たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

June 2015

2015/6/29
東京都交響楽団 第791回定期演奏会Aシリーズ
@東京文化会館

ブリテン:ロシアの葬送
タンスマン:フレスコバルディの主題による変奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」

管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:オレグ・カエターニ


戦慄の大管弦楽の前に金管・打楽器、弦楽合奏を分けて味わえる粋な選曲。ブリテン「ロシアの葬送」では高精度なブラスがえも言われぬ恐怖を掻き立て、西川女史のパーカスが絶妙に彩る。タンスマンの変奏曲は16型という大編成ながら決して厚みで押さず、絶妙な弱音に驚嘆した。
後半ショスタコ11番、銃殺場面はじめ音響的には当然圧倒的だが、冒頭・中間楽章の弦の最弱音がこの世のものとは思えぬ死臭漂う音色。虐殺を俯瞰的に眺め灰色の哀感で包み込み、ラザレフ/日フィルの全てを踏み潰す重戦車的超名演とは反対のヴェクトルによる名演が上野で誕生した。冒頭のTpソロの揺らぎなど、序盤はやや力みが感じられたがすぐに強固なアンサンブルが復活。低弦群の胴鳴りを含んだ重厚な下支えは曲に不釣り合いなほど立派。最後の鐘のアクシデントも含め、若干の惜しさは感じたもののカエターニ/都響の独特サウンドによるショスタコーヴィチを堪能した。

カエターニの指揮姿に一切派手さはなく、音楽作りも当たり前の事をやっているだけなのに、何という説得力。その背中からは無言のメッセージが会場全体へ向け発信されていた。こういう体験が出来る人は少ない。

2015/6/28
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 県民ホールシリーズ 第4回定期演奏会
@神奈川県民ホール

プッチーニ:交響的奇想曲
プッチーニ:歌劇「ボエーム」より 冷たき手を、私の名前はミミ、麗しの乙女
(大隅、西村)
プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」より ある晴れた日に
(並河)
プッチーニ:歌劇「妖精ヴィッリ」より 妖精の踊り

プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」ハイライト(演奏会形式)
(並河、大隅、西村、井上、ハオ、田添)

ソプラノ:大隅智佳子、並河寿美
テノール:西村悟
バリトン:井上雅人
バス:ジョン・ハオ
神奈川フィル合唱団(合唱指揮:大久保光哉)
語り:田添菜穂子
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
コンサートマスター:
﨑谷直人
指揮:現田茂夫

休憩挟み約2.5時間に及ぶプッチーニ祭り!交響的奇想曲と妖精の踊り以外は全て歌が入るというオケの定期としては若干珍しい構成だった。前半で「ボエーム」「蝶々夫人」の名アリアを堪能し、更に「トゥーランドット」抜粋(字幕無し・日本語解説入り)という重量級プロ。
後半「トゥーランドット」抜粋は粒揃いの歌手陣、熱っぽい合唱、現田さんの的確なキュー出し&しなやかな指揮を得て高水準な演奏に。前半のアリアでも魅了した女声お二人、並河さんの姫君は最後まで叫ばずも訴求力高し。音域を問わず伸びやかな美声を持つ大隅さんのリューも◎。出番こそ少な目ながらBr井上雅人さんの役人&ピン、Bsジョン・ハオさんのティムールも風格あり素晴らしい。カラフのT西村さんは前後半共に持ち前の美声を存分に披露。オケは迫力一辺倒でなく、弦の柔らかさなど実に見事。現田さんの優れた手腕が大作オペラで遺憾無く発揮された。

今日の神奈フィル県民ホール定期、若い世代のトップ歌手が並び贅沢だったと思うのだけれど、その中でもソプラノ大隅智佳子さんを久々に聴けたのが嬉しい。2014年3月のインバル/都響GM8の第2ソプラノで、ヴィブラート控えめでグイグイ伸びるHi-Cに震撼。今日のミミとリューも名唱でした。

2015/6/27
新日本フィルハーモニー交響楽団 #47 新・クラシックへの扉
@すみだトリフォニーホール

クーセヴィツキー:コントラバス協奏曲
~ソリスト・アンコール~
川上哲夫:コントラバスソロのための三つの次元

ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新世界より」
~アンコール~
ドヴォルジャーク:スラヴ舞曲第10番

指揮・コントラバス:ナビル・シェハタ
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:西江辰郎

シェハタが弾き振りを披露したクーセヴィツキー協奏曲、VaやVcを思わせる美音に酔う。Cbという楽器がこれだけの歌謡性を有しているのかと気付かされた瞬間。勿論技巧的には比類ない水準に達している。NJPは破綻ない合奏で、コンマスやCbトップは時折指揮も担当。
後半「新世界より」は予想外に好印象だった。他楽器を抑えて木管を際立たせる箇所や、端正でスポーティな歌い回しには指揮者の表現意欲を感じる。指揮姿は若干振り過ぎかもしれないが、器楽奏者の余興などと言っては失礼千万なレヴェル。最後はしっかりCb奏者と握手して解散。


 

2015/6/26
モルゴーア・クァルテット 第42回定期演奏会 ここぞとばかりに、モルゴーア!
@浜離宮朝日ホール

ノヴァーク:弦楽四重奏曲第3番
クラーサ:弦楽四重奏曲
池辺晋一郎:ストラータⅨ(弦楽四重奏のために)
ヒンデミット:「さまよえるオランダ人」序曲―下手くそな温泉楽隊が朝7時に噴水の周りに集まって初見で演奏したような
~アンコール~
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番 第2楽章

弦楽四重奏:モルゴーア・クァルテット

ヴァイオリン:荒井英治、戸澤哲夫
ヴィオラ:小野富士
チェロ:藤森亮一

ショスタコーヴィチ、バルトークらを得意とし、プログレの弦楽四重奏版の演奏にも取り組む異才集団・モルゴーア・クァルテットの定期を聴いた。前回は「そうだ! ウィーンを甘くみてはいけない。」と題し、一見なじみ深い作曲家揃いのように見えて侮れない選曲、演奏に痺れた。
それが今回はどうだろう!前回がネタの下に罰ゲーム級ワサビを忍ばせた「ロシアン・ルーレット寿司」だとすれば、今回は最初からデス・ソースなりハバネロなりが客席に提供されているのだ。ノヴァーク、クラーサ、池辺晋一郎、ヒンデミット―他のどの団体がこんな冒険的プロを組むだろうか?

前半はノヴァーク一曲と短いな、と思っていたが曲の深遠さに成る程納得。マルティヌー風味も感じさせつつ、聴衆に一切媚びない晦渋な音楽はかなり精神にこたえる。終演後に荒井さんが話していたが、この曲をどうしても演りたくて今回のプログラムが考案されたのだとか。

そして、今夜最大の収穫は後半のクラーサ「弦楽四重奏曲」だった。乗降・下降音型がアーチ状、無窮動的に展開する中ヴァイオリンやヴィオラがソロ的に現われ、ウィンナ・ワルツ風の甘美が横切った次の瞬間にバチンと首が飛ぶような衝撃音。兎に角只事ではない凄曲。美醜を見事に表現し切った演奏も特筆モノ!最後のヒンデミットは下手くそっぷりを懸命に表現する演奏者たちが微笑ましくも凄腕で、ナチとヴァーグナーへの痛快な皮肉をたたきつけた。

相変わらず密度の濃い音楽を届けてくれるモルゴーア。そのプログラムは一見ニッチで、しかしながら戦争や震災といった災禍と音楽の関わりを透徹した視点で見据えた素晴らしいものだ。演奏のクオリティも、今回は1stの荒井さんがいつにもまして熱の入ったプレイを披露して全体を強力に牽引した。アンコールで予告されたショスタコーヴィチ全曲演奏をはじめ、今後とも目が離せない!

2015/6/21
サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン フィナーレ
@サントリーホール ブルーローズ

メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第2番
(カルテット・アルパ)
シュルホフ:フルート、ヴィオラ、コントラバスのための小協奏曲(高木、池田、吉田)

ヴェルディ:ストルネッロ(迫田、古藤田)
プッチーニ:死とは?(迫田、古藤田)
トスティ:もう君を愛していない(新造、古藤田)
マスカーニ:セレナータ(新造、古藤田)
サン=サーンス:七重奏曲(高橋、吉田、若林、クァルテット・エクセルシオ)
シェーンベルク:浄夜(堤、磯村、ミロ・クァルテット)

チェロ:堤剛
ヴィオラ:池田菊衛、磯村和英
コントラバス:吉田秀
フルート:高木綾子
トランペット:高橋敦
ピアノ:若林顕、古藤田みゆき
弦楽四重奏:ミロ・クァルテット
ヴァイオリン:ダニエル・チン、ウィリアム・フェドケンホイヤー
ヴィオラ:ジョン・ラジェス
チェロ:ジョシュア・ジンデル
弦楽四重奏:クァルテット・エクセルシオ
ヴァイオリン:花田和加子(代演)、山田百子
ヴィオラ:吉田有紀子
チェロ:大友肇
サントリーホール室内楽アカデミー選抜アンサンブル
弦楽四重奏:カルテット・アルパ
ヴァイオリン:小川響子、戸原直
ヴィオラ:古賀郁音
チェロ:伊東裕
サントリーホール・オペラ・アカデミー選抜メンバー
ソプラノ:迫田美帆
バリトン:新造太郎

ミロ・クァルテットのチケットがすぐに完売、日程的にも一公演も行けなかった今年のサントリー室内楽庭園。悔しいのでせめてフィナーレ公演だけでも、とも思ったがこれがなかなかどうして楽しい公演だった。

とにかくてんこ盛りのこの演奏会、曲目にも珍しい編成の作品が並び興味深々でブルーローズに着席した。前半最初にメンデルスゾーンを奏でたカルテット・アルパは、1stVnの小川響子さんの卓越したリードに感心しきり。若干細身の音色で繊細な表現を詰めていく姿勢が素晴らしい。カルテット全体を力強く引っ張っていき、若々しいメンデルスゾーンが誕生した。
次のシュルホフのFl、Va、Cbのための小協奏曲も実に面白かった。前半楽章では5度の多用で土俗的な香りを醸し、フルートの高木綾子さんはピッコロにも持ち替えて華麗に活躍、さながら祭り囃子のよう。VaとCbの相性も良好で、Vnの池田さんは珍しくVa持ち替えを披露したが、どうして池田さんになったのだろう?

後半はオペラアカデミー生&エク+α&ミロQ+αと更に大盛り。オペラ・アカデミー生の方々によるイタリア歌曲はいずれも美しくチャーミング、弱音のコントロールが更に徹底されれば良かったように思う。
エクにTp高橋さんらが加わったサン=サーンス七重奏曲では奇抜な編成の絶妙な相性を堪能した。演奏機会も稀な作品なのだろう、若干戸惑いつつ演奏しているように感じられなかったでもないが、緩徐楽章の美しさなど作品の魅力を味わえたのは良かった。Tp高橋さんは相変わらずの安定感、全音域における柔らかな音色は彼の卓越した個性だ。
ミロ・クァルテット+Va磯村さん&Vc堤館長による「浄夜」は流石に圧巻、トリに相応しい充実。とにかく一音一音がこれまで聴いてきたクァルテットと比較しても相当に吟味されている。切っ先鋭い音を奏でたと思えば溜息のようなヴィブラートを絶妙に聴かせ、トレモロの音の粒の細かさも凄い。シェーンベルクのこの作品は濃厚なロマン性を湛えたとろみのある演奏が一般的なように感じるが、今回の彼らは作品全体をスキャンにかけたような透徹した視線をもった演奏だった。ミロQの先鋭さがずば抜けており、加わったお二人の主張を聴き取る段階には至らなかった。 

珍曲に王道、いずれも楽しめる演奏だった。コンサート全体を通してみれば、若干一曲一曲の研磨が甘いようにも感じたが(この期間中にさまざまな曲を次々と取り上げるゆえか?)、これだけ味わわせてもらって文句を言うのは場違いか。素晴らしい室内楽の祭典、来シーズンは会期を延長してパワーアップして戻ってくるらしい。楽しみだ。

2015/6/20
トリトン晴れた海のオーケストラ 晴海トリトンスクエア15周年記念 第1回演奏会
@第一生命ホール

モーツァルト:ディヴェルティメント K. 136
モーツァルト:交響曲第29番
モーツァルト:セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
モーツァルト:交響曲第40番
~アンコール~
モーツァルト:ディヴェルティメント K334より 第3楽章


管弦楽:トリトン晴れた海のオーケストラ
第1ヴァイオリン:景澤恵子、塩田脩、松浦奈々、渡邉ゆづき、森岡聡
第2ヴァイオリン:双紙正哉、戸上眞里、直江智沙子、三原久遠、福崎雄也
ヴィオラ:鈴木学、村田恵子、伊藤慧、福田道子
チェロ:山本裕康、清水詩織、森山諒介
コントラバス:池松宏、佐野央子
フルート:小池郁江
オーボエ:広田智之、池田昭子
クラリネット:三界秀実、糸井裕美子
ファゴット:岡本正之、岩佐雅美
ホルン:西条貴人、和田博史
コンサートマスター:矢部達哉

晴海トリトンスクエアの15周年を記念し、第一生命ホールを拠点とするオーケストラが誕生した。それが今回お披露目公演となった「トリトン晴れた海の日オーケストラ」(通称:晴れオケ)である。都響ソロ・コンマスを務める矢部達哉さんの呼びかけで、都響メンバーや彼に近しい音楽家によって構成される豪華なチェンバー・オケとなっている。

30人のメンバーの三分の二が都響の団員ということで、意識的か無意識のうちにかは分からないが都響の音楽づくりの特徴が少なからず感じられた。都響はご存じのとおり在京オケの中でも高いアンサンブル能力を誇るオケで、多少指揮者の棒が見辛くてもオケが主体的に合奏を構築できる強みを持っている。特に矢部コンマスが率いる時のアンサンブルは出色で、その強靭さには何度も驚かされてきた。それは裏を返せば、コンマス主体で音楽をリードするいわば「自動操縦モード」になった時にあまりにアンサンブルの精緻さに傾きすぎるということでもあるのだが、この善悪は人によりけりだろう。とにかく、今回の「晴れオケ」ではこの特徴が随所で聴かれたことは確か。

今回は指揮者を置かない「大きな室内楽」であり、必然的にオケのメンバーがより自発的に表現しつつ矢部コンマスのリーダーシップが発揮されることになるのだが、各セクションごとに音楽的なニュアンスの違いが打ち出されていたのがとても興味深かった。矢部さんに距離的に近い1st・2ndVnはクッキリとした音楽の輪郭を持っており、とめ・はねがしっかりと整頓された端正な表情付けだ。最近の潮流では柔らかく流れるような演奏が多いが、矢部さんが志向する音楽がそれと趣を異にするのは確からしい。冒頭のディヴェルティメントでの清冽な表情をはじめ、かえって新鮮な魅力であった。Obをはじめとする木管セクションはコンマス矢部さんとアイコンタクトもとりつつ、美しく旋律線を歌いぬく。

一方でVcとCbのニュアンスはVn群とは異なり、若干の対抗意識すら感じられた。6型という超小編成の今回の「晴れオケ」ではVcが3人・Cbは2人とお世辞にも低音が多くないのに、演奏が始まってみると十分すぎるほどの鳴り。勿論演奏者が優れていることは言うまでもないのだが、Vn群の端正に対して若干奔放で攻め気味に演奏する姿勢が低音の充実に寄与していたと感じる。個人的にはとても好ましいスタイルだった。

弦楽合奏、小管弦楽による温かなモーツァルトはまさに耳のご馳走だった。ホールの容積が大きくないとはいえ、6型であれだけ豊満なサウンドが出てくるのは何度考えても凄い。矢部さんがプログラムに書いていた「大きな室内楽」が見事に体現されていた疑いなき証拠だろう。
このオケは今後も第一生命ホールを拠点に、 年一回のペースで演奏会を催していくとのこと。年一回、また一つ楽しみが増えた。次はハイドンがいい。

2015/6/19
新日本フィルハーモニー交響楽団 第543回定期演奏会
@サントリーホール

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版)
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

ピアノ:三輪郁
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:秋山和慶

日本を代表する名匠・秋山和慶が新日フィル定期に登場。あまり見ない組み合わせだな、と思ったらなんと40年ぶりの定期客演であるらしい。しかもそのプログラムがストラヴィンスキーの三大バレエというのもまた凄い。

秋山さんの音楽は概してエグ味が少なく、スムースな進行がその魅力であると言ったら語弊があるだろうか。そしてそのスムースさは、彼の卓越したタクト捌きに拠るところが大きい。特に今回のような変拍子が頻出する音楽を振らせれば、我が国、否世界でも右に出る指揮者は少ないのではないか。懇切丁寧にして明快極まりなく、見事な指揮芸術の域に達していると言っていい。

そんな彼の指揮から紡がれるストラヴィンスキー像は、ゲルギエフの原始宗教的な妖しさを孕んだものでも、サロネンのようなクールさを匂わせるものとも異なる。愚直にスコアに向き合い、何の外連味もなく音楽を進めていく様は、言ってしまえば地味だ。これが古典派の作品であれば些か退屈に感じてしまったかもしれない。だがストラヴィンスキーはタダでさえ譜面いっぱいに音が散りばめられた音楽、ゆえに秋山さんの潔い指揮は聴く者に音楽の核をダイレクトに伝えてくれた。これは却って新鮮な魅力であり、普段極彩色の音楽として認識していたストラヴィンスキーから一切の余分な油気が吹き飛ばされて筋骨隆々な姿が露わとなったような感すら覚えたのである。
特に顕著だったのは「春の祭典」であり、第1部「大地礼讃」のリズムの交錯がこうも生々しく再現された演奏は初めて耳にした。終結部の全管弦楽による疾走も只ならぬ凄みを匂わせ、あたかもスロットル全開で後戻りが出来ない車に乗ったような恐怖感であった。(衝突寸前で音楽が唐突に打ち切られるのがまた心臓に良くない)
前半2作では特に「ペトルーシュカ」の印象が良かった。色彩感はそれほど感じなかったが、やはりリズム処理の見事さが光る。それに加え秋山さんの棒のちょっとした行間の扱いが絶妙だ。静寂の中で懐に刃物を携えた何者かが息を殺して潜んでいるような、どこか異常な不気味さがよく表現されていた。オケ内ピアノの三輪さんは指揮者と向かい合う形で演奏、煌びやかな独奏で管弦楽と美しい対照を成した。冒頭「火の鳥」も悪くはなかったのだが、三大バレエ中最も色彩的なこの作品となると流石にもう少しパレットを求めたくなったのは事実。

新日フィルはこの重いプログラムを通常のリハーサル日程でよくこなしたと思う。その事実はまず賞賛に値する。しかしそれを認識した上で言わせてもらうと、アンサンブルの水準が他の在京オケに比べてやはり心許ないのではないか。管のソロがトチったとかいうことは正直それほど重要なことではなく、セクション間の水準の差が激しいように思われる。木管群は概していい仕事をしていたが、金管群は残念ながらセクションの統一感という点では満足できる水準ではない。かねてより書いているがホルン群の問題は深刻で、有馬さん(都響首席)がトップを吹いた「ペトルーシュカ」はまだ良かったが「火の鳥」で貧弱さが露骨に表れてしまった。ソロ、セクション共に音色の魅力がほとんど感じられない。
オケ全体は三曲とも今回引き締まっていたが、曖昧さの皆無な秋山さんのタクトがオケの不安感をかなり取り除いていたというのが率直な感想である。誰かアンサンブルを根本から改善してくれるような指揮者がこのオケに来てくれれば良いのだが、残念ながら現職のハーディングも、次期シェフの上岡さんもそういうタイプではない。邦人指揮者でいうと今回の秋山さんか、高関さんが該当するが、お二方とも可能性は低い・・・。

2015/6/15
東京都交響楽団 第790回定期演奏会Bシリーズ
@サントリーホール

シェーンベルク:ピアノ協奏曲
ラフマニノフ:交響曲第2番

ピアノ:ウィリアム・ウォルフラム
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:アンドリュー・リットン

客席でトラブルがあった。折角の演奏会をスポイルされたのみならずブログのエントリまでこのような低次元の話で〆るのは哀しいので、誠に遺憾ながら事の次第を最初に書きたいと思う。
シェーンベルクの演奏終了後、ステージ後方からブラヴォーともブーイングともつかぬ罵声がステージに放たれる。何事かと思い声の主に目をやると、P席2列、アフロ眼鏡の小男が手でメガホンを作り執拗に叫び続けている。拍手を一切していなかったのでどうやらブーイングだったようだ。
半ば騒然となった休憩中のロビーでお知り合いが本人に事情聴取したところによれば、その問題人物・通称ポール氏―ファンの方には誠に気の毒だが、P. マッカートニーのツアーTシャツを着ていたらしい―はどうやらピアニストの演奏に不満であったらしい。成る程ウォルフラムの答礼の度に叫んでいたのはその為か。ポール氏は「あんな緩い演奏聴かされて、ブーイングをする権利だってあるだろぉ!」と叫びまくり抵抗していたが、都響を愛する一般客お二人、都響事務局の方、ホール係員にアシストされ最終的に後半開始前に退散と相成った。自分の記憶に加え複数の目撃証言によれば、先日の都響サポーターズ・パーティにもポール氏は臨席していたはずで、リットンや楽員に妙なハイテンションで話しかける姿に若干異様さを感じていたのだが、まさかこんな形で現れるとは・・・。定期会員兼サポーターという熱心なファンがこういう破壊行為を行った事実も残念だ。
ポール氏が主張したように、演奏の出来不出来に対し賛否を表明する権利は無論聴衆一人ひとりにある。だが10回を優に超えるあの執拗な罵声は、明らかに芸術的な意思主張の範疇を超えた異常なものだ。公共スペースにおける常識的な振る舞い―演奏中の妨害行為等も含めての広い意味で―が出来ないのならばホールに来る資格はない、そう一蹴せざるを得ない。幸い今回は主催側の毅然とした対応により事態は収束したが、ああいう輩は業界全体で締め出すなどの厳正な対処が必要だろう。当たり屋と同様、いつどこで起こるか分からない以上、考え得るリスクを減らしていくしかあるまい。

情けない事案に随分と字数を費やしてしまった。リットンと都響による今回の20世紀音楽プロは、前回の「肖像」シリーズで取り上げられたガーシュウィンを共通の友人に持つシェーンベルクとラフマニノフが選ばれた。ガーシュウィンの存在により、2つの演奏会に有機的な連関がもたらされているという訳だ。

シェーンベルクは協奏曲というにはオケの規模が随分と大きく、ピアノ・ソロとオケと精妙に絡みながら演奏が進んでいくので、さながらピアノ付き交響曲という印象。形式面だけ見ればブラームスの第2協奏曲と同一であり、この作品もまた交響曲の顔を持っている。シェーンベルクは何かしら意識していたのではないか?
都響とソリストの演奏は作品の良さを不足なく伝えるもので、淡彩なようで微妙な表情変化のある独奏、頻出する弦のコル・レーニョや威圧的な金管などいずれも見事な仕上がりだった。特にオケの軍靴の如き重い響きは、作品が成立した1944年の欧州情勢を憂うシェーンベルクの顔が浮かぶようである。「緩い」などという批判は当たらない高水準な演奏と聴いた。

後半、ラフマニノフ第2交響曲は誰もが知る名曲であり、いわゆる「泣きメロ」の宝庫である。リットンは「この曲が指揮者を志すきっかけだった」と言うだけあり完全暗譜で思い入れたっぷり、その巨体を何度も空に浮かせる熱のこもった披露した。顔を真っ赤にしながら全身で音楽を伝えるリットンの思いは十分に伝わったのだが、客観的に聴けば残念ながら彼の指揮には問題が多かった。些細なことから言えば、全身の上下運動と棒によるビートが混在しておりキューが明確でない。これに加え、ピアニスト出身の指揮者に特有のオーケストラの生理を無視した非現実的なフレージングが目立った。(ピアノではどんなテンポでも弾けるので、オケでも同じことをしたくなるのだろう)第3楽章のClソロの息継ぎに対する配慮のない遅いテンポ、第4楽章大詰めでの不自然なリタルダンドからの終結部のアッチェレランドが最たる例か。こういうことが60分の全曲を通じて行われればオケが困惑し乱れるのも当然である。ただ曲に相応しい濃厚でねっとりしたサウンド、時折施される弦のポルタメントなど、個人的にはリットンを支持したい点も少なからずあったことは付記しておきたい。「ああ、本当にこの曲が好きなんだな」と思わせる演奏であったことは確かだから。
都響はリットンの曲への愛を十分に理解し献身的な演奏をした。矢部コンマスの時にしばしば聴かれるアンサンブル重視の都響ではなく、珍しく合奏を犠牲にしても濃密さを求めていたのは大いに好感が持てる。ただそんな中著しく不満足だったのはホルン群とティンパニだ。前者はトゥッティで埋没、ソロは守りに徹する一方で存在感を発揮できず、終楽章で繰り出されたリットンの必殺技・ベルアップで漸くアピールする程度。他の金管群がすこぶる強力であるだけに都響が抱える課題である。後者はマレットの選択や弱音での繊細さが欠けていた。

長くなったが、前半の残念な妨害行為により指揮者、オケ共に少なからず気を削がれただろう。にもかかわらず気概のこもったラフマニノフをしっかりと届けてくれたリットン/都響には惜しみない拍手を送りたい。ソリストのウォルフラム、リットン共に、これに懲りずまた日本を訪れてくれますように。

2015/6/14
新日本フィルハーモニー交響楽団 第542回定期演奏会
@サントリーホール

J .S. バッハ:オーボエ協奏曲
~ソリスト・アンコール~
テレマン:無伴奏オーボエのための12の幻想曲より アダージョ
R. シュトラウス:メタモルフォーゼン

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

オーボエ:古部賢一
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:崔文洙
指揮:飯守泰次郎

新日フィル定期にカペルマイスター飯守が客演、月初の都響に続き我が国が誇る名指揮者の境地を体感した。
ヴァーグナーの大権威として知られる氏だが、都響でのブラームス、NJPでのベートーヴェン、そして来月はシベリウスと、マエストロの違った一面を聴く事ができるのはうれしい。ただ、聴後感として残るのは「ああこの方にとってヴァーグナーは絶対的存在なのだな」という思い・・・後ほど詳しく。

前半のバッハは首席オーボエの古部さんの独奏。オーボエとヴァイオリンのための二重協奏曲はたまに聴くが、オーボエ単独のコンチェルトは初めて聴いた。オーボエ協奏曲からカンタータに編曲された作品を復元したということで、歌謡性に富んだ素朴な旋律が印象的だ。古部さんは相変わらずの美音をたっぷりと披露、バックの弦楽合奏は敢えて厚みを排して瀟洒なサウンドを聴かせてくれた。飯守さんは時折かなり体を独奏者の方に向けながら懐深いサポート。

続くメタモルフォーゼン&エロイカは内容的に関連がある。直近ではノットのメタモルフォーゼンの項でも書いたかもしれないが、英雄交響曲の葬送行進曲主題がシュトラウスで引用されているのだ。飯守さんの選曲意図もそこにあるのだろう。
引き合いに出した先日のノットの演奏に比べると、カペルマイスターのメタモルはかなりずっしりとした手応えがある。中間部ではテンポを上げたので体感時間的にはノットの方が長かったのだが、重量感では圧倒的に飯守さんだ。ヴァーグナーのモティーフ、先述の主題の引用は勿論しっかりと強調される。聴き応えはあったが、自分としてはテクスチュアが透けて見えるようでいて、かつ静かな哀感を湛えたノットの演奏をずっと好む。

休憩を挟んだエロイカは14型通常編成の演奏となり、インバルや大野さんのような16型倍管の大鑑巨砲主義とは異なる。だが出てくる音楽は彼ら以上に古風なものだったかもしれない。良い悪いというよりは、これが今の飯守さんの音楽作りなのだ。冒頭で書いたとおり、彼の根幹にはヴァーグナーが厳然として存在していて、まるで強力な磁石のように古今のあらゆる音楽をその方向へと引き寄せてしまうのだろう。フレージング、ダイナミクスの取り方、音作りに至るまで作曲家Wの巨大な影がちらつくのである。
第1楽章で特にそれは顕著で、コーダに入ってから第1主題が各楽器を経てトランペットのファンファーレ(例の脱落問題の箇所である)に至る過程がある。ここで大抵の指揮者は木管によるアーチ状の対旋律をしっかりと聴かせようとするのだが、飯守さんは只管に有名な第1主題を濃厚に強調しながらクライマックスへと上り詰めていく。同一の旋律を楽器を変え高潮させていくのは、紛うことなくロマン派的アプローチであり、ヴァーグナーやブルックナーのそれと一致する。同音反復をペザンテのように重厚に叩きつけるのも特徴的だ。後半楽章に進むにつれ音楽は若干整頓され標準的な演奏の部類に近づいていったが、それでもスケールは大きい。

NJPは悪くない精度で飯守さんの巨大な「エロイカ」像を具現化していた。刀を振り回すような奔放で、(そして見難い)指揮の飯守さんに応えるべく弦セクションはたっぷりとしたボウイングを行っていたし、美音を振りまいた元NJP首席オーボエ・小畑さんをはじめとする管楽器群も解像度が高かった。雷鳴のように響くティンパニの下支えも良い。ただ、トゥッティとしての響きは満足できたもののヴァイオリン群のサウンドの密度には更なる濃さを求めたかったし、3人のホルン群は個々人の響きがバラバラに散らばってしまっていた(1stの元都響・笠松さんは悪くなかったのだが)。

とはいえ、飯守さんならではの威風堂々たる音楽を楽しみにしていたのだからこれで文句はない。やや寂しかった客席は力のこもった拍手で演奏に応えた。これで、来月のシベリウス2番がどういう傾向になるかはほぼ予測が定まったといえよう(笑) 

2015/6/13
日本フィルハーモニー交響楽団 第671回東京定期演奏会
@サントリーホール

ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
~ソリスト・アンコール~
J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番より アダージョ

ショスタコーヴィチ:交響曲第8番

ヴァイオリン:堀米ゆず子
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:扇谷泰朋
指揮:アレクサンドル・ラザレフ

ラザレフ/日フィルのショスタコーヴィチ・シリーズ、今シーズン最後を締め括るのは第8番。今シーズンは4・8・11という規模の大きい作品(昨年3月の7番も序章といえるだろう)を次々に披露したこのコンビ、秋からの新楽季では演奏時間はやや短めの6・9・15を取り上げる。ラザレフの任期最後の公演が、作曲家最後の「15番」というのも象徴的だ。

話が冒頭からいきなり来シーズンに飛んでしまった。シンフォニーの前に置かれたのは何故かブルッフの1番。ラザレフの指揮で昨年聴いた第4交響曲では前座としてチャイコフスキーの「弦楽セレナード」が演奏され、管楽器奏者を後半に取っておくという合理的な組み合わせに納得したのだが(とはいえ演奏はとても『セレナード』という可愛いものではなく、猛炎の如き迫力だった・・・)、ブルッフとショスタコーヴィチの相性は、よくわからない。
 ラザレフ/日フィルの伴奏は実にこなれたものだった。きっとラザレフは自国作品ほどこの協奏曲を指揮しているわけではないだろうが、オーケストラのリードは実にしなやか。時折ホルンを強奏させたかと思えば弦にアクセントを施し、聴く者を飽きさせない。日フィルも弦・管ともに解像度が高く、ショスタコーヴィチに期待を持たせた。肝心のソリストは些か疑問符。ピッチが若干揺れるのはまだ良いとして、重音で毎回見得を切るのはややしつこい。フレージングも演歌調の粘り気があり単調に感じた。アンコールも同系統で、うーんという印象。

そして待望のショスタコーヴィチ8番である。これは特筆すべき水準の演奏であった。このコンビによるショスタコーヴィチ演奏を継続的に聴いてきたが、回を重ねるごとに日フィルがグレードアップしているのがはっきり分かる。ラザレフ、インキネン、山田和樹という充実の指揮者陣がきちんとした回数指揮することが要因だろうが、いよいよオケのサウンドに風格と自信が漲ってきたように思われる。
ラザレフは常ながら本能的とも思われる豪快さでオーケストラをぐいぐいと引っ張るが、その指揮はオーケストラの生理を熟知した合理的なもの。第8交響曲は随所に音響的なクライマックスが点在しており、去年読響を振った某「巨匠」のようなヘロヘロな指揮ではただの音響地獄になってしまうが、今回のラザレフの指揮で聴くべきは寧ろ弱音部であった。暗く容赦ない低弦が収まってからの1楽章冒頭の高弦は薄氷を踏むが如き繊細さ、ピンと張り詰めた緊張感はその時代を知る指揮者ならではのものだ。第5楽章を息も絶え絶えに振り終えたラザレフは弦が完全に消えた後もしばらく手を震わせて指揮を続け、緊迫感を数十秒保った後に喝采となった。
オーケストラはラザレフ渾身のアクションに前傾姿勢で応じつつ、全体の均衡を保った素晴らしいパフォーマンス。第3楽章での金管群の活躍は言わずもがな、どんなにラザレフが凄惨極まりない音響を引き出してもバランスが良好に保たれているのが素晴らしい。加えて、今回の日フィルは木管楽器の解像度が以前より向上したように思われた。これは来シーズンに控える第9番、第15番における、木管群のアイロニックな活躍に大いに期待できる。

 ラザレフと日フィルの地道な共同作業がいよいよ大きな実を結びつつある。これからも目が離せない。

このページのトップヘ