶應義塾大学日吉キャンパス 協生館内 2F藤原洋記念ホール

対談テーマ 「みんな未来へ、スタートアップで挑戦しよう!」
音楽演奏会も、スタートアップベンチャー経営も、成功プロセスは同じ!
(東京オリンピックで思いっ切り音楽を発信しよう!)

登壇者:山田和樹、村口和孝
モデレータ:堀潤


横浜シンフォニエッタの韓国公演準備のためベルリンより帰国したヤマカズが、慶應義塾大学日吉キャンパスに登場。慶應ビジネススクールの入る日吉協生館にて対談企画が開催された。

なんでも、ヤマカズはベンチャーキャピタリスト・ふるさと納税提唱者として知られる村口氏の講義を聴講しようと考えていたところ、「折角いらっしゃるなら是非」ということであっという間に会場を大ホールへと移すことが決定し、今回の企画と相成ったそうである。内容は非常に興味深いものだったが、ヤマカズを正指揮者に擁する日フィルの協力がそこに加われば、日吉の協生館を満員にする以上の聴衆が集まったような気がしないでもない。

堀潤氏をモデレータに迎えての対談は、指揮者とベンチャーキャピタリストという業種の違いを忘れさせるほど共通項の多いものだった。オーケストラと会社はどちらもプロフェッショナルの集団、彼らの能力を最大に引き出すという点では指揮者とVCは同じなのである。世界を飛び回り活躍する指揮者の口からは、ロシア、イギリスのオケの特徴(前者は全く笑わない、後者はお金がないのかリハを1日しかくれない)など興味深い話が次々飛び出したが、オーケストラの前では自然体でいることが大事、と結論づけていた。

また、2020年における音楽のあり方は?という質問に対して村口氏が「ライヴの復権」を持ち出された際、「完璧で高音質の演奏なら家で聴ける。ミスや予測不可能な事態が起きることこそライヴの魅力」とヤマカズが答えていたのも興味深かった。彼自身は「アナログ人間」を自認しているそうだが、完璧さを求められる現代において彼のようなスタンスは貴重ではないか。

その他、東京オリンピックにおける「おもてなし」の一つの形として音楽は何が出来るか、などの話が膨らみかけた所で時間いっぱいとなった。堀潤氏の巧みな話の引き出し方もあり、濃い充実した2時間となった。是非続編を求めたい好企画であった。

2015/4/19
東京交響楽団 第629回定期演奏会
@サントリーホール

ショパン:ピアノ協奏曲第2番
~ソリスト・アンコール~
ローゼンタール:ヨハン・シュトラウスの主題によるウィーン謝肉祭
カンチェリ:ステュクス~ヴィオラ、混声合唱と管弦楽のための
ドビュッシー:管弦楽のための3つの交響的素描「海」

ピアノ:ニコライ・ホジャイノフ
ヴィオラ:青木篤子
混声合唱:東響コーラス
合唱指揮:冨岡恭平
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:大谷康子
指揮:飯森範親 

新年度のオープニング・シリーズはまだまだ続く。東響はなじみの深い飯森範親を迎え、かなり重量級プロを持ってきた。ショパンで青春の甘酸っぱさを味わい、カンチェリで神への独白を体験した後、ドビュッシーの「海」で自然へと回帰するという、なんとも美しい流れのプログラム。それに加え、東響がここの所の好調を裏付ける素晴らしい演奏を次々に披露してくれたのだからもう言うことはない。4月の演奏会の中でもベストに入る好演だったと思う。

ホジャイノフを迎えたショパンのヘ短調協奏曲は、ソリスト×指揮者×オケの親密な音の交歓が聴いている側にこれでもかと伝わってきて、思わず頬が緩んでしまう。自分はホ短調協奏曲のマエストーソな感じがあまり好きではなく、逆にこのヘ短調協奏曲の繊細さが大好きなのだが、これほどの演奏を聴いてしまうと後がつらい。ホジャイノフのタッチの柔らかさは理想的、作曲当時のショパンと同年代ゆえの共感があるのだろうか。甘く切なく、少し未熟で自らの殻を破ろうとするような表情。若いっていいなぁ・・・(あ、自分も19だ) 
飯森さん指揮のオーケストラの響きがまた素晴らしい。低弦のずっしりとした質感は中欧の中堅オケ風の味わいで、ソリストへの細やかな配慮により理想的なコンチェルト演奏を聴けた。アンコールのシュトラウス主題による華麗な小品ではホジャイノフは技巧を全開にし、演奏後のドヤ顔にクスッとした(笑)

続いてのカンチェリは、この作曲家ならではの既成観念に捉われない音楽。バティアシュヴィリ/サロネン/バイエルン放送響のショスタコーヴィチVn協奏曲第1番のカップリングに入っていた、『V&V』という小品を聴いたのが初・カンチェリ体験だったが、その独特の空気感にすっかり魅了されてしまったので、今回の演奏会は行かないわけにはいかなかったのである。
果たして、素晴らしい聴体験であった。ジョージア語(旧称・グルジア語)によるテクストは判別不可能だが(マリアとハレルヤだけ聴き取れた 笑)、その独特の音色にははっきりと個性を感じるし、何より東方教会がホールに出現したような静謐さを湛えている。東響コーラスにしては毎度のこととはいえ、この特異な言語をも暗譜で臨んだのは万雷の拍手に値する。自分も下手なりに合唱を嗜む身として、頭を垂れるばかりだ。エレキも加えたオーケストラ、合唱はほぼ同一のタイミングで強弱が切り替わり、その変化はかなり大胆にして唐突。ホールの残響の味わいが格別で、こういう音楽はナマでこそ活きる。青木さんのVaソロは高音寄りだったが、この楽器らしい奥ゆかしい音色も随所で聴かれた。聴衆がもっと沸くかと思ったがそれほどなく残念。

普通のオーケストラならここで終演でもおかしくない所だが、ここから更にドビュッシー「海」。聴く前は恐縮ながら飽食の感があったが、素晴らしい演奏に失礼を詫びたい気持ちにさせられた。東響の団員をここまでパッショナティヴにさせるものはなんなのだろう?
東響の暖色系のふわりとした音色を突き破っても鮮烈さを表現したいという飯森さんの意思を強く感じ、実際色彩の対照はかなり劇的な演奏となった。 なかでも大谷さん率いるVn群の色っぽさは日本のオーケストラで聴いたフランス音楽としては例がない素晴らしさで、終始痺れっぱなしだった。ドビュッシー拘りのチェロ群もしなやかで美しい。聴後感のずっしりした、見事な彫琢のドビュッシーを堪能した。

久々に聴いた飯森さんの指揮が予想外に素晴らしかったというのもあるが、東響の尽きせぬパワーと魅力に圧倒された稀有な演奏会であった。あまりに過密スケジュールのように思えてならないのだが、逆にそれが良い結果を生んでいるのだろうか?月末、秋山先生の「鉄ちゃんプロ」にも大いに期待。

2015/4/18
日本フィルハーモニー交響楽団 第306回横浜定期演奏会
@横浜みなとみらいホール

シベリウス:組曲「カレリア」
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
〜ソリスト・アンコール〜
J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番より サラバンド
シベリウス:組曲「レンミンカイネン」

ヴァイオリン:三浦文彰
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:扇谷泰朋
指揮:ピエタリ・インキネン

開演前に奥田佳道先生のプレトークで触れられていたのだけれど、第2曲として知られる「トゥオネラの白鳥」はもともと第3曲に置かれていたらしい。評論家の酷評やら幾度にも及ぶ改訂を経て第2曲になったのだとか。今回インキネンはトゥオネラを第3曲として演奏。後半の比重が軽くなってしまうような感はあるけれども、これはこれであり。

それにしても、演奏機会が多くないレンミンカイネン全曲をこのコンビで聴けたのは本当に幸運だった。これまたプレトークで奥田先生が「シベリウス芸術の最高の形」と仰っていたのはまさにその通りで、シベリウスが長年取り組んだ叙情詩「カレワラ」への想いを純音楽ながらもひしひしと味わうことができた。日フィルはHrの要を抜かれても好調を維持、弦は豊かな共感を表出してザラッとした独特の味わいある音色。インキネンは花粉で目をやられたとかで眼鏡を掛けて振ったが恐らくこれまで聴いた中で最も共感に満ちた熱い熱い指揮を展開、やはり血が騒ぐのだろうか。下から振り上げるいわゆるティーレマン型のどじょう掬い振りが見事にハマっていて、「レンミンカイネンの帰郷」での歓呼は本当に感動的な瞬間だった。来て良かった!!

前半の「カレリア」では冒頭調子がいまひとつだったけれども、歯切れよいリズムをベースにしなやかなサウンドを味わった。「行進曲風に」は昔から大好きな曲だけにナマで久々に聴けてニンマリ。ヴァイオリン協奏曲では昨年末に大野さん/都響をバックに弾いた三浦Jrの独奏だったけれども、あの時から進化した音の深み・低音部の骨太さを聴かせてくれて驚いた。12月よりピッチは甘めだったけれども、表現の意志を強く感じた今回の方が自分はずっと好み。インキネン/日フィルのバックは、伴奏というには大規模すぎるオーケストラをしっかりと語らせ、ソリストを引き立てつつ丁寧に音楽を作っていった。特に弦の超弱音などは静謐そのもので、ヴァイオリニストでもあるインキネンの繊細さが遺憾なく発揮された見事なコンチェルト演奏だった。

ここからは完全に余談。

当日券列、自分のすぐ前に外国人のご夫婦が並んでおられた。列が結構長かったので、並んでいる間にプレトークが始まる旨の呼びかけが始まり、ご夫婦がオロオロしていた。きっと開演のアナウンスと勘違いして焦っておられるのだろうと思って心配はいらないことをお伝えした。それを契機に軽くお話して、席選びでも自分のオススメのブロックを推させて頂いた。結局自分もご夫婦のお隣に席を取り、開演前と休憩中に音楽話で盛り上がった。
ご夫婦はスイスの方で、東京には観光で数週間滞在されているそう。お茶したくて横浜を散歩していたら演奏会を偶然見つけたのことだった。映画にフラっと行く感覚でコンサートに立ち寄るのが如何にもヨーロッパ人らしいお洒落な感覚だな、と思った。とはいえお二人ともインキネン、三浦Jrのことをご存知だったので結構な通かも。日フィル・ロマンド管にポストを持つ山田和樹の話題で喜んでくださり、今日の演奏にも満足げだった。
ここで一つ思ったのが、東京は紛れもない国際都市なのだから、そろそろ日本のオケを聴きに来られる海外のお客様へ更なる配慮があって然るべきだということ。券の購入などは問題ないだろうが、海外の方がプログラムの中で演目しか読めないのは少々お気の毒。プレトークは流石に日本語以外はムリだろうけど。

2015/4/18
新日本フィルハーモニー交響楽団 第540回定期演奏会
@すみだトリフォニーホール

R. シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
ヴァレーズ:アメリカ(周文中校訂版)
ヴァレーズ:アルカナ
R. シュトラウス:交響詩「死と変容」

管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:崔文洙
指揮:インゴ・メッツマッハー

メッツマッハーが新日フィルを去る時があっという間に来てしまった。ついこの前Conductor-in-Residenceなるポストに就いたばかりだが・・・まあ日本のオケは往々にしてタイトルを与えたがるので、契約が切れること事態はどうでも良いのだが、NJPのベストフォームを引き出す知匠がしばらく去ってしまうのは大変残念だ。現代物をアルミンクに鍛えられたオケとの相性はハーディングより遥かに上であり、今回の退任公演でその事実を再確認したのである。

メッツマッハーのプログラムはいつも斬新なようで、論理的な説得力のあるものだった。ツィンマーマン×ベートーヴェンの組み合わせはまさにその極北だったが、今回もR. シュトラウス×ヴァレーズを並べて取り上げることで、時代的な重なりや影響だけでなく、音楽そのものの有機的な繋がりを聴き手に認識させようとしているのだ。
標題的で分かり易く豊麗なイメージのあるシュトラウスから分厚く叩き付けるような鮮烈な響きを引き出し、先鋭的でストラヴィンスキーのバーバリズムを都会型に進化させたようなヴァレーズから官能を引き出す。二人の作曲家はいわばベン図のような関係にあり、その共通部分が小さくないことを知ることができた。

演奏家からすればこんな一瞬たりとも気が抜けないプログラムは勘弁してくれ、というのが本音だろうが(メッツが今ヨーロッパで固定ポストを持っていないのもそれが原因?)、今回のNJPは精一杯指揮者に付き合って聴き応え充分の演奏を繰り広げた。シュトラウス2題は前述したようにコケティッシュさよりはどっしりと分厚い響きを聴かせる。ティルの諧謔は薄れ、Tbの威圧的な音型などが容赦なく炸裂する。Hrの難所を吹いた大フィルのトップ高橋さんはお見事だった!「死と変容」ではメッツの辛口路線が曲と最大に合致して切れ味ある怒号が響く。
ヴァレーズ2題ではどちらかというとアルカナの方が好みだったが、まさか日本初演とは思いもしなかった。カセルラの交響曲といい、日本の西洋音楽受容はどうなってるの?アメリカに関しては冒頭のアルトフルートからの音楽的発展が完全にアメリカに地を移したハルサイだし、アルカナはもっと分かりやすいリズムや旋律の宝庫。フルート群の祭囃子風の主題が全曲を一貫する。こういうアホみたいな編成の曲(しかもアメリカは縮小版!)は生で聴くと最高に面白いわけで、サイレン(安江佐和子さん、難しそうな楽器をお見事!)やその他2列に並ぶ巨大打楽器群が整然と呼吸する様は視覚的にも最高のご馳走。これを巧みに捌いていくメッツマッハーも尋常ではない。

今後NJPはハーディングとの共同作業の後上岡監督体制に移行するわけだが、果たしてどうなるだろう。上岡さんとこのオケはキャラクター性という点では合っているように思えたが、ハーディングは正直このオケにとってはキャパオーバーの指揮者だろう。戦争レクイエム、ブルックナー、千人と「これが最後ですよ!」といわんばかりに大曲を揃えた新シーズン、それなりの関心度で眺めたい。とりあえずメッツマッハーさんありがとう。また来てくださいね。

2015/4/17
NHK交響楽団 第1806回定期公演 Cプログラム
@NHKホール

ラフマニノフ:ヴォカリーズ
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
~ソリスト・アンコール~
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第2番より 第2楽章
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」

ピアノ:アンナ・ヴィニツカヤ
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:篠崎史紀
指揮:ヴラディーミル・フェドセーエフ

フェドセーエフが無事来日してくれた、まずそれだけで本当に嬉しい。というのも、ついこの前の2月に重篤の報が飛び込んできて、一時は最悪の事態を覚悟したからだ。その後驚異的に回復し、今月初めにはモスクワで復帰演奏会を指揮したとか。

ロシアの名曲選といった趣だが、巨匠フェドセーエフならそれも味わい深く聴けるというもの。誰でも耳にしたある「ヴォカリーズ」の旋律も、愛撫するように繊細で上品に奏され、ああこんなにいい曲だったのかと認識を新たにさせられた。

続くラフマニノフの協奏曲でもフェドセーエフは気合十分、オケの編成は16型のまま。伴奏の域を超えた濃密な世界を広げた。ソリストのヴィニツカヤも硬質なタッチで、妥協しない指揮者とがっぷり四つに組んでかなり辛口のラフマニノフが展開された。アンコールのプロコフィエフも同系統。

メイン・プロのシェエラザード、これは自分から好んで聴く部類の曲ではあまり無いのだが、フェドセーエフ/N響の紡いだ響きは極上そのもの。冒頭は唸り声を伴って右手が振り下ろされたが、全体的にインティメイトな温かみが豪壮さを上回る。第2楽章の弦のPizz.の中にふわりと立ち現れるClやFgのソロの美しさも絶品。そして、何よりも強く印象付けられーと同時にドキリとしたのがー音楽全体を包み込む達観したような雰囲気なのである。楷書体で雄大な音楽作りとは言え、鳴らす箇所は不足なく鳴らしているし、「枯れた」とまではいかないと思うのだが、灰色・静謐といったこの曲に似つかわしくない形容詞ばかりが連想されるのだ。

フェドセーエフの指揮は病後とは思えぬほど覇気に満ちていたし、まだまだ大丈夫だと思うのだが・・・「白鳥の歌」、そんな言葉が脳裏によぎってしまった演奏であった。

2015/4/12
東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2015
-東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.2
ベルリオーズ 《レクイエム》~都響新時代へ、大野和士のベルリオーズ
@東京文化会館

ベルリオーズ:レクイエム

テノール: ロバート・ディーン・スミス
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:レナート・バルサドンナ
合唱指導:宮松重紀
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:大野和士

貴重な曲の実演に接することができた、というイヴェント的価値以上の意義があった素晴らしい演奏会であった。

巨大な編成ゆえに滅多に実演ではお目にかからないベルリオーズの破天荒超大作「レクイエム」。都響は2005年に高関さんの指揮で演奏しているほか、インバルが1991年の初共演で(!)取り上げている。マーラー8番を優に超えるその規模はまさに異形というべきで、この作品を大野和士/都響が演奏するとなれば聴き逃せない。同日には魅力的な公演が集中しており、またチケット入手にも苦労したが何とか会場に足を運ぶことができた。

会場に入りまず確認したのは楽器配置。ステージ上には17台のティンパニがずらりと鎮座し壮観だ。左端の久一さんだけ3台、他は2台ずつで計8人の奏者が演奏する。バンダは計4箇所で、R・L客席の2階と3階に配された。さらに150人の大合唱の上部にオーケストラの金管(Tp・Trb・Tub)が構える。ホルンはオリジナルの12本よりは少ないが、それでも8本の大所帯で舞台下手側に。オーケストラは16型4管編成だった。なおテノール独唱は途中で入場して、金管奏者と入れ替わりで合唱の上部に着席。

大野さん/都響のコンビは就任披露を2度聴いて、正直なかなか課題を抱えての滑り出しだと感じたのだが、今回は非常に印象が良かった。たぶん、4月に行われた3回の都響との共演の中で最もオーケストラとの呼吸がうまくいっていたのは今回だと思う。
やはり声が入るとオペラ指揮者としての天賦の才が爆発するのだろうか?大野さんはバンダ・声楽・管弦楽を完璧に掌握し、この大作を何の気負いもなく指揮していた。冒頭の一音から音の密度が先日のマーラー7番とは大違い。マーラー7番と異なり、オーケストラにとって殆ど弾く機会が少ない曲であるがゆえ大野さんの指示に忠実だった、とも考えられるかもしれない(もっとも、マーラー7番だって演奏機会が多いとは言えないけれど!)。
Dies Iraeでの波状攻撃のような管弦楽と合唱の応酬も緊迫感に満ち、バンダの登場に向けてテンポを自然に揺り動かしながら解放へと向かわせる手腕は、まぎれもなくオペラを知っている指揮者のそれ。そして会場4群のバンダと8人のティンパニが壮烈に鳴り響くTuba mirumではあたかも大聖堂のような圧倒的音響空間が広がり、しかも文化会館ならではの分離の良さも維持されていた。各バンダは存分に鳴らしているのに、決してカオスにならない点に指揮者の厳格なコントロールを感じさせる。この箇所とLacrimosaでは大野さんは完全に客席側を向いて大きくタクトを振り、瞬時にステージに振り返って合唱へキューを出すなど大忙し。彼はすでにこの大作を指揮した経験があるそうだが、その経験が滲み出るような的確なリードだった。
また、全曲の大部分を占める静謐な祈りでは大編成オペラシンガーズの高水準な合唱がものを言った。小編成アンサンブル・無伴奏・大編成と形態を変えて見事な合唱を聴かせた彼らはこの公演のタイトル通り主役であったように思う。過酷な高音(しかも最強音!)が連続するテノール系のピッチが若干ぶら下がり気味だったのは惜しかったが、Agnus Deiにおける厚みある弱音などは流石に素晴らしく、バルサドンナの薫陶もあってヨーロッパの合唱団体に劣らぬ風格を発揮していた。Sanctusでこれまた難度の高いソロを務めたR・D・スミスは、ノンストップでヴァルキューレ2回→リサイタル→レクイエムを歌ったこともありやや余裕のなさを感じさせたが、それでも舞台の最後方からとは思えぬ豊かな声量で演奏に華を添えた。
都響は先述したように弦の密度が非常に高く聴き応えがあり、合唱の伴奏として申し分ないクオリティを発揮していた。矢部さんの協力的なリーダーシップが全体を引き締めたことは言うまでもない。

今年の東京・春・音楽祭のフィナーレ公演において、文化会館を本拠とする都響がその実力を謙虚に発揮した素晴らしい演奏会だった。

このページのトップヘ