2015/4/11
NHK交響楽団 第1805回定期公演 Aプログラム
@NHKホール
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
ヴァーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より 前奏曲、それはほんとうか(マルケ王)、イゾルデの愛の死
ヴァーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より 親方の入場、ボーグナーのことば「あすは聖ヨハネ祭」、第1幕への前奏曲
バス:クヮンチュル・ユン
昨年のN響定期で、デスピノーサ指揮により「前半交響曲+後半ヴァーグナー」というプログラムを聴いたが、前半の交響曲があまりに酷かった。今回もそれを彷彿とさせる恐怖のプログラムだ。
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:篠崎史紀
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
昨年のN響定期で、デスピノーサ指揮により「前半交響曲+後半ヴァーグナー」というプログラムを聴いたが、前半の交響曲があまりに酷かった。今回もそれを彷彿とさせる恐怖のプログラムだ。
こう考えていた上、高関さん/シティ・フィルの「我が祖国」があまりに素晴らしかったので、余韻に浸ったままよほど帰ろうかと思ったが、定期会員券を無駄にするのもあれなのでとりあえず初台から新宿までTwitterのフォロワーさんと歩き、渋谷の喧騒へと向かう。(なぜか原宿で降りるのを忘れて、不快な渋谷駅-NHKホールの道程を辿ってしまった。。。)
前半の「田園」はあまりに無難な演奏で、ヴァイグレが表情を付けようとしているのはよく分かったのだが、オケがすっかり守りに徹していた。N響らしい当たり障りのない演奏で、ああやはりハシゴなんかするべきではなかった・・・と全曲を聴き終えて落胆する。若い奏者が少なかった回なのも遠因か?
ところが後半はガラリと変わったように素晴らしかったのだ。やはり直前までの「ヴァルキューレ」によりヴァーグナー成分が楽団に満ち充ちていたのだろうか、表出される空気感が前半とまるで違うのだ。
ヴァイグレの指揮も「田園」より活き活きしていたように思うが、超弱音の弦からトリスタン和音までの間の取り方、テンポ感などがとにかく「ヴァーグナーらしい」。そして、そこに加わるクヮンチュル・ユンの深々としたバスのあまりの素晴らしさといったら!アジア人ながらバイロイトの常連であり、ティーレマンが指揮した音楽祭の記念コンサートでもフンディングを歌うなど、ヨーロッパの楽壇でも認められた存在であるユン。彼の歌を日本で聴ける機会はそう多くないだけにこれは本当に貴重だった。藤村さんとも共通するが、外国人だからこそドイツ語の発語に対する意識は繊細を極める。彼が子音を放った後の吐息すら、裏切られたマルケ王の苦悩を表しているのだ。「愛の死」 がオケ単独により奏でられた後、爆発的な喝采と歓声がユンへ贈られた。
続く「マイスタージンガー」のポーグナーはまた雰囲気を変え、祝祭的で輝かしい歌唱。ここでHrをはじめとする金管がN響にあるまじき不揃いを見せたのは残念だが、本プロを締める第1幕への前奏曲はヴァイグレの熟達の棒により充実の演奏となった。ベターッと音量で塗りつくすのではなく、劇中の旋律の役割に則した形で微妙なニュアンスの変化を付けていき、最後ではきちんと貫禄も示してばっちり終結。いいヴァーグナーだった。
名歌手ユンの生を聴けたのは本当に嬉しかったし、あまり期待していなかったヴァイグレも流石にヴァーグナーでは素晴らしい演奏を披露してくれた。彼の指揮、両手をぐるぐる回す所や弦のトップ奏者に屈みこんでいく所、指揮棒を常に上の方に持つ所など、多くの点でティーレマンと共通する(笑) 音楽自体はあのバイロイトの王者ほど風格があるものではないが、日本のオケから紛れもないヴァーグナー・サウンドを引き出した手腕は確かだろう。
前半の「田園」はあまりに無難な演奏で、ヴァイグレが表情を付けようとしているのはよく分かったのだが、オケがすっかり守りに徹していた。N響らしい当たり障りのない演奏で、ああやはりハシゴなんかするべきではなかった・・・と全曲を聴き終えて落胆する。若い奏者が少なかった回なのも遠因か?
ところが後半はガラリと変わったように素晴らしかったのだ。やはり直前までの「ヴァルキューレ」によりヴァーグナー成分が楽団に満ち充ちていたのだろうか、表出される空気感が前半とまるで違うのだ。
ヴァイグレの指揮も「田園」より活き活きしていたように思うが、超弱音の弦からトリスタン和音までの間の取り方、テンポ感などがとにかく「ヴァーグナーらしい」。そして、そこに加わるクヮンチュル・ユンの深々としたバスのあまりの素晴らしさといったら!アジア人ながらバイロイトの常連であり、ティーレマンが指揮した音楽祭の記念コンサートでもフンディングを歌うなど、ヨーロッパの楽壇でも認められた存在であるユン。彼の歌を日本で聴ける機会はそう多くないだけにこれは本当に貴重だった。藤村さんとも共通するが、外国人だからこそドイツ語の発語に対する意識は繊細を極める。彼が子音を放った後の吐息すら、裏切られたマルケ王の苦悩を表しているのだ。「愛の死」 がオケ単独により奏でられた後、爆発的な喝采と歓声がユンへ贈られた。
続く「マイスタージンガー」のポーグナーはまた雰囲気を変え、祝祭的で輝かしい歌唱。ここでHrをはじめとする金管がN響にあるまじき不揃いを見せたのは残念だが、本プロを締める第1幕への前奏曲はヴァイグレの熟達の棒により充実の演奏となった。ベターッと音量で塗りつくすのではなく、劇中の旋律の役割に則した形で微妙なニュアンスの変化を付けていき、最後ではきちんと貫禄も示してばっちり終結。いいヴァーグナーだった。
名歌手ユンの生を聴けたのは本当に嬉しかったし、あまり期待していなかったヴァイグレも流石にヴァーグナーでは素晴らしい演奏を披露してくれた。彼の指揮、両手をぐるぐる回す所や弦のトップ奏者に屈みこんでいく所、指揮棒を常に上の方に持つ所など、多くの点でティーレマンと共通する(笑) 音楽自体はあのバイロイトの王者ほど風格があるものではないが、日本のオケから紛れもないヴァーグナー・サウンドを引き出した手腕は確かだろう。