たくさん聴かな、あかんやん。

都内在住私大生。自分の心に正直に書きます。

September 2015

2015/9/18
英国ロイヤル・オペラ 2015年日本公演
G.ヴェルディ作曲『マクベス』
@東京文化会館

ヴェルディ:歌劇「マクベス」(全4幕/イタリア語上演/日本語字幕付)

演出:フィリダ・ロイド
マクベス:サイモン・キーンリサイド(バリトン)
マクベス夫人:リュドミラ・モナスティルスカ(ソプラノ)
バンクォー:ライモンド・アチェト(バス)
マクダフ:テオドール・イリンカイ(テノール)
マルコム:サミュエル・サッカー(テノール)
医師:ジフーン・キム(バス)
夫人の侍女:アヌーシュ・ホヴァニシアン(ソプラノ)
刺客:オーレ・ゼッターストレーム(バス)
伝令、亡霊1:ジョナサン・フィッシャー(バリトン)
亡霊2:野沢晴海(NHK東京児童合唱団)
亡霊3:鈴木一瑳(NHK東京児童合唱団)
ダンカン王 イアン・リンゼイ
ロイヤル・オペラ・ハウス合唱団
合唱指揮:レナート・バルサドンナ
管弦楽:ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団
指揮:アントニオ・パッパーノ


ROHの来日公演「マクベス」を観た。今回彼らが持ってきた2プロダクションでは、「ドン・ジョヴァンニ」(以下DG)が比較的新しく、このロイド演出はやや伝統的なものである。初演は2002年、マクベス夫人をグレギーナ、マクベスをマイケル=ムーア(映画監督ではない!)が歌っている。

DGが結構ヒンヤリと怖い仕上がりだったが、こちらは王道の悲劇。シェイクスピアの本場ならではのプロダクションだったかもしれない。
多彩なプロジェクションマッピングの一方物理的なセットの動きはかなり少なかったDGを観た後だと、奥行きある舞台装置でリアルに物語が展開するのは安心できる。ただどこまでもトラディショナルという訳ではなく、和装を連想させるコスチュームや武具、スタイリッシュな建築、頭にターバンを巻きエキゾチックな魔女たちなど、意図的な無国籍化が図られているように感じた。どこの国の話かわからなくすることで、魔界に悩まされるマクベスと夫人はそもそもこの世ではない何処か別の世界にいるのでは?と疑問を持たせ、より物語の怪奇性は強められる。
再演が繰り返されるだけあって完成度の高い演出だとは思ったが、いくつか陳腐に思える点もある。幕が開いてすぐの魔女達の合唱では音楽のリズムに合わせステッキが打ち下ろされるのだが、これは結構ダサい。魔女達の奇怪さは他の場面でもこれ見よがしに強調されるのだが、却って学芸会風になってしまっていたように思う。

歌唱陣では、マクベス夫人のモナスティルスカが群を抜いて素晴らしい。最強音は剣のようにまっすぐ客席へ飛び、弱音でも声が痩せず存在感がある。強音・弱音問わずコロラトゥーラ的な箇所も多くあるが、まったく危なげない。ロシア往年のソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤを思わせる圧倒的な歌唱だ。第4幕の夢遊病も音楽面は完璧だろう。
夫君を演じたキーンリサイドもよく練られた演技と深い声。それが乖離しておらず、表現の必然として確信なさげな歌唱が見られたのには感銘を受けた。
その他ではバンクォーのアチェトが演技・歌唱共に充実していた。(騎士長の時はイモに感じてしまったのだが・・・)マクベスを打ち倒すマクダフ(演じるテオドール・イリンカイはネルソンス指揮ROHの「ボエーム」で素晴らしいロドルフォを演じていた)とマルコムも舞台を締め括るに相応しい毅然とした歌唱。

パッパーノ指揮のオケと合唱は流石に高水準を見せつけた。編成が大きい分、知性はそのままに熱気がDGより増していたように思える。「勢いで押してしまうのではなく、緻密な合奏を積み重ねていくことで音楽を充実させるのだ」という声が聞こえてきそうな抜け目のなさは、日本のオケの勤勉さとも通じるところがある。それでも合唱は新国の方が遥かに精度が高いが・・・。

ROHの2公演を観たが、ざっくりとまとめれば音楽面は「マクベス」、演出の面白さは「ドン・ジョヴァンニ」となるだろうか。いずれにせよカンパニーの結集力を感じる上演であった。
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2015/9/17
英国ロイヤル・オペラ 2015日本公演
W.A.モーツァルト作曲『ドン・ジョヴァンニ』
@NHKホール

モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」(全2幕/イタリア語上演/日本語字幕付)

演出:カスパー・ホルテン
ドン・ジョヴァンニ:イルデブランド・ダルカンジェロ(バリトン)
レポレロ:アレックス・エスポージト(バス・バリトン)
ドン・オッターヴィオ:ローランド・ヴィラゾン(テノール)
ドンナ・エルヴィーラ:ジョイス・ディドナート(メゾ・ソプラノ)
ドンナ・アンナ:アルビナ・シャギムラトヴァ(ソプラノ)
騎士長(ドンナ・アンナの父):ライモンド・アチェト(バス)
ツェルリーナ:ユリア・レージネヴァ(ソプラノ)
マゼット(ツェルリーナの夫):マシュー・ローズ(バリトン)
ドンナ・エルヴィーラの侍女:チャーリー・ブラックウッド(黙役)
ロイヤル・オペラ・ハウス合唱団(合唱指揮:レナート・バルサドンナ)
管弦楽:ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団
指揮・チェンバロ:アントニオ・パッパーノ


ロイヤル・オペラの来日公演が2010年以来、5年ぶりに行われている。ゲオルギューがヴィオレッタを降板してネトレプコが歌うなど、キャスト変更のドタバタがあった前回がもう5年前とは。(行ってないけど)
今回ROHが持ってきたプロダクションは2つ、どちらもイタリア語による作品だ。「モーツァルトは一種のイタリア・オペラ」と語るイタリア系イギリス人のマエストロ・パッパーノ入魂のチョイスということだろう。

観劇後まず抱いた印象は、いい意味で来日公演っぽくない—つまりお祭りっぽくない、シックで考えさせられる舞台だった。綺羅星のごとき歌手をずらりと揃え、声の饗宴で圧倒すれば大喝采は堅いだろう。だが、今回このカンパニーが持ってきた「ドン・ジョヴァンニ」はそういった路線とは一線を画していた。

出演者が地味という話ではない。寧ろ相当に贅沢な配役であり、それに見合う水準を聴かせてもらったと思う。表題役のダルカンジェロは濃い色気を放ち、演技面の細やかさも文句なし。第2幕始まってすぐの有名なセレナーデにおける絶妙な表情変化なども細かく、役と一体になっていた。彼の従者レポレロを演じたエスポージドも芸達者。開演前に喉の痛みを抱えていることがアナウンスされたヴィラゾンも全曲破綻なく歌ったが、高音部では苦しげで裏声気味の箇所もあったように思う。アリアも彼の本領ではなかったのではないか。なお、アチェト演じた騎士長にはやや不満が残る。ドン・ジョヴァンニとの大詰めの応酬における迫力、不気味さ共に物足りなかったのだ。
女声ではお目当てだったディドナートの素晴らしさに酔った。派手な役回りではないのだが、立ち振る舞い・歌唱ともに比類ない存在感があった。メゾながら高音域も余裕があり、立体的で輝かしい声の出し入れが素晴らしい。ツェルリーナのレージネヴァは可愛らしく溌剌とし、悲劇的なドンナ・アンナを演じたシャギムラトヴァもとても良かったのだが、強く印象付けられるというほどではない。

カスパー・ホルテンのプロジェクション・マッピングを全面的に用いた演出は概ね成功していたと思う。ドン・ジョヴァンニの心象を背景の白い家のセットに映し出すことで、「善悪の対立」「最後は大団円」という単純な構図から作品を解放していたからだ。それは特に第2幕において顕著で、精神的に錯乱してくる表題役を暗示するような投影が見られた。抽象的でどこか不安を掻き立てる映像の数々は、単なる女たらしではなく、苦悩を抱えて生きるドン・ジョヴァンニ像を印象付けるに十分だった。そして、終幕で「地獄落ち」せずたった一人暗い舞台に取り残され、両脇で一行が勧善懲悪の成功を高らかに歌うのは極めて不気味で居心地が悪い。SNSの普及が招いた人々の孤独や、隣人意識の欠如など、頭が痛い現代の課題を嫌でも認識させられるではないか。
なお第1幕始まってすぐ、表題役が関係を持った(であろう)女性の名前がぽつぽつと投影されていくのは洒落たアイディア。後の「カタログの歌」の予告的な役割も果たす。

最後になってしまったが、この決して明るいとは言えない(そして、セット自体の動きも極めて少ない)プロダクションにおいてモーツァルト音楽の清廉な味わいをしっかりと主張し、全体の完成度をぐんと高めたのはパッパーノ指揮のオーケストラであった。英国オケらしくパリッと明晰な管楽器の音色は心地よく、その一方で弦楽器はしっとりとした味に事欠かない。マエストロのモーツァルトは時代解釈に縁がなさそうだが、音楽の愉悦を存分に引き出す卓越した指揮には舌を巻くほかない。彼自身によるレチタティーヴォ伴奏も流れが良い。

震えるような感動こそなかったものの、深みのある舞台・上質に纏められた音楽の両方を堪能できた公演だった。もう一夜の「マクベス」も期待している。
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2015/9/13
東京交響楽団 第52回川崎定期演奏会
@ミューザ川崎シンフォニーホール

マーラー:交響曲第3番

メゾ・ソプラノ:藤村実穂子
児童合唱:東京少年少女合唱隊(合唱指揮:長谷川久恵)
女声合唱:東響コーラス(合唱指揮:冨岡恭平)
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:大谷康子 
指揮:ジョナサン・ノット

新たな10年の船出を噛み締めるような、温かく沁みるマーラー3番だった。
交響曲形式への挑戦のような前半で大胆なテンポ変化や工夫を施し、深遠さを増す後半楽章ではインテンポ志向を強めるノットの設計にも大いに納得。何より、それを大いなる共感を以って音化する東響に涙した。

素晴らしきマーラー指揮者・ノットは、この大曲を暗譜、のみならず勇気あるチャレンジを随所に忍ばせる。一番仰天したのは第1楽章、ホルンが第1主題を奏して始まる提示部を弦の後半プルトだけに奏させたこと。音量的なバランスの確保のみならず、ステージ上の管楽器と弦が綺麗な弧を描く形になるのだ。曲の遠近感を強め、原題の「牧神が行進してくる」をも可視化するアイディアに脱帽!続く第2楽章も細部まで神経が行き届き、ソロ一つ取ってもフレーズ内部で表情が異なる。ノットはかなりテンポを自由に動かすが、東響の弦楽器群は潤いある美音で応じる。インバル×都響のような徹底的なアーティキュレーションの統一ではなく、即興的な音の愉悦をお互いに味わうようなインティメイトさである。リストの「スペイン狂詩曲」中間部の旋律がそっくり引用される第3楽章では、佐藤Tp首席の完璧かつ歌心豊かなポストホルン・ソロが最高の空気感を醸し出す。ハイトーンでの余裕が更にあればとも思うが、きわめて高水準な演奏だ。
「ツァラトゥストラはかく語りき」が引用される第4楽章では中低音域の豊かさが活きる。テクストの内容と釣り合った奥行き深いサウンドにじっと聴き入る。藤村さん(バンベルク響との録音でも彼女である)のソロはまっすぐで真摯、続く第5楽章との描き分けもしっかり成されてスコアの深い読みを窺わせる。その第5楽章、3階に配置されたチューブラーベルと児童合唱はバランス的に疑問。指揮者や一階席ではジャストで交わるのかもしれないが、自席(2階LA)では児童合唱が一秒近く遅れて聴こえ、ちぐはぐな印象。これは最後まで改善されなかった。東響コーラスは流石の充実ぶり。
当然アタッカで入った終楽章はこれまで聴いた実演ではもっとも遅く、丁寧に演奏された。対向配置の効果もしっかりと活かしつつ強靭な集中力でオーケストラを率いていくノット、この長大な楽章が内包する葛藤・諦念・嘆きを不足なく表出してくれた。それも、強烈な管弦楽の咆哮ではなくしっとりとした哀感に包みつつ。このようにして漸くたどり着くコラール、どうして感極まらずにいられようか。どっしりとしたテンポ感を保ったまま迎えた温かな大団円の余韻を保ち、ソロ・カーテンコール2回でノット監督を讃えた客席も快かった。

ほんとうに素晴らしい、忘れがたき演奏だった。2026年までノット監督と歩むことが決まり、東響にはいよいよポジティヴな要素しか感じない。ノット監督、オケの団員の皆さんのそれぞれが固い信頼関係で結ばれているのが演奏から痛いほど伝わってくる。監督の即興的なニュアンス変化にあれほど見事に対応できるのは、心が通じている証拠。これからもあらゆる局面での進化・深化に胸が躍る。東響は、日本のオーケストラで「大きな室内楽」を達成する可能性がいちばん高い団体だと思う。
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2015/9/12
NHK交響楽団 第1814回定期公演 Cプログラム
@NHKホール

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
~ソリスト・アンコール~
ラフマニノフ:プレリュード 作品32 第12曲
ドヴォルジャーク:交響曲第8番

ピアノ:ニコライ・ルガンスキー
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:伊藤亮太郎
指揮:広上淳一

硬質で凛々しいルガンスキーのピアニズム、抒情と覇気が絶妙に交差する広上さんの音楽性が見事な融合。ラフマニノフの協奏曲第3番がピアノ付き一大交響曲かのように響く様は圧巻だった。終楽章への雪崩れ込み、終結部でのエネルギーの放出、この曲のツボを完璧に押さえてある。それでいて細部が粗くならず、一音一音を聴けるほどにクリアなのだからルガンスキーは素晴らしい。

後半のドヴォルジャーク8番、オケを心の底から気持ちよくさせ、その全力を無理なく引き出す魔術師の真骨頂。弦こそ16型だが、通常編成のドヴォルザーク8番でここまでNHKホールがビリビリと震撼するとは。先日の下野さんも引き締まった表情の中でオーケストラを存分に開放する快演だったが、大胆さでは広上さんの方が上回る。歌舞伎の見得を切るようなアクセント、テンポ変化もあって所謂「広上節」の演奏なのだが、流石にN響がピタリと付けるために説得力が凄いのだ。トランペットが加わりトゥッティになった時の排気量の大きさはアメオケを彷彿とさせるし、弦の厚みもいつも以上。
定期公演に招聘される数少ない日本人指揮者の一人として、確固たる個性と実力を持った広上さんの力演を堪能した。 
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2015/9/10
東京フィルハーモニー交響楽団 第868回サントリー定期シリーズ
@サントリーホール

ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
ラフマニノフ(レスピーギ編曲):5つの絵画的練習曲
ムソルグスキー(ラヴェル編曲):「展覧会の絵」

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:三浦章宏
指揮:アンドレア・バッティストーニ
 

5月の定期以来となるバッティストーニ客演。前回のイタリア管弦楽曲集では多彩な響きを聴かせてくれ、メインのレスピーギ「シバの女王ベルキス」の爆音はまだ耳の奥にこびりついている。今回はイタリアとロシアを相互的な視点で見るプログラム。

冒頭「運命の力」から金管が鋭く一閃、ホールを震撼させる。汗が飛び散るような熱気の中にはフレージングの斬新さも聴かれ、展開の妙に息を呑むのみ。一曲目から東フィルがバッティストーニの一挙手一投足に食らいついている。ただごとではない音の濃さに度肝を抜かれた。
ラフマニノフ/レスピーギの「5つの絵画的練習曲」はラフマニノフのピアノ曲をレスピーギが管弦楽編曲したもので、一流のオーケストレーションが原曲を壮麗に彩る。曲全体を通して聴くと若干弱さがあるように感じたが、力のこもった演奏には満足した。

後半「展覧会の絵」はおなじみのラヴェル編曲。今月はカンブルラン/読響とこのバッティストーニ/東フィルがラヴェル編曲を取り上げ、ナッセン/都響がストコフスキー編曲を演奏する面白い月間だ。
冒頭のプロムナードを奏するトランペットは生演奏では過去最高の抜けのよさ、指揮者の拘りかフレージングに歌心が強く感じられたのもよかった。オーケストラ全体としても、壮麗かつキリリと引き締まったサウンドが痛快。管楽器が豪壮に鳴るので、若干弦が押された感はあった。「古城」における下降音型の特徴的なアクセント、「牛車」でのVn群のフリーボウイング、終曲での鳴り物追加など、書き出せばきりが無いほど細部の工夫が盛り沢山。結果としてラヴェル編にも拘わらずストコ編のような外連味が醸されたのは面白い。少々癖のあるテンポ運びは好みではなかったが、東フィルをここまでシャカリキにさせる指揮者もいないだろう。充実の定期だった。
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2015/9/6
読売日本交響楽団 第551回定期演奏会
@サントリーホール

ヴァーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(全3幕/演奏会形式/字幕付)

トリスタン:エリン・ケイヴス(テノール)
イゾルデ:
レイチェル・ニコルズ(ソプラノ)
マルケ:
アッティラ・ユン(バス)
ブランゲーネ:クラウディア・マーンケ(メゾ・ソプラノ)
クルヴェナル:石野繁生(バリトン)
メロート:アンドレ・モルシュ(バリトン)
牧童、舵手、若い水夫:与儀巧(テノール)
男声合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨岡恭平)
管弦楽:読売日本交響楽団
コンサートマスター:長原幸太
指揮:シルヴァン・カンブルラン

ファン待望、カンブルランと読響によるオペラ上演。オーケストラの主催公演ゆえ演奏会形式ではあるが、全曲上演である。30分休憩2回、3時開演の8時終演。
カンブルランは大野和士もシェフを務めたベルギーのモネ劇場、フランクフルト歌劇場などで采配を振るい、現在はシュトゥットガルト歌劇場の舵取りを任されている堂々たるオペラ指揮者。日本でオペラを振るのは、パリ国立オペラの「アリアーヌと青ひげ」以来か?今回の読響での上演にあたって、彼の姿勢は慎重を極めている。演奏会形式に相応しい「トリスタン」という演目選び、シュトゥットガルトでの公演に参加したスタッフを中心とする人選、通常の定期公演よりもずっと多いオケのリハーサル数。彼のオペラ指揮者としての経験が注ぎ込まれた上演となったわけだ。

ピットではなく当然ステージ上で演奏する読響は、カンブルランの指揮のもと精妙な響きを聴かせる。伝統的なヴァーグナー演奏らしい強烈な金管の咆哮や弦のぐわんという唸りはついに一度も聴かれず、適度な厚みを有した高解像度の弦、細身の管楽器が綺麗にブレンドされた響きが全3幕続いた。これはカンブルランの音作りなのか、それとも長丁場を乗り切るためのオケのペース配分なのだろうか。実際、演奏は殆ど破綻なく高水準なものだったのだが―「トリスタン」とはこんなにも冷静に聴ける音楽だったか、という奇妙な思いは残った。
きわめて明晰な構築ゆえに、第2幕で惹かれあう二人の密会の場面で夜の雰囲気が立ち現れる様は実にリアルに描かれる。中低音域が雄弁さを増し、時に艶かしく響くのだ。(こういう情景変化を聴くと、今シーズンの後ろに控えるマーラー『夜の歌』が楽しみになる)密会の頂点でマルケ一行が乱入する劇的な転換においても、カンブルランはオーケストラを追い込むことをしない。この場面は、マルケが困惑と哀しみを抱えているという点で、例えば「ヴァルキューレ」第3幕の怒れるヴォータンの登場とはわけが違う。ゆえに必要以上に恐ろしげにオーケストラを鳴らす必要はない、というのがカンブルランの意向であればまあ納得が出来るのだが・・・どうだろう。
第1幕の男声合唱はステージ上、終盤に登場するバンダはLA席後方に配置。第2幕、遠方からのホルンはP席通路の扉を開け放って奏された。第3幕のコールアングレ、ホルツトランペットはオルガン席に並んで奏された。全体的にホール全体を使った配置となった。

カンブルランが選んだ歌手陣も高い水準を有していた。冒頭で登場する水夫役他の与儀さんはP席からホールいっぱいに高らかな美声を響かせた。輝かしく、逸材だと思う。メロートのモルシュはトリスタンを破滅に追い込もうとし、マルケに擦り寄る狡猾さがよく出ていた。クルヴェナルの石野さんも日本人離れした演劇性を充分示していたのだが、第3幕におけるマルケ一行の船との対決では演技がやや過剰で、イタリアオペラのように感じてしまった。重要な役柄・ブランゲーネのマーンケは一番の安定感を示し、3幕歌いっぱなしにもかかわらず見事だった。第2幕でホールの空気をガラリと変えてしまったのはマルケを演じたアッティラ・ユン。彼の活躍はかねてから知っていたが、これだけ凄いとは。韓国からはクヮンチュル・ユンといい彼といい素晴らしいバスが生まれているが、豊かな体格から響く圧倒的声量。苦悩する王の威厳・葛藤・慈悲を歌だけで見事に描き出してしまった。歌に限って言えば彼とブランゲーネが筆頭だったろう。

表題役ではイゾルデのレイチェル・ニコルズが予想以上に健闘していた。ヴァーグナーもレパートリーとはプログラムに記載してあったが、普段はバロック作品でよく名前を見る人だけにどうなのかと思っていたが、暗譜で気合充分。カンブルラン/読響の細心の音量コントロールあってこそだとは思うが、美しく清楚なイゾルデを聴かせてくれた。いわゆるヴァーグナー・ソプラノがそれほど好きでない自分としては、彼女に大拍手を送った。一点残念だったのは、カンブルランの采配のためか、大詰めの「愛の死」が猛速といっていい速さで淡々と締めくくられてしまったこと。(これは彼女の責任ではないが)
一方のトリスタンはこのキャストの中では残念ながら弱さが目立った。第1幕では第2幕の長大な二重唱(カットなし!)に向けセーヴしているのかと思っていたが、3幕とも変わらなかったのでどうやら不調だったようだ。しばしばペットボトル入りの水を飲みながらの歌唱で、そのこと自体は何の問題もないのだが―流石にクルヴェナルが「トリスタン、お逃げなさい!」と必死の警告をしてすぐ引き下がる時に水をボケーと飲んでいるのは苦笑いしてしまった。他キャストの入れ込みに比すると、全体的に気迫負けしている感は否めなかった。声自体は良いのだが・・・。

色々と書いたが、とにかくオケの主催公演の枠での上演(それも2回!)にこぎつけた関係者各位に敬意を表する次第だ。カンブルランのヴァーグナーが濃いものでないことは予想していたが、その予想以上に淡々と流れていった、というのがごく正直な感想である。次はバルトークの「青ひげ公の城」を定期枠でお願いしたい。より適性があるのではないか。

(追記) 
 あまりこういうことは書きたくないのだが、全3幕とも音が鳴り終わるか終わらないかといううちにブラヴォーがあった。意識的なフライングであり、係員の直接注意もあった上でやったそうだから悪質である。6月の都響B定期の悪夢以来、このテの破壊行為はなるべく平静を以って対応しようと心がけているが、流石に今回は我慢がならなかった。余韻を壊されたことへの憤りよりも、集中して長丁場を演奏された楽員さんが気の毒でならなかった。こういう情けない行為は、もう止めにしないか。
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2015/9/6
東京交響楽団 モーツァルト・マチネ 第22回
@ミューザ川崎シンフォニーホール

モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲
モーツァルト:交響曲第25番

ヴァイオリン:水谷晃
ヴィオラ:青木篤子
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:田尻順(協奏交響曲)、
水谷晃(第25番)
指揮:ジョナサン・ノット


「協奏交響曲」の名に相応しい堂々たるオケの響きに冒頭から魅了される。その中から浮かび上がる水谷さん、青木さんのソロもやや細身ながら美しく、三者で見事な調和感を保つ。第1楽章展開部のVnとVaの語らいは、ミューザの残響も相まって絶品!ソロにキュッヒルを迎えたスダーンとの同曲に劣らぬ名演。
後半の第25番は冒頭からオケの重心が低く、艶消しが効いたようなサウンドが誠に好ましい。小股の切れ上がったテンポ感といい、前回の「パリ」でも感じた特徴そのままだった。東響のアンサンブルは前半に増して引き締まり、倍管ホルンの効果も発揮。ノット監督も所々唸って気合十分、朝からこんなモーツァルトを聴かせてもらえるなんて何と贅沢なんだろう。

それにしても、センターブロックで聴くミューザのサウンドは宝石のように美しい。こんなホールがあるからこそ東響の充実があるのだろうし、(後日談だが)ノットも更に10年やってみたいと思ったのだろう。ほんとうに素晴らしい。
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2015/9/5
東京交響楽団 第88回東京オペラシティシリーズ
@東京オペラシティ・コンサートホール

ラヴェル:組曲「クープランの墓」
コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲
シベリウス:交響曲第6番

ヴァイオリン:南紫音
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:水谷晃
指揮:大友直人

大友さんのノーブルな音楽性が良い方向に作用した演奏会だった。一曲目の「クープランの墓」から寛いだ雰囲気、管楽器群の丸みのある音が佳い。最近首席で入団された荒木さんのオーボエが冒頭から冴えている。
続くコルンゴルトのVn協奏曲、黒に金をあしらったドレス(世紀末ウィーン風?)に身を包んだ紫音さんがよく歌う。しかも嫌らしくない歌い口で、絶妙なバランスだと思う。オケにも相当の負担がかかる曲だけに、東響の充実はソリストを力強く支えていた。
後半のシベリウス6番も聴き応えある秀演。大友さんの手堅いリードに導かれ、柔らかな手触りの弦が冒頭から切々と歌を紡ぐ。大地に木霊するようなホルンも良い。曲が持つ静謐さというよりは、力強く律動する音楽に感銘を受けた感じ。

前後半に共通したのは、東響のしなやかなアンサンブルの妙味。無理なくそれを引き出した大友さんの采配にも好感を持った。
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2015/9/4
日本フィルハーモニー交響楽団 第673回東京定期演奏会
@サントリーホール

ミヨー:バレエ音楽「世界の創造」
ベートーヴェン:交響曲第1番
イベール:アルト・サクソフォンと11の楽器のための室内小協奏曲
別宮貞雄:交響曲第1番

サクソフォン:上野耕平
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:扇谷泰朋
指揮:山田和樹

一見とりとめが無さそうだが実際はその逆。たくさんの作曲家を通し、時代を超えて日・仏・米の音楽界を見透すようなプログラミングには脱帽である。この演奏会に限らず、ヤマカズは演目のチョイスが凝っている。ヲタク的な凝り方というよりは、視点が広く開かれていてウィットに富んでいるのもいい。

ミヨー「世界の創造」では日フィルの名ソリスト陣がセッションを楽しむような軽妙さ、saxのソリスト上野さんが既にオケ内で演奏、たいへん蠱惑的。もっと小さな会場(それこそフィリアホールとか)だったら更にグルーヴに富んだ音楽になったかも。管楽器の勢いあるソロをはじめ、日フィルはいい水準。ところが・・・。
ベートーヴェン1番で16型倍管というアイディアはとりあえず置いておいて、細部の拘りはそれ以上に個性的。第1楽章でマゼールかというような急減速、第2楽章入りはトップ奏者だけ。第4楽章の導入部も大変勿体ぶったスロー開始。ヤマカズのプログラミングは先述の通り見事だし、尽きせぬアイディアにも恐れ入るばかりなのだけれど、演奏もアイディア先行になってはいないかしら。現実的な問題としては、日フィルの管楽器はとてもよく鳴るので倍にすると弦を随所で食ってしまう。16型にしても薄く感じてしまったのはいただけない。

休憩後、イベールのサクソフォン協奏曲はまさにフランスの洒脱を堪能。肉厚な中音域の上野さん、呼吸のような自在なソロにうっとり。最後の別宮貞雄「交響曲第1番」は緊密な構成感を持つ名曲を見事に再現したヤマカズの棒、日フィルの献身に大拍手。独仏の空気感の中に日本の寂寥を聴く。今夜一番の収穫。
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