たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

April 2015

2015/4/11
NHK交響楽団 第1805回定期公演 Aプログラム
@NHKホール

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
ヴァーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より 前奏曲、それはほんとうか(マルケ王)、イゾルデの愛の死
ヴァーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より 親方の入場、ボーグナーのことば「あすは聖ヨハネ祭」、第1幕への前奏曲

バス:クヮンチュル・ユン
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:篠崎史紀
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ

昨年のN響定期で、デスピノーサ指揮により「前半交響曲+後半ヴァーグナー」というプログラムを聴いたが、前半の交響曲があまりに酷かった。今回もそれを彷彿とさせる恐怖のプログラムだ。
こう考えていた上、高関さん/シティ・フィルの「我が祖国」があまりに素晴らしかったので、余韻に浸ったままよほど帰ろうかと思ったが、定期会員券を無駄にするのもあれなのでとりあえず初台から新宿までTwitterのフォロワーさんと歩き、渋谷の喧騒へと向かう。(なぜか原宿で降りるのを忘れて、不快な渋谷駅-NHKホールの道程を辿ってしまった。。。)

前半の「田園」はあまりに無難な演奏で、ヴァイグレが表情を付けようとしているのはよく分かったのだが、オケがすっかり守りに徹していた。N響らしい当たり障りのない演奏で、ああやはりハシゴなんかするべきではなかった・・・と全曲を聴き終えて落胆する。若い奏者が少なかった回なのも遠因か?

ところが後半はガラリと変わったように素晴らしかったのだ。やはり直前までの「ヴァルキューレ」によりヴァーグナー成分が楽団に満ち充ちていたのだろうか、表出される空気感が前半とまるで違うのだ。
ヴァイグレの指揮も「田園」より活き活きしていたように思うが、超弱音の弦からトリスタン和音までの間の取り方、テンポ感などがとにかく「ヴァーグナーらしい」。そして、そこに加わるクヮンチュル・ユンの深々としたバスのあまりの素晴らしさといったら!アジア人ながらバイロイトの常連であり、ティーレマンが指揮した音楽祭の記念コンサートでもフンディングを歌うなど、ヨーロッパの楽壇でも認められた存在であるユン。彼の歌を日本で聴ける機会はそう多くないだけにこれは本当に貴重だった。藤村さんとも共通するが、外国人だからこそドイツ語の発語に対する意識は繊細を極める。彼が子音を放った後の吐息すら、裏切られたマルケ王の苦悩を表しているのだ。「愛の死」 がオケ単独により奏でられた後、爆発的な喝采と歓声がユンへ贈られた。
続く「マイスタージンガー」のポーグナーはまた雰囲気を変え、祝祭的で輝かしい歌唱。ここでHrをはじめとする金管がN響にあるまじき不揃いを見せたのは残念だが、本プロを締める第1幕への前奏曲はヴァイグレの熟達の棒により充実の演奏となった。ベターッと音量で塗りつくすのではなく、劇中の旋律の役割に則した形で微妙なニュアンスの変化を付けていき、最後ではきちんと貫禄も示してばっちり終結。いいヴァーグナーだった。

名歌手ユンの生を聴けたのは本当に嬉しかったし、あまり期待していなかったヴァイグレも流石にヴァーグナーでは素晴らしい演奏を披露してくれた。彼の指揮、両手をぐるぐる回す所や弦のトップ奏者に屈みこんでいく所、指揮棒を常に上の方に持つ所など、多くの点でティーレマンと共通する(笑) 音楽自体はあのバイロイトの王者ほど風格があるものではないが、日本のオケから紛れもないヴァーグナー・サウンドを引き出した手腕は確かだろう。
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2015/4/11
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第288回定期演奏会
@東京オペラシティ・コンサートホール

スメタナ:連作交響詩「我が祖国」

管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
コンサートマスター:戸澤哲夫
指揮:高関健

在京オケが次々にシーズンの幕を開ける。シティ・フィルもまた、新たなシェフとの船出を飾った。

高関さんこだわりの弦の対向配置で、元読響首席の大ヴェテラン・星さんを迎えたCb群は下手側。驚いたのはTp・Hrが倍管だったこと。特にHrは指定では4本なので、8本だとマーラーのようで壮観だ。

高関さんや楽団のTwitterで、例によってこだわりのスコアの読みを垣間見たが、今回はチェコ・フィル伝統のターリヒの書き込みを転写しつつ、新たに高関さん自身の指示を書き込むという入念ぶり。結果として、スムースで美しい連作交響詩というよりは大胆なテンポや音量の変化も交えたスリリングな演奏が展開され、嬉しい誤算だった。あざとくなりそうな箇所もオケがぴったり棒に合わせ、歌心を伴って演奏するので、説得力があるのだ。

シティ・フィルはこれまで聴いて、真摯で熱い演奏を聴かせてくれる良いオケだと思っていたが、ソロの安定度やトゥッティの解像度では在京オケの中ではやや劣るかな、と正直思っていた。それが今回はどうだろう!高関さんのリハーサルがよほど細部まで彫琢され抜いているのだろうか、どこをとっても見通しがクリアで、表現にも確信が感じられる。ソロはHrが若干残念だったが、木管はObとClを筆頭に楽節の魅力を率直に味わわせてくれた。何より、丁寧なスコアの読みと懇切丁寧な指揮を前提にした「熱さ」を発揮する高関さんに触発され、シティ・フィルの面々がお互いに聴き合う確かな合奏を維持しつつ、このオケの持ち味であるこみ上げるような熱さを発揮していたことに本当に感銘を受けた!これほど知情意のバランスが整い、情報量が多く聴きごたえある「我が祖国」をシティ・フィルから聴けるとは失礼ながら思っていなかったし、大拍手だ。終演後の客席の反応は正直で、かなり盛大な賑わいを見せていた。

都響、読響、シティ・フィルとシェフとのオープニング公演を聴いてきたが、少なくとも開幕公演の充実度という点では今回が群を抜いていた。高関さん/シティ・フィル、かなり要注目かもしれない!

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2015/4/10
読売日本交響楽団 第547回定期演奏会
@サントリーホール

リーム:厳粛な歌-歌曲付き(日本初演)
ブルックナー:交響曲第7番(ノヴァーク版)
 
バリトン:小森輝彦
管弦楽:読売日本交響楽団
コンサートマスター:小森谷巧
指揮:シルヴァン・カンブルラン

都響のマーラー7番に続き、読響もシェフを迎えてのブルックナー7番。欧米ではシーズンのオープニングコンサートというのは華やかな船出であるから、こうして開幕でちゃんとシェフが振ってくれるのは聴き手としては気分が良い。

前半のリームは高音域中心の楽器をごそっと排し、Cl増強など中低音域のヴォリューム感を高めた得意な編成。チューニングはEhrが担当、立奏していたのはVaトップの鈴木さんだった。
ざっくり分けて二部による「厳粛な歌」、その華美さを極度に排した音楽とタイトルが明らかにブラームスのオマージュで、そこを始点としてウィーン世紀末の退廃を経て現代へと至る。ベルク「ヴォツェック」の台本を書いたビューヒナーのテクストが歌われることからも、リームがドイツ音楽の後継たろうとしていることは自明だ。
カンブルランと読響は作品の真価を正しく伝え、Br小森さんは本場仕込みのドイツ語で、オケに溶け込んだ滋味ある歌唱を聴かせてくれた。このコンビならではの高水準な現代曲演奏。

後半のブルックナー、カンブルランが読響でこの作曲家を取り上げるのは初とのこと。以前新日本フィル客演時に4番を振っていて、ブログでの反応を読むに斬新ながら好評だったようだ。
基調テンポは速い。じっくりフレーズを積み上げて伽藍が構築されるといった概念は全く当てはまらず、南欧の風のような爽やかさすら湛えた、全く押しつけがましくない音楽。ブルックナーとしては特異な部類で、テーマの移行時や1楽章結尾に猛烈な加速が加えられ、最後の一音はスパッと切られる。2楽章のアダージョも全く悲痛さを感じない。いわゆるブルックナーらしい、「忍耐の末の解放・昇華」のようなカタルシスは全くない演奏といって良いと思うのだが、それでは不満だったのかと言うとそうではないのだ。
その理由の一つは、オーケストラと指揮者の成熟しきった関係が楽音に滲み出ていて、指揮者が仕掛けてくることを楽員が恐れていないから。共感度100%、とまではいかないにせよ全く指揮者のエゴを感じない柔和な雰囲気が漂っていたのだ。今日は読響にしては全体的にかなりキズが多かったが、それを補って余りある親密な音楽だった。ただ楽員の高齢化やトップ奏者の入れ替わりはこれから深刻化する問題だと思われる。(なお今日からHr首席に着任した日橋さんは早速存在感を発揮していた!)
もう一点、金管楽器の配置を見て、ブルックナー演奏におけるカンブルランのヴィジョンの確かさを確信したからだ。ティンパニ前にTrbを配置し、下手側からTp/Trb/Tubの順に並ぶ。それらを挟む形で下手側にHr4人、上手側にWagTub4人。これによりTubとWagTubという同属性楽器の響きがまとまり、且つ金管の対向配置のような面白さが生まれるのだ。これに近い配置はこだわり派の下野さんやノリントンが採用しているし、伝統を踏襲するメータもTrbを中央に配していたはず。

カンブルランのアプローチだと、初期の1・2番、6番あたりが面白く聴けそうだ。
逆に5番は絶対に聴きたくない(笑)
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2015/4/8
東京都交響楽団 第787回定期演奏会Aシリーズ(大野和士音楽監督就任記念公演2)
@東京文化会館

マーラー:交響曲第7番「夜の歌」

管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:山本友重
指揮:大野和士

先日のB定期でのシュニトケ&ベートーヴェンが大成功だったので、かなり期待した就任披露2。
結果としては、良くも悪くも大野さん/都響というコンビの現状を聴衆に突き付けるものだった。そして、大野さんの狙いはまさにそこにあったと自分は推察する。

18時30分に始まった大野さんのプレトーク、今回は50分になりCbの楽員の殆どが現れさらい始めても続いた。「マーラーの『夜のシンフォニー』」であると強調し、全曲に散りばめられた様々な要素を先日のシュニトケと関連付けたりしながら紐解いてゆく。その語りはかなり自由で、B定期の際と同じく湧き出るインスピレーションをひっきりなしに話していくので構成感は皆無。とくに今回は銃を持って行進する夜警のジェスチュアなども飛び出してやりたい放題、とにかく強烈なオーラに圧倒されつつも、 もう少しオケの事務局側で内容を規定した方が良いのではと思ってしまった。

肝心の演奏はもちろん一言では言い表せないのだが、第一印象は「間違いなく、都響は新たな方向に向かおうとしている」というもの。
第1楽章が始まってしばらくは両者の呼吸が合わず、生硬な音が続いた。その中で一人、超自然的な無骨さのソロを放ったのは名手・外囿さん。Tpのソリスティックなファンファーレが静かに響くあたりから、ようやく音楽に夢幻的な雰囲気が加わり、楽章終結では当然熱量も増してかなり白熱した終結。第2楽章の「夜曲Ⅰ」は大野さんがプレトークで「夜警の呼び交わし」としていたが、舞台上のHrが不調。その後も低弦の雄弁さなど聴くべき所はあったが、夜の魍魎は出現しなかった。第3楽章はこれまた大野さん曰く「マーラーが書いたもっとも速いスケルツォ」で、それを強調するかのようにかなりのハイテンポで演奏。オケはそのテンポに乗るので精いっぱい、表現の余裕を持っていたのはVaの店村さんだけだった。第4楽章に入ってようやくロマンティックな抒情が溢れ出し、終楽章はチンドン屋的にならずじっくりと聴かせつつ部分的にかなり速度変化が細かい。1楽章主要主題がHrによりもたらされてからなだれ込む終結は、大野さんが自由なアゴーギクを聴かせながら最大音量をこれでもかと引き出した。カウベルは無秩序に盛大に鳴らされ、最後の一音は充分な間の後激烈に叩き付けられた。

大野さんのソロ・カーテンコール一回を含めた盛大な喝采で締めくくられた大野和士音楽監督の就任披露だったが、自分は拍手を送りつつ若干の違和感を覚えた。それを解決すべく大野さん/都響のマーラー演奏歴を調べてみた。都響のアーカイヴスによれば、彼がこれまで取り上げたのは90年代の「亡き子をしのぶ歌」のみで、つまり事実上初めてのようなもの。ことマーラーという作曲家に限って言えば、大野さんと都響は初の共同作業と言ってよいのだ。
次に大野さんと都響のマーラーを比較してみたい。
まず大野さんのマーラーを語る前に、前任者インバルのマーラーについて軽くふれたい。彼は、リズムの縁取りを堅牢に組み上げることに重きを置き、その為に旋律線を断つことも辞さないという厳格な楷書体のマーラーを演奏した。これはバーンスタインに代表される、リズムを崩してでも旋律を強烈に歌いぬく路線とは正反対である。そして、大野さんのマーラーは?彼のマーラーは前述した両者の中間地点に位置し、曲中で細かく揺れ動く。そして、どちらかと言えば旋律線の伸びやかさに傾くことが多いと言えるだろう。

一方の都響のマーラーは、弦・管ともに旋律線はぎこちなくぶつ切れになりがち、鳴らす箇所はデフォルメ的にとにかく鳴らす。そして何より、アンサンブルを絶対に崩さない。このオーケストラは、皮肉にもその高性能さと従順さゆえに、あまりにもインバル独自のスタイルを吸収しすぎたのかもしれない。

―何が言いたいかというと、都響のレパートリーの核であるマーラーにおいて、大野さんと都響の間にある『もっとも深い溝』が浮き彫りにされたということ。皮相的・悲観的な意味ではなく、厳然たる事実としてそれは存在するのだ。
大野さんが要求するものは、技術的水準ではなく奏者一人ひとりの自発的な表現。彼の直近の手兵であったフランス国立リヨン歌劇場管とのフレンチ・プロではそれが実践されており、大野さんが奏者に1のニュアンスを与えればオーケストラの側から10の多彩な表現が帰ってくる。その相乗効果でどんどん音楽の色彩・濃度は高まっていくのだ。昨夜の都響が大野さんの1を受けて返したのは、残念ながら0.8以下の表現だった。(勿論先述した店村さんのように堂々と返球した方も何人もいらしたが)
インバルという強烈な指揮官の統制下では、彼の指示をすべて実現すれば自然に音楽が完成したかもしれないが、「自分はそういうオーケストラにはしない」という大野さんの所信表明が今にも聴こえてくるようである。奏者にとっても聴衆にとってもかなりショッキングで、残酷な就任披露になったと思うが、これが数年後のさらなる都響の黄金時代への第一歩だと思いたい。大野さんのインバル以上に即興的なアゴーギクや煽りに「つける」だけでなく指揮者を圧倒するくらいの風格が備われば、このオーケストラは間違いなく世界のトップクラスとなるのだから。技術的水準というポテンシャルは既に確かなので、後は本当にオーケストラ自らが殻を破ってくれることを祈っているし、これからも応援したい。
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2015/4/5
読売日本交響楽団 第79回みなとみらいホリデー名曲シリーズ
@横浜みなとみらいホール

グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」より 序曲/精霊の踊り/復讐の女神たちの踊り
ハイドン:交響曲第94番「驚愕」
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

管弦楽:読売日本交響楽団
コンサートマスター:小森谷巧
指揮:シルヴァン・カンブルラン

都響に続き読響もシェフと新シーズンの幕開け。オープニングに相応しい祝祭感を湛えながらも、合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソ)の形式を通してバロック期から20世紀を俯瞰するカンブルランらしいプログラムだ。

冒頭のグルックは精霊の踊り」が有名だが、まとまって演奏される機会はそう多くない。古楽器演奏に近い、ざく切りキャベツのようにフレッシュな弦の音を聴いて思わず頬が緩む。一戸さんのFlソロも素晴らしく、簡潔なスタイルの中に妖艶さを滲ませるのがニクイ。
この流れで続いてのハイドン「驚愕」も愉しませてくれると期待したが、やや肩透かし。カンブルランは色々仕掛けを施そうとしていたが、いまひとつオケの反応が鈍いように思えた。ヨーロッパ・ツアーの疲れがここに来て出たのか? 有名な第2楽章でビックリする人はごく少数だが、その他の箇所で弦を時にテヌート気味に弾かせたかと思えばリズムを際立たせたり、指揮者の意図はよく伝わった。全体的にややベートーヴェン寄りの落ち着いた風合いのハイドンだった。

後半のオケコン、ソリスティックな要素とトゥッティの壮烈さが交錯する名曲だけにこのコンビの良さが存分に発揮されるだろうと思っていたが、果たして興味深い演奏が繰り広げられた。暗鬱な表情はそれほどではないが、ふとギョッとするような重さが首をもたげる。最も印象的だったのは第3楽章で、同じ作曲家の「青ひげ公の城」の導入部そっくりの音響が立ち現れて仰天した。その他、第2楽章の絶妙のグルーヴ感に読響の個性を感じた。何といっても井上さん率いるFg隊のセンスの良さ!セクションとしてキレッキレでありながら、各人のソロがまた絶妙だ。終楽章では金管を存分に開放したが、音圧でパレットを塗り潰すのではなく、場面ごとで適切な出し入れが成され、まことにインテリジェントな鳴らし方。特にTp、Trbの立体感は相当の水準。以前の「役人」もCD化された名演であるし、優れたオペラ指揮者である彼の指揮による「青ひげ」を切望する音楽ファンは自分だけではあるまい。
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2015/4/4
東京・春・音楽祭―東京オペラの森2015
東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.6 『ニーベルングの指環』 第1日《ワルキューレ》(演奏会形式) 
@東京文化会館

ヴァーグナー:楽劇「ヴァルキューレ」(全3幕/ドイツ語上演/日本語字幕付) 

ジークムント:ロバート・ディーン・スミス
フンディング:シム・インスン
ヴォ―タン:エギルス・シリンス
ジークリンデ:ヴァルトラウト・マイヤー
ブリュンヒルデ:キャサリン・フォスター
フリッカ:エリーザベト・クールマン
ヘルムヴィーゲ:佐藤路子
ゲルヒルデ:小川里美
オルトリンデ:藤谷佳奈枝
ヴァルトラウテ:秋本悠希
ジークルーネ:小林紗季子
ロスヴァイセ:山下未紗
グリムゲルデ:塩崎めぐみ
シュヴェルトライテ:金子美香
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:ライナー・キュッヒル
指揮:マレク・ヤノフスキ

東京・春・音楽祭のメイン公演、ヴァーグナー・シリーズの「ヴァルキューレ」を聴いた。
 
昨年の「ラインの黄金」 も凄かったが、このシリーズが日本で聴けるヴァーグナー上演の頂点の一つであることは疑う余地がない。カペルマイスター飯守が始動させる新国のサイクルもきっと凄いに違いないが・・・。ちなみに、飯守さん、マネックスの松本社長と大江アナ夫妻を会場でお見かけした。
4月のこのイースター時期はヨーロッパ各地で関連演奏会が開かれており、キャスティングはさぞ困難を極めると思われる。 よくぞこれだけの歌手を集めてくれたもの。特にジークリンデの代役であのヴァルトラウト・マイヤーを聴けるとは夢にも思わなかった。

全体的にヤノフスキはかなり速めのテンポ。それ自体はラインでも同じだったので想定内だったが、昨年が1階席だったのに対し今年は最上階なのでヤノフスキの音楽作りが手に取るように分かった。歌手とオケが渾然一体となって高揚するヴァーグナーとは一線を画し、きわめて即物的、もっと言えば素っ気無い指揮。だが歌い手への配慮は充分で、ソロの際はかなりオケを抑えていた。これでダイナミックさが犠牲になった感は否めないが、一つのスタイルとして説得力はある。
弦楽器は基本的にアクセント鋭く、停滞しない。各声部の交錯をこれだけクリアに聴かせる演奏は珍しい。(こう文で書くとインバルみたいだ!)ウインズもリズムを明確に際立たせることが多く、弦楽器主体で構築されるため総じて金管は抑え目である。1幕でジークムントの名を呼ぶ瞬間でようやく最強奏が訪れた。一方ヴェルゼ!の弦のトレモロではゲストのキュッヒル率いるN響が渾身の力で弾くとこれほどの凄みのある音が出るのか、という強烈な刻みを聴かせてくれた。続く幕でもヤノフスキは音楽を淡々と進めていったが、時折テンポを巧妙に動かして起伏を付けてゆく。感心したのは第3幕、ブリュンヒルデが身篭るジークムントを逃がしヴォータンが登場する箇所。歌手も凄かったのだがテンポ変化が絶妙で、三者の描き分けをオーケストラが見事にしてしまっていた。8人のヴァルキューレとヴォータンが対峙しての掛け合いも、轟音で駆け抜けるのではなくきちんと聴かせる。
歌手陣は皆素晴らしかったが、やはりジークリンデのマイヤーが別格、続いてフリッカのクールマン、ヴォータンのシリンス、ブリュンヒルデのフォスターか。いずれもバイロイトで活躍するソリスト達だ。大御所マイヤーのジークリンデは流石に高音が厳しかったりピッチの不安定さを感じずにはいられないものの、大管弦楽を突き抜けて最上階まで飛んでくるハリのある美声はそれを補って余りある。演技も演奏会形式とは思えぬ繊細さで、もはや体が勝手に動いてジークリンデを演じているとしか思えない熟達度。相方のR・D・スミスも美声のヘルデンで全く悪くないものの、やや声質が軽すぎるのと、ジークリンデの気迫に押されていた印象を持った。ヴェルゼは顔を真っ赤にして安定の伸ばし、手馴れたものである。美貌のクールマン演じるフリッカは藤村さんのような理知的でコワイ鬼嫁とは異なり、息混じりの叱責も交えて表情豊かな人間的な奥さん。 歌唱の安定感も申し分ない。エギルス・シリンスは昨年の同役、新国「パルジファル」に続く快演を披露、引き締まった低音部を活かしたダンディで立派なヴォータン像を構築した。こういう人には本当に怒られたくない(笑)ブリュンヒルデのフォスターは余裕綽々といったところ、とにかく声がデカイ。 8人のヴァルキューレは日本勢、高水準で上演に華を添えた。

演奏者の途中入れ替えを含めるとはいえ、長丁場を充実した演奏で飾ったN響は素晴らしかった。ゲスト・コンマスのキュッヒルは一人ボウイングの速度が他の団員よりかなり速く、1stVnの音色を完全に決定付けてしまった。時折高弦が浮くように聴こえたのはそのためか。ヤノフスキも昨年より明らかにご機嫌(といってもニコリともしないが)な様子で、しきりにオケを立たせていた。
ほとんど動かない上クォリティの低いスクリーンの映像は大変煩わしいが、この水準を観てしまうと早くも来年の「ジークフリート」が楽しみだ。
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2015/4/3
東京都交響楽団 第786回定期演奏会Bシリーズ(大野和士音楽監督就任記念公演1)
@サントリーホール

シュニトケ:合奏協奏曲第4番=交響曲第5番
ベートーヴェン:交響曲第5番

管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:大野和士


本年度初めてのコンサートは大野監督の就任披露。日本人離れしたキャリアを積んで、満を持しての就任という印象。

 18:30からのプレトークで大野さんが登場すると、早くも会場から盛大な拍手が。プレトークは15分程度の予定だったようだが、大野さんは話しているうちに次々とイマジネーションが膨らんでしょうがないといった感じ。今回のベートーヴェン→シュニトケ→マーラーを関連付けたプログラミングについて、様々な観点から触れられた。最初大野さんが話し出した時、殆ど肉声しか聞こえずマイクの調子が悪かったのかと思っていたが、何とマイクを上下反対に持っていた(笑)その際の対処で一気に聴衆の緊張が取れてよかった。

シュニトケは16型4管・多数の打楽器を要する大曲。コンセルトヘボウ管の100周年記念で書かれた作品で、シャイーと同オケの録音(DECCA)を聴いて臨んだが、当然ながら演奏はかなり異なる。都響の鋭い音色を前面に出したシュニトケサウンドは時にかなり刺激的。轟音箇所のみならず弱音でもピンと張り詰めた緊張感が維持される。特に後半楽章の悲痛な表情は凄みがあり、大野さんは顔を般若の如く歪ませて濃密な音を引き出した。
合奏協奏曲と交響曲の間に位置するこの作品で当然重要になるソリスト達も都響なので粒ぞろい。1楽章のVn矢部さんとOb広田さん、2楽章でマーラーの断片を奏でる弦楽四重奏、3楽章でのTb佐藤さん、全てのソロが超一級。そこにCem鈴木王子という豪華ゲストが主張を加えるのだから悪かろうはずがなかった。お互いが十分に表現しつつ、一つの合奏という形式に収まっている。見事な演奏だった。

後半のベートーヴェン5番、大野さんがプレトークで語っていた通り正に「交響曲の王様」というべき名曲中の名曲。そして、その言葉に相応しい威容を誇る超名演が繰り広げられた。編成はシュニトケから打楽器が消えただけの16型倍管、都響でこれだけの大編成でやってしまうと飽和するのでは、と一瞬危惧したが杞憂だった。第一音のアウフタクトを渾身の力で大野さんが振り下ろすと、物凄い密度の弦が鳴り渡る。アンサンブルは当然揃っているのだが、その気合の入り方が凡百の演奏とは桁違いで鳥肌モノ。大野さんは全曲かなりの速さで(32分!)振り通したが、再現部やリピートで巧妙にディナーミクとテンポを変えてメリハリを付ける。また第2楽章の低弦などはかなり濃厚でしなやかに歌わせ、CbのC音をぐわんと強調。3-4楽章の有名なブリッジ箇所ではオケの集中力を一際自らの元へ高め、空気感も凝縮させて冒頭の三音で高らかに解放、その後すぐにテンポアップ。リピートではインテンポ、再現部では再びテンポ変化を実行した。とにかくこの楽章では弦の突き抜けるような高らかな凱歌があまりに輝かしく、即興的なアッチェレランドも加えて更に高揚して怒涛の終結となった。喝采はCbのブゥンという響きが十分消えてから沸き起こり、たっぷりと余韻を味わえたのは嬉しい!
都響は前半の鋭さとは違うしなやかで重厚なサウンド。大野さんが目指している方向性だと思うが、意地でもアンサンブルを合わせて硬くなるのではなく、聴きあうことで生まれる有機的な繋がりを全曲に渡り実現しようとしていた。弦楽は勿論、倍管でダブル首席と鉄壁の木管のニュアンスの豊かさ、発音のクリアさが声部のクリアさを実現していた。モダン・オケでベートーヴェンを今演奏する意義をひしひしと感じられた、強靭な意志の漲る圧巻の就任披露演奏会に震撼した。

期待十分の大野/都響、次回はいよいよ都響の「伝家の宝刀」マーラーである!
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こんばんは。お久しぶりです。

昨年3月のスダーン/東響以来の更新ですが、演奏会に行っていなかったわけではなくて単にFacebookの方でひっそり感想文を書いていたのでした。ちなみに昨年は150回くらい聴きました。

新年度ということで区切りもよいので、こちらにこれまで書き溜めたものを移植しつつ、新たに聴いたものはこちらで書いていくことにします。

ではでは。
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