たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

July 2015

2015/7/31
トッパンホール主催公演 日下紗矢子 ヴァイオリンの地平 2─古典
@トッパンホール

モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 K. 303
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第4番
パガニーニ:24のカプリースより 第9番、第24番

モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調 K. 526
シューベルト:ロンド ロ短調 D895
~アンコール~
シューベルト:アヴェ・マリア

ヴァイオリン:日下紗矢子
ピアノ:マーティン・ヘルムヘン

トッパンホールでシリーズを持ち、読響とベルリン・コンツェルトハウス管のコンマスをも務める日下さん。トッパンでのライヴCDやアルバム"Return to Bach"での毅然とした演奏も素晴らしいし、先日のテミルカーノフ指揮読響によるマーラー「3番」ではしなやかなリードも味わうことができた。とにかく尽きせぬ魅力を持つヴァイオリニストである。 

今回の古典派縛りのプログラムでは、それぞれの作曲家の描き分けが綿密に行われている。古典派と一口に言ってもモーツァルトとシューベルトは全く違うのだから当然といえば当然なのだが、聴衆にはっきりとそれを伝える意識を強く感じた。美音にゆったりと浸るというよりは、聴く側の能動的な参加を要求する。こういう刺激が尽きないアプローチは大好きだ。

モーツァルトの2つのソナタ、ベートーヴェン、パガニーニ、シューベルトの作品が取り上げられたが、最も感銘を受けたのはシューベルト。構えが大きく、それでいてどこまでも魂が飛翔してゆくような雄大な軽やかさを感じさせる名作であるが、日下さんとヘルムヘンは曲の通り駆け上るような白熱した演奏を展開した。それまでの演奏ではヴィブラートが最小限の使用だったのに対し、シューベルトでは「ここぞ!」という箇所で効果的に用いられる。それが感情の起伏を強調するようで一層の感銘を生む。

清新なフレージング、効果的なヴィブラートの使用で魅了した日下さんも素晴らしいが、ヘルムヘンのピアノがこれまた生気に富んでいた。これほど有機的に音楽が息づくデュオは、一瞬たりとも油断できないスリルがある。ヘルムヘン、日下さんの双方が仕掛け合い(仕掛けるのはヘルムヘンが多かったかも)、瞬発的に音楽の色合いが移りゆく。後日行われた彼のソロ・リサイタルも聴きたかった。

多面的に活躍する日下さんは、どこか日本人離れした大胆さと日本人的な細部への心配りの両方を兼ね備えているように感じる。これからも楽しみに演奏を待ちたい。
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2015/7/30
フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2015 読売日本交響楽団
@ミューザ川崎シンフォニーホール

~プレ・コンサート~
メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲より 第1楽章

ヴァイオリン:ダニエル・ゲーデ、對馬哲男、肥田与幸、太田博子
ヴィオラ:柳瀬省太、渡邉千春
チェロ:唐沢安岐奈、室野良史

メンデルスゾーン:劇付随音楽「真夏の夜の夢」序曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
~ソリスト・アンコール~
J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番より アダージョ

メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」

ヴァイオリン:ヴェロニカ・エーベルレ
管弦楽:読売日本交響楽団
コンサートマスター:ダニエル・ゲーデ
指揮:ジェレミー・ローレル


真夏に聴く演奏会として、オール・メンデルスゾーン・プログラムという選択肢はまことに爽やかで良い。今回の読響はプレ・コンサートまでオクテットの第1楽章で統一する徹底ぶりだった。若手奏者が担った中低音域が雄弁な演奏で、聴きごたえがあり本プロへの期待を高める。

古楽好きなら知らない人のいない巨匠、ウィリアム・クリスティに師事したというジェレミー・ローレルは、自らが創設した古楽器オケをも持つ若手指揮者。これは自論だが、古楽畑の指揮者とメンデルスゾーンは総じて相性がすこぶる良い。パイオニアとしてはWPhと優れた名盤を遺し、LSOとの再録音(弦楽器の一部奏者は立奏!)も好調なガーディナー、一番若い世代だとフライブルク・バロック管のエラス=カサドだろうか。アーノンクール御大はよく知らない。
その例に漏れず、ローレル/読響が提示したメンデルスゾーンも大変面白く聴けた。ピリオド寄りのアプローチを想像していたが、思いの外オケ寄りに折衝点が置かれた様子で、モダンオケの厚みを活かした演奏になっていたのは面白い。ローレルは無声音を発しながら忙しなくオケに指示を出すが、コントロールというよりは総じてオケが自発的に音楽を作っているという印象を受けた。(その溌剌とした自発性を引き出したかったのかもしれないが)

ヴァイオリン協奏曲は今回もっとも感銘を受けた。ソロのエーベルレはナマでは初めて聴くが、前評判の通り素晴らしい。肉厚な美音を振りまきながらオケをリードする場面も見せつつ、表情豊かに音楽を紡いでいく。特に第2楽章での木管群との語り合いはまさに「協奏」の醍醐味で、オケの水準の高さも確認できた。ローレルはソリストを立てることに注力し、響きのバランスという点では問題なかった。

読響の硬軟取り混ぜた柔軟な対応により、ローレルのデビューは成功裏に終わったようだ。ただ一つ彼に苦言を呈するなら、前髪はどうにかしたほうがいい(苦笑)コンチェルトで二桁以上髪をいじっていたが、本人も邪魔だと思っているのかしらん。

「ほぼ日刊サマーミューザ」上のレヴューはこちら
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2015/7/29
フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2015 東京フィルハーモニー交響楽団
@ミューザ川崎シンフォニーホール

武満徹:波の盆
グリエール:ホルン協奏曲
チャイコフスキー:交響曲第5番

ホルン:イェンス・プリュッカー
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:依田真宣
指揮:尾高忠明

先日の定期におけるマーラー9番が圧倒的な素晴らしさだった尾高さん×東フィルの組み合わせはサマーミューザに続く。尾高さんが札響との名録音も遺す「波の盆」、ロシアの名旋律が味わえる二曲を取り上げ、一見名曲プロのようで奥深い魅力を聴かせてくれた。

例によって公開ゲネプロから見学。今回、尾高さんは全曲棒を持たず両手で柔らかく指揮した。終始リラックスした雰囲気で、さながら楽団のお父さんのような包容力がある。練習自体は比較的頻繁に止めて修正を施していくもので、弦楽器のフレージングに対する指示が多かった。チャイコフスキーでは「パワーは本番に取っておいて」と言ったものの尾高さん、オケともにかなり力の入った演奏、金管含め7分吹き程度だったのではないか。

本番、冒頭の「波の盆」の魅力にいきなり涙腺が緩む。生まれ出でて世俗に染まってしまう以前、母親の胎内で羊水に揺られている純朴な頃の記憶(そんなものはあるはずはないのだが)を呼び起こすような根源的な音楽。途中貫入するおどけた行進曲の諧謔、哀感にみちた旋律も全て無に始まり、無へ帰してゆく。尾高さんの音楽性にも流石にぴたりと一致している。

続いてのグリエールは、武満の余韻を消し去るような華麗さがあり、少々プログラミングとしては唐突な印象。1951年の成立だが、現代的な雰囲気は一切なくロココ風味だ。ホルン・ソロの北ドイツ放送響首席イェンス・プリュッカーは生真面目に、確実に楽音を紡いでいく。重音奏法や高速パッセージも着実にクリア。バボラークやドールのような、呼吸をするようにホルンを吹く人々とは違う味わいで、これはこれで渋くていい。オケも尾高さんの得意とするロシアン・ロマンティックを体現していた。

休憩を挟んでのチャイコフスキー5番、この曲は間違いなく尾高さんの「十八番」である。
昨年の音大オケ・フェスティバルにおける藝大との演奏では、彼の完璧な楽曲設計を学生オケがほぼ完璧に音化してしまった結果、ちょっと考えられないような純度でチャイコフスキー5番が再現された。あれは昨年の裏ベストと言っていい衝撃度で、学生オケの集中力がプロオケの技量に勝った瞬間だった。
とはいえ、今回の東フィルの演奏が藝大に劣ったというわけではない。尾高さんと東フィルの長年に亘る関係の積み重ねが、高度な次元での「遊び」や「揺らし」を可能にしていたからだ。尾高さんが拍を明晰に打たない場面でも合奏は自信に漲っており、指揮者が時折仕掛けるちょっとした変化にオケが嬉々として応える。この成熟度に達したオケと指揮者は、おそらく何を演っても無敵である。自分が知る限り、ここ数年でそういう融通無碍な関係に至ったコンビはインバル×都響であったが、尾高さんと東フィルもその次元に差し掛かっているはずだ。
ただ、東フィルの合奏精度には更なる向上を求めたい箇所があったのも事実。弦の厚みは素晴らしいが、一部の管楽器には明らかな不調が聴かれ、ホルン・ソロにも惜しい場面があった。そういう瑕がしばらく吹っ飛ぶ感銘を与え得る演奏ではあったのだが・・・。

「ほぼ日刊サマーミューザ」上のレヴューはこちら
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2015/7/25
フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2015
東京交響楽団 オープニングコンサート
@ミューザ川崎シンフォニーホール

ショパン:ピアノ協奏曲第1番
マーラー:交響曲第1番「巨人」

ピアノ:横山幸雄
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:グレブ・ニキティン
指揮:飯森範親

クラシック界における「夏フェス」の先陣を先陣を切り、フェスタサマーミューザが今年も開幕した。
(早々に宣伝で恐縮ながら・・・フェスタ期間中、昨年の好評を受け今年も発行となった『ほぼ日刊サマーミューザ(←特設ページに飛びます)』の一コーナーとして、拙文を連載させて頂いております。もしかすると既に紙面上のURLからご来訪なさった方もおいでかもしれませんが、何卒よろしくお願い申し上げます)

オープニングコンサートで演奏するのは勿論レジデント・オケたる東京交響楽団で、大曲「巨人」を引っ提げて登場という、堂々の本格派コンサートである。指揮の飯森さんは過去に東響とマーラーの交響曲演奏に取り組んできており、クック補完版の10番もここミューザで響かせたとのこと。私自身、この組み合わせによる「巨人」を数年前の定期演奏会で聴いたことがある。

サマーミューザ恒例&好評イヴェントのひとつである公開リハーサルから見学。プログラム通りショパン→マーラーの順だが、途中15分の休憩を入れマーラーはほんの少しのみの演奏となった。オーケストラに負担がかかる曲ゆえ、最小限の確認のみに留めたのはひとつの見識かもしれない。尤も、飯森さんがステージ上から「マーラーは本番のお楽しみ」と言ってしまったために「マーラーは公開しないんだ」とホールを出られた方も少なくなかったようだが・・・。
ショパンでは全曲通しながら、第3楽章でオケに細やかなテンポ変化を指示。横山さんは自然体で、「どんな客層かなー」とでも言いたげな様子でリラックスしながら演奏していた。

そして本番。去年のオープニング&フィナーレの東響は指揮者ともに白スーツで統一だった気がするが、今回は普通の黒スーツ。飯森さんも燕尾服で登場した。
前半ショパンではリハーサルの最後で飯森さんが指示した点が浸透しており、オケ単独の箇所ではマエストーソになりすぎず、適度な推進力を得て筋肉質な響きが形作られていた。横山さんは十八番の曲を軽やかに弾きこなし、飯森さんが仕掛けるテンポ変化にも余裕で返答する。一瞬ごとに最適なニュアンスを何の躊躇いもなく提示していくという高度な演奏で、個性よりはピアニストのブリリアンスを強く感じた。こういうレヴェルの演奏をサラッと成し遂げてしまうのは凄い。

後半のマーラーは14-14-10-10-8(目測のため誤りがあったら是非ご教示ください!) という変則16型による演奏。1stと2ndのヴァイオリンが同数なのは、コントラバスが下手側・対向配置という工夫を最大限に活かし、対等に主張させるためと見たが―果たしてどうだろう。
暗譜で指揮する飯森さんはオケを丁寧にリードしていくが、時折弦楽器に出される粘り気のある歌い方が特徴的。全体の構築を意識した上で揺らすというよりは、細部を徹底して曲を構成していくような印象を受けた。第2楽章のトリオや第4楽章第2主題がその筆頭で、ユダヤ的と呼んでもいい。スダーン時代に鍛え抜かれたアンサンブルに加え、ノットの持つロマン的感覚を得て進化を続ける東響の演奏は破綻なく立派なもの。本拠地ミューザの強みもあるのだろう、強奏時も伸びやかさを常に失わないのは見事だ。立奏する8本のホルン、ベルアップする木管群の視覚効果もバッチリと決まり、手応えある「巨人」だったと思う。第2ヴァイオリン全体のノリの良さは、先述した対向配置の意図を汲んでのものだろうか。そうだとすればオケの自発性に天晴れである。

サマーミューザの幕はまだ上がったばかり。これから首都圏オケの真剣勝負をはじめ、様々な音楽イヴェントがミューザ川崎を中心に行われるお祭りが続く。楽しみだ。

「ほぼ日刊サマーミューザ」上のレヴューはこちら。(7/30追記) 
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2015/7/20
東京都交響楽団 都響スペシャル「名曲の夏」
@サントリーホール

J. シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
ヴォルフ=フェラーリ:歌劇「マドンナの宝石」間奏曲第1番
サン=サーンス:歌劇「サムソンとデリラ」より バッカナール

ヴァーグナー:歌劇「ローエングリン」より 第3幕への前奏曲
リスト:ハンガリー狂詩曲第2番
ムソルグスキー:歌劇「ホヴァンシチナ」より 前奏曲(モスクワ川の夜明け)
チャイコフスキー:祝典序曲「1812年」
~アンコール~
ベルリオーズ:劇的物語「ファウストの劫罰」より ラコッツィ行進曲(ハンガリー行進曲)

管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:四方恭子
指揮:小泉和裕

小泉和裕×都響の送るオーケストラ名曲選の2日目。初日はチャイコフスキー「弦楽セレナード」という中規模作品が入ったが、今回は真に小品セレクションといった趣で、オペラ中の名作が多い。小泉さんも軽く答礼した後すぐ次の曲に入っていた。

冒頭はニューイヤーでもお馴染み「こうもり」序曲で華やかに。自分は近年のニューイヤーでは最高の出来と評される、2010年プレートル指揮による同曲の演奏を愛している。ウィーン流の溢れるような茶目っ気は、小泉さん×都響という硬派な組み合わせには望めないが、それでもキリリと引き締まりつつ豊麗なサウンドは冒頭から快調だ。アンサンブルや両者の息の合い方は前日より更に良好、その中に込められるフレージングの工夫が嬉しい。

続いては弦楽合奏と木管のみの演奏で「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。凄絶な次のシーンへの受け渡しとして書かれた名作中の名作であるが、ここでの都響弦セクションのユニゾンはまさに絶美だった。艶やかで量感も十分、上行音型でのオケが一体となった絶妙なうねりと、これ以上何を求めるというのか。少々早い歓声は残念だったが、魅力的な演奏だったことに変わりはない。

続いてのヴォルフ=フェラーリとサン=サーンスは静動の対象を成しており、なかなか生演奏では聴く機会のない佳曲の魅力を再認識した思いだ。
ヴォルフ=フェラーリで弦の流麗な旋律を楽しんだ後は、異国情緒に富むバッカナールがやってくる。後者では金管打楽器の粗野な強奏も加わり、豪快なリズムの魅力が全開となる。

前半最後のバッカナールで予告されたかのように、後半では金管楽器のパワフルさが強調される名作が並ぶ。
「ローエングリン」の勇壮な前奏曲ではトロンボーンセクションが波状的に全体を鼓舞し、都響らしくソリッドな響きながら底力あるヴァーグナーを轟かせた。

都響の妥協ない演奏は外面にも現れ、ヴィオラトップの鈴木さんの弦が切れるハプニングが。ハンガリー狂詩曲第2番の前には楽器リレーとなった。音楽鑑賞教室で興味を持ってコンサートに初めて来た子供達がいたら、珍しいシーンを目撃することになったかもしれない。
ハプニングが落ち着いた後のリストは、作曲者とドップラーの編曲でなくカラヤンなども用いたミュラー=ベルクハウスによるもので、ハ短調に移調されている。冒頭から濃厚な民族色を聴かせる弦に力が入る。後半のド派手なお祭り騒ぎでは小泉さんの指揮にオケがピッタリ付け、絶妙のアンサンブルを見せ付ける。どんなに演奏が加熱しても下品にならないのは彼らの持ち味だろうか。圧倒的な演奏だった!

最後に置かれた堂々たる序曲「1812年」の前に箸休めのように響くのはムソルグスキー「モスクワ川の夜明け」。冒頭のヴィオラの響きに深みがあり、続く木管群との対話も雰囲気豊かに聴かせる。
そして繰り出される「1812年」、ムソルグスキーに続きやはり中低音域の弦があまりに美しい。小泉さんの指揮にもかなり力が入るが、力みが合奏の軋みにならずあくまで濃厚な響きとして客席に伝わり、曲に引き込まれる。ロシア軍とフランス軍の応酬も迫力満点にして音楽的、トランペットやコルネットの明晰なアンサンブルは流石といったところ。大詰めでド派手に打ち鳴らされる大砲にあたるバスドラムは強打のあまりマレットの先端が吹き飛ぶ力の入りよう。全体としては鐘の音量、オーケストラのバランス等含めほとんど完璧に近い見事さだった。都響ほどのオーケストラがしっかり三日間練習をして仕上げるとこれほどの水準に達するのか、と瞠目した。

昨日に引き続き小泉さんがやはりマイクを取り、「名曲の良さを改めて味わいながら楽しんで演奏することが出来、こちらも幸せでした」といった旨のことをお話になった。しっかりと準備して仕上げたクオリティの高さ、名曲に新鮮な姿勢で臨み笑顔で演奏するオーケストラの士気の高さ、小泉さんと都響の自由度の高さ―様々なレヴェルの高さが一体となって思い出に残る名曲選となったことに感謝したい。アンコールのラコッツィ行進曲を聴きながら、そんな思いを抱いていた。

最後に余談なのだが、クラリネットの1番・2番の方がトランペット群の強奏時に頭を入れていたヘッドギアのような物は、どうやら最新式の吸音器らしい。金管のハイトーンを至近距離で浴びる木管奏者にとっては職業病に繋がる深刻な問題なのだろう―特に都響ほど強力だと。
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2015/7/19
東京都交響楽団 都響スペシャル「名曲の夏」
@サントリーホール

ヴァーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より 第1幕への前奏曲
チャイコフスキー:弦楽セレナード

スッペ:喜歌劇「軽騎兵」序曲
ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」
リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲
~アンコール~
チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」より ポロネーズ

管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:小泉和裕

昨年はインバル指揮のマーラー・ツィクルス完結編として、交響曲第10番が演奏されて話題を呼んだ真夏の「都響スペシャル」。今年は趣向をガラリと変え、都響と絆の深い小泉さんによる名曲集だ。サントリーホールにて二日間、意外とナマでは聴けない名曲も含めた流麗なメロディが我々の耳を存分に愉しませる。

1日目は管弦楽名曲のオンパレードの中、チャイコフスキーの弦楽セレナードが全曲演奏。先日のA定期(カエターニ指揮)でも強く感じたことだが、都響ストリングスの強靭さは圧倒的である。音色の繊細な変化などでは東響が優れているが、中低音の量感は国内オケでは読響と双璧、アンサンブルだけで言えば在京トップの水準にあると断言できる。弦楽セレナードは小粋な小品で、優雅に奏される機会も多いのだが、都響にかかれば威容を誇る重厚な合奏曲と化す。ラザレフが振った日フィルの演奏でも轟々たる流れを感じたが、厚みという点では都響が更に一歩リードする。小泉さんの精悍にしてダイナミックな指向も一役買ったのだろう、カラヤン/BPhを彷彿とさせる重量感たっぷりの「弦セレ」だった。それでいて第3楽章の止まりそうなメランコリーにも事欠かない。
現実的なことを言えば14型でも充分だっただろうが、個人的にはこれ位大胆な演奏が聴きたかったので大満足。

その他の管弦楽名曲選も、改めて都響の高水準を印象付ける佳演揃い。小泉さんは全曲暗譜で、終始リラックスした指揮でオケの機能美を確かに引き出していた。
冒頭のマイスタージンガーはキリッと引き締まりつつ開放する所は存分に。ソリッドな金管群が出だしから好調だ。チャイコフスキーを挟んで後半第1曲、軽妙なトランペットが印象的な「軽騎兵」序曲では中盤の弦の魅力が新鮮、ただ鳴らすだけでは終わらない。続くボロディン「中央アジアの草原にて」は若干レアな曲。冷気をホールに運ぶような木管のソロが印象的で、熱気が冷めてしっとりとした味わい。〆に置かれたリムスキー=コルサコフ「スペイン奇想曲」はサーヴィス気味に賑やかでカラリとした音作り、矢部さんのVnソロをはじめハープ、クラリネットなど見せ場もたっぷり。小泉さんの指揮は茶目っ気こそ控えめながら盛大に盛り上げて大団円。

小泉さんが「暑い夏を乗り切りましょう!」と軽くスピーチを打ち、ほんわかしたムードの中デザートにしてはかなり重厚なオネーギンの「ポロネーズ」が開始。これが茶目っ気たっぷり、痛快な演奏だった。普段滅多に両足が接地面から動かない小泉さんが、まさかの客席を向いてドヤ顔(!)をしながら指揮台上を歩いたのだ。ポロネーズ特有の強拍をこれでもかと強調するなど、オケも遊び心あり。弦のトップ奏者は殆どお尻が宙に浮いていた。

かくも楽しく、贅沢な名曲選は翌日に続く。演目が全て異なるというのも興味が尽きないところだ。猛暑を吹き飛ばす快演となりますように!
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2015/7/18
東京二期会オペラ劇場 モーツァルト 歌劇「魔笛」(字幕付)
<リンツ州立劇場との共同制作>
@東京文化会館

モーツァルト:歌劇「魔笛」(全2幕/ドイツ語上演/字幕付)

演出:宮本亜門
ザラストロ:大塚博章
タミーノ:金山京介
弁者:鹿野由之
僧侶I:狩野賢一
僧侶II:升島唯博
夜の女王:髙橋維
パミーナ:嘉目真木子
侍女I:北原瑠美
侍女II:宮澤彩子
侍女III:遠藤千寿子
パパゲーナ:冨平安希子
パパゲーノ:萩原潤
モノスタトス:青栁素晴
武士I:今尾滋
武士II:清水那由太
合唱:二期会合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団
指揮:デニス・ラッセル・デイヴィス


モーツァルトのオペラの中では、実は「魔笛」はそれほど好きな作品ではない。だが、以前観た「フィガロの結婚」が素晴らしかった宮本亜門氏演出とあれば俄然気になる。あの再演で指揮を務めたのもD・R・デイヴィス(オケは東フィルだった)だった。ライヒやジョン・ケージも振れる人だが、「フィガロ」ではチェンバロも担当して器用さをアピールしていた。

結論から言うと、予想を遥かに超える充実した上演だった。演出・声楽・管弦楽がこれほど三位一体で充実したオペラ上演はそうあるものではない。
なんといっても宮本亜門氏の演出に徹頭徹尾唸りっぱなしだった。先ほど「魔笛」はそれほど好きではない、と書いたが、その最たる理由は作品の対立構造である。王子タミーノと王女パミーナがそれぞれヒーロー・ヒロインという扱いだが、周囲を囲むキャラクターすべてに重要な意味合いが与えられていて、観劇中に思考がいろんな方向に飛んで行ってしまうのである。(まあ、自分のキャパシティの問題なのだが・・・) とくに、夜の女王とザラストロの二項対立は常に論議を呼ぶところだ。「どちらが真実に近いのか」で頭がいっぱいになり、上演後は悶々とした感情とともに帰宅するのがこれまでの「魔笛」であったので、あまり惹かれる演目ではなくなってしまった。

だが今回の亜門演出はこの 問題点を大胆かつシンプルな方法で解決している。それが、「魔笛」で描かれる世界をオペラ中の劇中劇にしてしまうというアイディアだ。モノスタトスを祖父、タミーノとパミーナは夫婦、3人の童子が彼らの子供というごく日本的な家族が序曲演奏中に描かれ、仕事に疲れ(?)家族に当たり散らすタミーノがひょんなことから子供たちの興じるテレビゲームの世界に閉じ込められてしまう。このゲームをクリアしなければ、もとの世界には戻れないというわけだ。
この方法の鮮やかさは、タミーノとパミーナが物語の主軸にはっきりと置かれるということ。夜の女王やザラストロ、そしてその一派は露骨な異常さで描かれている。ゲーム中に登場する個性豊かな「怪人」という扱いだろうが、やたらとセックスアピールの激しい夜の女王一派は本能の行き過ぎを連想させ、ザラストロ率いる宗教団は不自然に脳が発達した姿、つまり文字通り「頭でっかち」な側面が強調されている。一方でタミーノ、パミーナはごくシンプルな服装である。彼ら以外の存在はあくまでゲーム内の人物だから、どんなに変でも「そういうものか」と受け入れる寛容さがこちらにも生まれるのだ。
また、亜門演出は「魔笛」のジングシュピールとしての面白さも存分に引き出している。ドイツ語の台詞だけの箇所では、歌手のすぐれた水準もあって立派に演劇として成立しているし、勿論音楽が入る箇所でも一切弛緩することがない。
演出について述べるのは最後にするが、やはり現代屈指の技術をオペラ演出に持ち込んだ効果は計り知れぬものがある。本格的なプロジェクション・マッピングを用いた舞台は、従来のオペラとは比較にならないほど転換も迅速で、観客が置いて行かれそうになるほど軽快にストーリーが進行していく。これはリンツ州立劇場との共同制作だそうだが、現地スタッフが東京の上演に多くかかわったことも成功に大きく寄与しただろう。

大部分を演出への賞賛に費やしてしまった。最初に「三位一体」と強調したように、音楽的な水準も充実したものだった。私が観たキャストは二期会のフレッシュな歌い手が多かったようだが、若々しいキャラクターによる大胆でぬかりのない演技もさることながら、肝心の歌唱にも不足はなかった。特に素晴らしかったのはパミーナの嘉目真木子さんだ。タミーノ、母である女王からひどい仕打ちを受けた時の嘆きの歌は、メゾ寄りの深みのある歌唱で大いに感じ入った。その他、モーツァルトの投影ともいえる自由奔放男・パパゲーノを演じきった萩原潤さんもなかなか良い。
D・R・デイヴィス指揮のもとピットに入った読響は、コンサート・オーケストラとして培った十分な馬力を発散。決して重くならずに歯切れの良さは十分に保ちつつ、堂々たる路線のモーツァルトを聴かせてくれた。舞台上でどんなにドタバタが起ころうとも決してブレない大木のような存在感は上演のクオリティを高めていた。

とにかく情報量も多く、随所に仕込まれた小ネタで一部反応しきれないところもあった。何度でも観たい珠玉の上演である。連日完売なのもむべなるかな。 
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2015/7/17
東京フィルハーモニー交響楽団 第867回サントリー定期シリーズ
@サントリーホール

マーラー:交響曲第9番

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:依田真宣
指揮:尾高忠明

7月の東フィル定期は縁の深いマエストロ・尾高さんが指揮。自分がクラシック音楽への情熱を再燃させるに至った大きなきっかけがこのコンビなのだが、実演に接するのは案外久しぶりかもしれない。
尾高さんのマーラーは、震災直後にチャリティで読響を振った第5番、名フィルを振ってハードボイルドな熱演を聴かせた第6番以来。今考えると、いずれも大変端正な造形が印象に残っている。さて、第9番は如何に。

冒頭でゲシュトプフを奏するホルンがブレ、おやおやと思ったが―そこからのオーケストラは極めて安定。指揮棒を持たず、響を慈しむように柔らかく振っていく尾高さんの指揮に十分な共感を持って応じているのが分かった。燃えた時の東フィルが発揮する力には瞠目すべきものがあるが、今回は間違いなくそれだ。バッティストーニとの共同作業で得た熱気の余韻が未だに残っているのか、それとも老境に差し掛かろうとするマエストロ尾高への尊敬の念が高まっているのか。いずれにせよここ近年で聴いた東フィルの定期の中ではベストの水準を示したことは間違いない。弦5部トップ奏者の気合は物凄いし、金管群も曲に相応しい包容力のあるサウンド。特に1stホルンの健闘ぶりは感涙モノで、果敢に攻め続けているにもかかわらずブレない。それでいて歌心・音色の変化にも不足しないのだから文句なしである。
また、実地的な面で言えば第2楽章の後にチューニングを行ったのも良かった。この大曲ではどうしても一回の調整では厳しいからだ。コンマスの依田さんはオケを主導する感じではないが、ソロでは美音で魅了。

尾高さんはこれまでと同じく端正な構築美を示すのだが、マーラーが生への執着を爆発させるような熾烈な箇所では、躊躇なしに激しくオーケストラを鳴らしていく。厳然たる造形を作った上で、それを敢えて破る瞬間に全霊をこめる彼の指揮は、マーラーの第9番が持つ堅牢な造形美、20世紀音楽を見据えた先鋭性を同時に達成していた。素晴らしく誠実なマーラー演奏に大感謝!
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2015/7/16
東京交響楽団 第632回定期演奏会
@サントリーホール

ストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲
バルトーク:ピアノ協奏曲第1番
ベートーヴェン:交響曲第5番

ピアノ:デジュー・ラーンキ
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:水谷晃
指揮:ジョナサン・ノット

ノット/東響の定期。先日のオペラシティシリーズの流動的なプログラムとは好対照を成す、大地に根を張ったような力強い作品群が並ぶ。

まず一曲目のストラヴィンスキー、ノットはN響客演時にもこの曲を取り上げたことがある。東響の管楽器奏者がずらりと顔を揃え、冒頭から素っ頓狂な音響がホールに響く。同じ作曲家の「春の祭典」の土俗性を凝縮して放ったような、不思議な魅力のある音楽だ。コンサートの冒頭から管楽器にハイトーン連発はさぞ大変だと思うが、東響は流石の水準で美しく表現した。

続いてのバルトークはピアノ協奏曲第1番。ティンパニはじめ打楽器群は指揮者の正面、つまり管の前まで引き出され、打楽器的な音塊が目立つピアノとの対比が強調される。打楽器vs打楽器というわけだ。演奏自体は思いの外強靭さより優美さを感じさせるもので、ダンディな装いのラーンキのソロは手慣れたもの。ノットはストラヴィンスキーに続き近現代音楽における抜群の強みを発揮、完璧に振りさばいていたが、肝心のオケの打楽器群には一層の切れ味を求めたかった。

近現代の名作に続き最後に提示されるのは、交響曲の獅子ともいうべき傑作中の傑作・ベートーヴェン「第5番」。
ノットはここに来てかつて見たことがない程の激烈な没入ぶりで指揮した。彼がここまで唸り、吼える(!)のは相当に突き動かすものがあるのだろう。第4楽章の怒涛の進撃はまさに新時代へと駆け抜けるといった趣であった。
だがそこは才人ノット、勢いと熱気だけで終わるはずがない。むしろ彼らしい斬新な響きを次々と見せつけられた思いだ。第1楽章では鬼気迫る進軍の中で運命動機のリズム群が斬新な捉え方、中間楽章では一転してブルックナーの如き大胆な呼吸感とパウゼの活かし方。とにかくアイディアが溢れて仕方がないという印象を受けた。だが、彼の才人ぶりに仰天する一方、アイディアの取捨選択はあまりなされていないともはっきり感じた。その結果、ベートーヴェン5番の持つ理性を超えた超人間的な力は幾分薄められていたと思う。
オケは12型にコントラバスを一本足した形。編成が小さな分、一人一人の奏者の自発性がはっきりと演奏に反映され、表出力の大きなベートーヴェンとなっていた。その反面弦の響きの豊かさは若干犠牲となり、ドイツ音楽らしいふくよかさは演奏から感じなかった。これは勿論好みであるが、徹頭徹尾現代視点によるベートーヴェン解釈と言えるだろう。

とにかくノットの力強い指揮は圧巻、オケの内部からもリップサーヴィスなど一ミリもない絶大な賛辞が寄せられていた。これほど素晴らしいコンビが東京に存在するという事実に、ただ感謝するばかりである。

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2015/7/12
東京都交響楽団 プロムナードコンサートNo.364
@サントリーホール

リゲティ:ルーマニア協奏曲
ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
~ソリスト・アンコール~
ローラン・ディアンス:タンゴ・アン・スカイ
ベートーヴェン:交響曲第7番

ギター:
朴葵姫
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:山本友重
指揮:グスターボ・ヒメノ
 

都響プロムナード、今回は元コンセルトヘボウ管首席打楽器奏者のヒメノが登場。アーク・ノヴァの関連企画で東北に登場したはずだが、今回の都響が本格的な日本デビューとなる。今秋のコンセルトヘボウ管来日公演をも指揮するので、いわば前哨戦といったところか。

一曲目のリゲティは前衛ではなく、痛快な民俗舞曲が鮮やかに展開される。ヤンソンス/バイエルン放送響がアンコールとして好んで演奏する終曲以外はまともに聴くのは初めて。(ちなみに東響音楽監督のノットはこの作品を含むリゲティ選集をベルリン・フィルとライヴ収録している)
いささか破れ太鼓的なヤケクソ感もないではなかったが、都響の技術水準により高速パッセージも難なくクリア。第1ホルンと第3奏者によるナチュラルホルンの掛け合いはより朴訥な味わいが欲しかったが、オケの個性によるものか。山本さんのソロはフィドルを思わせる軽やかさでお見事。ヒメノはリズムこそ明解だが特に個性を出すでもない。

続くロドリーゴは人気ギタリスト・朴葵姫さんのソロ。オケとの音量差を考慮し卵型のスピーカーで増幅しての演奏だった。葵姫さんはCDを聴いているかのような安定度だし、オケも手堅く豊麗な音なのだが、いまひとつ主張に欠けたのはどうしてだったのだろう?アンコールでは独奏になり本領発揮、打楽器的な奏法も交えながらセンスあふれる演奏を聴かせてくれた。ギターVSオケの構図はやはり大ホールでの実演には向かない気がする。

ここまでヒメノの個性がまるで感じられなかったので、続くベートーヴェン7番に期待していたのだが、これは大変残念な結果に終わってしまった。
彼は前述した通り拍が非常に明解で、アンサンブルに必要な要素は概ね満たしている。かといってオケを追い込むタイプでもなく、木管陣を自由に解放したい意図は伝わってきた。
だが肝心の音楽がまったく空疎である。ベートーヴェン7番という曲はリズムで押してなんとかなってしまう側面があるが、彼の指揮はまさにそれの悪例で、リズム以外のこの曲の魅力が無視されてし表面的な演奏に終始している。否、リズム処理に関しても十全とは言い難い。第1楽章の主部などで、音楽が昂揚するのに比例してテンポが上がっていくのは良いのだが、それが演奏家の生理と一致していない。視覚的にそれは如実だった。結果として木管と弦の掛け合いで音価が不自然に詰まり、聴く側としてはつんのめるような不安定さを味わうことになる。
とはいえオケは演奏の水準を保たなければいけないわけで、表面的な破綻がなかったのは流石にプロの仕事。指揮者に寛容な都響としては終演後の反応は露骨で、指揮者を讃える動作が無いどころか、団員同士が苦い顔で話し合っていた。

ヒメノはもう呼ばれることはないだろう。今秋のコンセルトヘボウ管来日公演はどうなるのか、甚だ不安である。(自分はチケットを買っていないのだが・・・)
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