たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

May 2015

2015/5/31
アンサンブル・ミリム 第2回東京公演
@聖学院講堂

J. S. バッハ:モテット第6番「主をほめたたえよ、すべての国々よ」 
J. S. バッハ:カンタータ第131番「深き淵より我汝に呼びかける、主よ」より わが魂は主を待ち望む
J. S. バッハ:カンタータ第24番「けがれに染まらぬ心は」より けがれに染まらぬ心は
J. S. バッハ:カンタータ第203番「裏切り者なる愛よ」
J. S. バッハ:モテット第4番「恐るるな、我汝と共にあり」
J. S. バッハ:カンタータ第78番「イエスよ、汝はわが魂を」より 我らは弱けれどたゆみなき足取りで急ぎゆく
J. S. バッハ:カンタータ第122番「新たに生まれしみどりご」より 御神、我らと和を結びて友となりねば
J. S. バッハ:カンタータ第186番「おお魂よ、憤ることなかれ!」より 魂よ、いかなる辛苦にありても
J. S. バッハ:モテット第1番「主に向かいて新しき歌を歌え」
~アンコール~
J. S. バッハ:モテット第6番「主をほめたたえよ、すべての国々よ」 後半部

アンサンブル・ミリム
ソプラノ:清水梢、和田友子
アルト:清水ちはる、横町あゆみ
テノール:谷口洋介、眞木嘉規
バス:浅地達也、浜田広志
指揮・チェンバロ:根本卓也

バッハ・コレギウム・ジャパン、新国立劇場合唱団など、プロ合唱団の垣根を越えて集まった精鋭声楽アンサンブルを聴いた。
自分は普段それほどバロック期の作品を意識的に聴くことはないが、こういった優れた演奏を聴くと意識を改めなければと思わせられる。9人でこれほど大きな音楽世界が作れるのか、という衝撃を受けた。

まず冒頭のモテット第6番は全員により歌われ、以後ソロ1人~複数人にチェンバロ伴奏(根本さん)を合わせる形でバッハの作品が演奏された。最後のモテット第1番は再び全員で、SATBが2群に分かれての演奏だった。
当たり前の話なのだが、各ソリストの音楽性がとても高く、自律的に音楽を推進する力を強く感じた。そんな彼らが主張しつつ指揮の根本さんの下でアンサンブルをするが故に、非常に精緻で言葉がはっきりと聴き取れる演奏となったのだろう。
このアンサンブル・ミリムの結成動機に、「モテット第1番を理想的なメンバーで演奏したい」ということがあったようだが、今回メイン・プログラムの最後に歌われたこの曲はその意志を確かに感じ取れるものだった。9人という最少人数で合唱が2群に分かれているので、当然のように1声部は1人の担当となる。 巧妙に描かれた2群の掛け合いは大変難度が高いように聴き取ったが、自然な昂ぶりのうちに2群が呼び交わし合う様は実に見事だった。 

バッハの作品の偉大さ、そしてその作品群に真摯に向かう声楽家の幸福な出会いに感謝し、清々しい気分で会場を後にした。 
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2015/5/31
東京交響楽団 モーツァルト・マチネ 第21回
@ミューザ川崎シンフォニーホール

モーツァルト:クラリネット協奏曲
モーツァルト:交響曲第40番

クラリネット:エマニュエル・ヌヴー
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:グレブ・ニキティン
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ

先日オペラシティ・シリーズで確かな手腕を発揮したウルバンスキ、モーツァルト・マチネに初登場した。スダーン前監督がザルツブルク名物を川崎に持ち込んだシリーズだが、ノット政権になってからは登壇する指揮者それぞれのモーツァルト像を体験できる好企画になった感がある。音楽監督や首席客演指揮者など、タイトルホルダーがしっかりと振るのも大変好感が持てるではないか。

今回取り上げられた作品はどちらもモーツァルト晩年の作品群で、これらを俊英ウルバンスキがどう料理するかが聴きモノだった。果たして、かなり意外性のある演奏が繰り広げられたのだ。特に後半の交響曲は全リピート敢行で40分を要する演奏となったが、ウルバンスキは若さをほとんど感じさせない老巨匠のような筆致でこの名作を描いた。 ミューザの豊麗な音響を考慮しての構築だったのかもしれないが、才人指揮者が皆するような各声部の交錯は殆ど強調してみせない。寧ろ全体をふわりとした響きの中に収めてゆき、幽玄な雰囲気を表出させたのである。リピート前後で音楽の表情を変えることはあったが、殆ど枯淡の境地のような演奏にオケもよく付き合った。スダーンやノットとは全く違う個性のモーツァルト演奏で、ウルバンスキという指揮者の謎はまた一つ深まったように思われる。

順番が前後したが、前半のウルバンスキはソリストとオーケストラに主導権を委ねたように思われる。ミューザをホームとする自らのオケをバックに、どこまでも自然体で楽音を響かせてゆくヌヴー。晩年のモーツァルト特有の清澄な境地を匂わせながらも、表情豊かな演奏だった。オケのサポートの誠実さが最も感じられたのは第2楽章のアダージョで、可能な限り弱音へ持ち込むヌヴーにオケがピタリと寄り添い、極上の最弱音が生まれた。ミューザという容量の大きなホールに確かに響く繊細なサウンドは、古典派演奏に長けたこのオケならではの上質さであった。

それにしてもウルバンスキは凄い。その個性の不思議さも勿論だが、年齢不相応なほどの落ち着き、オーケストラの掌握力は在京オケに登壇する若手の中でも群を抜くものがある。後半の交響曲は例によって譜面台なしの完全暗譜、前半も譜面を置いていたもののめくることは無かったように見受けられた。天才なのだろうが、いったいどのようなスコア読みなのだろうか? 
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2015/5/30
読売日本交響楽団 第80回みなとみらいホリデー名曲シリーズ
@横浜みなとみらいホール

リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
~アンコール~
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」より パ・ド・ドゥ

ピアノ:河村尚子
管弦楽:読売日本交響楽団
コンサートマスター:日下紗矢子
指揮:ユーリ・テミルカーノフ

7年ぶりに巨匠テミルカーノフを聴いた。文字通り待ち侘びた演奏会だった。
読響に数年に一度は来てるじゃないの、という話なのだが、近年の来日時はいずれも自分のスケジュールが合わず(中高時代は全寮制だったため自由がきかなかった)その演奏を聴けず。2008年、ペテルブルク・フィル名古屋公演であまりに素晴らしいチャイコフスキーを体験して以来、やっと2度目のマエストロの演奏会だ。余談だが、この08年の演奏会は自分にとって初の海外オケ体験だった。それもあってインバルと並び個人的に思い入れの強いマエストロなのである。

昔話が長くなった。 
一曲目にいきなりシェエラザードという重めの構成だが、マエストロと読響の集中力は並ではない。冒頭からペザンテ、マエストーソというスコア指定を画に書いたかのような重量感あるサウンドが飛び出してきた。巨匠テミルカーノフは例の如く大袈裟なアクションは皆無、タクトを持たない指揮はとても慎ましい。しかし彼の両手の微細な動きから生まれる音楽は実に表情豊かで、特に弦楽器の情報量の多さには驚愕する。そして彼が腕をパッと広げれば、オーケストラ全体が生き物のようにグワンと唸って音楽全体に強烈なアクセントが施される。それが最大に発揮されたのは終曲大詰め、最大音量でシャリアール王の主題が再現された後音楽が収束へ向かっていく箇所の引き際の見事さだろう。
ペテルブルク・フィルほどではないにしろ長年の共演歴を持つ読響が彼に心酔しているのは音楽を聴けば自明で、嬉々として極彩色の絵巻を描いていった。オーケストラの総合的なコンディションも最近聴いた中では一番で、指揮者の力が隅々まで及んでいることを痛感する。シェエラザード姫を美しい語り口で歌ってくれた日下さんはソロ・コンマスとしてのリード共に実に素晴らしく、巨匠と対等に渡り合う器量の大きさをも感じさせた。

前半でこれだけの演奏を聴いてしまうとラヴェルはどうするのか、と思ったが巨匠と読響は更なる境地へと我々を誘ってくれる。
左手協奏曲では、河村さんの左手だけとは思えぬ強靭なソロ(打鍵箇所によって身体のバランスを巧みに変えながら弾いていた)も勿論素晴らしかったのだが、それ以上にバックのオケの圧倒的な情報量に度肝を抜かれた。Fg吉田さんをはじめとする管楽器群のグルーヴ感あるソロに触発されてか、オケ全体が抜群のリズム感を発揮し、ラヴェルのダークな魅力を溢れんばかりに味わわせてくれた。巨匠は特段変わったことはせず淡々と振っていたように思うのだが、オケ全体の豊満な音は明らかに他の指揮者が立った時のそれとは違う。この驚きは「ダフニス」でも引き継がれることとになった。
「ダフニスとクロエ」、まず「夜明け」での弦楽器の上質で艶やかな歌わせ方が絶品。マエストロの魅力はフランス音楽においても抜群の適性を発揮することがよく分かる。「無言劇」 では前半に続き客演トップFlの柳原さん(都響)が長大なソロを見事に奏で(若干勢いが良すぎた感もあったが)、いよいよやって来た終曲では巨匠の統率の下オーケストラが一糸乱れず、まさに「全員の踊り」を演じ抜く。4管編成の読響は痛快に鳴り渡るも、魔法のようなバランスコントロールによりまったく煩さは感じさせない。最後の一音は存分に伸ばしての終結となった。会場が確かに満足して熱い拍手を送る。

マエストロからのプレゼントは十八番の「くるみ割り人形」からパ・ド・ドゥだった。言ってしまえば至極単純な音楽なのに、巨匠が振るとどうしてか高貴な空気が舞台から立ち昇り、オーケストラ共々一瞬にしてチャイコフスキーの世界に誘われてしまうのだ。まさかこの曲で落涙するとは!

やはりテミルカーノフは巨匠だった。ペテルブルク・フィルと共に育まれたその音楽はモスクワ系のコテコテとはまた一味異なり、西欧風の香りを宿したペテルブルク直系ならではの唯一無二の芸術。インターナショナルな魅力を有する読響との共演を通して、日本にいながらにして彼の芸術を濃密に感じられるのは僥倖と言う外ないし、読響のベストプレイの凄さにもまた驚くばかりだ。今回あと2プログラム、しかもマーラー3番をも彼らの演奏で聴けるとは・・・終楽章を思っただけで涙腺が緩みそうになる。
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2015/5/29
東京都交響楽団 第789回定期演奏会Bシリーズ
@サントリーホール

サーリアホ:クラリネット協奏曲"D’OM LE VRAI SENS" (日本初演)
ニールセン:交響曲第3番「ひろがりの交響曲」

クラリネット:カリ・クリーク
ソプラノ:半田美和子
バリトン:加耒徹
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:山本友重
指揮:トーマス・ダウスゴー

凄いものを聴いた。久々の都響大ヒット。ミンコフスキ以来かな?

都響のポテンシャルが高いのは充分に知っている。だが問題は、最近それが発揮される演奏会が少ないことだ。彼らのアンサンブル能力を以ってすれば、乱暴な話それなりの指揮者でも整然と合奏を行い、折り目正しい音楽が実現する。そして「巧いオケだねー」という感想と共にホールを後にするのだ。だが、それではいけない。
今年50周年を迎えた都響は、オーケストラという形による新たな文化発信を試みている。そんなこのオケの試みが企画・演奏の両面で最高度に昇華し、今シーズン最初に見事に花を咲かせたのが今回の定期だと強く感じた。オーケストラにとっての定期演奏会が、ただ「定期的に音楽を提供する場」 ではなく、「この音楽を伝えなくてはいけない!」という必然性と共に広く主張を発信する場なのだと再認識させてくれたのだ。

サーリアホのクラリネット協奏曲では、修道院で有名なクリュニーの美術館所蔵のタペストリー『貴婦人と一角獣』から作曲家が受けたインスピレーションが音化されている。開演前にサーリアホ女史のトークがあったが、風景描写的な音楽ではなく、あくまで美術品を前にした時の心情をソリストとオーケストラの関係性でメタファーしたものだということだ。
作品は6部構成で、切れ目なく演奏される。「聴覚」「視覚」「嗅覚」「触覚」「味覚」と五感が並んだ後、タペストリーにその語句が記されている「わが唯一の望みに(A non seul Désir)」で締められる。この語句をアナグラムで並べ替えると、表題の「人の真なる感覚(D'OM LE VRAI SENS)」が浮かび上がるというわけだ。人間の本能的感覚と信仰は表裏一体ということだろうか?
だが、この夜の日本初演は上述のト書き無しでも十分に聴く者を惹きつける魅力があった。ホールの照明は完全に落とされ、暗闇の中にオーケストラが弱奏を開始すると、彼方から(RCブロックのロビー辺り?)クラリネットが響いてくる。ソロは一角獣(ユニコーン)を模しているそうだが、まさに嘶くような音色で客席を練り歩きながら聴衆・オーケストラの双方を刺激する。ソリストのクリークは身体表現も交えながら、超絶技巧のパッセージを変幻自在に奏でていた。やがて一階席前方からステージ後方へ回り込み、オケの管楽器奏者も立ち上がってクリークと呼応しながらようやくステージ前方へ。一方弦楽器奏者はゾロゾロと客席へ降りて演奏しサラウンドのような効果あり。第6部「わが唯一の望みに」ではチェレスタをはじめとする楽器がD音を永続的に刻み続ける中、ソロが物凄い勢いで即興演奏を繰り広げて全曲は閉じられる。D音の連続には運命的なニュアンスを感じた。

音楽というよりはホール全体を舞台とする一大劇作品という印象のこの協奏曲。21世紀において生き残る一つの手段であるかもしれない。昨日のオペラもそうだったが、ホールで演者の息遣いを聴いてこそ意味のある作品を生み出すサーリアホの魅力に心酔。終演後の客席のヴィヴィッドな反応も素晴らしい一体感だった。重音や超高速パッセージを連発しながらも茶目っ気たっぷりのクリーク、ダウスゴー×都響の誠実な演奏は、現代作品でもこれほどの熱狂を呼びうることを見せつけたのだ。

後半のニールセンではダウスゴーは暗譜で指揮。4番や5番なら兎も角、演奏頻度がグッと下がる3番でも譜無しというのは凄い。その指揮は圧巻で、音楽が完全に身体に入っていることが痛いほど伝わって来た。ダウスゴーは細かく拍を刻まず、長身を大きく揺さぶるような独特のリード。台の端に終始立ってエネルギッシュに指揮した。彼は音楽を巨視的に掴み、都響の積極性を引き出しつつ自らの方向へ巧みに持っていく。その手腕はバッティストーニを老練にしたかの如き見事さで、これほど勢いがあってしかも粗くならない都響は相当久しぶりだ。
この作曲家らしい血湧き肉躍るサウンドを怒涛の勢いで体感したが、そんな中第2楽章はパストラール。だがこれも長閑というより寧ろ自然が跋扈する熱い音楽が展開。そこに加わるヴォカリーズも清冽ながら内なる熱情を感じさせるものだった。パイプオルガンの元に並んだお二人の声楽ソリストは大変伸びやか。

客席は再び熱狂の渦。狩猟民族の熱い血を農耕民族のオケに叩き込むような、素晴らしい指揮者との出会いにブラヴォーは止まらなかった。早期の再客演を期待したい !
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2015/5/28
東京オペラシティ 〈コンポージアム2015〉
カイヤ・サーリアホの音楽 オペラ『遙かなる愛』(演奏会形式)

@東京オペラシティ・コンサートホール

サーリアホ:歌劇「遥かなる愛」(日本初演/演奏会形式/フランス語上演/日本語字幕付き)

映像演出:ジャン=バティスト・バリエール
ソプラノ:林正子
メゾ・ソプラノ:池田香織
バリトン:与那城敬
合唱:東京混声合唱団(合唱指揮:大谷研二)
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:グレブ・ニキティン
指揮:エルネスト・マルティネス=イスキエルド

今年度の武満徹音楽賞審査員として来日中のカイヤ・サーリアホ。国立音大、東京藝大でレクチャー、そしてこのコンポージアムでのオペラ初演と関連イヴェントが目白押しだ。29日には都響でクラリネット協奏曲も初演される。折角だから「サーリアホ・フェスティヴァル」に仕立てて企画すればより注目度が増すと思うのだが、どうだろう。

それはさておくとして、今回のオペラは2000年にザルツブルク音楽祭で初演された、サーリアホのオペラ第1作ということだ。実に15年を経て日本にやってきたということになる。規模的にはそれほど大掛かりな作品ではないのだが、日本の現代オペラ需要の鈍さが原因なのだろうか。

物語の設定は12世紀、十字軍のイスラーム遠征が行われた時代だ。トルバドゥール(吟遊詩人、独語でいうミンネジンガー)伝説から題材が取られている。禁欲的に詩作を行うアキテーヌの領主ジョフレは、自分が創り出した理想の女性を求めて悶々としている。東西を行き交う巡礼の旅人の証言を得て、ジョフレはトリポリへと理想の女性を追い求め旅人とともに航海に出る。だが十字軍への参加と口実を偽って出発したゆえの呪いか、ジョフレは航海中に病に倒れ死に瀕することに。ようやくトリポリに到着し、理想の女性クレマンスと出会い口づけを交わすも、彼はやがて息絶える。クレマンスは神の無慈悲を嘆くも、尼僧となることを決心して祈りを捧げ、全曲を閉じる。

ステージにはコントラバス下手・打楽器多数のオーケストラがギッシリと並び、指揮台の両翼に声楽ソリストが座す。ソリストは皆マイクを使用。閉め切られた3階席をはじめホールの各所に配置されたサラウンド・スピーカーシステムからは電子音(といっても実音と融和するようなチューニングがなされていたようだ)や別録の声が流れた。混声合唱はほぼ一列でP列に並び、オルガンを埋める形で天井から大スクリーンが下ろされる。スクリーンにはサーリアホの夫君ジャン=バティスト・バリエールの手による肌理細やかな映像が投影され、ライヴカメラの撮影による声楽ソリストも時折コンピュータ編集により織り交ぜられる。1階席中央の一部座席は映像チームのコンピュータ5台とクルーにより占有されていた。 

第3幕でジョフレがトリポリへ向かうのだが、それに至る経緯の第1-2幕がなかなかのヴォリューム。前半で3幕までという区切りだったのだが、かなりの時間が費やされたのではないかしら。2幕では旅人がクレマンスに面会し、ジョフレが理想の女性を歌った詩を読み上げるのでまだ印象深いのだが、低声のお二人と合唱が淡々と会話する第1幕はちょっと演奏会形式で観るには辛いところがあった。第3幕に入ると音楽は活気を増し、男声合唱によるハンドクラップなども交えリズミカルに進んでいく。
個人的に、休憩後の第4-5幕により引き込まれた。物語の核心であるし、音楽もどこかトリスタンかフランス近代のオペラのような耽美的な色合いを纏い始める。第4幕の冒頭に重々しく連打される2音は旅路の険しさを予言するようだし、理想の女性が近づいてくることを恐れ熱に浮かされるジョフレの高まりも凄い。終幕では遂にクレマンスとジョフレが出会い、「遥かなる愛」に手が届くように思われるのだが、徐々にスクリーンに投影された映像が血を思わせる濃い赤色に染まり、遠のく意識のようにボヤけて遠ざかっていく。そして、ジョフレが息を引き取ってからのクレマンスの胸が裂けるような、しかも高潔な美しさを湛えた絶唱といったら!ここで管弦楽を咆哮させないあたり、北欧出身でパリで活躍するサーリアホの美質を感じる。

演奏は非常に高水準で、誠に幸福な日本初演となったと思う。ソリスト陣はPA使用だったとはいえ自席(2階正面)からは声量的に全く問題なく、フランス語のディクテイションも美しかった。お三方の一人一人が適役だったと思う。合唱はスクリーンのせいか、若干スポイルされた感もあったけれど、それでもPAの音響効果とブレンドされて夢幻的な声色を聴かせてくれた。東響はウルバンスキの難しいプログラムから間を置かずの大曲にもかかわらず、破綻なく世界観を見事に体現。緻密な演奏は、指揮棒を左手で持つ珍しいマエストロ・イスキエルドの功績もあるに違いない。

何より賞賛されるべきは、中世的な世界観・宗教性を自らの語法の中で表出した作曲家・サーリアホであろう。
物語の最初ではジョフレが理想の女性に対して抱くものだった「遥かなる愛」が、最後には主体と客体が変わりクレマンスのものとなっているのも象徴的だ。クレマンスの愛の客体は、果たして「神」であろうか、それとも喪われたジョフレなのか。その答えは観る者に委ねられている。優れた芸術作品は「答えのない問い(Fragen ohne Antworten)」を投げかけるが、この「遥かなる愛」もまたその一つに数えられる。舞台での再演が望まれる、忘れ難い上演だった。
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2015/5/27
ヘルマン・メニングハウス ヴィオラ・リサイタル
@横浜市栄区民文化センターリリス

ヘンデル:オンブラ・マイ・フ
シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ
モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第2番
〜アンコール〜
ヘンデル(ハルヴォルセン編曲):パッサカリア
ー休憩ー
ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第2番
〜アンコール〜
シューベルト:万霊節のための連禱

ヴィオラ:ヘルマン・メニングハウス
ヴァイオリン:水谷晃
ピアノ:諸田由里子

先日ムジカーザでの四重奏に続き、ヘルマンさんのリサイタルへ。
ヴィオラという楽器の多層的な魅力をたっぷり満喫した。 ヴァイオリンとの二重奏、ピアノ伴奏とそれぞれ見せる表情が異なり、まったく飽きることがない。

前半ではやはりアルペジョーネ・ソナタの暗鬱な、しかし心の奥深くまでそっと入り込むような音楽に打たれた。この曲は指定通りアルペジョーネでの演奏のほか、チェロ、ギター、フルートなど様々な楽器で演奏されるが、自分はこの日聴いたヴィオラ版が一番好きだ。生演奏だからというのは勿論あるけれど、チェロだとやや低音部が重厚すぎ、明暗のコントラストが強烈に付き過ぎてしまうような気がする。ヴィオラの仄暗い音色が当時のシューベルトの心にあまりにピッタリと合うのだ。

続いてのモーツァルトによる二重奏曲は初めて聴いた作品だったが、一瞬にして魅了されてしまった。普段東響のコンマスとして活躍する水谷さんは、熱っぽくもしなやかなリードが素晴らしい音楽家だけれど、ソロも本当にいい。以前ニキティンとのデュオを聴いた時もよかったけれど、身長差が約30cm(!)もあるヘルマンさんに大して堂々とご自分の音楽を提示しておられる。どちらかが強力に主導するというデュオではなかったけれど、それぞれの持ち味が絶妙にブレンドされた味わい深い音楽だった。フレーズ単位と言わず、一音単位で二人の呼吸に合わせて音楽のニュアンスが変化していくのには驚くばかり。終楽章ではヘルマンさんが珍しく(笑)名バリトンのような美音で音楽をリードし、変奏の妙が繰り広げられる。
アンコールはほとんどハルヴォルセンの作曲によるヘンデル「パッサカリア」。ここに来てお二人の技量は全開、息もつかせぬ音楽の凄まじい運びに唖然とする。そしてヘルマンさん、当たり前だけど上手い。どんなに激しても音楽が粗くならないのだから。華やかだった。

最後はしっとりとしたブラームスのソナタ。クラリネット・ソナタの作曲者による編曲版だけれども、やはり僕はヴィオラで奏でられる方がずっと好き。中音域の渋い音が、クラリネット以上にブラームスに適性があると思う。 晩年のブラームスの酸いも甘いも噛み分けたような音楽を理解するようには、自分はまだ若すぎるのかも知れないけれど・・・。終楽章の変奏曲は第4交響曲の枯淡より一歩進んだ境地に思われ、忘れ難い印象を残した。

リサイタルを締めるのはムジカーザでも演奏したシューベルトの「リタナイ」。ヘルマンさんとのリサイタルでは必ずこの曲を最後に演奏する、と由里子さんが仰っていたけれども、それは間違いなく最高のチョイス。ムジカーザでは崎谷さん、裕康さんが控えめながら加わって披露されたリタナイ、自分としては今回のVaソロのみの演奏の方が更に込み上げるものがあった。お二人には申し訳ないのだけれど、ヘルマンさんのVaとシューベルトの親和性が凄すぎるのだ。ここをどう聴かせよう、という解釈めいた音楽でなく、ただ淡々と音楽が紡がれるのみ。由里子さんのピアノも、ヘルマンさんと同化して無の境地へ。あまりに私情を排した音楽に再び涙腺が緩む。

来て良かった。最後の「リタナイ」を聴きに、これからもヘルマンさんの音楽を聴き続けたいと心から願う。
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2015/5/23
東京交響楽団 第86回東京オペラシティシリーズ
@東京オペラシティ・コンサートホール

ルトスワフスキ:交響曲第4番
ドヴォルジャーク:チェロ協奏曲
~ソリスト・アンコール~
J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番より プレリュード
スメタナ:連作交響詩「我が祖国」より ヴィシェフラド、ヴルタヴァ(モルダウ)、シャールカ

チェロ:タチアナ・ヴァシリエヴァ
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:大谷康子
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ

在京オケが早くから掴まえた若手実力者の一人、ウルバンスキが登場。今回の来日ではこのオペラシティシリーズ、同演目の横須賀公演、それに月末のモーツァルト・マチネを振る。
ソリストのヴァシリエヴァは出産のため、指揮者は手術で降板したプログラムの復活で、当初なかったルトスワフスキまで付いてきた。

ルトスワフスキ4番はウルバンスキにしては珍しく(本当に珍しい!)譜面を見て指揮。なにせ中プロのコンチェルトまで暗譜で振るような才人なのだから。昨年、同作曲家の「管弦楽のための協奏曲」は譜なしだったから、いずれ手の内に入れて覚えてしまうのかもしれない。
出身を同じくする大作曲家への念は厚く、ごく短い動機や至るところで明滅する管楽器群を完璧に振り分ける。しかも、ストレスなくごく自然体に。かと思えば冒頭の弦の静謐な表情やそれの回帰に大しても神経が注がれており、非常に隙がない。サロネンがLAPOを振った同曲の録音は切っ先鋭い差し迫る表情を感じさせるが、ウルバンスキ/東響の演奏にはあまり緊迫感を感じなかった。緩い、という意味ではなくこの曲を消化しきっていてオケと指揮者のレスポンスに距離がないということ。端的に言えば、ごく自然体でこの難曲を演奏しているのだと思う。東響の充実は目覚しいが、いよいよここまでのレヴェルに来たのかと瞠目したルトスワフスキだった。

続くドヴォルジャークはやや残念。ひとつずつが結構な重さを持つ今回のプログラムの皺寄せがここに来たのか?というのが正直な感である。とはいえウルバンスキは先述した通り暗譜でこの曲を振れる位に作品を把握しているし、東響も管楽器に細かな瑕はあったにせよ抜かりないパフォーマンスだった。問題はソロのヴァシリエヴァで、席の位置によったのかもしれないがとにかく音が飛んでこない(念のため書くが、自分の席は比較的コンチェルトがバランスよく聴こえる位置である)。技術的には何の不足もなく、細部まで丁寧に弾いているのはよく分かるのだが、ソリストとして管弦楽と対等以上に渡り合うだけのスケール感に欠けており、結果的にバックのオーケストラが配慮してスケールダウンした音楽となってしまった。アンコールのバッハも悪かろうはずはなかったが、別に結構です、というのが本音。

今日のハイライトはルトスワフスキだったのかな、と思いながら後半の客席に戻るも、最後に聴かせてくれた「我が祖国」抜粋は鮮烈な印象を残した。 やはり暗譜で振ったウルバンスキは前半3曲を完全にモノにしており、どの曲も素晴らしかったのだが、全曲演奏ではエンジン始動に時間を要することが多い「ヴィシェフラド」の充実ぶりが凄い。「自由に出て」という指示でハープのあの旋律が流れてきたのだが、オケの主体的な流れも活かしつつパートバランス、フレーズ内での頂点への持って行き方など悉くウルバンスキの流儀が徹底されている。続く「モルダウ」は舞曲の素朴さが減退し洗練された音楽になっていたが、曲の終結近くで第一曲の旋律がふわりと浮き出る箇所のしなやかさが絶品だった。今回最後の演奏となった「シャールカ」でも勢い任せにせず、ホルンとトランペットなど両翼の金管の掛け合いを事細かに具現化してみせる。クラリネット・ソロは首席のヌヴーさん、エロティックな中にも後々の展開を予想させる醒めた表情がウルバンスキのスタンスとよく合っていた。眠りこける男戦士のファゴットのC音は劇画的に強調され、続いてシャールカを表すホルンの合図もやはりC音なので音楽的に統一感があって説得力があった。

ウルバンスキの才人ぶりをたっぷりと 味わった今回の演奏会、ルトスワフスキとスメタナにおける丁寧な曲想の掬い取りは若手らしからぬ老練な手腕でかなりの聴き応え。特にスメタナは遂に土俗的な香りは皆無だったが、そういう演奏を聴きたければ他の人を聴けばいいのだからこれでいい。東響との関係が末永く続くことを願うばかりだ。 
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2015/5/22
Yuriko Morota 室内楽シリーズ vol.1 室内楽の名手達の饗演 ピアノカルテットの愉楽
@ムジカーザ

モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番
ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番
~アンコール~
シューベルト:万霊節のための連禱
ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番 終楽章コーダ

ヴァイオリン:
﨑谷直人
ヴィオラ:ヘルマン・メニングハウス
チェロ:山本裕康
ピアノ:諸田由里子

いつから音楽にジャンル分けがなされるようになったのだろう。「音楽には2種類しかない。いい音楽と悪い音楽だ」というのはデューク・エリントンの言葉だが、魂の根幹をぐわしと掴んで揺さぶるような感動を覚えた時、自分はしばらく言葉を失う。そしてふと思い起こし、「いい音楽を聴いた」と自らの経験を噛みしめるのである。人は皮肉にも知を得る度に愚かになるのかもしれない。だがほんとうに純粋な音楽の力は、堅固に積み上げられた知識と経験の壁をいとも容易く突き崩し、我々の心のタブラ・ラサの状態に届くのではないだろうか。

前置きが長くなった。ムジカーザで自分が聴いた音楽は、まさに上で述べた通り「言葉を失う」ものだったということを何よりも強調したかったのだ。しつこいようだが、ただそこにある音楽の純粋無垢さに心を動かされたのだと思う。

パンフレットにト短調の夕べ、とあるように、今回の2作品はいずれもg-moll。だが当然その性格は全く異なる。声高でなく静かな語り口ながら、清明な中に例えようもない哀しみがにじむモーツァルトと、見事な様式美の中に若き情熱が見え隠れするブラームス。どちらも名品中の名品だ。由里子さん、崎谷さん、ヘルマンさん、裕康さんはこれらを役者のように「演じ分けよう」などとはおそらく思っていらっしゃらなかったと思うが、虚心坦懐な音楽へのアプローチの結果として、前後半では大胆なほどの差が付けられていた。
 
モーツァルトではPfの前にVn-Va-Vcと、左から音域順に並べられる。自分の席は裕康さんにほど近く、エンドピンを通して体全体に低音の律動が終始伝わってきて心地よかった。始まって少しは固さが感じられた気もするが、流石に歯車はすぐピタリと合致。アンダンテは勿論のこと、泣き笑いのような終楽章が静かに染み入った。
 
後半ブラームスではVaとVcが入れ替わり裕康さんがセンターに。由里子さんに伺ったところ「ヘルマンが一曲中で弾きたかっただけ」だそうだが、結果論的に言えばこの配置で然るべく思われた。ピアノの嘆息に続きまず入ってくるのはVcだし、この楽器が太い根のように全体をキリッと引き締めていた印象。と同時に、崎谷さんとヘルマンさんはユニゾンや同じ音型を弾く場面も多く、左右からアーチのように裕康さんを支えていたのでは。勿論VnとVc、VcとVaが寄り添うことも少なくない。総合的に、Vcセンターゆえの音の綾を味わった。演奏はとにかく真摯かつニュアンス豊か。冒頭からベーゼンドルファーの暗く艶消しのような音色に一気に引き込まれ、あっという間に全曲が過ぎ去ってしまった。第3楽章中間部のピアノに率いられた巨大な律動は、シェーンベルク編曲のオケ版より大きな人間的存在を感じさせたほどだった。

熱烈な拍手に応えて演奏されたのは、ヘルマンさんは好んで演奏するというシューベルト「万霊節のための連禱」。ヴィオラ・ソロを主体にして、崎谷さんと裕康さんがそっと寄り添ってハーモニーを形作る。高音域と低音域の間を豊かな音色で満たすヘルマンさんのヴィオラは、本プロでもなんとも魅力的だったが、ここに来てその素晴らしさが溢れ出す。何度も涙腺が緩んでしまった。ここでお開きかと思いきや、数度のカーテンコールの後由里子さんがブラームス終楽章の崩れ落ちるようなカデンツァを奏で、そこからフィナーレまでを再度。本プロに勝るとも劣らない痛快な演奏だった。

気心知れた音楽家によるインティメートな音の交歓は、一切の妥協のない真剣勝負だった。 崎谷さんの強靭なボウイングから紡がれる歌、ヘルマンさんの円熟の響き、裕康さんの五臓六腑に染み渡る低音、由里子さんの包容力あるピアノ。この方々のパワーが相乗効果となって至近の客席に押し寄せてくるのだから、こちらはヘトヘトになる。とにかく忘れ難い、なんとも贅沢な一夜だった。
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2015/5/21
東京フィルハーモニー交響楽団 第94回東京オペラシティ定期シリーズ
@東京オペラシティ・コンサートホール

ロッシーニ:歌劇「コリントの包囲」序曲
ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」より舞曲
プッチーニ:交響的前奏曲
レスピーギ:組曲「シバの女王ベルキス」

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:依田真宣
指揮:アンドレア・バッティストーニ

東フィルの首席客演指揮者に就任したバッティストーニを聴いた。本当はサントリー定期の「トゥーランドット」(熱狂的だったらしい)も聴きたかったのだが、あいにく完売で今回はオペラシティのみ。

イタリアの管弦楽作品を年代順に取り上げ、オペラ作曲家として知られる巨匠達の卓越した作曲技法を体感できる好プログラム。バッティストーニのイタリア愛がひしひしと感じられるし、まだまだ多くの曲が埋もれているのだと痛感させられる。

冒頭「コリントの包囲」序曲から想像以上に充実したサウンドが飛び込んでくる。重厚で引き締まった弦のサウンドは海外オケのよう。大抵の演奏会における第一音はエンジン始動にあたり、徐々に歯車が噛み合ってくるものだと思うが、バッティストーニはいきなりオケをフルスロットルに持っていく。そのエネルギー感は只者ではない。ロッシー二作品にしては強面なこの曲を、見事な構築で聴かせた。
続く「シチリア島の夕べの祈り」舞曲はなかなか大規模な作品で、オペラ本編とは切り離してもっと演奏されても良さそう。4部構成で、ヴェルディによる交響曲のような趣がある。バッティストーニは流石に各部の写実的な要素を際立たせていた。

後半のプッチーニ、レスピーギは19-20世紀の転換期の作曲家だが、彼らの管弦楽作品からは同時代・同業者からの影響を強く感じる。
プッチーニの若書きの交響的前奏曲は明らかにローエングリンとパルジファルを足して二で割ったような作風。プッチーニらしい金管の豪壮さやイタリアのカンタービレは確かにあるものの、ヴァーグナーの存在の大きさをプッチーニを通して知ることになった。バッティストーニは前半にも増して確信に満ちたコントロール、弦の晴明な歌わせ方は見事だった。全セクションを巻き込んでスケール大きな頂点を形成する手腕も若手とは思えない。
続くレスピーギ「シバの女王ベルキス」は吹奏楽で有名だそうだが(自分は知らなかった)、まあ凄まじい曲。「ローマの祭」終曲の主顕祭に相当する音響が延々と続くような音響地獄で、オペラシティが割れるのではとすら思えたが、その一方でストラヴィンスキーのような前衛性も感じられる。バッティストーニの指示で打楽器には和太鼓が採用されており、異国情緒は十分。Pブロック上手に配されたバンダ群も痛快に鳴り渡った。

東フィルはバッティストーニの恐るべき反射神経の指揮に渾身の力演で応えた。全セクションの攻めの姿勢が素晴らしい。彼の指揮は振りが大きいが、無駄がなくオーケストラに親切だ。客演首席ティンパニ(チェコ・フィル)のクロウティルも見事に華を添えた。(彼もなかなかお国ではこんな曲やらないだろう)
今日のライヴ録音、世に出ればそれぞれの曲の代表盤になるかも。
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2015/5/20
第436回日経ミューズサロン サラ・ルヴィオン フルート・リサイタル
~神戸国際フルートコンクール第1位、フランクフルト歌劇場管首席奏者によるフルート傑作集~
@日経ホール

モーツァルト:フルート・ソナタ第9番
ライネッケ:フルート・ソナタ「ウンディーネ」
ゴーベール:フルート・ソナタ第3番
プーランク:フルート・ソナタ
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
ヴィドール/フルートとピアノのための組曲
~アンコール~
アーン:ロマンス
成田為三:浜辺の歌

フルート:サラ・ルヴィオン
ピアノ:村田千佳


先日の都響プロムナードで瀟洒な演奏を聴かせてくれたサラ・ルヴィオンのリサイタルに行ってきた。
フランクフルト歌劇場の首席奏者として活躍する彼女らしく、前半ではモーツァルトとライネッケというドイツ物を取り入れ、後半で自らの出自であるフランスの名品をたっぷりと聴かせてくれる、贅沢な構成だ。村田千佳さんのピアノはドイツ物・フランス物でしっかりと描き分けが成され、柔軟にルヴィオン女史につけていて見事。

前半では特に、ライネッケの「ウンディーネ(水の精)」に強く惹かれた。フーケの同名小説にインスピレーションを受けて書かれたというこの作品は、ロマン派らしいうねりの中に騎士と水の精の悲劇の恋愛が織り込まれており、やや儚さを漂わせるフルートの音色にピッタリ。ルヴィオンは悲壮感を前面に出すことはせずとも、表情豊かで時折強い発音で聴衆を引き付けていた。

後半はフランスの名曲がずらり。イマジネーション豊かなルヴィオン女史のフルートで「牧神」を聴けたのはなんとも得難い体験だった。フルート一本とピアノだけで何故これほどの色彩感がふわりと広がるのだろう?と思わせられる。ドビュッシーの先駆性・天才性と名手の幸福なマリアージュである。曲の末尾、牧神のまどろみが天へと上って行く瞬間は絶品だった。プーランクのフルート・ソナタは初演が1956年だが、近代フランス音楽の系譜にある、聴きやすく美しい作品。技術的には大変そうだが・・・。ヴィドールは最終楽章の華麗な技巧が圧巻で、コンサートの締めくくりとして申し分なかった。
アンコールの二曲目は浜辺の歌、ご年配の聴衆も多かった今回のコンサートには最適な曲選だったろう。それほど小さなホールではなかったが、インティメートな雰囲気のリサイタルだった。

それにしても、ルヴィオン女史もピアノの村田さんもお姿麗しいこと・・・。
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